第9話  騎槍突撃の奥 

 火の熱さを、覚えている。


 クラウスの幼少期の記憶は、燃える村の中、独りで泣きながら歩いているところから始まる。

 火の魔物に襲撃され、燃える故郷の町。

 街中を喜々として焼き尽くす魔物たち。

 父も母も、住んでいた家も、焼かれてしまった。 

 それ以前の、幸せだったであろう記憶の全てを消し去る程に、それは幼少の少年にはあまりに絶望的な光景であったろう。

 都市国家同盟の騎士団に保護されるまで、彼はその熱さを身に刻み続けた。

 それからの彼は魔物の憎しみを糧に、ただひたすらに己を鍛え上げ、また、魔物を狩り続けた。

 やがて、少年の体が大人になる頃には、その熱の記憶はこの世界に魔物が溢れかえる元凶となった《魔王》へと向けられる。

 世が世なら魔王を倒す勇者と成り得たかもしれなかったが、魔王はもう何百年も前に倒されている。

 憎むべき、倒すべき相手は既に居ない――

 こうして彼の憎悪の矛先は、この世界に《魔王》をもたらした《転移門》、ひいては流転者ベイグラントへと向けられてゆく。

 こうして、《流転者ベイグラント狩り》と呼ばれる騎士は生まれたのであった。

 

   ■□■


「ほう……立ち上がるとは。頑丈だな、小鬼ゴブリン


 クラウスの騎乗する馬に激突し、5メートル程は吹っ飛ばされた文鬼は、その場でよろけながらも立ち上がった。

 

 ――足に来ているな。


 軽い脳震盪である。

 この世界に来て、初めてのダメージであった。

 まだこの身体に慣れ切っていないとはいえ、十分な捌きも受け身も取れなかった。、間に合わなかったのだ。

 そう、誤算であった。

 見切ったつもりであったが、見切れていなかった。

 更に奥があったのだ。

 その奥まで見きれなかった

 それゆえ、躱せなかった。

 不十分な受けであっても、即死しない程度にこの小鬼の身体が頑丈であったのは僥倖であった。

 或いは、素性を隠すためにつけていた西洋兜アーメットが激突時の頭部への衝撃を和らげてくれたからかもしれない。

 なんにせよ、四肢はまだ動く。

 そして相手のは見た。

 問題は、次の攻撃にこの傷ついた身体が対応しきれるか否か、だ。


「来い」


 それだけ言って、文鬼は再び構えをとった。


「大した闘志だ。その闘志に敬意を評して、次は確実にあの世へ送ってやろう」


 クラウスは言い、再び馬を疾駆させる。


 馬が迫る。

 12メートル、6メートル、3メートル――


 ――今!


 その瞬間、時速70kmは出ているであろう馬の速度が、

 これが、クラウスの騎槍突撃ランス・チャージの奥である。

 トップスピードから更に、徐々にではなくという、通常の馬にはできない芸当を、クラウスの馬――シュトゥルムはやってのけたのである。

 野生では持ち得ない技である。

 軍馬として育成され、また有能な調教師の元でこの歩法を訓練されたのであろう。騎士の強さとは、騎乗する人間のみの強さに非ず――騎乗される獣、馬もまた、騎士の騎士たる強さの所以であったのだ。


 一撃目の手痛い誤算を経て、文鬼、これを見ていた。

 小鬼ゴブリンの目が、足が、身体が、全力でこの加速に反応する。

 極度の集中が体感時間を緩慢に見せてなお、それは驚くべき速度を備えていた。

 馬体に先立って、長いランスが文鬼の身体に到達する――その瞬間に、紙一重で右足を軸足にして自身の体を翻す。と、同時に跳躍。ランスの穂先が、文鬼の胸を掠める。馬体とランスの僅かな隙間を縫って、小柄な文鬼の体は宙に有った。

