第7話



 逃げればいいものの、馬鹿なことをしてしまうのは好奇心のせいか、あるいは自殺願望でもあるのか。

 朝早くから、図書館の中に入ってしまう。


 僕の姿を見て珍しく驚いたような表情を見せたアレンさんは、昨日よりも一層のこと血の匂いが強い。


「……おはようございます」

「ああ、おはよう」


 聞かなければ、あなたは吸血鬼なんですか? と、けれども僕の口は開けど喉は震えず、変にパクパクと動くばかりの間抜け面だ。


「昨日は……ちゃんと読めましたか? 本、僕が帰ってからも」


 そんなことを書きたいわけではない。 けれども口は誤魔化すように動いて僕の意思に反したことばかりをする。

 気まずそうに、アレンさんは口を開ける。


「大丈夫だ。 慣れてきた」


 随分早い学びである。 羨ましいという感情は緊張していても出てきて、自分の性格の悪さにほとほと呆れてしまう。

 聞こうとしながらも、聞くことは出来ず、頭で繰り返される質問の内容ばかりがより洗練されたものになっていく。


 もし、彼が本当に人を殺して血を啜る吸血鬼であったとしたら、聞いたら僕は殺されてしまうのだろう。

 なのに……僕は何故そんなことを聞きたがっているのか。 自殺願望があるわけではないと思う、思いたい。


「……今日は早く帰らなくても大丈夫なんですか?」


 皮肉めいた言葉を絞り出す。 恐怖より聞きたいという感情が少しだけ上回った。


「……今日は、大丈夫だ」


 歯切れの悪い言葉に猜疑心が強まりながら、隣に座って本を読む。

 今日もアレンさんは魔物の生態についての本を読んでいるらしく、本が捲る音だけが図書館に響く。


 居心地が悪い。 それはアレンさんも同じなのかもしれないが、その様子を見せることなく、昨日よりも慣れた様子で本を読んでいる。


 しばらくして、お昼時だ。 本を読んでいるばかりの無職でもお腹は空く、とりあえず誘うだけ誘い、ぞんざいに断られて一人でご飯を食べてきてからまた席に戻る。


「どうですか? 知りたいこととか、知れましたか?」

「少しだけだな。 核心を突いたようなことは見つからない。 そもそも、あるのかも分からない」


 大変だと他人事に思いながら、普段は見ない瓶があり、不思議に思って首をかしげる。


「その瓶、なんですか? 水筒代わりです?」

「いや、スライムを入れていた。 本にあった通りに水になったな。 流石に飲む気はしないが」


 不思議な話だと思うけれと、だから聖書でもそのように書かれたのかもしれない。 自由を奪えば元のものに戻る、ゴブリンやら他の魔物もその通りなのだろうか。


 今読んでいる本を閉じて、聖書関連の本を探してから持ってくる。

 1ページ目から順々に読んでいき、案外内容がしっかりしているというか、常識に対する理由付けみたいなことが多いことに関心を覚える。


 読み進めていると、アレンさんが零すように呟く。


「……吸血鬼は、日に弱い。 道幅が狭く、比較的背の高い建築物が密集している北側は、多少であれば日があっても気を付けながらなら活動が可能だ」


 何のつもりの言葉なのか、表情を見ることの出来ない今だと分かるはずもない。

 まるでまだ吸血鬼が普通にいるような、それも当然のことみたいな言葉はいないことが当然として生きている僕には現実味がないこととして受け取ってしまう。


 紙に垂らしたインクと、同程度にしか彼の言葉を受け取ることが出来ない。


「吸血鬼が、まだいるなんて」

「ここいらじゃ少ないな。 蒸気機関の進んだ日中でも霧で薄暗い街なら時々見かける」


 吸血鬼を見かける。 それこそ別の世界の話のようだ。

 海の向こうのことはあまり情報が伝わらないため、ここと離れた常識があっても不思議ではないが、アレンさんがそこにいたというのも不自然極まりない。

 好奇心は失せた。 死の恐怖心に勝つ恐怖心が現れて、アレンさんの言葉を遮るように口が動いた。


「どちらにせよ、関係のないことです。 僕たちには」


 なんで「たち」と付けたのか。 逃げ出すみたいな言葉、それ以上の返答を無視するように、本のページをめくった。

 慣れているはずの静寂が嫌に痛い。 どこか本から遠ざかっている身体の感触は布が覆っているようである。


 息苦しい。 そう思うなら逃げればいいものを、ムキになったのか、分からないけれど僕は動かない。


 いつもより早く捲られる本、入らない内容。 いつもより遅くまで図書館にいて、簡単な挨拶をしてから家に帰る。

 そんな日が長く続いた。

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