第5話 パスタとサラダ

 side-葵


 その時の事を、葵は暗い部屋で改めて思い出していた。パスタはちゃんと作れていたか分からなかった。楓の分だけ料理を完成させ、気分が悪いと言って、自分は食べずに部屋へと戻っていた。

 どう考えたって楓は変に思ったに違いない。だが、その時の葵に楓を気遣うのは無理だった。

 部屋で自分の過去を思い出しながら、ふと、ある事に気づく。今回の事以外、そもそも、楓の恋愛話など聞いた事が無かった。今まで気付かなかったのが不思議なくらいだ。

 あんなビジュアルの持ち主が、彼女が一度もできた事が無いとか、童貞だとも思えなかった。

( もしかして俺、案外、楓の知らない事沢山あるのかも )

 そう思うと、益々楓の事が分からなくなっていた。様々な妄想が止まらず、苛立ちで頭の中はグチャグチャだった。

 この先、あの香水の香りを好きになる事は絶対に無いだろう。その香りが蘇りそうになる度、葵にとって、おぞましい光景が目に浮かんだ。

 思い切りシャワーを浴びたい気分だったが、楓と顔を合わせるのを恐れ、部屋から出られずに眠れない夜を過ごしていた。

 *

 部屋の中をウロウロ歩いてベッドに座り、暫く考えては立ち上がり、またウロウロ歩き出す-この動作を何回行えば気が済むのか。葵は相変わらず部屋から出られずにいた。

 大学もアルバイトも今日は休みだったが、睡眠も殆ど取れていなかった。ウトウトしては目が覚めてを繰り返し、朝になっていた。

( もしかしたらバイトでもういないかもしれないし )

 無駄な動きの5回目でようやく決心が着く。ふうっと大きく息を吐き、ドアノブに手を掛け、ゆっくりと扉を開けた。忍び足でキッチンへ向かい、恐る恐る覗き込んだ。

 楓はいなかった。いない事を願っていたのに、何だか拍子抜けだった。

 いつも2人で過ごしているキッチンがやけに静かに感じた。見渡すと、使った食器類は既に片付けられていた。

 冷蔵庫を開けると、葵が食べなかったサラダと、トマトソースの入った器が綺麗にラップされ、置いてあった。それを見るなり、もの凄い罪悪感に襲われた。

 楓はどんな気持ちで片付けたのだろう…もしかして、とてつもなく酷い事をしてしまったのではないだろうか-そうさせたのは自分なのに、1人残され食事をする楓の姿を思い浮かべると、胸が苦しくなった。

( シャワー浴びよう… )

 一先ず考えるのを止め、バスルームへ行こうと振り返る。するとそこに楓が立っていた。

「 うわっっっ 」

 突然現れた楓の姿に驚き、思わず大きな声が出た。心臓はバクバクと音まで聞こえそうだった。

「 ……おはよう 」

 少しムッとした表情で楓が言う。

「 お、お、お、おはよう 」

 慌て過ぎて滅茶苦茶噛んでいる。少しの沈黙の後、楓が口を開いた。

「 シャワー浴びるの? 」

「 え?あ…うん 」

「 そう。じゃあさ、シャワー浴びてからで良いから俺の部屋に来てよ。今日はバイトも休みでしょ? 」

「 え? 」

「 じゃあ待ってるから。逃げないでよね 」

 そう言うと、楓はさっさと部屋に戻ってしまった。返事する隙を与えてくれず、答えも殆ど強制だった。しかし、ずっとこのままの状態には無理があり、それで良いとも思っていない。

 21年間、殆どの時間を一緒に過ごして来た2人だが、こんな空気の中で話すのは初めてになるだろう-楓が大切なら、きちんと向き合うべきだった。

 覚悟を決めた葵は、バスルームへと向かった。

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