第22話 待っていて! いつか私もあなたの空に

「香川、本気か?」

「本気です。冗談でこんなこと、言えません!」

「はぁ……参ったな。参った……」


 私は広報室に居座っている。

 塚田室長は机に両肘をついて、頭を抱え込んでしまった。それもそのはず、広報の人間として赴任して一年弱の私が、前代未聞のとんでもないお願いをしているのだから。


「申し訳ないが、時間をくれ。私一人では決められないし、そんな力もない。折を見て、司令にお伺いを立ててみる」

「はい。申し訳ありませんが宜しくお願いします!」


 室長に対しては、本当に申し訳ないと思っている。


(でも、決めたから!)


 自分が言いたいことは全て伝えたつもりだ。あとは上の反応がどう出るか、それをじっと待つしかなかった。



 ◇



 そして時は過ぎ、いよいよ千斗星が明日ここを去る。浜松で三ヶ月ほど戦闘機の訓練をしてから、築城基地へ正式に配属となるそうだ。


(仙台と静岡、そして九州かぁ……遠いよ)


『景気づけに飯、作ってやるから来いよ』


 最後の夜も私は千斗星の部屋で過ごすことになった。準備で大変だろうから私の部屋に来たらって、言ったけれどやんわりと断られた。

 千斗星の料理はこれで何度目だろう。男飯なんだけと、とても美味しいの。


「わぁー。さすがに殺風景になっちゃったね」

「まあね。カーテンとベッド周りだけ明日片付けたら終わりだ」


 本当に彼はここから居なくなるという現実が目の前にあった。寂しさや不安が私の背中をつついた。


 ローテーブルに並んだメニューは、ニンニクがほんのり効いたレバニラ炒めに、仙台名物の牛タン焼き。それにサラダとお味噌汁だ。


「またこれ、スタミナつきそうなメニューだね」

「飯食ったら運動するだろ? カロリーは気にするな。あと血を作る手助けは大事だ」

「食後の運動……て?」


 千斗星は不敵な笑みを私に向けながら、ご飯をよそってくれた。運動はってのはさておき、カロリーと血を作るって私のこと考えてだよね。

 薬からだけじゃなく、しっかり食べて栄養を摂れと言っているのだ。


「いただきます」

「おう。残すなよ」

「うん」


(これで最後かぁ……)


 嬉しさと切なさが混じりあって、せっかく千斗星が作ってくれた夕飯の味も、私の脳は曖昧に処理をしてしまった。

 私が食器を洗っている間に、千斗星はシャワーを浴びに行った。湯船はきれいに磨き上げたから使わないといいながら。自衛官だからというのを抜きにしても、彼は几帳面でほんの少し潔癖かもしれない。

 でも、私に強要するようなことはなかったな。


 窓際に立ってカーテンを開けると、遠くに漁船だろうか淡いオレンジの灯りが見える。私は太平洋へと続く海を眺めながら、自分の気持ちを整理していた。


(大丈夫! 自分に自信を持って!)


 後ろで千斗星が出てくる音がした。窓には千斗星の姿が映る。彼は私を見つけてゆっくりと歩いてきた。私は振り返るべきか、このまま気づかない振りをするべきか迷っていた。

 でも、気づけば千斗星はすぐ後ろにいて、何も言わずに背中から抱きしめた。


「千斗星」

「うん?」


 千斗星のちょっと気の抜けた声が私の鼓膜を震わせる。この声が好きなの。どんな薬より彼の声を聞くだけで、痛みや苦しみが和らいでいくの。ずっと、ずっと近くで聞いていたいのに。


「訓練、頑張ってね。私も頑張るから。あと、スクランブル……絶対に無事に帰ってきて」

「ああ」


 千斗星はこれ以上ないくらいにぎゅっと腕に力を入れた。彼の息遣いが私のうなじを擽った。


「スワロー、グッドラック!」


 私は窓に映る千斗星に向かって、親指を立てた。すると、堪えきれずに千斗星が吹き出す。


「ぷっ。ばーか」


 だって、笑って過ごしたかったから。笑顔で見送りたかったから。無愛想な千斗星が見せる、貴重な笑顔を目に焼付けたかったから。

 あなたは私だけのもの。今夜だけでもいいから、私だけの千斗星だと思わせて。


「ねえ、今夜はちょっとだけ特別な気分でいたいの」

「特別な気分?」

「うん。今夜だけは自衛官でもなくて、ファイターパイロットでもなくて……そういうの忘れて欲しいの。千斗星は私だけのものって思いながら……抱かれたいの。空に、あなたを取られたくない」

