第12話 いつか、また会える日まで……
気がつくとヒナミは、土の上に横たわっていた。
そこは、不思議な景色だった。
薄暗く、目に映るもの全部が青っぽい。
ヒナミの目の前を、三葉虫が歩いていった。
上半身をおこすと、それにあわせて細かい砂がゆっくりと舞い上がる。
周囲を見渡す。どちらの方向を見ても、目の前に広がるのは、草原だった。ただし、普通の草原ではない。ウミユリの草原が目の前に広がっていた。
「ここって、もしかして……」
海の底。
目に映る景色は、まさにそうだった。でも、息ができる。なんでだろう。
上を見上げると、差し込む光がゆらゆらと揺れている。そして、その前を一本の白い線が通っていた。
目をこらしてみると、それは線ではなく、白い点の集まりだった。たくさんの白いなにかが、どこかへむかって泳いでいく。それが線のように見えているのだ。
「あれ、魚……じゃない」
さらによく見て見ると、魚でないことがわかった。それは、人だった。たくさんの白い和服を着た人が泳いで行くのだ。手も足も全く動かしていない。なのに進んでいる。
「なに、あれ」
一人、ヒナミのほうへむかってくる人がいた。近付いてくるにつれて、その姿がはっきり見えてくる。それは、女の子だった。他の人たちと同じく、白い和服を着ている。
「なんで……」
ヒナミは、思わず声が出た。その女の子を、ヒナミは知っていた。
女の子は、フワリとウミユリの草原に降り立つ。
「お久しぶりです、ヒナミさん」
その柔らかい口調も、優しい声も、数カ月前まで当たり前のようにあったのに、なつかしく感じる。
「……チサトちゃん」
女の子の名前は森松チサト。
出会って、友達になって、親友になって、それから、病気で死んじゃって……。
「どうして……」
ヒナミが尋ねると、チサトちゃんは笑顔を浮かべながら歩み寄る。
「ここはね、死んだ者の世界と、生きている者の世界の間なんです」
イチカちゃんは、ヒナミの前にしゃがむ。
「じゃあ、幻じゃないの?」
ヒナミの言葉に、イチカちゃんはうなずくと、頭上の白い列を見上げる。ヒナミもつられて、見上げた。
「お盆だから、みんな帰っていたんです。そして、これから戻るんです。死んだ者の世界へ」
ヒナミも、死んでしまったのだろうか。これから、あの列に加わり、あの世へ行くのだろうか。チサトちゃんと、一緒に。
チサトちゃんと……。
「……ごめんね」
ヒナミの目から、涙がこぼれた。チサトちゃんは、驚いたような顔をうかべる。
「私、もっとチサトちゃんに優しくできたと思う。もっと、チサトちゃんが辛くならないように、できることがあったと思う。もっと、チサトちゃんのやりたいことに協力できたと思う。なのに、なのにね……」
チサトちゃんは、難しそうな病気の本を読んでいたのを、ヒナミは知っていた。体育の授業をよく見学していることにも気付いていた。生きるとか死ぬとかそういう話にも敏感だった。
なのに、ヒナミはそれらのことをあまり深く考えなかった。
気付いていれば、なにかが変わっていたかもしれなかったのに。
後悔。
「これからは……」
「いいんです」
突然、チサトちゃんはヒナミの言葉をさえぎるように抱きついた。
「いいんですよ。もちろん、生きていられたら、やりたいことはまだまだいっぱいありました。でも、ヒナミさんやミホといたあの数ヶ月は、本当に楽しかった。間違いなく人生で一番の時間でした。だから、ヒナミさん、私を重荷にしないで、私のことなんて忘れてください」
「そんなの……」
そんなの、チサトちゃんがあまりにもかわいそうだよ。
ヒナミの気持ちが伝わったように、チサトちゃんは首を横に振る。
「たまに、想い出してもらえればそれだけで十分です」
チサトちゃんはヒナミの手を握った。
「だから、ヒナミさん、イチカさんと一緒に生きている者の世界へ、ヒナミさんのいるべき世界へ、帰ってください」
「私、死んでいないの?」
チサトちゃんは、ヒナミから
「はい。まだ間に合います。だって……」
チサトちゃんはヒナミから離れた。
「だって、ヒナミさんは足がはやいですから」
チサトちゃんは笑顔で、フワリと浮かび上がり、白い和服の人の列へむかって行く。
「待って!」
ヒナミは声は裏返っていた。
「はい。待ってます。ゆっくり、出来るだけゆっくり、私のところまで来てください」
チサトちゃんは白い和服の人にまぎれて、もうどこにいるのかわからない。声だけが聞こえた。
でも、さっきまで握ってくれていた手は、あったかい。
ヒナミは手を開いた。そこに勾玉があった。赤く輝いている。
勾玉をぎゅっと握り、目をつむる。
わかった。
ゆっくり。
出来るだけゆっくり。
