第21話 いっしょに戦おう

 年が明けてからあっという間だった。

 ここにいる全員が任期を迎えるも、それぞれの道へと旅立つ。


 八神さんはもうすぐ松島基地を離れる。

 赴任先は宮崎県にある新田原基地だ。新田原基地ではF−15やF−4EJ改などの戦闘機で実戦を見込んだ訓練を中心としている。万が一の有事の際、一番最初に飛び出す飛行群だ。

 八神さんは後任への展示飛行の指導が完了し、ブルーインパルスを去る。

 そんな八神さんが、意味不明な行動を起こした。


「沖田、ちょっとアイちゃん借りるな」

「え、八神さん?」


 千斗星ときたら、相変わらずのポーカーフェイスでだ。


「手短にお願いします」


 そう言って、八神さんの行動を阻止する素振りはない。


「サンキュー」


 八神さんはなんと、私の手首を掴んで走り出したのだ。


「えっ、どこに行くんですかっ。八神さん!」


 八神さんは一瞬振り返って笑うけれど、私の質問には答えてくれない。でも、基地から出る様子は見られない。


(どこに行くの?)


 駆け足でやっ来たのは、T−4ブルーインパルスが格納されている場所だった。整備員も誰も居なくなった格納庫ハンガーは底冷えがするほど寒い。


「ちょっと、八神さんてば」

「ごめん、ごめん。こんな所まで走らせちゃって」


 八神さんは、いつもチャラけた口調で爽やかな笑顔を見せる。でも、今なら分から気がする。彼は相手に緊張や萎縮を与えないために、そうしていたんだったて。

 ブルーインパルスのムードメーカーで、実は技術はトップだったと思っている。だから八神さんはポジションの難しい四番機スロット。タックネームはサンダー。普段は調和を保ち乱れることなくその位置をキープする。でも、編隊を変えるときは誰よりも力強く、まさに雷が落ちるように尖っていた。


 千斗星は個性が強いパイロット。ツバメのようにスーっと誰とも溶け込むことなく飛んでいく。だから、リードソロの五番機が合っていた。

 千斗星の飛行は敵からの攻撃を華麗に躱すだろう。それとは逆に八神さんの飛行は敵を矢のごとく射抜くことができるんだ。

 だから、千斗星はスクランブル飛行要員で、八神さんが飛行教導隊なのかもしれない。

 最近になってたどり着いた私なりの見解だった。


 ハンガーに入った八神さんは、四番機のボティを慈しむように撫でいた。


四番機こいつで、いろんな空を見てきたよ。北から南まで。目が覚めるほどの青や、果てし無く続く灰色や、人々が集う街の雑踏。空の色は毎回違うけど、同じ事が一つだけあった」


 そう言って、八神さんは振り返って私を見つめた。

 その表情はとても精悍で、瞳は鋭い輝きを放っていた。


「同じ、事……ですか?」

「うん。俺たちの展示飛行を見た後は、必ずありがとうって言われるんだ」

「ありがとう」

「そう。その度にブルーに乗っていることを誇りに思えたし、卒業後の支えになるなと感じた。俺たちは遊んでたわけじゃないって、思えたんだ」


 そうか、八神さんも悩みながら乗っていたんだ。

 国民の税金を無駄にして遊んでいると耳にした事もある。アクロバットなんかやってないで、本来の任務を遂行しろと厳しい言葉ももらった。

 でもブルーインパルスはそうじゃない。それは、私もよくわかっている。


「わたし! わたしも、ブルーインパルスの展示飛行を見たからここにいます! この大空を本物のイルカのように舞う姿を見たら、日本の空はなんて美しいのだろうって、泣けました! この空が美しくあるために、航空自衛隊があるのだと。だから、私もパイロットになりたいって!」


