第11話 ワクワク! 学校に泊まろう‼

 遺体の確認をしました。

 と、いっても、直接遺体を見ることができず、着ていた服や、ポケットに入っていたものを見せられて、「間違いなくパパとママです」といっただけだった。

 警察の人は、私が傷つかないように気を使ってくれているのがわかりました。でも、私は案外、落ち込むことも、ふさぎ込むこともなく、元気でした。

 二人一緒に浜に打ち上げられるなんて奇跡だ。誰かがそういっていましたが、私にはその奇跡の価値がよくわかりません。

 ただ、流れに身を任せるまま、お葬式が終わりました。だれが、なにをやってくれたのかはよくわかりませんでしたが、アキコさんがほとんどの手続きやらなんやらをやってくれたことはわかりました。

 一度、富士山のふもとにあるもともと暮らしていた家に帰りました。アキコさんは仕事をお休みして付き合ってくれました。

 町並みも、家も、そして私の部屋も、みんな、なに一つ変わっていません。

 私の部屋。

 そこかしこに積み上げられたスケッチブック。

 今まで描いてきた沢山のスケッチ。登ってきた山の絵。

「見ていい?」

 アキコさんは尋ねたので、私はうなずき、それからスケッチブックの一ページ一ページを説明していきました。

「これはね、乗鞍岳に行ったときのものでね、お花、特にミズバショウがとっても綺麗だったの」

 私の描いた絵は、膨大な数があります。でも、その一つ一つの思い出が、はっきりと思いだせるのです。

 そして、アキコさんは静かに、時おりうなずきながら、私の話を聞いてくれました。

 私は、夢中で話し続けました。それが、とても楽しかった。

 私が元の家に戻っている間に、ヒナミちゃんのパパは休暇を終え、また船で海に出ました。次に帰ってくるのは三か月後だそうです。

 なんででしょう。先のことが全く想像できないのです。

 少し、疲れました。

 ゆっくりと休みたいな。

 私は、ヒナミちゃんの家に戻りました。


 長いとおもっていた夏休みも、あっという間に終盤になった。


『学校に泊まろう』


 この名が体を表しているイベントが、今夏最後の思い出になりそうだ。

「よかったね、今日、来られて」

 ヒナミはプールサイドに座り、膝から下を水につける。イチカちゃんは、横ですわっている。ずっと、もともといた家に帰っていて、このイベントも参加できるかどうかわからないということだったけど、なんとか間に合った。

「うん。とっても楽しい。この水着も、ありがとね」

 イチカちゃんが着ているのは、ヒナミとミホがプレゼントした水着だ。イチカちゃんは明るい笑顔を浮かべている。本当に楽しそうだ。

「ちょっと泳いでくるね」

 イチカちゃんは水に入ると、バチャバチャと泳いでいった。さっき、ミホに泳ぎを教えてもらって、泳げるようになったのだ。不格好で、ゆっくりで、でも、泳げている。

「無理はダメだよ」

 プールに立ち上る水しぶきを見ながら、ヒナミはつぶやいた。


 パパとママが死んでから、私は自分が明るくなったと思っています。

 なんと親不孝な、と怒られてしまいそうです。でも、ヒナミちゃんやミホちゃんとのささいな会話も、今、こうしてプールで泳いでいることも、とっても楽しくて、無理なく笑顔になれるのです。

 なのに、なのに、突然悲しくなるのです。

 パパとママのことを思い出して悲しくなるのではありません。突然『悲しい』におぼれてしまうのです。

 今だってそう。

 泳げるようになって、とっても楽しいのに、なのに、なんで涙が出てくるんだろう。

 私は、プールの底に足をつき、頭を水から出した。

「イチカ、上手じゃん」

 ミホちゃんが近付いてきました。

「うん。上手上手」

 私を追いかけて泳いできたヒナミちゃんも顔を出します。

「うん。おかげさまで」

 私は、笑いました。泣いていたことに誰も気づかなくて、安心しました。


 校庭にテントを建てた。ヒナミ、ミホ、それからイチカちゃんの三人で一つのテントを使う。他のチームが苦戦する中、ヒナミたちは最初に設営できた。ほとんどイチカちゃんがやってくれた。

