賢者

 真に賢い人は謙虚である。らしい。巷でよく言われる、根拠がどこにあるかは知らないが僕の心にねばねば貼り付いている考え方の一つである。喩えるならば納豆を食べ終わると、器やカップに茶色い粘りがべたりと広がってる様子。なんとなく、汚さを感じる見た目。

 正直、いくら模試の点数が悪かったからといって、そんなことを思い出して自分の傲慢さを振り返って、自分はもっと慎ましやかであらねばならないなどと自責の念を抱く必要は全くないと思う。だってこれは、所詮は一枚の紙切れで、最近勉強に打ち込んでいないから模試の点が良くなるはずもなくて、この結果は、ただ当然ここにあるべきものだからだ。今更自分を責めたってどうしようもない。自分を奮い立たせて勉学に励むことの方が優先されなければならない。なのに、今日、僕はこれのことばかり考えて1ミリも勉強が捗らなかった。

 一度クシャクシャにしてしまった模試の結果の紙を広げて、そこらのクリアファイルに突っ込んだ。志望校はD判定だった。少なくとも喜べはしないし、たとえ20%かその程度の合格率に当たって合格したとしても、僕の能力自体はD判定であることに変わりない。つまり、受かろうが受かるまいが、僕はD程度の人間だ。

 名簿が一つ前の女子が、「この調子」と先生に褒められていたのを思い出す。彼女は大して嬉しくもなさそうに、模試の結果を受け取り、無愛想に僕とすれ違って席についた。次いで先生は「課題は国語だな」と僕に模試を手渡した。「がんばれ」なんて、まるで僕が頑張っていないかのような物言い……いいや、頑張っていないことは確かだ。僕は、断然努力が足りていない。

 彼女の頭が欲しい、と切に思う。彼女なら、たとえ先生に僕のようなことを言われたとしても心を乱すことはないのだろう。あの無愛想な顔で紙を受け取って、無愛想に席について、次は良い結果を出す。どういうメカニズムでそれができるのか見当もつかないけれど、僕よりずっと勉強していることは確かだ。

 焦る。焦るけどどうすることもできなくて辛い。集中できない。どうしたらいいかわからない。

 ああ、多くの大人はこの苦しみを越えて大学へ行き、社会へ旅立つのか。こんなに辛い時期を過ごせば、そりゃあ、大人にもなれるはずだ。社会でも求められるはずだ。社会に求められるような、強い心と優れた能力を持った大人になれるはずだ。

 悶々と頭で考えている間にも、僕の左手は飽きもせず、模試の結果を握り続けている。どうしたらいいんだろう、僕は本当にダメなやつだ。真に賢く、傲慢さのない、謙虚な人になりたい。しかし、やはり僕は途方に暮れて、悪戯にすぎゆく時間をただ眺めていることしかできないのだ。

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