「天衣。今夜だけだなんて、言うなよ。いつだって天衣だけのものだ」


 違うのよ。やっぱり千斗星は私だけのものじゃないの。日本の空を護るための大事な体なの。

 だから、私はそんなあなたを護りたいの。


 千斗星との甘くて切ない夜を忘れない。



 ◇



 翌朝、私は広報担当として沖田千斗星を見送ることになった。

 今回は民間機や輸送機ではなく、浜松基地に向かう連絡機に乗って行く。機体はT‐4ブルーインパルスと同じものだ。今回の操縦は浜松基地の隊員がするので、千斗星は後部座席に乗る。


「沖田。浜松ではしっかり訓練してくれ。築城での活躍を祈っている」

「はい! ありがとうございます」


 残る隊員全員で敬礼をし、千斗星の背中を見送った。後部座席に乗り込んだ千斗星は、準備はオーケーとこちらに合図を送る。

 機体のエンジン音が変わった。滑走準備に入るのだ。

 しばらくは会えない。でもこれは別れではない。

 私も貴方が護る日本の空を護るの。

 だから互いの旅立ちに胸を張って、笑顔で! 泣かない! 絶対に泣かない!

 一瞬、千斗星と目が合う。お前だからできることをやれ、と言われた気がした。

 私は敬礼の姿勢を崩すことなく、滑走していく千斗星を見つめる。

 機体がふわりと浮いて、直ぐに車輪が収納された。機首を上げぐんぐんと高く登り、大きく旋回して雲の彼方へと消えてゆく。

 頬を流れる熱いものをそのままに、大空を仰いだ。


『千斗星。私もやるよ! 驚かせてやるんだからっ』


 私は手の甲で素早く頬を拭って、広報室に戻るためにその大空に背を向けた。



 ◇



「香川。ちょっと、いいか」


 広報室に戻るとすぐに、室長からお呼びがかかった。以前、私がお願いした例の件だろう。

 私は気持ちを切り替える。ドキドキする胸を押さえながら深呼吸をして、室長室のドアを開けた。


「香川天衣、入ります!」

「はいれ」


 そこにはいつもと変わらない室長が、書類に目を通していた。

 私が入室すると室長が顔を上げた。私はゴクリと唾を呑み込む。室長は書類を静かに机に置くと、椅子から立ち上がって私の前にやって来た。

 私は姿勢を正すため背筋を伸ばし、正面を見つめた。そんな私に室長は、黙ったまま私の周りをゆっくりと一周した。

 そして、室長は私の正面で向き合うように立ち止まった。


「香川」

「はいっ!」

「体の方は大丈夫なのか」

「お陰様で、薬で平常を保てております」

「そうか……」


 塚田室長もかつてはパイロットだったと聞く。大きくてガッチリとし体が簡単に当時の姿を思い浮かべさせる。

 そんな室長がひゅっと息を呑んだ次の瞬間――


「三等空尉 香川天衣。職種、警戒管制。第5術科学校を命ずる!」


(え? 今、何て……⁉︎)


「返事!」

「はい!」


(嘘! 本当に? 私、警戒管制の仕事に――)


「幸い君は我が防衛大学校を卒業し、幹部候補生学校も出た。驚くことにパイロット試験にも挑んでいる。そういった面からだろうが、斎藤司令からお許しが出た。小牧への異動を許可すると」

「ありがとうございます!」


 警戒管制とは普通の航空管制員とは違う。防空に係る重要な任務のひとつである。二十四時間管轄している領空を監視する仕事だ。

 簡単に言えば、緊急発進スクランブルの指示を出し、領空侵犯を取り締まる部隊である。


「試験に合格しなかったからって、もう受け口はないぞ! 心して挑め」

「はい! 三等空尉香川天衣。死にものぐるいで励みます!」


 室長は厳しい顔からいうもの表情に戻ると、はぁ……とため息を漏らした。頭をガシガシ掻きながら弱った風に愚痴を言う。


「全く、前代未聞だよぉ。こんな部下は私史上、見たことがない」

「申し訳ありません」

「こうなったら必ずやり遂げろよ。お前の空への思いをぶつけるんだ」

「はい!」


 こうして私の小牧基地への異動が決まった。


『千斗星! 待っていて! 必ず私もあなたの空に行くから』

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