いっぱい寄り道しながら、そこまでいくから。
またね、チサトちゃん。
そして、目を開く。前から、光が迫ってくるのが見えた。青い、火の玉のような光。それは、ウミガメだった。まばゆい光をまとった大きな大きなウミガメが、まっすぐに迫ってくる。
ヒナミは、息を吸って、吸って、吸って。
「ウミィー!」
叫んだ。
『ギュルゴォー』
ヒナミの声に応えるように、ウミガメは大きく吠えた。
まるで滑るようだ。ウミガメは猛スピードで泳ぎ、白い和服の人たちを次々と追い越していく。
「すごい、すごいよウミ」
ウミガメの甲羅に座るヒナミは、はしゃぎながらいった。ウミガメは、得意げな表情でヒナミに視線をむけた。
でも、イチカちゃんは見つからない。
「どこにいるの?」
そのとき、ウミガメが更に加速した。
「見つけたの?」
ヒナミが尋ねると、ウミガメはうなずく。
ウミユリの草原。そこに、一組の男女が座っていた。
男の人も、女の人も、ヒナミは見覚えがあった。アキコさんに見せてもらった
アキコさんのアルバムに載っていた人――イチカちゃんの、両親。
その二人に挟まれるように眠っている女の子がいた。イチカちゃんだった。
ヒナミは、ウミガメに乗ったまま近寄る。
「あの……」
声をかけると、男の人と女の人は同時にヒナミに顔をむける。
「ヒナミちゃん。待ってたよ。ありがとう、来てくれて。俺たちは、イチカを返せないから」
男の人がいった。
「私たちは、ずっとイチカを見ていた。でも、見ていることしか出来なかった」
女の人は、寂しそうな表情だった。
「ヒナミちゃん、イチカを連れて帰ってくれないかな? 私たちには、出来ないから」
男の人はそういって、ヒナミがうなずいたのを確認してからイチカちゃんをウミガメの甲羅の上に乗せた。
「元気でね。イチカ」
女の人は、名残惜しそうにイチカちゃんの髪をなでる。
そのときだ。
「うっ……ううっ」
イチカちゃんは、ゆっくりと目を開いた。
「ここは……」
イチカちゃんは、辺りを見回す。そして、自らの両親の姿をとらえた。
「パパ、ママっ!」
イチカちゃんが叫んだ。
「イチカ……久しぶり」
女の人がいった。
「ごめんな、苦労、させてしまったんね」
男の人は手を伸ばし、イチカちゃんの頭に触れた。
イチカちゃんの目から、涙がこぼれた。
「パパ、ママ。イチカね、とっても寂しかった。ここまで会いに来たんだよ。これからはずっと一緒にいようね」
イチカちゃんはウミガメの甲羅から降りると両親に歩み寄る。
男の人と女の人――イチカちゃんの両親は、イチカちゃんを強く抱きしめた。
「イチカ、ヒナミちゃんと一緒に帰りなさい」
男の人がいった。その途端、イチカちゃんは驚いたような表情のあと、ワッと泣き出した。
「そんなこといわないでよ。せっかく会えたのに、もう離れたくないよ。イチカを一人にしないでよ」
イチカちゃんの必死の訴え。見ているヒナミも苦しくなる。
「イチカ、こんなところまで追いかけて来てくれるお友達が出来たんだね。大丈夫、一人じゃない。みんなが支えてくれる。イチカは、ちゃんと生きていける」
男の人はイチカちゃんの体を引き離すと、半ば強引にウミガメの甲羅に乗せた。
「いやだ、いやだよ。一緒にいたいよ。そうだ、パパとママも一緒に行こう。それでいいでしょ?」
イチカちゃんは泣き叫ぶ。
「私たちは、もう帰れないの……。ヒナミちゃん、行って」
女の人がいった。
ウミガメは、滑るように泳ぎ出す。
「パパ、ママ!」
イチカちゃんは叫ぶ。
「俺たちがいなくても、イチカはパパとママの子供だ。宇宙がひっくりかえったってそれは変わらない」
イチカちゃんの両親の姿はどんどん小さくなってすぐに見えなくなった。
気が付くとまっ白な天井が見えました。
いったい、何が起こったのでしょうか。
私は頭を動かして、周囲を見渡します。
ここは、病院のようです。私は、ベットに寝かされています。
「おはよう。気分はどう?」
ベット横に椅子を出して座っていたのは、アキコさんでした。
「私、どうしたの?」
ヒナミちゃんの学校に泊まって……そっか。パパとママに会いに行ったんだった。
「海でおぼれて、ヒナミちゃんが助けたのよ」
そっか。私は自分の手を見つめます。
ヒナミちゃんの手は、パパの手よりずっと小さかった。でも、そのマメだらけの手の感触は、今も思いだせる。
「ヒナミちゃんは、無事なの?」
「うん。なんともないみたい。後でお見舞いに来るって」
よかった。素直にそう思います。
「でもなんで、夜に海なんて行ったの?」
私は、少し考えました。本当のことをいうべきか、適当にごまかすべきか。
そして、本当のことを話すことにしました。
