第16話 予感
side-葵
5月に入ると、東京の日中は暖かく、寒いと感じる事は殆どなくなっていた。この日も快晴で、風もあまり吹いていなかった。
葵は楓が受けている講義が終わるまでの間、構内にあるベンチで本を読んでいた。
アルバイト先の書店で購入した、お気に入りの作家の新作だった。恋愛もの等は全く興味が無く、基本的にはミステリーを好んで読んでいた。
15分程経つと、講義を終えた学生たちが外へ出始めていた。葵は本の世界に入り込んだままだった。
日差しが遮られ、傍に誰かが立っている気配を感じて、葵はようやく本から目を離した。顔を上げると、知らない女の子が立っていた。
「 あの…本屋でバイトされている方ですよね?」
「 え?」
「 あたし、一昨日にあなたがいるお店で参考書のお取り寄せをしたお客です、覚えてませんか?」
顔は全く覚えていなかったが、「 参考書 」と「 お取り寄せ 」というワードで、店に来た女子大生だと思い出した。
「 あぁ… 」
「 一緒の大学だったんですね、嬉しい…良かったら、お名前教えてくれませんか?」
照れながらも強引な彼女の態度に、葵は呆気にとられていた。興味も湧かなかった。近頃は特に、楓という存在が自分でも呆れる程他に目をやらなかった。
すると、彼女の後方から歩いて来る楓が見えた。葵は立ち上がって楓に駆け寄り、彼女に向かって言った。
「 人に名前を聞きたい時はまず自分が名乗らないと駄目だよ、じゃあね 」
女子大生は顔を赤くしていた。
「 え?何?どうしたの? 」
状況を把握できていない楓は、葵と彼女の顔を交互に見ていた。
「 いいんだよ、行こう 」
嫌味な言い方をすることで、彼女も興味が無くなるだろうと、葵なりの優しさだった。
「 ……もしかして、また声掛けられてた? 」
数分経ち、ようやく理解した楓が聞いてきた。そんな楓が可笑しくて、可愛くて、笑ってしまった。
「 大丈夫だから 」とだけ、葵は言った。
*
それから1週間が経った。葵と楓はいつものように大学から家に帰った後、夕食の下ごしらえ等の準備をして、それぞれのアルバイト先に向かった。
葵は勤務に入ると直ぐ、商品棚の整理を指示され、作業をしていた。夜の19時過ぎともあって、店内に客は数人しかいなかった。
立ち読みを断るポップが貼られているのにも関わらず、殆どの人がそれを無視している状態なのは、どこの本屋でもよく見かける光景だった。
時間潰しの為に訪れ、買わずに出て行く客も多かった。葵はあまり気にせず、棚の整理を続けていた。
「 すみません 」
1人の客が声を掛けてきた。振り返ると昼間の女子大生が立っていた。
驚いている葵に対して、真っ直ぐ目を見る彼女の顔に躊躇う様子が感じられなかった。葵と分かって声を掛けてきたようだった。
「 本を受け取りに来ました 」
彼女はそう言うと、紙を広げて見せた。名前と連絡先、商品名等が書かれている注文書だった。
彼女は紙を広げたまま続けた。
「 あたしの名前は由梨って言います。あなたのお名前、教えてくれませんか? 」
大学で会った時とは印象や話し方が随分と違って見えた。
葵は、面倒な事が起こる予感しかしなかった。
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