ファイターパイロット

第20話 空とあなたを護りたいの

 千斗星のラストフライトも無事に終わり、ここ松島基地でも年内の飛行訓練納めとなった。

 年が明けてからの初フライトは次の五番機を務める飛行班員への引き継ぎがある。

 実際の異動までは少し時間があるため、引継ぎや指導を兼ねて彼は五番機の後部座席に座るのだ。


 あのバーティカル・キューピットを見てから、私の心は揺れていた。

 このままこの松島でブルーインパルスの広報をやっていくのか、それともあのとき心の中で誓ったように、空を護る彼らを支えるために動くべきかと。

 まだまだ一年目の新人自衛官がこんな事を考えてはいけないのだと思う。

 でも、込み上げてくる熱はどうにも抑えられなかった。


「天衣」

「なに?」

「なに考えてるんだ。すげぇ、怖い顔してる」

「え、気のせいだよ。最近とても寒いじゃない? わたし、寒いの大っ嫌いだから」


 私はごまかした。これから危険と隣り合わせになる千斗星に余計な心配はかけたくないと思ったから。そんな彼は怪訝そうに私の顔を見つめる。


「本当だよ?」


 千斗星は納得していないみたいだけど、この事はまだ誰にも言えないの。

 それが例え、彼氏である千斗星でも。


「天衣。俺の目は騙せない。なんだよ、言えよ」

「それはっ、だから」


 目を合せたら見抜かれてしまいそうだ。だから、つい私は顔を俯かせる。


 シンプルな千斗星の部屋はローテーブルにその下にはラグが敷かれ、その先にある濃紺のカーテンを開けば海が見える。

 この千斗星の部屋は春になれば違う誰かが入居するのだろう。私はその誰かがここを出入りするたびに、切ない気持ちになるのだろうか。八神さんの異動先は早々に発表されたのに、彼はまだは発表されていない。それは訓練ではなく、実務に着くと言う事を表しているから。

 きっと、千斗星はどこかの基地で緊急発進スクランブルに備えるための飛行要員になるんだ。


「天衣」

「ぁ」


 千斗星は私の腰に腕を回して体を引き寄せた。私は肩を抱き寄せられて、そのまま体を委ねた。

 私の頭を優しく撫でる千斗星の手は、とても愛おしそうになんどもなんども往復する。

 その優しさと温もりを感じてしまうと、なぜか無性に泣きたくなる。


「千斗星っ、ちとせぇ」


 私は千斗星に正面から抱きついた。


(私に何ができるの? 私ができる事ってなんなのよ!)


 体はいつ壊れるのか分からない。苛立ちと焦りと不安でいっぱいになって、うまく笑うことができない。本当はこんな姿見せたくないのに。


(怖いよ。千斗星と離れるのが、怖い)


「天衣?」

「あのね。あ、あたしっ」

「うん」

「護りたいのっ! 千斗星が飛ぶ空を、私もっ、護りたい! なのに、どうしたらいいか分かんないよ」


 千斗星に抱きついたまま私は叫んでいた。彼のシャツがシワになるくらい、強く握りしめた。みんな、命懸けで空を飛んでいるのに、自分はその空に行くことが叶わない。例え法律が変わったとしても、私はファイターパイロットにはなれないんだから。


「泣くな! 天衣っ。お前にしかできないこと、お前だからできることがあるだろう。天衣は防衛大学校を卒業したエリートだぞ! 忘れたのか」

「そんなの関係っ……」 

「あるんだよ! 関係あるんだ。俺は高校を出てから航空学生として航空自衛隊に入った。パイロットとして一流になるために俺たちは訓練してきた。操縦技術は誰にも負けないという気持ちで。でも、現実はそれだけじゃない。八神さんが飛行教導隊に行った理由分かるか?」


 私は黙って首を横に振った。


「あの人も防大出身だよ。幹部候補から上がってきた。そして、あの腕前だ。飛行教導隊で任務が終れば、指導官となりいづれは幕僚長だって夢じゃない。そうなれば、本当にやりたい事ができるんだ。技術だけじゃ上を動かすことも、日本を護ることも……できないっ」