 私はつい興奮し、大きな声で宣言してしまう。

 気持ちが昂ぶりすぎて、その先の言葉が震えて出てこなかった。熱くなりすぎだ。

 八神さんは驚いて眉を曲げてしまったけど、その後、ゆっくりと頬を上げて穏やかな顔で微笑んだ。

 そして、私の頭にそっと手を置いた。

 彼の手の温もりに涙が溢れてきそうになって、ぐっと堪えた。


「沖田から聞いたよ。だから、俺たちは飛び続ける。アイちゃんのためじゃない。アイちゃんが感じた事を胸に飛ぶ。俺たちはテールしっぽがピンと張ってないと墜落するんだよね」

「もう、そんなこと言わないで下さい」

「あのさ、空はパイロットだけのものじゃない。俺たちはグランドスタッフと共に飛んでいる。共に戦っているんだ」

「八神さん……」


 八神さんがどこまで私の事をを知っているのか分からない。でも、私に伝えたい事は分かった。

 空中戦は任せておけ、その代わり戦えるように支えてほしいと。


「はい! ありがとうございます!」

「おうっ。じゃあ帰るか。沖田に殺される」

「なに言ってるんですか!」


 いつもの八神さんの背中がそこにあった。



 ◇



 私は最近、毎日千斗星の部屋に来ている。彼もまもなく、松島を去ってしまう。だから、少しでも同じ時間を過ごせるように、許される限りふたりで過ごしていた。

 今はソファーに座ってまったりとしている。


「天衣。体は大丈夫なのか?」

「うん。今のところ薬が合ってるみたい」


 私がそう答えると「そうか」と言いながら、彼は私の腰を引き寄せた。どんなに薬が効いていても、千斗星の思いやりには敵わない。彼はいつだって私を甘やかすから、心地よすぎて彼のそばから離れられない。

 千斗星が去った後の私はどう過ごしているのか、全く想像がつかない。


築城ついきに異動する前に、浜松でトレーニングすることになった。だから、少しここを出るのが早まりそうだ」

「そっか。久し振りなんだもんね、実戦機に乗るのは」

「ああ。やっぱりT‐4とは感覚が違うからな」

「うん。がんばって、ね?」


 私は上手に笑えているだろうか。離れる時が早まってしまった事を、残念に思う自分がいる。それは単なる彼女としての気持ち。彼女である前に、私も千斗星も自衛官だ。

 心の中で、彼女であることと自衛官であることの葛藤が起きていた。


「天衣、強がるなよ。俺の前だけは、弱くあればいいんだ」


 どんなに隠しても、千斗星は私の心を見抜いてしまう。彼は私の顔を自分の胸に囲い込んだ。


(なによ……一生懸命隠していたのに。こんな事されたら、泣いちゃう)


「もうっ……、本当は不安なの。千斗星がここを去ったあとのことが。叶うことなら追い駆けたいよ。でも、わたし、そんな無責任な事はできない。わたしだって国を護るためにいるんだから」

「知ってる」

「だけどっ。どうしようもなく胸が苦しくて、千斗星の、千斗星の存在が、大き過ぎるのっ」


 私は彼の胸に顔を押し付けたままそう叫んだ。私の中で千斗星の存在が、こんなにも大きくなってしまった。恋をすることは、こんなに苦しいことだなんて知らなかった。


「天衣。オマエだけじゃないからな、その気持ち」

「えっ?」

「自分だけが苦しいだなんて、思うなよ」


 千斗星の言葉に顔を上げると、彼の瞳とぶつかった。いつもよりも熱と潤いを含んだその双眸は、私の心を離さない。

 私は初めて自分から、彼の唇にキスをした。


(同じだった。不安なのは私だけじゃ、なかった。いつだって千斗星はわたしの味方だった)


 私がそっと唇を離すと、目を細めた千斗星がゆっくりと口角を上げた。


「不意討ちか……上等だな。受けて立つ」

「えっ、やだ。ちょっと、違っ」

「休暇はきちんと取れるんだ。その度にこうやって愛してやる。だから、他の隊員おとこに頼るなよ?」

「なに言って……!」


 千斗星からもらったこの熱を、他の誰かで冷まそうなんて思わないよ。冷ましたくないもの。

 大丈夫、私の事を信じていて。


 私は地上からファイターパイロットたちを護ってみせるから。

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