第17話 謎の女
side-楓
大学の構内にある図書館の1階には、焼きたてのパンが人気のカフェが入っている。本格的なコーヒーも取り扱っており、店内はいつも良い香りが漂っていた。
楓は、ブレンドコーヒーと1番人気のクリームパンを買って、テラス席の1番端に座った。今日は1人だった。
葵とは同じ学部の違う学科を選択していたため、別行動を取る日も時々あった。
楓は図書館で借りた本を読みながら、クリームパンを頬張る。
ほど良い甘さのカスタードクリームとふわふわの生地が、楓のお気に入りだった。昼間はあまり食欲も出ないため、パン1つでも十分だった。
テラス席は日差しも暖かく、本を読むのには最適な場所だった。楓は人に話し掛けられないよう、端に座る癖がついていた。
大学でも何人かの友人はできたが、葵と過ごす以外は1人を好んで行動していた。
「 ここ、座ってもいいですか? 」
その言葉に楓は顔を上げた。コーヒーを片手に持った女の子が立っている。どこか見覚えのある顔だった。
「 あれ…? 」
記憶を辿っていくと、1週間ほど前に葵に声を掛けていた女の子だと思い出した。
アルバイト先が接客業ということもあり、楓は人の顔を覚えるのが得意になっていた。
「 もしかして、覚えててくれた? 」
彼女は楓の反応に声のトーンが少し上がり、笑顔になっていた。気が付けば、テーブルを挟んだ目の前の椅子に既に座っている。
( いいって言ってないんだけどな… )
強引そうな彼女にそんなことを言っても通用しない気がした。
彼女の笑顔には、冷たさと淋しさを隠し持つ雰囲気が感じられる。さらさらのショートヘアーが良く似合う、利発そうな顔つきのハンサムな女の子だった。
「 同じ学部にすごく綺麗な男の子がいるって聞いたことがあるの。もしかして、貴方の事じゃないかしら……噂通りね 」
そう言いながら、彼女は楓の顔を観察するような目で見ていた。
ほとんど初対面とも言える相手への理解し難い彼女の行動に、楓は怪訝そうな顔をしていた。
「 何か用なの? 」
「 別に?貴方と一緒にいれば、彼とまた会えるかなと思っただけよ 」
「 それって…葵のこと? 」
彼女の顔がぴくっと反応する。
「 ふぅん…葵って名前なんだ、彼 」
彼女はコーヒーを手に取り立ち上がった。
「 もう十分だわ、ありがと 」
目的を果たせたような顔をして、彼女は楓の前から去って行った。
*
「 マジで?あの子、楓のところにまで来たのかよ 」不機嫌な顔で葵は言った。
「 うん、何がしたかったのかよく分からないんだけど… 」
夕食を終えた2人は食器を片付けながら、昼間の事を話していた。
今日はハンバーグだった。葵が作るハンバーグは、合い挽き肉に潰した豆腐を混ぜている。ふっくらと焼き上がり、刻んだ大葉と手作りの和風ソースは相性が抜群だった。
「 もしかして、葵の名前を知りたかったのかな 」
彼女との会話の中で、思い当たることが他に何も無かった。
「 そうかも。バイト先にも来たんだよ、名前を教えてくれって。なんとか誤魔化して教えなかったけど 」
葵が綺麗に洗った皿を、楓は布巾で丁寧に拭きながら呟いた。
「 あの子、やっぱり葵の事が好きなのかな。凄く積極的だよね 」
「 え? 」
楓の小さな呟きが葵には聞こえていなかった。
「 ううん。何でもない 」
楓は初めて「 嫉妬 」を自覚していた。葵を誰にも取られたくないと強く思っていた。
初めてキスをした日以来、葵が自分に触れてくれない事は気付いていた。楓はその事に不満を感じていた。
想いが通じると、葵に対して段々と我儘になっていく自分も分かっていた。
「 ねぇ、葵 」
「 ん? 」
「 …避けないでよ 」
楓は隣にいた葵にキスをした。軽く触れるだけのキスだった。本来ならば、幸せな瞬間のはずが、楓の気持ちは暗かった。唇を離した楓は、葵の顔を見つめた。
「 俺はもっと葵に触れたいのに 」
楓は葵の服の袖をぎゅっと握りしめる。葵の全部を欲しいと思う気持ちは、もう止められなかった。
「 俺だって…っ…… 」
突然、葵はキッチンの壁へと楓を力強く押さえつけ、首筋に食らいついた。葵の唇に、何もかも吸い取られていくような感覚がする。楓はされるがままに葵の背中に腕を回し、目を閉じた。
唇が離れると、葵は楓の目を見て囁いた。
「 楓…俺… 」
楓の首筋に葵の痕が残っていた。ヒリヒリと熱がこもり、少しだけ痛い。
葵の息が荒くなっている。その異常なまでの息づかいに、葵の身体が熱くなっている事に気付いた。
「 葵、熱が上がってるんじゃないの? 」
「 ……え…? 」
目が虚ろになり、とても苦しそうだった。額を触ると異常な熱さだった。
「 部屋行こう、葵。寝た方がいいよ。片付けは俺がしとくから 」
葵を支えながら部屋に戻り、ベッドに寝かせて熱を測ると、体温計は38.6℃と表示していた。
「 こんなになるまで何で言わないかな。薬持ってくるからちゃんと寝てて 」
キッチンへ戻ろうと楓は立ち上がる。すると、葵が楓の腕を掴み、呟いた。
「 ごめん、楓…本当にごめん 」
葵は熱からの苦しさとは別の、悲しそうな表情をしていた。
「 もういいから 」
楓は溜息をつき、葵の頬に優しく手を当てた。熱くなった息を吐きながら、葵はそのまま眠りについた。
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