5000兆円欲しい!の経済学

 「5000兆円欲しい!」というネタをご存知だろうか?主にTwitter上で、豪華な縁取りをされたこの言葉が真ん中に堂々と構えた画像が、そこそこに出回っている。この画像を使った定番のやりとりなども構築され、このフォントで好きな文字を入れられるツールもでき、有名ネットスラングのひとつとしてかなりの知名度を誇っている。

 この5000兆円という金額について調べてみると、以下のような内容が書かれていたりする。「5000兆円は日本の国家予算の○年分、アメリカなら○年分、ロケットが○本飛ばせる金額であり、ラーメンなら○兆杯食べれる。」なんともわかりにくい比喩だが、とどのつまり、人には人の乳酸菌があるように、5000兆円には五千兆円分の価値があるということだ。この途方もない金額を、どうしてそこらにいる一般人がネット上で「欲しい!」と表明しているのか。そこにはある経済的な歴史が絡んでいるように思われる。

 少し昔、数千万年前の地球の話をしよう。数千万年前、詳しいことは知らないが、おそらく日本のあたりの陸地にはホモ・サピエンスがいなかったに違いない。陸地を彷徨いていたのはホモ・サピエンスよりも長い歴史を持つ、爬虫類や昆虫、人類の祖先となる原始的な哺乳類であっただろう。空には鳥が飛び、海には魚や軟体動物が泳いで、岩部には貝がいた。陸は緑で覆われ、それを食べる恐竜、その恐竜を食べる恐竜がいて、人類が直接観測することの叶わない食物連鎖があったことだろう。そんな時代には、当然お金というものはなかった。そう言い切れるのには理由がある。考えてもみてほしい。人間のいない時代にお金があったとすれば、それを使っていたのは誰だろうか?恐竜か?鳥か?昆虫か?水中生物か?まさか植物が金のやり取りをするのだろうか?ティラノサウルスがそろばんを弾いて弱い恐竜たちに金をせびり、弱い恐竜たちは恭しく金を差し出す。しかしもし本当に恐竜たちの大きな手でそんなことをしたら、恐竜の指の隙間から硬貨が音を立てて落ちていくだろう。つまり、恐竜たちは硬貨を持つこともままならない。だから古代に金が存在したはずがないのだ。

 また、70年前の話をしよう。70年ほど前、日本では非常に有名な出来事が起こった。そう、聖徳太子1000円札の発行だ。これにより日本の株価は上昇した。日本で最も尊敬を集める人物の肖像画を誰もが欲しがり、金が消費され、経済がうるおったからだ。70年経った今でも、彼の肖像画が刻まれた紙幣は高い価値を持つことが、彼の人気を裏付けている。歴史的に重要な人物の影響によって、昔の日本には、金が潤沢にあった。

 だが、今はどうだろう。若者たちは銀行の大ぶりな機械から、握りしめたら札が折れてしまうほど少ない金額を取り出し、保育園や幼稚園に通っていた頃の「大金持ちになりたい」という七夕定番の願いなどすっかり忘れて「バイトで1時間1000円稼げたらいい方」などと夢のない話し、隣の部屋のイビキまで聞こえるボロアパートに住み、もやしばかりの栄養価の足りない生活をしているのだ。なんということだろう。これは凄まじい変化である。たった10年程度で人間の思想が185度変わるほど、世知辛い世の中になってしまったのだ。

 このように、金というのはあればあるほど良いものだ。現代の若者はひもじい思いをしている一方で、今も多くの幼児たちは短冊に「大金持ちになりたい」と書いているのだろう。その野望がいつか叶うことを、そして願わくば私たちにもその恩恵が降ってくることを願って、我々の未来に眩いばかりの幻の光を見るのが、今私たちにできる最大のことである。

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