終電
電光掲示板がチカチカしてる。「終電、終電です、次の電車はありません。」そう言うみたいにチカチカしてる。憂鬱さでため息までこぼれちゃいそうだ。真夜中のホームは一人でも、終電に乗ったら一人じゃなくなる。
私がこうやって家出をすると、いや、家出もどきをして終電で帰ると、母さんは必ず起きていて、私にただ「おかえり」って言って、白湯を一杯手渡してから、母さんの寝室へ消えていく。はじめのあたりからずっとそうだ。私が終電で帰ったら、母さんは私が帰るまで待っていて、理由もなにも訊こうとしない。母さんは、ただ、何も言わずに白湯を渡す。
きっとそうだ、弟の晴樹にしたって、姉がこんな夜遅くに帰ってくるのを不審に思っていないはずがないんだ。勿論、家に帰らない父親とか、犬のタロが私を心配していることはないんだろうけど、でも、母さんは特に、内心ではとても訝しがっているはずなんだ。こんな不良みたいなことを、今まで普通だった娘がし出したことを、おかしいと思っているはずなんだ。
なのに、いつも何も言わない。
電光掲示板は、なんなら母さんよりお喋りかもしれない。いちいち電車が来るたびごとに、ちゃんと時刻も行き先も告げて、お足元にご注意くださいとか、営業用の声で言う。電車の音は不気味なくらいに響き渡って、遠くからキーッと近づいてきて、ちょうど目の前で止まって扉が開く。
一度開いたら、終電は、なかなか扉が閉まらない。私に乗れと言っているのか、私が乗るまで待っているのか、もしかしたら乗るまで閉めないからなと意地を張っているのかもしれない。とにかく、終電は、冷たいけれどちょっとだけ優しい。
車内は今日も、くたびれたサラリーマンが少しと、何かわからない人たちが何人かいて、誰もがひとりぼっちみたいだ。もちろん私も何かわからない人に入るし、私もひとりぼっちなんだと思う。少し暖房がかかっていて、窓ガラスには水滴がつく。しばらく走って長く止まって、しばらく走って長く止まって。終電独特のリズムが、心地よくも感じるようになってきたのは最近の話だ。はじめの方はちっとも慣れなかった。
家族と真逆だ。家族ははじめから慣れ親しんだ存在なのに、だんだん慣れなくなっていく。だんだん、一人一人がバラバラになって、誰もが居心地悪く感じだす。
その代わりに見つけた「慣れた場所」が此処なのか、と思うと馬鹿みたいな気分だ。家族の方が心地よいはずなのに、他人がバラバラに座って誰もがそっぽ向いた電車に乗って、私は罪悪感を感じてる。こんなことよくないってわかってるのに、終電に乗るのをやめられない。
でも、もしかしたら、帰りたくないのはこんな終電にも安らぎを感じているからかもしれないな。
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