第35話 親子なのに
千斗星の実家に来たとたん、千斗星は急に黙り込んで、やっと口を開いたかと思ったら「ごめん、黙ってて」と言う。
急に謝られると怖いなと思った時、男性の声がした。千斗星より低い声だったから、お父様の登場だと私は慌てて立ちあがった。
「こんにちは。香川天衣三等空尉」
声が出せなかった。
なぜならば私の目の前にいる人は、暁航空幕僚長だったからだ。
見間違えるはずがない。ついこの間、要撃管制の証書を授与して下さったし、指令室で対面までさせていただいた方だ。だけど、なぜかふに落ちない。空幕長の姓は暁で、千斗星は沖田。
(どうして姓が違うの⁉︎)
「お邪魔しております!」
思わず敬礼をしてしまった。
全身の血がスーッと引いて行くのが分かる。背中を冷たい汗が流れ、完全に酸素不足の状態だ。
まずい。
「天衣さん、今日はプライベートで制服でもない。敬礼はいらないよ。ほらリラックスして、さあ座ってください」
「ありがとうございます!」
この間お会いした時とまるきり表情が違う。とても優しい笑顔をくださった。
(この笑い方、千斗星と同じだ!)
そう思うと、少しだけ冷静になれた気がした。やっぱり二人は親子なんだね。
「天衣、早く座れよ。顔色が悪ぞ、大丈夫か」
「え、あ。大丈夫です。かなり驚いてしまって」
「だよな。ごめん」
千斗星は申し訳なさそうに謝る。単なる気恥ずかしさから、私に話さなかったわけではなさそう。なんとかく、理由があるんだろうなと彼の表情から感じた。
「なんだ、言っていなかったのか。天衣さん、すまないね。少し事情があってね、私と息子は姓が違うんだよ。まあ、今の私の立場だと姓が違う方がやり易いかもしれないな」
「事情、ですか?」
「沖田は亡くなった妻の旧姓でね。千斗星が航空学生として航空自衛隊に入隊する時に改姓したんだよ」
沖田は千斗星のお母様の姓だった。お父様がこれだけ優秀で、階級が高いと周りからの特別な目があるのかもしれない。だから敢えて改姓したと言われれば、何となく分かる気もする。
(ということは、私は沖田天衣になるんだよね?)
「私の妻がもうこの世に居ないことは知っているかな」
「はい。ハイジャック事件でということは」
「そうなんだ。妻はその事件に巻き込まれてね。申し訳ない事をした」
事件に巻き込まれて亡くなったのに、暁空幕長は申し訳ないと目を伏せてしまった。
すると、それを聞いた千斗星が、呆れたようなため息を吐く。
「あんたが申し訳なく思っても、母さんは戻って来ないんだよ」
「ああ、分かっている」
「俺、彼女と結婚するんだ。あんたと同じ轍は踏まない! 俺は絶対に護ってみせる。絶対に」
千斗星の口調から父親を責めているのだと分かった。だけどそれは、ハイジャック事件に巻き込まれたからで、空幕長のせいではないのに。
「私は君たちの結婚を反対したりしない。むしろ、何かできることがあるなら手伝いたいくらいだ。こんな優秀な女性隊員はそうはいない」
「だからっ! あんたは何もしなくていい。黙って承諾してくれさえさればいいんだ。勤務地の優遇は総務部でもできることだ」
「え、まって千斗星」
これじゃまるで挨拶に来たと言うよりも、喧嘩をしに来たようなものだ。いくら過去にわだかまりがあると言っても、この言い方はひどいと思う。
「天衣には不快な思いをさせてごめん。もう挨拶は終わった。出よう」
千斗星は私の手首を掴んで、立ち上がろうと促す。すると、今度は暁空幕長が口を開いた。
「千斗星。そんなに父さんが憎いか」
「ちっ! 家族も護れない戦闘機パイロットなんて笑えないだろ!」
千斗星の口調はますますひどくなる一方だった。
(イヤだよ! こんな形でこの場を去りたくないよ。だって、家族になるんでしょう? 千斗星が夫で、空幕長が私のお義父さんになるんでしょう?)
