第36話 家族だからこそ

 私は千斗星の後を追って街へ飛び出した。お寺の住所をスマートフォンに入力して場所を確認した。こんな都会を一人で動くとは思っていなかったから、たどり着けるだろうかと不安になる。

 交通ICカードにお金をチャージし、勇んで電車の改札口まで来た。そして、掲示板を見て私は固まる。


「えっと......ここって何線だっけ?」


 自分がいる駅名は分かれど、それが一体何線で何番ホームに行けばいいのか。またそのホームはどこにあるのか、脳内で処理ができない。あまりにも情報量が多すぎる。

 私は慌てて路線アプリを立ち上げた。すると、目的地までは最短十五分、乗り継ぎは一回。アプリが示した通りに目の前の改札を通った。


「緑の線に沿って徒歩八分、中央線四番ホームか。えっ、改札から徒歩八分⁉︎」


 思わず声を出してしまった。

 改札を通ったらすぐホームへ続く階段を上ればいいと思っていた。なのになんということだ。

 地下らしき歩道を歩いて、再び階段で上ってようやく発車時刻が書かれた掲示板を発見。もう一度スマートフォンの画面を見ると、一から五番のいずれかの車両に乗れと書いてあった。


(どういう事......?)


 列車の進行方向すら分からない私は、無難に真ん中あたりで待った。後で気づいたけれどその車両に乗れば乗り継ぎ改札や出口改札に近い車両だったらしい。少し遠くに降りてしまった私は、乗り継ぎ電車に間に合わせるために走った。


「もう、駅っ! 広すぎるよー」


 周りを見たら、誰もがすました顔で目的地へと向かって歩いていく。都会のの人ってかっこいいなぁなんて事を考えながら、なんとか目的の駅に降りた。


「まだ気は抜かないぞ」


 私は地図アプリを片手に、目的のお寺の境内を目指した。階段を上る手前に花屋があったので、私はそこでお供え用のお花を買った。

 状況が状況だけれど、今日は初めて千斗星のお母さんの墓前に立つのだから恥ずかしくないようにしたい。


 境内へ続く長い階段を上り後ろを振り返ると、高層ビルが遠くに見えた。階段の下には下町を匂わす家屋が並んでおり、人の往来は賑やかだけれど、街路樹や歩道の脇には花が咲き、住みやすそうな風景が広がっていた。

 私は入り口でお墓の場所を教えてもらい、桶と柄杓を持って階段を上がった。何でもない休日の午後はお参りする人はほとんど見かけない。本殿からのお経の声が静かに響き、線香の香りが漂っていた。

 お墓の場所が書かれたメモを見ると『ほ3-25』とあった。”ほ”の敷地三列目二十五番だそうだ。ゆっくりと階段を上がり指定の敷地に入る。砂利が敷き詰められていて歩くたびに、その石がこすれ合って音をたてた。

 無風の霊園に線香の煙がゆらりとなびいている。そこには姿勢を正した千斗星がじっと墓石を見つめていた。声を掛けるのが忍びないくらい、千斗星は独特な世界に浸っている。


「千斗星......」


 私は小声で呟いて静かに足をそこに向けた。砂利を踏みしめる音は消せない。

 千斗星がゆっくり振り向いた。私が来るとは思わなかったのだろう、一瞬目を見開いたけれど口はぎゅっと引き結んだままだった。


「千斗星ごめん。来ちゃった」

「天衣、どうしてここが分かったんだ」

「教えてもらったの。千斗星のお父さんに。きっと千斗星ならここに来るかなって思ったから」

「ごめんな。一人にさせて、俺っ」

「ねえ! お参りさせてよ。いいでしょう?」

「……ああ」


 千斗星が何か言おうとしたのを私は遮って、彼の母親の墓前に花を供えてから手を合わせた。

 千斗星は私を置いて飛びだしてしまったことに今、気づいたんだと思う。冷静だと思っていた千斗星ですら取り乱してしまう。それくらい家族とは彼の人生の大部分を占めているのだと痛感した。それが実の母親となればなおの事。子供にとって母親は、何事にも変えられない存在だもの。


(月子さん、四十代で亡くなってる。若くして千斗星を産んだんだね。綺麗な女性だったんだろうな……)


