第10話 再会

 side-楓


「 お疲れ様でした。」

 楓は他のスタッフに軽く会釈をして、従業員用のロッカーがある部屋を出た。

 今日は金曜の夜ともあって、ホテルのレストランは一般の予約も多く、忙しかった。疲れからか足がジンジンと痛い。

 ポケットからスマホを取り出して画面を開くと、時刻は22時34分と表示されていた。

 少し痛む足で、薄暗いバックヤードを従業員用の出入口まで歩いた。もう片方のポケットからマスクを取り出し、耳に掛けようとした時、着信音が鳴った。

 見ると、そこには懐かしい名前が表示されている-涼だった。

 色々な事が一気に頭の中を駆け巡り、少し手が震えていた。楓は勇気を振り絞って電話に出た。

「 ……はい 」

「 あ…楓?良かった、出てくれて。ごめんね、いきなり電話なんかして 」

「 ううん、久しぶりだね。どうしたの? 」

 緊張からか、声まで震えていた。

「 うん、実は俺、仕事の関係で今東京に来てるんだ。シャインホテルにいる 」

「 えっ? 」楓は驚いた。

 それは楓がアルバイトをしているレストランが入ったホテル…正に今、立っているこの場所だった。

「 622号室にいるから来てくれないかな。後で事情はちゃんと説明するから 」

 楓がここにいることを何故知っているのか不思議でならなかったが、昔のように優しい涼の声に、恐怖心は全く無かった。

「 分かった。直ぐ行くから待ってて 」

 楓はそう言って電話を切った。スマホをマナーモードに変更し、マスクと一緒にポケットへ突っ込んだ。

 人に見られないよう、バックヤードからこっそりと表へ出て、メインフロア奥のエレベーターに乗り込み、6階のボタンを押した。

 エレベーターから降りると、右へ向かって長い通路を歩き、622号室の前で立ち止まった。

 息を一つつき、インターホンを押して、少し下を向いた。涼に会うのは別れた日以来だった。楓の身体は更に緊張していた。

 返事も無く部屋の扉が開くと、その先に涼が立っていた。

「 久しぶり。来てくれてありがとう。良かったら入って 」

 楓は小さく頷き、部屋へと入った。そこは少し広めのシングルルームだった。

 壁紙は綺麗な乳白色で、ベッドの横にはオレンジ色の明かりを灯した小さな照明器具が立てられていた。奥には丸テーブルとイスが一つずつあり、窓はホテルからの夜景が一望できた。

「 賢二に連絡して相談したんだ。どこに行けば楓と会って話せるかなって。そしたら楓がこのホテルのこの時間にバイトしてること、教えてくれて。時間が無くてギリギリの連絡になっちゃったから、いきなりで怖がらせたよね、ごめんね 」

 涼は必死に弁解していた。

「 大丈夫。俺も会えて嬉しいよ 」

 楓は強く首を振りながら答えた。

 涼は黒い薄手のジャケットに細身のパンツとパンプスといったコーディネートで、相変わらずのスタイルの良さが際立っていた。

 顔立ちは昔と殆ど変わらなかったが、あの頃とは違い、香水の香りがした。

「 賢二には最近の楓と葵の事も聞いたんだ。2人が付き合ってる様子は無いって… 」

 楓は何も答えられなかった。付き合うどころか、自分の気持ちを伝える事すらしていなかった。

「 楓、こっち見て。聞いて 」

 暗い表情で視線を落とす楓に、優しく語り掛けた。その言葉通り、涼の顔をもう一度見た。

「 もし、楓が自分を責めていて、葵に何もしないのなら、それは違うよ。ダメだよ、そんなんじゃ。俺は楓と付き合えて嬉しかったよ。それに、俺の方から勝手に離れて行ったんだし、楓は何も悪くないよ 」

 涼の言葉を聞きながら、ジワジワと涙が込み上げてくるのが分かった。我慢する事ができず、次から次へと涙が溢れ出した。

 それを見た涼は、楓を優しく抱き寄せた。楓はしがみつくように涼の背中に手を回していた。

「 俺も涼と付き合えて…色んな初めてが涼で良かったって…今でも思ってるよ 」

「 マジ?…すげー嬉しい。もう何も悔いは無いな 」

 クスクスと笑いながら涼が答えた。ボロボロ泣きながらグズグズ言っている楓は子供のようだった。涼は楓が泣き止むまでずっと抱き締めてくれていた。

「 あ、そうだ 」

 涼は楓から離れると、椅子の上にある鞄から何かを取り出した。

「 はい、これ 」

 涼が2つの白い封筒を差し出した。楓はキョトンとした表情でそれを受け取った。何かの招待状らしかった。

「 実は俺、結婚することになったんだ…あ、女の人とね 」

 悪戯っぽく笑いながら涼が言った。

「 彼女は全部知ってるんだ。今日も行ってちゃんと話して来いって言ってくれて。結婚式には楓と葵にも来て欲しいから…直接渡せて良かったよ 」

 楓はまた泣き出してしまった。純粋に嬉しかったからだった。

「 良かったね、涼。おめでとう 」

「ありがとう 」

 そう言って、今度は頭を撫でてくれた。

「 俺、ちゃんと幸せだから。楓も幸せにならなきゃ駄目だよ 」

 零れる涙を拭きながら、楓はうんうんと頷いた。

 3年前から止まっていた時間が、また動き出したような気がした。楓の顔にも笑顔が戻っていた。

 部屋を出てからスマホを確認すると、葵から着信が入っていた。23時はとっくに過ぎていた。

 葵の顔が見たい、葵の声が聞きたい

 葵が作ったパスタを一緒に食べるんだ

 早く帰ろう

 楓はホテルを後にし、走って家へと向かった。ホテル街のネオンがキラキラと、今日はいつも以上に綺麗に見えていた。

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