第43話 俺の相棒

 今日から佐野一尉のもとで、要撃管制について学ぶことになっている。

 小牧で研修をしている時にさんざん聞かされたのは、学んだ事の一割も使えるか分からない。理想とかけ離れた過酷な任務だから覚悟するようにと。実際、想像と違ったと言う理由から離職する人も多いそうだ。

 そのことを、これから部屋を出ようとしたタイミングで思い出してしまった。何か新しい事を始めるときはみんな同じはずだ。期待と不安でぐらぐら揺れながら、現実を受け入れ飲み込む。


「しっかり!」


 私はリビングに飾ってある千斗星の顔と、バーティカル・キューピットの写真を見て気合を入れた。

 先ずは基地の生活に慣れなければならない。制服のジャケットに腕を通し、帽子を被ればそれなりの自衛官に見える。

 誰かが言っていた「制服は二割増し、軍服は三割増し」と。

 玄関先に置いてある姿鏡で身なりを確認し、ニコリと笑顔を確認。


「行ってきます」


 誰の返事もない静かな部屋を後にした。



 ◆



 天衣を見送ったのは昨日なのに、もう会いたくて仕方がない。こんなに俺は天衣に依存していたのだろうかと考える。今までだって離れ離れだった。

 結婚してすぐに天衣の手術があって、そのあと二年間もオヤジのもとでリハビリと復帰に向けて勉強をしていた。

 俺たちは三ヶ月に一回、会えるか会えないかだった。離れて暮らすことには慣れているはずなんだ。それが勤務地が近くになった途端、天衣がそばにいない事に納得できていない。

 やっと俺の所に帰ってきた。そう安心してしまったせいで、身も心も離れたくないのだと悲鳴をあげている。


「マジかよ。俺の方がまいってるじゃないか」


 きっと天衣は寂しさを打ち消すように「頑張る」と、玄関先で気合を入れ直して出勤したに違いない。それを想像すれば、勝手に頬が緩むものだ。


(なにやってるんだ、俺は)


 殺風景だった俺の部屋は、天衣の手によって温味が生まれた気がした。無機質だったリビングに、明るい色のラグが敷かれテーブルには俺が買ってやった、沖縄伝統柄のテーブルセンターが掛けられてある。

 テレビ台の棚には、二人で撮った写真が並んだ。

 天衣のウエディングドレス姿と制服姿だ。ウエディングドレスを着た天衣は穏やかに微笑み、俺の腕に手を添えている。制服姿の天衣は口角をりりしく上げた自衛官スマイルだ。堂々としていて、引き締まった空気の中に女性特有の柔らかさも覗かせている。


「別人だな」


 そう思えば少しは安心する。自分がいない場所で、他の誰かにあの微笑みは向けてほしくない。女性隊員が増えたとは言え、あの世界はまだ男性が舵を握っている。天衣の指導官も男である可能性は高い。でも、負けず嫌いの天衣はそう簡単に他人に甘えたりしないから大丈夫だろう。


「だからって俺に頼るのかって言ったら、それはまた別なんだよな」


 俺は簡単な朝食を取り、出勤の準備に取りかかった。まだ、アラート待機の任務にはつかない。

 当面はF−15イーグルを乗りこなすトレーニングをしなければならない。

 築城ではF−2バイパーが主力だったが、那覇ではスクランブル待機をするのはイーグルばかりだ。異動が決まってから築城でもトレーニングはしてきた。ここで、仕上げをしてイーグルのパイロット資格を取る。


 重い玄関の扉を開けて「行ってきます」と静かに言えば、天衣の笑った顔が見えた気がした。



 基地について今日のスケジュールを確認し、フライトスーツに着替える。那覇基地は今まで居た基地に比べて規模がかなり大きい。

 陸海空と常に連携が取れるようになっており、訓練も合同で行う事が多いらしい。この西南地域は空だけでなく海の監視も忙しい。毎日どこかの船舶が例の島周辺を無駄に航行しては、海上保安庁の手をわずらわせている。

