第5話 高浜さんとイチカ

 パパも、ママも、親戚ことは私にほとんど話してくれませんでした。それでも、すべての繋がりが無くなってしまっていたわけではなかったようで、警察の人は親戚を探し連絡を取ってくれました。

 それから、形だけのお見舞いに来てくれた人は何人かいました。でも、私を引き取りたいという人は現れませんでした。


『生まれるはずではなかった子』


 その言葉を、私は知りました。

 一週間がたって、私はすっかり元気になりましたが、退院後の行き先は決まりませんでした。

 高浜さんは毎日、病室に来ては、ずっと付き添ってくれています。高浜さんは隠しているつもりのようでしたが、休暇を削りながらお見舞いに来てくれていることを、私は知っていました。

 日に日に積もる罪悪感。

 私は、高浜さんとお別れすることにしました。

 引き取ってくる親戚が見つかった、とウソをつきました。

 高浜さんは、心の底から喜んでくれたようでした。

「ありがとう」

 なんどもなんども、私はお礼をいいました。

「元気で」

 あの人はそういって去ろうとしました。

 私も、素直にお別れをするつもりでした。

 でも、なのに、突然、不安やさみしさや、他にもなにかわからない色々な気持ちが混ざったものに襲われたのです。

 知らぬ間に、私はあの人の手を掴んでいました。

「行かないで」

 ウソをついたことを、白状しました。

 高浜さんは、どんな反応をするのでしょうか?

 私は、嫌われてしまうでしょうか?

 バクバクと、鼓動がはやくなります。

「そっか」

 高浜さんは、笑顔をうかべました。それは、予想外の反応でした。

「じゃあ、家に来る?」

 数日で高浜さんは私を連れて帰る手続きをしてくれました。

 高浜さんが私の引き取り人になったのではありません。私を引き取ってくれる人が現れるまで、高浜さんの家で暮らすということになったのです。

 特急列車に乗って、高浜さんの家を目指します。私が窓側の席に、高浜さんが通路側の席に座っていました。


 イチカちゃんがヒナミの家にやってきて、数日がすぎた。

 その日、朝からヒナミはイチカちゃんと一緒に学校へやってきた。夏休みの間の学校が静かだというのは納得がいく。でも、普段より広く感じるのは不思議だ。

 ヒナミは、普段、先生たちが使っている玄関から校舎に入り、階段を上る。自分の学校なのに、なんだかちょっと、緊張する。

「へー。ヒナミちゃんの学校、広いね」

 イチカちゃんはきょろきょろと周囲を見回している。その度に、ヘアゴムのヒマワリの飾りが揺れる。

 そして、イチカちゃんは脇にスケッチブックをかかえている。

 階段を上がって、廊下を進んで。職員室の前までやってきた。

「ちょっと、待っててね」

 ヒナミがいうと、イチカちゃんは笑顔でうなずいた。

 イチカちゃんが開けてくれたドアから職員室に入る。

「失礼します」

 職員室にいる先生の数も普段より少ない。ああ、夏休みだ。

「あら、ヒナミさん。どうしたんですか?」

 ヒナミに気付いたのは、立花先生だった。

「あの、ちょっと訊きたいことがあって」

 立花先生の視線は、ヒナミの後ろを見ている。

 ヒナミが振り返ると、ドアから顔をのぞかせるイチカちゃんの姿があった。

「ヒナミさんの、お友達ですか?」

 ヒナミは「はい」と答えた。すると、立花先生は軟らかい、フワッとした表情を浮かべる。

「廊下に、出ましょうか」

 立花先生と一緒に、廊下に出て、イチカちゃんとむきあう。

「こんにちは、高園イチカです」

 イチカちゃんの声が、廊下に響く。

「立花キヨミです」

 立花先生はイチカちゃんの大きな声に動じる様子はなく、いつも通りの口調だ。

「それで、先生、これなんですけど」

 ヒナミは片方の杖に体重を預けて、空いた手でポケットから紙を取り出した。

 それは、終業式の日にもらった『学校に泊まろう』のパンフレットだった。四つ折りにしてポケットに入れてきた。

「これ、イチカちゃんも参加したいそうなんですが……」

 立花先生はヒナミからパンフレットを受け取ると、広げて、注意書きのところをしげしげと見つめる。

「そうですねー。本来は、この学校の児童だけですからねー」

 立花先生は難しい顔をした。

 あれ?

