#4
『攻器』――それは調律師とそのタルパにのみ使うことが許された、対カオスフィールド用の装置だ。
用途も形状も様々だが、攻器にはそれぞれ、カオスに対して有効なエフェクトが付与されていて、随時発動させる事ができる。
僕が調律において最も使うことの多い攻器――それが、この『スティンガーベル』だ。
この攻器は、先端についた二股の刃を共鳴させることにより、カオスフィールド内に存在する『歪み』を浄化することが出来る。
浄化できる範囲は、調律師の練度に応じて許可される『攻器レベル』によって異なり、僕のスティンガーベルの場合、自己を中心として半径十メートルの範囲を一度の共鳴で浄化できる。
熟練した調律師の使う攻器の中には、大陸一つ分の範囲を一瞬で浄化する物が存在するなんて聞くけど、はっきり言って眉唾だ。
***
糸切ばさみのような二股の刃が振動し、スティンガーベルの
はっきり言って心地の良い音とは程遠い。むしろ不快な部類に入る。
でもその分、効果は折り紙付きだ。
直後、周囲の天井と壁を覆っていた毛細血管が紙を丸めるような音を立てながら乾燥し、収縮――やがて灰となり、ボロボロと剥がれ落ちていった。
「うへえ……。気持ち悪っ!」
肩に降り注いできた灰を払い落としながら、アメツチが眉間にしわを寄せる。
「なあご主人様、毎回思うけどこの灰触っても大丈夫なのかよ……」
「多分それにカオスは含まれていないよ」
「多分って……。ホントかぁ……?」
訝し気な顔をするアメツチを横目にリビングルームへと進む。
薄明かりの中に、生活感のある光景が広がった。
L字型のソファ、ローテーブル、その傍らには色褪せた木馬。どれも使い込まれていて、床には積み木や絵本が散乱していた。
奥はキッチンとダイニングになっているようで、四人掛けのテーブルの上には、マグカップが三つ置かれていた。
その光景にふと、違和感を覚えてしまう。何かが変だ……。
目を細めながら逡巡していると、外に居るココから声が届いた。同じ虚構内に居る者同士が使える遠隔会話だ。
〝クモキリ、レシオは問題ないよ。中の濃度はどう?〟
〝ああ。やっぱり中は少しだけ濃度が高いね。外の三倍だよ。アナライザーの数値は540ナノステラ。でもシールドの許容範囲内だから問題ないと思う。アメツチのシールドは強力だからね〟
〝む……そっか。んじゃ、気を付けて〟
僕がココにやり返したことに気付いたのだろう、アメツチの方を見ると彼女が右の口角を持ち上げた。
カオスは目視することが出来ないけど、その濃度を観測することは可能だ。僕達調律師は『アナライザー』という計器を使い、周囲のカオス濃度を確認している。
アナライザーは腕時計型のデバイスで、その文字盤にはカオス濃度以外にも、使用可能なエフェクトのリストや、現在発動しているエフェクトのパラメーターまで、調律の仕事に必要な情報の全てが表示される。
また、アナライザーは仮想世界のシステムと接続されていて、僕達はこのデバイスを通し、さっきみたいな要領でエフェクトや攻器の使用許可申請を行う。
「アメツチ、エハウィの話によれば、この虚構のホストと現在連絡が取れないらしい。この建物のどこかで『形骸化』している可能性が高い。天井から壁にかけて汚染が拡がってる。二階から見ていこう」
「了解、ご主人様」
カオスフィールドは通常、虚構内で絶望した人格を起点として拡大する。
その際、起点となった人格は元の人間性を喪失し、ただカオスを放出し続けるだけの物体となってしまう。
その物体は人体の形状を保ってはいるものの、中身は空っぽだというのが通説だ。その空っぽの物体を通して、深層からカオスが漏出するのだと言われている。
仮想世界の表層と深層を繋ぐ、亀裂のようなものと考えても良さそうだ。
人が絶望し、カオスを放出する物体となってしまうこの現象は、『形骸化』と呼ばれている。
カオスは形骸化した人格から放射状に広がるため、よりその濃度や『歪み』による汚染が酷い方へ向かえば、その淵源――形骸化した人物の居場所に辿り着けるという訳だ。
アメツチと共に、リビングルームの隅にある階段へ向かう。
階段の壁には、額縁に収められた家族写真がいくつか飾られていた。
恰幅のいいスキンヘッドの男性と、華奢なブロンドの女性。その間には小さな女の子。三人共カメラに歯を見せて笑いかけている。
恐らく、この男性がここのホストだろう。写真を見つめていると、アメツチが割り込んできた。
「家族と……後ろに映ってんのはこの白い家か?」
