羨ましい
他人が存在しなければもう少し自分の生活は楽になるのかもしれないと思ったことは何度もある。うまく話せない相手は徐々に増えてきて、はじめは苦手な大人、次に女の子、それから男の子、友達、とうとう家族にまで侵食が進んで、自分は孤独を極めてしまった。
「誕生日プレゼントは、なにがいい?」
「うーん、今欲しいものは特にないかなぁ」
自家用車を運転しながら母が問えば、後ろの席で私の左側に座っている姉がさっと答える。
「何かあるでしょう」
とまた母が言えば、再び姉が、
「だって欲しいと思ったものは全部買ってるからさ。別に母さんに買ってもらうほどのものは……あ、そういえば今ちょうどセーター買いに行きたいと思ってたんだった。それ誕生日プレゼントってことでいい?」
「じゃあ一緒に──に買いに行こっか。──は?買い物ついてくる?」
母は急に私の名前を呼んだ。とってつけたような、不自然な感じがしたけれど、この、母と姉の両方が自分の言葉を待っていると感じる空気が嫌いで、私はさっさと「いいよ。待っとく」となるべくぶっきらぼうにならないように返事した。
「そう?じゃあ車のエンジンかけたままにしとくね。鍵はかけとくし。で、──はどこのお店でセーター買いたいの?」
「駅前にできた───がいい。あそこのやつ、安くて結構着心地が良くてさ」
「──ね、了解」
母はそのまま車を走らせ、時々姉に話しかけた。姉は姉でにこやかに答えて、時々母に話しかけた。私はただつまらないこの空気が嫌で、二人の間に
母は店に着く少し前に、また、急に私に話しかけた。
「今日買った靴、結構高かったから──の早めの誕生日プレゼントってことで」
それを聞くと私は、なんだかものすごく嫌なことを言われているような気がした。
……さっき姉の誕生日ケーキを買って、姉は今から誕生日プレゼントにと服を買いに行って、私は早めの誕生日プレゼントに、さっきのあの安売りで半額だった靴なんだ。へえ。そうなんだ。
一瞬黙った私を、気遣うように弁護するように母と姉が何か言うのも全部嫌な気持ちがする。
「あの靴、うちの家の相場の倍くらいしたんだから、誕生日プレゼントの相場は──円なんだから」
「あれ、高かったんだ?」
「うちの家にしては。ほら、何年か前も──を早めの誕生日プレゼントにしたことあったでしょ」
私は自分の中でドス黒い感情が広がっていくのが気持ち悪かった。
(なんでそんな欲しくもない靴が私の誕生日プレゼントなの。早くそういうふうに言ってくれればあんな靴欲しいなんて言わなかったのに。)
我儘な私が主張すれば、それを否定する私が我儘な私の首を絞める。
(お金を稼いだこともなくてお金を使った経験も少なくて、だからお金のことで私よりちゃんと知っていてちゃんと玄人の母や姉が、ちゃんとお金を稼いでいる母と姉がこういうことを言うのを、世間知らずの私が文句を言うのは間違っている。間違っているから、私はこれに対してなにを言う権利もないから、これを受け入れなければならない。)
そうやって自己の勝手な我儘を否定する思想が勝手に侵攻してくる。思考が自分の理性を奪って、あたかも理性であるかのように振る舞って、私の「私」というのを何度も何度もハンマーで撲った。私は耳元が金属音でうるさかった。身勝手で幼すぎる自分を殺したくなった。
私が黙っている間に、母と姉は別の話題に移り、何か楽しそうに話している。私はようやく多少現実が見えるようになったタイミングで、また窓の外を見た。他人なんて見るもんじゃない。他人の価値観とか、他人の正しさとか、そんなの全部私のアイデンティティをつぶす働きしかしないものなんだから、聞いたって痛いだけだ。相手にしちゃいけない。
私は、目をつぶって眠ったふうを装った。心が凪ぐことはなかったけれど、それでも、受け入れられな他人がそこにいることも、受け入れられない自分がここにいることも、目蓋を閉じるだけで一瞬でもやわらぐようにと思ったのだった。
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