 そういえば誰もイチカちゃんがこの学校に通ってないなんていってない。もしかして立花先生、この学校に通ってる三百人ちょっとの全員の顔と名前を覚えてるの?

 いや、そんなわけないか。うん。

「一度、校長先生に聞いてみますね」

 立花先生はそういい残して職員室に入っていった。

「今のセンセ、ヒナミちゃんの担任?」

 立花先生の背中が見えなくなってから、イチカちゃんは尋ねた。

 ヒナミはうなずく。

「いいなー。イチカも、あんな優しい先生に当たりたいなー」

「イチカちゃんの学校の先生、恐い人なの?」

「うーん。優しいときは優しいんだけど、よく怒るんだ。ちょっと怖い」

「そっか」

 そのとき、立花先生は職員室から出てきた。

「イチカさんも、参加してよいそうです」

 ヒナミはイチカちゃんと顔を見合わせた。一花ちゃんは笑っていた。多分、ヒナミも笑っていたと思う。

「ただし、条件があります」

 立花先生は声を低くした。

「イチカさん、なにか訊かれたときは四年二組に通ってます、って答えてくださいね」

 あの、立花センセ? ホントに許可、もらえたの?

「これ、持ち物の一覧です。忘れ物の無いようにおねがいしますね」

 立花先生が差し出したプリントを、ヒナミとイチカちゃんはそれぞれ受け取った。

 持ち物は、名札、着替え、パジャマ、などなど。あ、水着もある。

「あの、イチカは名札と水着、どうしたらいいですか?」

 イチカちゃんの声がして、ヒナミはプリントを見直した。確かに、持ち物の中に名札と水着がある。

「イチカさん、お名前はどう書きますか?」

「苗字は高いに公園の園。名前は一つの花で一花だよ。ハナは簡単な方のハナ」

 イチカちゃんは、スケッチブックを広げると『高園一花』と書いて、立花先生に見せる。

「わかりました。少し待っていてくださいね」

 立花先生は職員室に入っていった。

 数分後、出てきた立花先生が持っていたのは名札だった。


『四年二組

     高園 一花』


 この学校の名札は、ケースに厚紙を入れるタイプのものだから、簡単に作れるのはわかる。わかるんだけど、本当に校長先生の許可もらえたの?

「水着だけ、ご自分で用意していただけますか? 一応、学校行事ですので、派手すぎない、授業で使っているのと同じようなのでお願いします」

「プール、入るんですか?」

 イチカちゃんはすかさず訊き返した。すごく真剣な顔だ。そっか、イチカちゃん泳げないんだっけ。

「はい、天候次第ですが」

 立花先生はそういって微笑む。

 何度もお礼をいって、立花先生と別れた。

「不審者情報があるので、帰るときは気をつけてくださいね」

 立花先生はそういって笑顔で手を振った。


 イチカちゃんが手を動かすたびに、紙がこすれる音がする。

 ここは図書室。夏休みだけど、今日は解放日。

 本を読みに来ている人のほかに、低学年の子供たちが折り紙やけん玉で遊んでいる。それ用にカーペットを敷いた場所が作ってある。

 ヒナミは机にむかい、本を広げた。いろいろな職業を紹介する本だ。

 夏休みの宿題に、お父さんかお母さんの仕事について調べるというのがあって、そのためにここにきた。

 お父さんに話を聞けば、すぐにすむ話だけど、やっぱり下調べもしておかなきゃ。

「できたー」

 イチカちゃんの手元には、折り紙で折られた船があった。

「ヒナミちゃんのお父さん、カッコいいよね」

 イチカちゃんは、手元の作品を見ながらいった。

「うん。私のお父さんだからね」

 英語がペラペラで、外国の話をよくしてくれるお父さん。袖口に三本、金色の帯が入った制服姿も、似合っている。

「ちょっとうらやましいな。ヒナミちゃんのパパが、ヒナミちゃんのパパで」

 イチカちゃんは冗談っぽくいった。

「譲らないよ」

 ヒナミも、冗談っぽく返した。でも、譲らないっていうのはホントだよ。ヒナミのお父さんだから。

 ヒナミは手元に視線を落とした。開かれた本の頁は『航海士』を紹介していた。

「できた」

 イチカちゃんの手元には、折り紙で折った船があった。

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