「ねえ、待って! ちょっと、待ってください!」
気づくと私は、二人に向かって叫んでいた。
「他人の私が口出しするなんて許されないかもしれません。でもっ、言わせてください。私も家族になるんですから!」
私の言葉で部屋が静まり返った。
すると、先ほど招き入れてくれた女性が、静かにお茶を置いていく。そして彼女は、軽く頭を下げて部屋を出て行った。
私たち話に入らないという事は、おそらく家政婦さんなのだろう。
「お二人に何があったのか分かりませんが、家族ですよね。ずっと、ずっとこのままですか? 心がバラバラのまま私たちは空を護れるんですか?」
立ち上がった千斗星は黙ったまま動かない。口も開こうとしない。
空幕長も無言。私は言ってはいけないことを言ってしまったのかなもしれない。それでも、私は引けなかった。多分、二人を引き裂いたのはお母様の事がきっかけだと思う。であれば尚更、このままではいけないと思ったからだ。
「天衣には」
「関係ないなんて言わせませんからっ!」
「くっ……」
千斗星は触れられたくない事なのだと思う。でも、それでも私には触れる権利がある。
「天衣さん。千斗星は悪くない、私が悪いんだ」
「えっ」
空幕長は私に当時の事を話し始めた。私はソファーに座り直してその話を聞いた。でも、千斗星は相変わらず背を向け突っ立ったままだ。
千斗星が十七歳の時、お母様である月子さんはご友人とヨーロッパ旅行にでかけた。そんな話はよくある事だ。でも、話を進める空幕長の顔は沈んでいた。どこに自分のせいだと言う根拠があるのだろうか。
「当時私は現役でF-15に乗り、スクランブルに備えていた。同時に米軍との共同訓練も控えており忙しかった」
コープ・ノース・グアム。
米、奥、日、共同訓練で航空自衛隊の実弾訓練が唯一出来る機会が巡ってきた。それに暁空幕長も名乗りを上げた。日々の任務に加え、合同訓練の準備と英会話のトレーニングで忙しい日々を送っていた。家に帰るのも惜しむほどで、基地内の宿舎に泊まり家庭の事は全て奥様である月子さんに任せっきりだったそうだ。
「特殊な訓練前は家族にも口外は許されない。私は心配や不安を家庭に持ち込みたくなくて、家に帰らなかった。その償いのつもりで、妻に気晴らしに友人と旅行にでも行ったらどうかとすすめたんだ」
「それで欧州旅行に」
「そうだ。私が妻を死に追いやった」
その旅先で月子さんはハイジャック事件に巻き込まれ、飛行機は墜落。海の藻屑となり、遺品の回収も叶わなかった。一部、自衛隊も搜索に参加したらしいけれど、その任務は海上自衛隊が担っていた。
「国と国民を護るための自衛隊に属しておきながら、たった一人の愛する女性すら護れなかった。情けない事だ」
誰が悪いのか。
家族間で不和を起こさないように取った行動が、不運にも不和を生み出してしまったのだ。誰も悪くはないのにと思うのは、私が他人だからだろうか。
空幕長がそこまで話すと、千斗星は何も言ずに部屋を出て行ってしまった。
「ちとせっ……もぅ」
私の声なんて聞きたくないような素振りで。
「本当に申し訳ない。私の事はいいから天衣さんは千斗星の傍にいてやってください。私にできる事は何でもしよう。君たちが望むことなら、何でも」
「あの、彼は恨んでいないと思います」
「えっ?」
「でなければ、父親と同じ道に進まないと思います。その背中を見てきたから、同じ戦闘機パイロットになったのだと思います」
「しかし……」
「少しお時間をください。私はこのままは嫌です。私も家族の一員に、なりたいですから」
私は暁空幕長に千斗星のお母様、月子さんが眠る場所を聞いた。きっと千斗星はそこにいるはず。
私は暁空幕長に頭下げ、彼の実家を出た。
千斗星はきっと迷っている。父親へ自分の本当の気持ちを告げられず、母親への想いも胸の奥に閉じ込めたまま。
(ちゃんと、解放しないと!)
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