 そのまま馬の轡を掴む。

 轡を掴んだ腕に走る強烈な衝撃を、長年の修行によって会得した体技でなす。

 傍目には、文鬼の体が、馬に騎乗するクラウスに飛びついたように見えた。

 クラウスは鎧に身を包んでいる。

 鎧の隙間から刃を潜り込ませる短剣でも持っていない限り、飛び付いた所で、大したダメージを与える事もできず振り落とされるのが関の山であったろう。

 しかし、文鬼である。

 ただ飛びついただけではない。

 飛びついたその勢いそのままに、文鬼の体がまるで曲芸の如きにクラウスの腕あたりでぐるり、と回転した。

 そして、その両の足がクラウスの右腕に絡みつき、クラウスの腕を全身の筋肉で引き伸ばした。


 め技である。

 馬上の相手に飛びついてからの、腕挫十字固うでひしぎじゅうじがためであった。

 九道流空手は打撃のみでなく、柔術その他の技もその理合に修めた総合武術であった。

 そして、極め技には、甲冑も体格差も大した意味を成さない。


「があッ!!」


 馬の疾駆が停まった。

 その痛みと重みに、クラウスの体が堪らず傾いてゆく。

 あわや落馬しようとした瞬間、クラウスは自ら体重を傾け、馬から横向けに落ちた。

 その鎧の重量ごと、文鬼を地面に押しつぶそうというのである。

 腕を取られている以上、それを行えば自身の腕も無事では済むまい。

 しかしそれと知ってなお、瞬時にそのような判断を、このクラウスという男はしたのである。


 やはり、強い――


 そう心内で呟く文鬼もまた、百戦錬磨の強者である。

 めた腕は少しも緩めぬまま体を捩り、落下の衝撃を分散させる。

 高所から落下しても平気な猫の様な動き。

 或いは分鬼でなければ成し得ぬ身のこなしであったろう。

 クラウスは逆に体を投げられる形で叩きつけられ、文鬼は腕を極めたまま仰向けに地面に着地した。


 落下時の激痛による脱力で、腕は更に深く極まる。

 勝負は決したかに見えた、が――


 完全に極まっていた腕を、文鬼が離した。

 そしてすぐさま後転し、更に後ろへ飛び退く。

 そこへ、クラウスの馬――シュトゥルムが前足を上げ、数瞬前まで文鬼の頭のあった地面へ蹄を叩きつけた。

 技を解いて躱していなければ、頭を割られていただろう。


 文鬼はシュトゥルムに向き合い、構える。

 この馬も、戦いにおいては人馬一体で戦う騎士たるこの男の一部であると、文鬼は認識している。事実、この馬はクラウスの為に命を賭して決闘に臨み、こうして立ちはだかっている事を、文鬼は感じ取っていた。

 馬だから、といってその意思を無下にする文鬼ではない。

 真正面から、勝負をするつもりであった。

 

 が、そこへ――


「やめろシュトゥルム!」


 クラウスの声が響いた。


「――私の敗けだ。潔く敗北を認めよう」


 仰向けで右腕を抑えながら、クラウスはそう宣言した。

 馬のみで闘っては、とても敵うまいと悟ったのかもしれない。 

 クラウスはよろけつつも立ち上がり、兜を脱いだ。


 シュトゥルムが悲しそうに嘶く。

 その鼻先を撫でながら、


「済まないな、シュトゥルム。

 敗北は私の未熟によるものだ。

 お前は最高の働きをした」


 そう声をかけたあと、クラウスは文鬼に向き直った。


「決闘に敗北したのは私だ。

 命を取るのであれば、私だけにしてくれ」


「何を言っている」


 文鬼は既に構えを解いていた。


「既に決着はついている。

 それにおれは拳をってそちらの要求を拒否したに過ぎん。

 そちらがおれの邪魔をしないのであれば、これ以上、この拳を振るうつもりはない」


 「――そうか……」


 文鬼とクラウス、空手家と騎士の勝負は、文鬼の空手に軍配が上がった――。



  ■□■



 森の中を、馬に乗った一団が駆けてゆく。

 皆、一様いちように鎧を着けている。

 騎士の一団であった。


 調査騎士団。

 クラウスが向かった反応とは別の、もうひとつの方の転移門ゲート反応を追った隊であった。

 こちらは調査騎士団の団長、ヴィクトル・ド・ブロワが率いている。

 つまり、こちらの方が本隊である。

 転移門ゲートの反応地点がより都市に近く、仮にこの転移門ゲートから出現した流転者ベイグラントが危険な存在であった場合、被害が大きいのはこちらの方である。

 それゆえ、数と戦力がより多い騎士団本隊がこちら側に差し向けられていたのであった。

 

 「全隊、停まれ!」


 騎士団が森の中で馬を停めた。


「この辺りが転移門ゲートが現れた場所だな。

 ここから霊質エーテル反応を辿るぞ」


 ヴィクトル団長が、傍らの騎士に指示する。

 その騎士は、どうやら魔術士でもあるらしい。

 懐から、銀の鎖の先に緑の宝石の付いた振子ペンデュラムを取り出すと、振子探査ダウジングを始めた。

 反応は、すぐにあった。


「……遠くへ行ってはいません。すぐ側にいるようです」


「すぐ側だと?」

 

 と、その時――

 

「腹が減った……」 


 不意に聴こえた声に、その場にいた騎士全員が一斉にそちらを振り向く。

 そこには、一人の男が居た。


 不気味な男であった。

 大柄で、無造作に伸びた髪と髭は、真っ白である。

 さりとて年老いているのか、といえばそうではなく、むしろその体からは獣じみた漲る生気さえ感じさせる。

 目は黒く、瞳が異様に大きい為に目の全体が黒く見えるようであった。

 

「団長、こいつです! 振子はこの男に反応しています!」


 その声を聞いて、騎士全員が一斉に各々の武器を抜いた。


「ああ……腹が減ったなァ……」

 

「止まれ!」


 うわ言のように呟く男がゆっくりと近づいて来るのを制しようと、ヴィクトル団長が鋭く声を発した。

 男が立ち止まる。


「あァ……?」


 顔を上げ、周囲を取り囲む騎士たちを見渡す。

 そして、男はその顔に喜悦の笑みを浮かべ、呟いた。


「獲物だ……!!」

 

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