第42話 近々の予定?

 昨夜は沖縄の夜を楽しんだ。楽しかった分、別れる辛さが増すのは仕方がない。だけどこれからは他人ではなく、夫婦として私たちは生きていく。法律で認められると心強さが増すものだと思った。

 何かが起きたとき、いちばんに知らせが来るからだ。


(もう、他人じゃない)


 心と法で繋がった今、不安は以前に比べると薄らいだ。


「行ってきます!」

「おう。行ってこい!」


 それでも離れ難いのは、千斗星の豊かな表情や、私に向けられる眼差しをいつも近くで見ていたいから。またしばらくは会えなくなると思うと、拭いきれない名残惜しさはどうしても隠せなかった。


「天衣。十日もすれば会える。早くお前の声を無線から聞きたい」


 何もかもお見通しな千斗星は、大丈夫だがんばれと私をぎゅっと抱きしめる。この圧迫感がとても心地いい。できることなら、ずっとこのまま千斗星の腕の中にいたい。それに、きっと千斗星は私が本気で行きたくないと言えば、行かなくていいと言ってくれる。辞めたって構わないんだと言ってくれる。

 それを知っているから、私は言わないし頑張れる。


「うん! ありがとう。大丈夫! また、休みにね?」

「ああ」


 いつでも千斗星は私の見方でいてくれる。だから私はここまで来れたんだ。私ひとりでは絶対に乗り越えられなかった。


 私は新たな勤務地に向かうため、連絡バスに乗り込んだ。窓側に座って、わざと千斗星に敬礼をしてみせる。

 千斗星は「ばーか」と口だけ動かしながらも、彼の腕は綺麗な線を描いて敬礼を返してくれた。

 私は千斗星の、あの凛々しい姿が好き。



 ◇



 しばらくバスに揺られると、緑に囲まれた景色が広がってきた。たどり着いた場所はこれから自分が勤務する場所、与座岳分屯基地だ。

 沖縄全域の空を二十四時間警戒監視している。ここは第二次世界大戦での沖縄戦最後の要と呼ばれた地で、周囲には二十万を超える戦没者の魂が眠っているそうだ。


「沖田天衣と申します! 宜しくお願いします!」


 山の上とは言え広大な敷地だった。

 ここで任務に着いているのは警戒管制だけではない。通信、気象、消防、警務隊、補給部隊など多くの隊員が働いている。

 着いてすぐに目に入ったのは、ここの主要機器であるガメラ・レーダーだ。巨大なレーダーを覆っている円形の姿が亀の甲羅に見える。そこで、特撮映画の怪獣ガメラから取ってそう呼ぶようになったとか。


「沖田くん、うちのレーダーなんと呼ばれているか知っているか?」


 今日から私の指導をしてくださる先輩、佐野一等空尉がそう問いかけてきた。


「はい。ガメラ・レーダーです」

「誰が付けたんだろうな。お陰で本当の名前を覚えられない」

「あ……確かに」


 本当の名称はアクティブ・フェーズド・アレイ・レーダーと言う。

 航空機、巡視船ミサイル、弾道ミサイルの探知やそれらの追跡を目的とする、非常に優れたレーダーだ。


「さて、君にここの任務に就く前に確認しておきたいことがある。いいかな」

「はい。どうぞ」


 佐野一尉は何度も咳払いをして、言い出すタイミングを図っているようだった。いったい、何を聞かれるのだろうか。


「あの。お気になさらずに、どうぞ!」

「あぁ、すまない。君は既婚者だよね」

「はい」

「ご主人が那覇基地勤務の要撃機パイロットだと聞いているよ。その、あれだ……結婚したわけだからだな。その、ほら」

「はい」

「こ、こ、子供はっ……その近々、予定はあるのかと。あ、いや、その変な意味ではない! もし、妊娠しているとか、直ぐに欲しいとあれば、こちらも心積もりをと思ってだな」