 千斗星は怒っているのか、悔しがっているのか、またはどちらでもないのか。今の私には分からない。ただ、なんとなく俺にもできないことがあるんだと訴えているように感じた。


「天衣。別に俺は妬んでいるわけじゃない。おまえは、やっとスタートラインに立ったんだ。なんだってやれる可能性が広がっているんだよ。空を護るのは戦闘機パイロットだけじゃ、ないんだぞ!」


 千斗星はそう言い終わると、私を強く抱き締めた。彼の吐く息も熱い。体も胸も心も苦しくて、何かを吐き出したくて仕方がない。


(千斗星にはできないけど、私にはできることが、本当にあるの?)


 私は千斗星にきつく抱きしめられたまま目を閉じた。たまった涙がこぼれ落ちた。


「私だからできること……?」

「ああ」

「日本の空を、千斗星が飛ぶ空を護れるの?」

「ああ」


 それが何なのか、千斗星は言わなかった。きっと、敢えて言わないんだと思う。それは自分で見つけろと、彼なりの厳しさでもあり優しさなのだろう。


「うん。分かった」

「なあ。顔、見せて」


 私は涙でぐしゃぐしゃな顔を千斗星に見せた。でも、目は合わせられなかった。すると千斗星は額を私の額とコツンと合わせる。


「急ぐ必要はないんだからな」


(もうっ、わたしのこと、甘やかし過ぎっ!)


 こうやって触れ合って、甘えていられるのもあと少しだ。春にはちゃんと笑顔で見送りたい。

 その時までに私だからできる事を見つけられていたらいいなと思う。

 焦らず騒がす、しっかりと歩きながら。


「天衣」

「ん?」

「キスして」

「えっ!」

「たまには天衣からしろよ。受けばかりじゃ、進化しないぞ」

「なっ! もうっ」


 私はいつも千斗星の部屋で過ごしていた。

 なぜ、私の部屋ではないのか。それは後になって痛いほど分かる事となる。

 でも今は互いの温もりを刻み込むことでいっぱいいっぱいだった。



 ◇



 年が明けて初飛行訓練が行われた日、千斗星の異動先が隊内で発表された。

 私は広報の人間として隊内への告知とホームページの更新をした。ホームページでは異動先は告げない。ただ、ブルーインパルスのメンバーが変わるお知らせのみ。

 そして、千斗星が書いたファンへのメッセージもアップした。


 沖田千斗星 赴任先は福岡県築上町にある築城ついき基地。

 第八航空団 飛行群 第六飛行隊、戦闘機部隊への配属が決まった。築城基地は九州にあり、2007年より領空侵犯措置を開始、小型戦闘機であるF‐2が主に出動している。


「千斗星も、緊急発進スクランブルするんだ……」


 わたしが知らないだけで、ブルーインパルスに来る前も千斗星は緊急発進で待機していただろう。彼にとって、これは初めてではないのだ。

 戦闘機パイロットなら、それが本来の任務。近隣諸国からの国籍不明機に対する侵犯措置を行い、時に海上の安全のためにも動くそうだ。日に一度のペースでスクランブルが起きる現状を思うと、不安と恐怖が私を襲った。


 離れることへの不安と、命懸けの任務への恐怖。


(怖い、千斗星を失う事がとても怖いっ……!)


『空を護るのは戦闘機パイロットだけじゃっ、ないんだぞ!』


 千斗星の言葉が脳裏で繰り返された。戦闘機パイロットだけが、日本の領空を護っているわけではない。


「香川さん、大丈夫?」

「はいっ、すみません。大丈夫です」


 私の手が止まっていたのを、鹿島先輩が心配そうに声を掛けてくれた。今は目の前の仕事に集中しないと失礼だ。この広報活動だって、空を護ることへの一歩なのだから。


 少しずつ考えがまとまってきたきがする。うまくまとまったら、塚田室長に話を聞いてもらおう。

 また「とんでもないことを」と叱られるかな……

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