第10話

 身を隠すために現地から遠く離れた路地裏に入り込み。 壁に追い詰められるように詰め寄られる。 アレンさんの手が壁に伸びて、僕が逃げられないようにしてから、見下ろすようにしながら言葉を吐きちらす。


「何のつもりだ。 吸血鬼が出ると、散々言っただろう」


 少し落ち着いたらしいアレンさんだけど、苛立った様子はそのままで僕を睨みつける。


「あ……と……そ、その、吸血鬼が出たらしいから……アレンさんに、会えると、思って……」

「俺があんなマヌケなことをすると思ったのか。 ……殺すまで人の血を飲んだりはしない。 適当な動物とかで誤魔化していて、あとはそれ用の売人がいるからそいつから買ってる」

「……す、すみません」


 謝るけれど、溜息を吐き出したアレンさんは怒ったままだ。


「荷造りしろ。 吸血鬼に助けられたところを見られている、仲間だと思われているだろう」

「荷造りって……」

「仕方ないから、今から出るしかない」


 やっと、布が取り払われたように感覚が戻ってくる。 抱き締められた熱や、恐怖心が戻って腰が抜けて壁にもたれながらズルズルと身体が落ちる。


 アレンさんに手を握られて、仕方ないといった様子で持ち上げられる。


「家、あそこの近くですけど……」

「荷造りは諦めろ。 今から出るぞ」


 闇雲に隠れたわけではなかったのか、物陰から荷物のようなものを取り出して、それと僕を両手に抱えて道を跳ねる。


「今まで通りの生活は出来ると思うな」


 頷いた。 好きだと言いたい。 なのに死ぬ勇気はあっても振られる勇気はないのか、頷いた姿のまま俯いた。 今までの生活を全て捨てるのに……後悔は出てこなかった。 嬉しい、会えて嬉しい。 そればかりだ。


 色々考えていた、あるいは何も考えていなかった。 抱き締められた感触に浸り、羞恥の熱に浮かされていた。 そうしている内に街から離れており、魔物と呼ぶのに相応しい速さで道を駆け抜ける。


 本当に吸血鬼なのだと、遅らせながら実感する。 それからやっと、全てを失ったことに思い至り、冷や汗が頰に浮かぶ。


 人から追われるようになって、吸血鬼に誘拐されている。 絶望的な状況だとやっと気が付き、遅すぎることを思う。

 僕はどうかしていた、と。


 恋など知らなかったから、加減が分からなかった。 どれほど身を任せられる感情なのか、分かっていなかった。


「……悪い巻き込んで」


 違う。 僕が会いにいったからである。 否定しようにも、溢れるような感情が邪魔をして口に出来ない。


「……ごめんなさい」


 代わりに出たのは情けない謝罪の言葉だった。


 小屋を見つけたのか、それともそこにあることを元々知っていたのか、アレンさんはそこに入り込んでカーテンを閉めて扉などの施錠をしっかりとしてから、乱雑に身体を床に座り込ませる。

 結構な時間を走ったはずなのに汗や息切れの一つもない。

 人間離れしている、と当然のように思った。


 また怒られると覚悟していたけれど怒鳴るような声はなく、落ち着いた声で、ポケットから赤い瓶を取り出し、ちびちびとそれを口に含んでいく。


「……それ、血ですか?」

「そうだな。 色々と処理を施されているものだが」

「加工するんですね……」

「生でも良いが、日持ちはしないからな」


 てっきり血を飲まれるものだと思っていたので少し安心する。

 前のように首元を舐められるのなど、恋心に気がついた今だと恥ずかしさで死んでしまえる。 ……汗とか大丈夫だっただろうか。


「……なんであんなところにいた?」

「……会えるかと、思って……アレンさんに」

「迷惑かけていただけだろう」

「そうかも、しれないですけど」


 でも、彼が隣にいてくれることが心地よかったのだ。 一人きりの本を読むだけの世界に、話もほとんどしないけれど、毎日会って挨拶をして……隣に座って本を読む。


「血を吸う鬼に対する迫害は強い。

今までは細々と暮らしていたけれど、霧の国から来た吸血鬼は気性が荒く、数も多い。

あの街の連日の騒ぎでもそうだったように、生存が知れ渡った以上は人から狙われるだろうな」

「……そう、ですか。 その、アレンさんは元々いた吸血鬼なんですか……?」

「そうだな。割と古くからあの街にいた。 ……あの吸血鬼を咄嗟に殺したからな霧の国から来た吸血鬼が襲ってくるだろうな」


 血濡れの光景を思い出し、身体に少しそれが付いていることに気持ちが悪くなる。 スプラッタは苦手だ。


「襲ってくるって……」

「あの街に元々いた吸血鬼は俺だけだ。 人に簡単に殺されるような生き物でもない。 すぐに俺がやったと知り復讐をしにくるだろう。

霧の奴等は仲間意識が強いからな」


 僕のせいで……だった。 あの現場は、僕があそこにいたから起こったことで……。 ぐるぐると頭の中で考えが巡っていると、アレンさんの手が僕の頭に伸びる。


「……ああ、なんというか……その、あれだ。 気にしなくていい」

「気になりますよ。 だって、僕のせいで人からも吸血鬼からも……」

「遅かれ早かれ……人からは見つけられていただろう、霧の奴等とも争いになっていただろう。 どうせ少ない牌の取り合いだ、早い内に一人仕留められたと思えば都合もいい」


 分からなかった。 人、それも金銭的に恵まれていたから、足りないことを知らなかった僕にはよく理解の出来ない話だ。


「同じ吸血鬼同士……とか」

「人も、パンが一つしかなければ奪い合うだろう。 元々同族に似た人間を襲う生き物だ。 同族殺しの忌避感は薄い」

「……そうですか」

「それに俺は人が割と好きだからな。 食物としてではなく。 吸い尽くして殺すというのも不快だった」

「……すみません」

「謝らなくていい。 霧の奴等を殺せば済む話だ」


 物騒にもほどがある。 そう思うけれど、種族の差であると言われてしまえばそれ以上何かを言うことは出来ず、押し黙る。


 少し日が出てきたのか、カーテンの隙間から灯りが溢れ、アレンさんは少し不快そうに表情を歪めた。


「……悪い。 そこ、何かで塞いでくれ」

「あっ、はい……。 灰になったりしちゃうんですか?」

「よほど長いこと出ていなければ灰にはならない。 まあ、動けないほど傷を負うのはすぐだが」

「気をつけないとですね。 ……寝るんですか?」

「……悪い。 少し……眠いな」


 そう言いながらアレンさんはベッドの下の隙間に入り込む。


「ベッドで寝ないんですか?」

「暗くないと落ち着かない。 ……上で寝ればいい」


 いや、ベッドの下に男の人がいたら寝られるはずがないだろう。 襲われたりしないのは分かっているけど……恐怖である。

 椅子に座ったまま、首を横に振る。


「僕は夜に寝ます。 人がくるかもしれませんし、夜はどうせ背負われるだけでしょうから」


 また「悪い」と謝られて、謝られてばかりだな……とカーテンを物で抑えながら思う。

 イビキは聞こえないけれど、もう寝たのだろうか。


「おやすみなさい」


 一応それだけ言うと、小さく返事がくる。

 勢いでここまで来てしまい取り返しもつかないけれど……。 先への不安はある。 思えば今日のご飯もない。

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