 日が暮れると、砂浜に移動してバーベキューをした。

 ここでも、イチカちゃんは大活躍だった。みごと、飯ごうでご飯を炊いてみせた。

「パパに教わったんだ」

 イチカちゃんは、得意げにそういった。

 バーベキューの片付けが終わると、花火をした。

 ヒナミ、ミホ、イチカちゃん。三人で、堤防にもたれるように座る。砂が服につくのは気にしない。

「あーあ。もうすぐ学校始まるなー」

 線香花火を片手に、ミホがいった。

「ミホちゃん、がっこ嫌いなの?」

 線香花火を片手に、イチカちゃんがいった。

「学校は嫌いじゃない。ただ、夏休みが好き。そうでしょ?」

 線香花火を片手に、ヒナミがいった。

「せーっかい」

 ミホが大きな声を出した途端、細い花火の先の火の玉が落ちる。

「あっ」

 続いて、ヒナミの火の玉も落ちる。

「イチカのだけになっちゃった」

 不思議と、イチカちゃんの線香花火はなかなか落ちることなく、燃え続けていた。


 私が学校から帰ると、パパがいました。

「なんで、パパがいるの? 今日、お仕事じゃないの?」

 私が尋ねると、パパは笑顔でいうのです。

「イチカと旅行の予定を立てようと思ってね、仕事をお休みしたんだ。イチカ、どこに行きたい?」

 私の頭には、次々と写真や、テレビ番組で見た場所の景色が思い浮かびます。

「急いで決めなくても、ゆっくりでいいのよ」

 ママが、ケーキを持ってきました。

「みんなで食べよ」

 ママはいいました。

 ケーキは、一口食べると、とっても甘くて、それだけで幸せな気分になれました。

 幸せで、幸せで、幸せで……。

「パパ、ママ……」

 そこまでいって、私は自分がなにをいいたかったのか忘れてしまいました。

 目を開けると、真っ暗でした。

 パパも、ママもいません。

 そうか。私は夢を見ていたのです。

 今は、ヒナミちゃんの学校のイベントに参加させてもらっていて、テントで眠っていたのです。

 パパも、ママももういない。

 昔に戻れたらいいのに。パパとママに会いたい。そんなことできないのに、でも、そうなればいいのにって思う。

 私の頬を、涙が伝いました。

 胸から、熱いものがこみ上げてきます。

 ヒナミちゃんや、ミホちゃんに気付かれないように、声を殺して泣きました。

 そして、ふと、思ったのです。

 パパとママは海で死んだのだから、海に出ればまた会えるかもしれない。

 幽霊でも、なんでも構いません。とにかく私は、パパに、ママに、会いたい。

 そのとき、私の脳裏に浜に打ち上げられていたボートが浮かびました。それは、神様からのプレゼントのように感じられたのです。

 今、海に行ったらパパとママに会える。

 私の中で、それは根拠のない確信になりました。

 パパ、ママ、今、会いに行くね。


 誰かが、泣いている声が聞こえた気がして、ヒナミは目を覚ました。

 横でごそごそと動く気配。

 そっと目を開けると、イチカちゃんがおきていた。

「どうしたの?」

 目をこすりながら、尋ねる。

「ううん。なんでもないよ。寝てて、ヒナミちゃん」

 イチカちゃんは、とっても優しい口調でそういった。ヒナミはそっと目をつむった。

 それから、ゴソゴソと音がした。

「楽しかった。ヒナミちゃんに会えてよかった。ありがとう。さようなら」

 風が吹き込んで、ヒナミの髪を揺らした。

「さようなら」頭の中で、イチカちゃんの声が響いた。

 ヒナミは飛び起きた。

 テントの出口が開いている。そして、イチカちゃんの姿はなかった。

「イチカちゃん?」