 戒名には優、華、空の字が含まれてあった。

 ――空。

 千斗星にとって切っても切り離せないもの。私は胸の奥が酷く痛んだ。戒名とはこの世を生きた者が影響を受けたものや、好きなものが含まれていると聞いたことがあるから。


「母さんは空とオヤジを愛していたよ。毎日、空に向かって祈っていた」


 ――

『美しい空が消えませんように、飛人たかひとさんが今日も無事に戻りますように』

 ――


「母さんはそんな空で最期を迎えた。愛する男から遠く離れた異国の空で」


 千斗星は拳を硬く握り締め、悲痛な表情をする。泣きたいのに泣けない、そんな表情だ。


「その愛する男は任務に気を取られ、愛する女を失った。自衛官で在りながら家族を護れなかったよ」

「でもそれは、ワザとじゃ」

「分かってるよ! そんなこと、ワザとされてたまるかっ! もし、そんなことしたなら許さない! 俺は絶対にっ――」

「千斗星!」


 私は千斗星に、今まで見たことのない鋭い視線を向けられた。思わず後退りたくなるくらい怖い。


「でも俺は違う! そうならない! 愛する人は絶対に護れる強い男になりたい。だから同じ道を選んだ。それをアイツに見せつけてやるために。だけど、分からなくなった」

「分からなく、なった?」

「天衣を好きになればなるほど、俺は弱い人間に思えるんだ」

「どうしてよ」


 千斗星は地面に膝をついて項垂うなだれた。私も千斗星の前に膝をついて向き合った。


「ねえ千斗星? 人はみんな弱い生き物だと思うの。そして誰かのために、何かのために強くありたいと足掻くよね。その何かを突然失くした千斗星のお父さんは、どんな気持ちだったのかな。そして、それが原因で愛する息子から心を閉ざされたと知ったとき、どんなに辛かっただろうね」


(私の気持ち、千斗星に届くかなぁ)


「私は絶対に死なないとは、言えないよ」

「天衣っ!」

「千斗星だってそうでしょう? 私より命の危険に晒されてるもの」


 どんなに互いを想っていても、どうにもならない事の方が多い。千斗星がどんなに腕のいいパイロットでも、襲い来る脅威に絶対勝てるという保証はないのだから。


「千斗星のお父さんも月子さんのこと、とても愛していたと思う。だから、任務が終わるまで家に帰らなかった。家族のために上を目指し、強い男になろうと頑張ったんだよ。それって、千斗星と同じだね」

「くっそ!」


 弾けるように千斗星は私を強く抱きしめた。

 今までにないくらい強く激しい抱擁で、私は腕ごと抱き締められた。

 正直いうと痛いし、その力は胸を締めつけて苦しい。でもそれは体感的な痛みではない。

 千斗星は自分で心を痛めつけていたんだね。辛かったんだよね。その感情がじわりと伝わった気がした。


「千斗星。許してあげてよ。あなたのお父さんを」

「……」

「私の大事な、お義父さんになる方だから」

「っ!」


(少しでもいい。ほんの少しでもいいから向き合って欲しい)


 しばらくして千斗星は、私を解放した。そして、彼の無骨な長い指が私の頬をなぞった。その指先は濡れている。


「わたし、泣いちゃった?」

「分かってなかったのかよ。参ったな。本当に敵わないよ」

「え?」

「あーあ! 結局、俺は天衣なしでは動けないってことなんだよな。天衣の一声で俺はどこにでも飛んでいくんだよ」

「なにそれ! んんっ!」


 それは予告なしのキスだった。

 私より温度の低い千斗星の唇が、ぶつかるように重なって来た。


(ねえ! ちょっと! お母様の前なんだけど⁉︎)


「帰るか」

「うん。でも、どこに?」

「俺ん家」


 ぶっきらぼうに言う千斗星の言葉に、暁の家を指していると直ぐに分かった。

 千斗星は私の手を引いて来た道を歩いて行く。

 心の底からほっとした。

 千斗星がお父さんと向き合ってくれるなら、それだけで来た甲斐があったというものだ。


(はぁ……よかったぁ)


 ふと見上げた空は今日も青い。

 白い雲が風に吹かれてゆっくりと漂う。


 ―― ヒューン、ゴゴゴゴー!


 ブルーインパルスのスモークが円を描くのが見えた。


(眩しい……)


「天衣? おい、天衣!」

「ん……? 千斗星……な、に……」


(安心したからかなぁ。なんだかとても眠いの。眠い……)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る