第9話 上京
side-楓
生まれ育ったこの街から離れ、東京に移り住む日をとうとう迎えた。10時35分発の飛行機に乗る為、タクシーで空港へ向かう。
現在の時刻は朝の9時だった。殆どの荷物は先に送っており、手元にはキャリーバッグが1つだけだった。今日は一先ずホテルで一泊する。
「 ここで良いから。じゃあ、行ってきます 」
楓は玄関で両親に短く挨拶をした。両親は4月頭の入学式前日に東京に来る予定だった。外に出ると、葵が既に家の前で待っていた。
すると、横からひょこっと賢二が顔を出し手を振っていた。
「 見送りに来てやったぞー 」
楓は思わず笑顔になっていた。
「 やべ。俺忘れ物した、ちょっと待ってて 」
葵は急いで隣の自分の家へと戻って行った。
楓と葵は近所のスーパーまで歩いて行き、そこでタクシーを呼ぶ予定だった。
この辺りの住宅街は説明しづらく、運転手も迷いやすい為、呼ぶ時はいつもそうしていた。
「 とうとう行っちゃうんだねぇ…めっちゃ寂しいわぁ~、俺 」
楓はふふっとだけ笑った。すると、賢二がチラチラとこちらを見ている事に気付き、目が合った。
「 どうかした? 」
「 あ、いや…実は… 」
賢二はなんだか申し訳なさそうな顔をして話を続けた。
「 涼と別れたんだろ?あれから連絡取ってる? 」
名前を聞いてドキリとした。一瞬躊躇ったが、楓は正直に答えた。
「 ううん…何を話したらいいか分からなくて連絡してない 」
一気にその場の空気が気まずくなった気がした。
「 そっか…あ、誤解しないでよ?最近まで俺も知らなかったんだ。あいつ、遊んでても全然元気が無くてさ。無理矢理聞き出したんだ、俺が 」
随分と気を使いながら話してくれているのが分かった。
「 いいよ、大丈夫だから 」
賢二が友達思いなのは知っている。逆に申し訳ない気持ちになった。
「 出来れば、このままもう、そっとしといてやって欲しいんだ 」
「 うん… 」
胸がズキズキした。楓は優しかった涼の顔が頭に浮かんでいた。
「 涼は楓の事が本当に好きだったみたいだから…楓の好きな人を忘れさせる事ができなかったって言ってたよ 」
「 え…? 」
初めて知る事実に、楓の頭の中は真っ白になっていた。
*
その日はまるで動画の早送りのような1日だった。気付けばホテルのベッドの上で横になっていた。酷く疲れている。
楓は、今日の予定としていた事をきちんとこなせていたか自信が無かった。あまり思い出せないが、葵が代わりに動いてくれていたようにも思う。
身体を起こし、隣のベッドに目をやると、葵が小さく寝息をたてて既に眠っていた。
楓は、朝の賢二との会話や、涼と会っていた頃の事を暫く思い出していた。いままで涼が言っていた数々の言葉の意味を、やっと理解する事ができていた。
楓は寝ている葵を見つめていた。涼を傷付ける事で、自分の気持ちに気付くとは思いもしなかった。
何も言わず、いつも優しく接してくれていたと思うと、鈍感で無神経だった自分の事が大嫌いになった。
涼に別れを切り出されても、追いかけようとしなかった自分の気持ちを、今さら自覚していた。
「 ごめんなさい、涼… 」
葵を見つめたまま、無意識に呟いていた。それから3年間、楓が葵に自分の気持ちを伝える事はなかった。
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