「そうみたいだね。エハウィ曰くこの虚構は、ホストが奥さんのために造った物らしい。娘さんは五歳で事故死したそうだ。悲嘆に暮れる奥さんを励まそうと作ったんだろう」
「……んなこたわかってるよ。だけどその奥さんも病気で死んでしまったんだろ? 絶望するには十分な理由だな」
「ああ。でも不思議なのは、奥さんの病死は十五年も前だってことだよ。娘さんの事故からは実に四十年近く経過してる。ホストは高齢みたいだし、タイミングとしては疑問が残らないかい?」
「……何故今更になって、形骸化するほど絶望したのか。ってことか?」
頷くと、アメツチは肩をすくめて見せた。
「それ、あたしに聞くかご主人様。絶望はあんたら人間の専売特許だろ? あたしはよくわからねえけど、絶望にタイミングもクソもあんのかよ」
「まあ、確かにそうかもしれないけれども……」
タルパから的を射た答えが返ってきて、僕は語尾を濁らせた。
僕達調律師がやるべきは、カオスの浄化による虚構の調律だ。本来なら詮索は程々に、手早く仕事を済ませなければならない。でも――
「知っておきたいんだ……。これから僕が葬り去ろうとしている人間――いや、人間だった存在が何故、絶望したのか。どんな人生を歩み、どこで躓き、どんな風に転んで立ち上がれなくなったのか。僕はそれを知っておきたい……。僕達の仕事に好奇心を挟むべきじゃない事は理解してる。……でもやっぱり知りたいんだ」
「知ってどうすんだ? ご主人様」
「この虚構をちゃんと元に戻してあげたいんだ」
「カオスを浄化すりゃ元に戻るじゃねえか」
アメツチが口を尖らせる。僕は首を横に振った。
「違うよアメツチ、それだけじゃきっとダメなんだ。物凄く些細な事なんだけどね……。そこに置いてある花瓶に、花が一輪あるかないか……それは多分その程度の小さな事なんだ」
「……よくわかんねえけど、どっちにしろそんな事、本人に聞く以外知る方法はねえだろ? ……まあ、その本人は形骸化しちまってるけどな。つーか、モタモタしてるとさっき折角吹っ飛ばした分がまた元に戻っちまうぜ?」
「ああ……そうだね。先を急ごう」
「なぁご主人様今日なんか変だぜ? 大丈夫か?」
「そうかな……。うん、そうかもしれない」
アメツチと共に二階へと続く階段を上がると、通路全体を例の毛細血管が埋め尽くしていた。壁や天井だけでなく、床までもが脈動する不気味な灰色の物体で覆い尽くされている。
不意に胃液が上がって来て、口の中が酸っぱくなった。今後直視するのはやめよう……。
再びスティンガーベルを床に突き立て、レゾナンスを発動させる。通路を覆う血管が枯れ枝のように縮み、やがて灰となり降り注いだ。何度見ても具合の悪い光景だ。
淵源に近づくにつれ、歪みはより顕著になる。広がり具合から見て恐らく、通路の先、一番奥の扉の向こうが淵源だろう。
扉に近づき、一旦呼吸を整える。無意識の内に息を止めていたようだ。まだ数回目だけど、何度来てもカオスフィールドの淵源と対峙するのは緊張する。
「アメツチ、ノイズゲートを」
「了解、ご主人……って、オイッ! 見ろ!」
アメツチが目を見開いた。その視線の先を追う。
白い扉、その上部には木を削って作った色とりどりのアルファベットで『Victoria』と記されている。
恐らく、子供部屋の扉だろう。
いや、問題はその扉のドアノブだ。
それが、まるで向こうから誰かが動かしているように、カタカタと小刻みに震えている。
突然の事に固まってしまう。その間にも、その音は次第に大きさを増していた。
「まずい……!」
アメツチを見る。彼女の顔は死人のように青ざめていた。
「クソッ! エフェクト使用許可申請! 目録番号EFT012――!」
〝――申請が受理――――――――――――〟
ドアノブの震えが止まる。
僕達は、待ち構えられていたんだ。
少女の声が、扉の向こうから響く。
〝……パパ? パパなの? ねえパパそこに居るの?〟
「――ノイズゲートッ!!」
アメツチが片膝を付き、床に手を置きながら叫んだその刹那――
まるでサプライズパーティーのクラッカーのように――その現象は唐突に、しかし必然的タイミングで発生した。
扉が内側から爆ぜるように開き、その向こうから先程まで建物の内側を支配していたあの毛細血管の塊が、決壊したダムから押し寄せる濁流のように勢いよく噴き出し、僕らを一瞬のうちに飲み込んでしまったんだ。
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