 なるほど。

 これから厳しい任務につくわけだから、指導する側にも今後の計画が必要なのね。確かに女性は結婚して出産となると、どんなに重要なポジションに就いていても現場を離れてしまう。空いてしまった穴を誰かがカバーしなければならない。男女平等とは言え、子供を産むのは女性にしかできない事だから。


「あの、大丈夫ですよ。一人前になるまでは計画していませんので」

「そうか、ありがとう。いや、その産んでもらって構わないんだ。ただ、その時はサポートしなければならないからな。君の考えを聞いておきたかっただけだ。まだこの世界では女性が貴重な存在であってだな」


 佐野一尉はとても真面目な方なんだと思った。額に汗をかきながら、私が気分を害さない様に一生懸命だ。恐らく、上から聞いておけと言われたのだろう。


「ありがとうございます。もし、計画が変わるような事があれば早めにご報告致します」

「ああ、宜しく頼む」

「はい!」


 子供はできるだけ早く産みたいと思う。けれど、今は先ず目の前の与えられた任務を遂行する事が優先だ。このために二年という月日を費やした。義父の力を大いに借りてリハビリをし、夫を単身で働かせ、やっとここまで来たんだもの。中途半端な状態で子供を産んでは、その子にも申し訳ない。


「明日からしばらく研修生として、私に着いてもらう。基地内の事や今後の任務について学んでもらう」

「はい!」

「君の荷物は届いているはずだ、このあとは官舎で荷物の整理をしなさい」

「ありがとうございます」


 午後、那覇を出て挨拶など済ませれば、もう夕方の五時を回ろうとしていた。山の中だけど、少し行けば民家もある。そんなに不便ではないのかもしれないと思った。

 特技(職種)は違えど、女性隊員もたくさんいて、思っていたより明るい職場に思えた。私は制服の襟をもう一度正して、官舎へと足を向けた。



 ◇



 自分の部屋に入ると、先に送ったダンボールが玄関に置かれてあった。取り敢えず直ぐに使うものから整理を始める。

 私は最初に写真立てを取り出した。大きさはB5くらいのもので、銀縁のとてもシンプルなものだ。その中に写るのは千斗星と私の結婚式の写真。

 千斗星は儀礼服を着ている。一般の人で言う所の礼服にあたるもの。黒に近い濃紺の制服に右肩から胸に金色の飾諸しょくしょと言う飾りがかかっている。階級章も金色で金具は鷲だ。この鷲は航空自衛隊を表している。

 腰にはサーベルが差してあり、白手袋をはめ、黒の帽子を被った凛々しい千斗星が私の隣に立っている。

 私はウエディングドレスを着ているのだけれど、新郎の方が綺羅きらびやかというオチに苦笑してしまう。でも、自衛官の妻になったのだと誇れる一枚でもある。

 私は左手の指輪を軽く撫でておまじないをかけた。


(これから一生懸命に頑張ります! だから、私に勇気をください)


 そして、もう一つ大きめの写真立てを取り出した。そこにはあの日、松島の空でブルーインパルスによって描かれたバーティカル・キューピットが写っている。千斗星が四番機に乗ってこのハートを真白な噴煙で射抜いたものだ。これを見ると、初心に戻れる。

 当時、飛行隊長を務めていた一番機の大友隊長の計らいでもらったクリスマスプレゼント。まさか、写真として現像してくださるなんて思わなかった。


「大友隊長、元気かな。また、皆に会いたいな」


 私は恵まれている。

 病気になって落ち込んで、何度も心を打ち砕かれた。けれど、こうやって私のことを見捨てず、諦めず、支えてくれる人がいる。これから先、もっと辛い事や逃げだしたくなる事があるだろう。

 その時はこれを見て思い出したい。ここにいる意味、やりたかった仕事、手に入れたかった夢を。


 私はそれらを布で軽く拭いて、リビングの棚に飾った。


「よーしっ! 片付けますかっ」


 私の要撃管制官への道は、やっとスタートラインに立ったばかりだ。

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