木犀
先日、七海さんとこんなことを話していました。
「金木犀って、人工的な匂いがする」
「え?……そんなことないと思うけど」
「あ、いや、その……人工的っていうか、こう強い香りがするのが、普通花ってあんまり匂いとかしないから」
「あーたしかに。咲いてるのが匂いでわかる花なんて金木犀以外ないもんね」
「うん。香水の匂いみたいな人工的な感じがする」
その日、私は七海さんとの金木犀の話が妙に記憶に残っていて、帰り道に実は気づいていなかっただけで何本もの金木犀があったことに気付きました。無論、あの匂いを嗅いで知ったのです。
金木犀。いえ、金でなくても構いませんから、ここは単に「木犀」と呼ぶことにしましょう。この花は私が、今よりずっと幼い頃から身近なところにあったものですが、思えば不思議なものです。私たちは、木犀に花がつかないとそこにあることにも気づかない。
代表的な木として、桜を例に出しましょう。桜の木は、花がつくのは春ですが、夏でも秋でも冬でも、あの大きな幹の存在感は健在で、花がなくても「桜」とわかります。百日紅(さるすべり)なんかも幹が特徴的な木ですね、シーズンオフでも百日紅だと気付けます。では、樫(かし)の木は?わからない私はどんぐりが付いていてもわかりませんが、わかる人はどんぐりの有無によらずともわかる気がいたします。なにより、桜や樫などの大木は存在感が大きいですから、シーズンオフでも地面に刺さったプレートなんかで名前を知ることも多いのではないでしょうか。
小さい木を例に出すならば、雪柳なども街路樹として見かけることがあります。あれは花がついた時こそ白く小さな花びらが風に舞って「雪」を感じさせますが、花がなくとも枝が長く垂れ下がるように伸びて「柳」のように見えるので、シーズンオフでもわかります。南天の木もよその家の庭や公園なんかでふと見かける小さな木ですけれども、葉っぱの形が特徴的で、和食の料理にちょっと添えられて出てくるくらい綺麗なものです。「難を転じる」と縁起の良い木でもあり、また、冬間に小さな赤い実をたわわにつけたのは、雪うさぎの目として使ったことのある人もいるかもしれません。
と、このように、多くの街路樹は花や実がなる季節でなくとも、その種類の木であると案外気付きやすいものです。
一方、木犀はというと、匂いがしなければそこにあることには気付きません。
銀木犀をご存知でしょうか。金木犀の花が蜜柑の皮のような鮮やかなオレンジ色なのに対して、銀木犀は銀とまではいわずとも、白っぽい小さな花をつけます。全体の見た目は金木犀の色違いで、匂いも金木犀と同じような匂いがします。
たとえば、この二つが並んで植えてあったとしましょう。私たちは花がつけば、匂いで木犀が近くにあることを知り、この二つの木が目に入ります。すると知識のある人は、こちらは金木犀で、こちらは銀木犀が咲いているのだとわかります。
しかし、これが真夏のことだったとしましょう。二本の木犀には見分ける目印となる花がついていませんから、パッと見かけても金木犀か銀木犀かの区別ができません。それどころか、匂いがしないために、私たちはそこに木犀の木が生えていることにすら気づかないのです。
思えば、不思議なものです。ちょうど花の咲く秋に街を見ればあれほどの数植っている木犀が、どうして花がないくらいでその数多数を隠すことができるのでしょう。私たちは、きっと普通に生活を生きていて得られる情報以外には、視線を向けることが難しいのですね。
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