第15話 オムライス

 side-葵


「 ご希望の商品でしたら1週間程でお取り寄せできますが、いかがいたしますか?」

 葵はカウンター越しの客に質問するが、相手からの反応がなかった。

「 あの… 」

「 あっ、すみません、お願いしますっ 」

「 かしこまりました、では、こちらの用紙へお名前とご連絡先の記入をお願いします 」

 葵は紙とペンを差し出した。その子は女子大生なのか、参考書の問い合わせをしてきた客だった。

 大方、店員である葵の容姿に見惚れてしまったのだろう。文字を書きながらチラチラとこちらを見ていた。葵は気付いていない素振りを見せていた。

 今日は大学が休みだった為、店がオープンする10時から15時までの5時間、シフトに入っていた。

 葵がアルバイトをしているその店は、都心部より離れた場所にある、老舗デパートに入った小型書店だった。

 大型店舗とは違い、客の数が多くはなかったが、従業員の数も少なかった為、それなりに忙しく働いていた。

「 ではこちらが控えになります 」

 女子大生に注文書の控えを手渡しながら伝えた。

「 あのっ…… 」

 女子大生が躊躇い顔で葵を引き留めた。

「 はい?」

「 あっ、やっぱり何でもありません、よろしくお願いします 」

「 また御来店お待ちしております 」

 葵が軽く会釈をすると、女子大生は恥ずかしそうに小走りで店を出て行った。

 ふうっと小さく溜息をついた。葵にとってこんなやり取りはよくあることで、少しうんざりしていた。

 決して人に自慢出来るような事ではないが、とぼけてみたり、知らない、気付かない振りをするのがかなり上達していた。

「 レジ交代しますね、お疲れさま」

 パートで働いている50代の女性スタッフが近付いて来て、葵は15時を過ぎていることに気付いた。

 簡単に引き継ぎを済ませ、カウンターを後にし、裏の事務所にあるパソコンで終業時間を打刻した。

 店の名前がプリントされたエプロンを脱ぎ、ロッカーから自分の荷物を取った。

 事務所にいた他のスタッフと店長に挨拶をして店を出ると、そのまま近くにあるスーパーへと向かった。

 今夜のメニューはまだ決まっていなかった。何にしようかと悩みながら歩いていると、スマホに着信が入り電話を取った。

「 もしもし、葵? 」

 葵はその電話の声に自然と笑顔になった。

「 バイト終わったんだね、お疲れさま。もしかしてもう夕食の買い物しちゃった? 」

「 いや、まだ。これから買いに行こうと思ってる。楓は今日はバイト? 」

「 ううん、休みだよ。良かったら今日は俺が作ろうかと思ってるんだけど、どうかな?」

「 マジで?分かった。じゃあ、このまま帰るよ 」

 電話を終えると、向きを変えて今度は駅へと歩きだした。

 葵は、歩きながらオムライスを作った日の事を思い出していた。楓とお互いの気持ちを確かめ合い、初めてキスをした日だった。

 楓にはとても言えないが、あの時葵は、実を言うとかなり困惑していた。

 キスをしながら間近で見る楓の顔は、美しく妖艶で、本当に自分と同じ男なのだろうかと疑った程だった。

 ヘラで整えられたような滑らかで白い肌は透き通っていて、柔らかかった。

 葵は、そのまま押し倒してしまいそうな勢いを「 冷めたオムライス 」で誤魔化していた。

 異性とは経験済みでも、同性とのセックスは未経験で知識もない葵は自信がなかった。

 ましてや、涼と付き合っていた楓は、少なくとも自分より慣れているだろうという事も分かっていた。

 楓の事が欲しい気持ちは十分にあったが、無知な自分をさらけ出したくないという、無意味とも言えるプライドが邪魔をしていた。

 そのせいかあの日以来、楓に触れることを避けている自分がいた。触れてしまえば、次は止められないと分かっていた。

 少し前までは、こんな風に悩む事になるとは考えもしなかった。

 葵は最寄りの駅で電車を降り、家まで歩いていた。マンションの一角にある小さな公園では、子供たちが楽しそうに遊んでいる。

 今日は日差しが暖かく、空には雲一つ無かった。

( まぁ…あんまり考え過ぎても仕方ないか )

 葵は背筋を伸ばして歩みを早めた。

 普段、料理はほとんどしない楓だったが、出来上がりは職人並で、和食を得意としていた。

 前に作ってくれた赤魚の煮付けと、生姜が入った豚汁は絶品だった。今日も和食がいいなと、楽しみだった。

 暫く歩くと、家の近所にあるケーキ屋が見えてきた。葵は、楓の好きなモンブランを買って帰ることを思い付いた。

 食べながら笑顔になる楓の顔を想像するだけで、葵は幸せな気持ちになり、足取りも軽かった。

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