第38話 航空幕僚長に告白しました

 翌日、両親が慌ててやって来た。私の病状がここまで酷いとは思っていなかったのだろう。母は青ざめた顔で病室に入ってきた。


「天衣! どうなの? まだ具合悪いの?」

「お母さん大丈夫。わざわざごめんなさい。お父さんもお仕事なのにごめんね」

「そんな事は気にしなくていい。この際だからきちんと治療してもらいなさい」


 そこへ、千斗星と暁さんが入ってきた。両親は二人して頭を下げた。


「沖田さん。この度は娘がご迷惑をお掛けしました」

「いえ。天衣さんは我々自衛隊が責任をもって治療しますのでご安心ください」


 両親は千斗星のお父様も沖田だと思っている。

 当然だよね。私も昨日まではそう思っていたのだから。そしてうちの親はこの方がどれだけ偉い方なのかを知らない。きっと言ったところで分かるとは思えないけれど。


「この度はご挨拶で来たにも関わらずとんだご面倒を」

「もうそれは気になさらないでください。さあ、香川さん。頭をあげてください」


 親たちは互いにペコペコと頭を下げあっていた。

 それを外から眺めている私は、この人たち親戚になるんだと余計なことを考えてしまい顔が弛んでしまう。千斗星に「何でニヤけてるんだよ」と突っ込まれるくらいだ。親って我が子のためなら平気で頭を下げるんだね。


「あのね、彼のお父様も自衛官なの。とっても偉い方なんだからねっ」

「えっ、そうなの⁉︎」

「天衣さん。ここではそんなこと関係ないよ」

「天衣。父さんに詳しく教えてくれないか」

「お父さんに分かるかなぁ。空将って分かる? 航空幕僚長を務めてらっしゃるの」


 暁さんは照れた顔で頭をポリっと掻いた。母はポカンとした表情で、それ何ですか? の反応だ。

 しかし、父だけは違った。


「く、空将! 航空幕僚長⁉︎ た、大変じゃないか!」

「え、お父さんど言う事ですか」

「航空幕僚長ってな、航空自衛隊のトップだよ。いちばん偉い人だ」

「ええっ!」


 病室に母の声が響き渡った。母の反応から、そんな立派なお家に嫁にやるなんて、恐れ多いだの釣り合わないなど言い出しそうだ。

 私だってそう思うもの。

 すると、暁さんが両親に少し話をと言って両親を病院から連れ出した。きっとご自身の事、そして息子との関係を話すのだろう。


「天衣のお母さん驚いていたな」

「うん。きっとうちの娘じゃ務まらないって思ってるよ」

「俺と結婚するんだけどなー」

「ふふ。でも、私も少し怖いの。これから先、そういった方々と接する事が増えるのかなぁって。わたし、千斗星や暁さんに恥をかかせないように頑張らないと」

「天衣なら大丈夫だって」


 そう言って千斗星は、私の頬にかかった髪をそっと後ろに梳いた。擽ったくて思わず肩を竦ませると千斗星は優しく笑って、その手を後頭部まで滑らせたかと思うと、次の瞬間には千斗星の胸の中にいた。


「ちとっ」


 コツンと額がぶつかって鼻先が触れ合った。千斗星の高い鼻が優しく撫でたと思ったら、ちゅうっと、ねっとりと唇を塞がれた。決して深くない表面だけのキスなのに全身が震えた。

 千斗星の優しさや熱い思いが伝わって来る。大丈夫、大丈夫って私の心を慰めてくれている。独りじゃないだろ、俺が居るじゃないかって。そんなにされたら、また泣いてしまう。


「残念だけどタイムアップ。そろそろ出ないと」

「うん。千斗星、ありがとう」

「天衣、もう一回」


 千斗星の瞳が切なげに揺れて、再び唇が重なった。

 千斗星と居るとドキドキするの。少し危なっかしいあなたのことをずっと見ていたい。

 私は彼の背中に腕を回して別れを惜しんだ。



 ◇



 翌日から精密検査が始まった。グループである仙台自衛隊病院からカルテを取り寄せて、今回の結果を擦り合わせるらしい。

 血液検査、レントゲン、CTなどありとあらゆる検査をしてもらった。最先端の医療機器が揃ったここは、多くの患者で溢れていた。もちろん、隊員の家族が主にだけど、ここは紹介状があれば一般の方も受診ができるそうだ。


「香川天衣様、診察室へお入りください」


 私は検査結果を聞くために診察室へ入った。未成年では無いため、保護者の同伴がなくても聞くことができる。

 家族は仕事や任務で忙しいからと一人で聞くことにした。仙台で言われた事と大差ないだろうと思っていたからだ。


「香川天衣さんですね。血液検査以外では特に異常は見られませんでした。仙台で言われた通り溶血性貧血と言ってよいでしょう。我々は後天性の自己免疫性溶血性貧血と判断していますが」

「はい」 

 ※何らかの原因で赤血球を壊す自己抗体ができてしまう症状。


「ご家族や親戚にはこう言った症状の方はいませんでしたか?」

「以前も聞いたのですが、思い当たる人はないそうです」

「そうですか。先天性のものか調べるには、かなりの時間が必要です。取りあえず、暫くは投薬治療を続けましょう。今までの薬は止めて、免疫抑制薬を使おうと思っています。詳しくは後日お話しますね」