 返事はない。

 泣いてたんだ。イチカちゃん、泣いてたんだ。

 追いかけなきゃ。

 ヒナミは脇に杖を抱えると、はってテントを出た。

 グラウンドには、イチカちゃんの姿はない。

 杖を支えに立ち上がる。涼しい風が髪を揺らした。雲の合間に月が見える。満月だ。

「イチカちゃーん」

 声を出しても、返事はない。

「イチカちゃーん」

 どうしよう。

 どうしていいかわからない。

 そのときだ、杖を握る手になにか冷たいものが触れた。

 ウミが、ヒナミの手を握っていた。

「ウミ、イチカちゃん、どっちに行ったかわかる?」

 ウミはうなずくと、校門の方を指差す。

「出てったの?」

 ウミは指差したままうなずいた。

 校門は閉まっている。イチカちゃんはその上を乗り越えていったのかもしれない。だけど、ヒナミにはそんなことできない。

「……どうしよう」

 ヒナミがつぶやくと、ウミは校門を指差す腕を動かした。校門の横、フェンスに穴が開いている。

 ヒナミは、フェンスを四つん這いで抜けた。生まれてはじめて、自分が小柄であることに感謝した。年相応の体格だったら抜けられなかった。


 私は、砂浜へやってきました。

 波が規則的に打ち寄せています。

 やっぱり、夜の海は恐く感じます。

 でも、この恐怖を乗り越えた先で、パパとママに会えると思ったら、足を踏み出すことができました。

 靴を脱いで砂浜に置くと、海に入っていきます。

 一歩、また一歩。冲を目指して。

 海面が腰の高さになって、あごの高さなにって。

 それでも、私は進みます。パパとママに会うために。

 そのとき、大きな波が私を飲み込みました。

 立っていられず、私は波に流されました。

 口から、鼻から、水が入ってくる。苦しい。息ができない。

 私は、思わずバタバタと体を動かします。

 やがて、頭がぼぅっとしてきました。苦しくもなくなってきました。

 ああ。やっと、パパとママに会える。

 私は、幸せだ。


 ウミに導かれ、道路を渡り、踏切を渡り、砂浜へやって来た。

「イチカちゃーん!」

 ヒナミは力いっぱい叫ぶ。しかし、その声は波に消えていった。

「……イチカちゃん」

 そのとき、雲が切れ、月明かりが砂浜を照らす。

 イチカちゃんが、いた。

 腰まで海に浸かりながら、冲へと歩いていく。

「イチカちゃーん」

 ヒナミの力いっぱいの声は、イチカちゃんには届かなかったみたいだ。イチカちゃんは足を止めない。

 ヒナミは、海に入った。

 前へ、前へ、イチカちゃんを追いかけて。精一杯急いで。

 でも、距離は全然、縮まらないよ。

 そのとき、イチカちゃんが波にのまれて倒れるのが見えた。

「イチカちゃん!」

 ヒナミは悲鳴のような声で叫ぶと、杖を捨てて泳ぎ出す。この方がはやい。

 海水にもまれながら、もがくイチカちゃんがみえる。

 あとちょっと。

 ヒナミは手を伸ばす。

 そして、イチカちゃんの手を掴んだ。

 しかし、もがくイチカちゃんに引きずられて、ヒナミも海中に引きずり込まれる。

 お願い、じっとして。

 ヒナミは祈るような気持ちだった。

 でも、イチカちゃんはもがき続ける。

 ヒナミは、息が続かなくなった。

 海面に出なきゃ。息継ぎしなくちゃ。

 しかし、なかなかうまくいかない。

 苦しい。

 だんだんと、意識が薄れてきた。

 だめだよ。イチカちゃんを助けないといけないのに。

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