 偵察機も防空識別圏をうろうろするものだから、スクランブルも日に二度、三度は珍しくない。


「沖田」

「八神さん。おはようございます」

「おはよう。どうだイーグルの方は。お前ならなんて事はないだろうけどさ」

「そうでもないですよ。高性能な分、なんとなく重く感じるんですよね」

「重い、ね。俺、F-2は乗ったことないから分からないんだよな。そんなに違うのか?」

「悪い意味じゃないです。重みと安定感が比例している気がして。F-2が軽くて悪いという意味じゃないです。対艦撃墜作戦においてはあっちの方が小回りがきく気がしますね」

「へぇ。やっぱお前、すげえな」

「どういう意味で、ですか」

「作戦に合わせて機体を乗り分ける事ができるだろ。使える奴ってことだ」

「乗り分ける。ですか」

「ああ。取り敢えず、イーグルを早くマスターしてくれよ。俺はお前と日米合同訓練に出たいんだ」

「俺とですか!」

「そうだよ。お前と米空軍ヤツラのツラの皮引っ剥がしてやりたいんだよねー。よろしく」


 空自が行う日米合同訓練は選び抜かれた者しか参加できない。なぜならば実弾を使うからだ。

 日本の領土内では、戦闘機の実弾発射訓練は認められていない。ゆえにグアム沖などで行われる合同訓練に参加できれば、戦闘機パイロットとしてこの上ないチャンスになる。

 近年ではオーストラリアも参加した大掛かりなものになっている。

 政治的にも周辺諸国への圧力をかけるには持ってこいというわけだ。


「合同訓練か」


(参加できるなら、してみたいよな)


 待機室に移動し簡単なヘルスチェックを済ませ、飛行訓練前のブリーフィングに入った。

 飛行経路、天候、管制官からの注意事項などを聞き、整備士たちとハンガーへ移動した。

 隣はアラートハンガーだ。

【5分待機中】のランプがついている。それは五分以内に出動(離陸)が可能であるという意味だ。

 訓練をするものは、アラート待機中の隊員の邪魔にならないよう注視しながら行う。


「沖田! 見てくれよ」

「なんだ?」


 整備士の青井が屈託の無い笑みで俺を呼ぶ。青井はイーグルの機体の隣に立ち機体を指差して言う。


「見ろよ!」


 そこにはT.AOIと言う文字が印字されてあった。

 なるほど、青井はこの機体の整備を任されたんだな。自分の名が印字されると言うことは、その者がその機体に対して全責任を負う事になる。同時に青井は整備士としての腕を認められたことになる。


「よかったな! やったな青井!」

「ありがとう。けどさ、もっと驚く事があるんだよ」

「どういうことだ」

「じゃじゃーん。沖田、こいつがお前の相棒になるんだぜ。喜べよ」

「え、マジかよ……」


 俺の反応を見た青井は、肘で俺を突いてくる。


「いいか? 俺の保証つきで飛べるんだ。光栄に思えよなっ」


 少し不貞腐れている。

 いや、そうじゃないんだ。青井の整備に不安があるわけじゃない。かつてのパイロット仲間が自衛官としての岐路に立ち、難しい決断をして再び同じ舞台に立っている。その事がとても嬉しかったんだよ。こう見えても感動しているんだ。


「俺だって嬉しいんだよ。マジで」

「へ、あ?」


 青井の気の抜けた変な言葉が返ってきた。

 俺は基本的に喜怒哀楽を表に出さない。いや、出せないんだ。母を亡くしてから喜んだり、怒ったり、悲しんだりする事に蓋をしてきた。何となく母に申し訳ない気がしてならなかったからだ。


「だから、お前が整備したのに乗れるのが嬉しいって言ってるんだよ」

「おまっ! すっげぇ分かりづれぇよ。天衣さん大変だなぁ。あ、けどちょうどいいか! 彼女ころころ表情変わるもんな。お前と合ってるわ」

「よく喋るやつだな」


 他人からそう言われて悪い気はしない。でも、素直にありがとうが言えないのは俺が捻くれているからだろう。

 これでもお前の嫁さんは気の毒だ、なんて言われないようにしたいとは思っているんだ。


「訓練を開始する。ハンガーから出せ!」

「はい!」


 上官の声と同時にアラートハンガーが慌ただしくなった。

 スクランブルだ。

 俺たちは動作を止め彼らを見守った。



 沖縄の空は広い。

 俺も天衣もこの空に呑まれないように、日々訓練を重ねなければならない。

 大丈夫だ。きっと俺たちは、やっていける。

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