 医師が言うには、自分に合う薬を探しながら定期的に血液検査をする必要があるらしい。なぜか私の体は、赤血球を破壊してしまう抗体ができてしまったようだ。


(なんでこんな事になっちゃってるのよ……)


「あの、仕事の制限はないですよね」

「そうですね。あ、ただ極端にストレスを与えるような事は避けた方がいいですね。職種は何ですか?」

「要撃管制です」

「要撃管制? それは管制官とは違うのかな」

「えっと、スクランブル発進に関わる仕事です」

「うむ……」


 医師は黙ってしまった。このパターンを私は知っている。戦闘機パイロットになりたいと言った、あの時の空気と同じだ。

 今回の医師は、その辺りの任務内容はよく分からないようだけど。


「自衛官なら避けられない事でしょうが、過度のストレスが加わるものは、症状が落ち着くまでは避けていただきたいですね」

「はい。気を付けます」


 そう言うしかなかった。

 まだ経験した事のない要撃管制は、どれ程の負荷が自分にかかるのか分からなかったからだ。ただ、簡単ではない事くらいは想像つく。

 あと二、三日様子を見て、問題無ければ退院だと告げられた。その言葉になぜか喜べない自分がいる。


「ありがとうございました」


 医師に礼を告げ、私は診察室をでて廊下を歩いた。



 ◇



 気づくと私は中庭まで歩いて来ていた。

 芝生の上にはベンチがある。柔らかな日の光が差し込み、手入れされた庭に花壇の花がキラキラと光っていた。

 私は吸い寄せられるようにそのベンチに座る。


「はぁ……」


 私が足掻けば周りの迷惑になるかもしれない。私はまた、諦めなければならないのだろうか。

 いっそ自衛官を辞めて、家に入り千斗星を支える方が幸せなのかもしれない。千斗星もその方が安心だろうし、女としての幸せが手に入るもの。

 そう言う風に自分に言い聞かせ始めていた。


「天衣さん?」

「はい?」


 突然、名前を呼ばれ気の抜けた返事で振り返る。そこに居たのは、暁空幕長だった。


「暁さん!」

「ああ、立たなくていい。それより私もそこ、いいかな」

「はい! どうぞ」


 本庁に勤める航空幕僚長が、こうして時々訪ねてくれる。それは上司としてではなく、婚約者の父親と言う立場だ。

 でも今日は制服だった。仕事の合間を見て来てくださったのかもしれない。

 恐る恐る顔を向けると、その横顔は千斗星ととても良く似ていた。

 そう思った途端に心臓が高鳴った。やっぱり普通のおじさんとは違う。姿勢も良く、座った姿は凛としていて、笑った時の目尻のシワはとても味があって素敵だ。


(それにいい匂いがするの。私のお父さんとは大違い!)


「もしかして、悩んでいるのではと思ってね」

「えっ」

「実は私も聞かせてもらったよ。将来の家族となる者として、そして航空自衛隊を担う者としてね」

「やはり、無理ですよね。こんな体で要撃管制なんて」

「可能不可能は別として、ここで諦めるのか挑戦したいのか。君の気持ちを聞かせて欲しい」


 今ここにいるのは、あの優しい暁さんではなく空自のトップである幕僚長の顔をしていた。

 その視線がとても鋭くて鳥肌が立った。そんな私に気づいたのか、暁さんは私の方へゆっくりと体を向けた。そして、その大きな手を私の頭に乗せポンポンと優しく触れる。


「えっ……!」

「娘って、どんなものだろうかと最近よく考えるんだ。私は息子しか知らないからね。実際に見ると小さくて可愛いらしい。壊れてしまわないかと心配になる」

「……」

「それが愛する息子が選んだ人だとなおさらだ。何でも言うことを聞きたくなる。悩んでいたら力になってやりたいと、思うんだよ」

「あの……」


 父と変わらない年齢のはずなのに、妙に胸がザワザワしてしまう。千斗星のお父さんなにか魔法でも使っているの?


「聞かせてくれないか。天衣さんの空への想いを」


 私は本当に魔法にでもかかったように、胸に秘めた思いを吐き出した。それはまだ千斗星にも言ったことのない、叶うか分からない夢まで全部。


「ほう……。くくっ。千斗星がぞっこんになるわけだな。私はそれでいいと思う。私もかつて空を飛んでいたから君みたいな子がいたらきっと熱くなっていたと思うよ」

「お恥ずかしいです」

「ゆっくりでいいんだ。時間はたっぷりある。急がないで欲しい。君は航空自衛隊にとって必要な人材だ。もちろん千斗星にとってもね」


 普通は制服組トップなんて手の届かない方なのに、私みたいな者が夢や希望を語るなんてあり得ない事だ。なんて懐が広いのだろう。


 暁さんは柔らかな笑みを残して立ち上がった。

 その姿が未来の千斗星を映し出しているようで、たまらない気持ちになる。


(月子さんはとても素敵な人と結ばれたんですね)


 そして千斗星が生まれた。

 私は心の中でお二人に感謝した。

 千斗星を産んでくれて、育ててくれてありがとうございます、と。

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