「パパとママに会いに行ったの」
するとアキコさんは、一瞬の悲しそうな表情の後で、笑顔を浮かべました。
「パパとママには会えた?」
「うん。会えた。会えたけどね、一緒にはいられないっていわれた。イチカは、ちゃんと生きていけるって」
それからしばらく、お互いになにもしゃべらなかった。
病院の近くを電車が走っているみたいです。カタコトと、音が聞こえます。
「……これから、どうなるんだろう」
私の口から、そんな言葉がこぼれました。
すると、アキコさんは深呼吸をしました。そして、なにかを思い切ったような、真剣な表情で私を見つめます。
「イチカちゃん、ちょっと話があるんだけど」
このときのアキコさんの言葉を、私は一生忘れることはないでしょう。
夏休みも残り数日となった日、イチカちゃんはヒナミの家を出ていた。引き取ってくれる人が見つかったそうだ。
「ヒナミちゃん、いろいろと、ありがとね。落ち着いたら、また遊ぼうね」
新しい家へ引っ越す日、イチカちゃんは照れたようにそういった。
「うん。またね」
ヒナミも、そういってイチカちゃんとお別れをした。
イチカちゃんがヒナミの家に居たのは、ほんの一か月ちょっとで、決して長いとは言えない。なのに、いなくなるととっても家の中が静かになったように感じる。
ちょっと、寂しいな。
そして、九月になり、二学期がはじまる。
夏休みの出来事を一通り話せば、後はいたって普通の学校生活だ。
そして、九月の半ば。
ヒナミは海辺の道を、ゆっくりと歩く。その一歩ごとに、長い髪が揺れる。空気の匂いも、気温も、微かに秋の気配がする。
ある家の前で、足を止めた。
ピーンポーン。
呼び鈴を鳴らして、しばらく待つ。
「あー。ヒナミちゃんもう来ちゃったー」
そんな声が、家の外にまで聞こえてくる。階段を駆け下りているのだろうか? バタバタという足音も聞こえる。
しばらく待っていると、ドアが開いた。出てきたのは、イチカちゃんだ。
「お待たせ、ヒナミちゃん」
玄関で、イチカちゃんを見送っているのは、アキコさんだった。
「本当に、ついて行かなくて大丈夫?」
アキコさんはなんだか心配そう。
「うん。へーきだよ。ヒナミちゃんも、ミホちゃんもいるから」
イチカちゃんはそういって、アキコさんに手を振った。
「お待たせ、ヒナミちゃん。行こ」
ヒナミとイチカは、並んで、ゆっくり歩き出す。
「イチカちゃん、髪伸びたね」
イチカちゃんの髪が、しおかぜに揺れている。
「うん。でも、もうちょっと伸びないとヘアゴムはつけられそうにないな」
イチカちゃんは指先で髪をつまんだ。
「あ、そうだ」
でも、数歩でイチカちゃんは足を止めた。そして、ふり返る。アキコさんは、まだ家の前に立って、こちらを見ていた。
「あ、えっと……」
イチカちゃんは口をモゴモゴと動かしたあと、小さな声でいった。
「いってきます……お母さん」
その様子を見たヒナミは、そっと微笑む。
もうちょっと、だね。
マンションの横で、ミホと合流した。
「イチカ、今日から?」
ミホは尋ねる。
「うん。色々手続きに時間がかかっちゃったんだけど、今日からイチカは二学期、ですっ」
三人で、並んで歩く。ゆっくり歩く。
線路をまたぐ橋を越え、坂を下り、横断歩道をわたって、小学校に到着だ。
靴を履き替えてから、イチカちゃんを職員室へ送っていった。
そして、ヒナミとミホは自分の教室、四年二組へ。ヒナミたちが一番乗りだった。
次第に、みんなが登校してくる。それにつれて、ザワザワと騒がしくなっていった。
「ヒナミちゃん、一組に一人、転校してくるってホント?」
ヒナミのところに、クラスメートの女の子がやって来た。
「うん。そうらしいね」
ヒナミが答えると、女の子は転校生についてあれやこれやと空想をはじめた。
そのとき、チャイムが鳴った。
立花先生が教室に入る。みんなは、一斉に席についた。
「起立、礼」
日直が、号令をかける。
「おはようございます」
挨拶のあと、全員が座ったのを確認してから立花先生は出欠を取りはじめる。今日は全員出席だ。
それから、立花先生は今日の注意事項を話しはじめる。でも、声が小さいから隣の教室の声も聞こえてくる。いや、むしろヒナミは隣の教室の声に聴き耳をたてていた。
「山梨県の、河口湖町から引っ越してきました。たか……郡中イチカです。よろしくお願いします」
隣の教室からワッと拍手の音が聞こえる。
ヒナミはそれを聞きながら、微笑んだ。
青い瞳のウミ2 ~しおかぜにゆれる花~ 千曲 春生 @chikuma_haruo
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