第19話 バーティカル・キューピッド ー決意ー
七月に入り北海道は千歳基地で展示飛行をした後、八月までスケジュールは調整のため空いていた。
ブルーインパルスは松島基地で、いつもの訓練飛行を行っている。
ブルーインパルスも夜間飛行訓練をする事もある。アクロバットをするわけではないけれど、いろいろなシチュエーションに対応するために必要な訓練だ。
「お疲れ様でした」
「お、テールまだいたのか!」
大友飛行隊長が驚いた顔を向ける。
「はい。皆さんの夜間飛行も見たかったので」
続けて入ってきた八神さんも、私に声をかけてくれた。
「アイちゃんは熱心だね。さすが俺達のシッポだな」
「八神さんの追尾、昼も夜も変わらないですね! すごいです」
「あー、褒めても何もでないからね」
「なーんにもいりませんよ」
春から勤務して半年、こんな風に皆さんと絡めるようになるなんて思ってもいなかった。ましてや彼氏までできるなんて。
「もう直ぐソロの二人も上がって来るだろ。香川、ちゃんと沖田と帰れよ」
「た、隊長!」
「いくら官舎までだからって、女の一人歩きは止めておけ」
隊長はそう言い残して帰って行った。いちばん色恋沙汰に厳しそうな人だと思っていたけど、そうでもなかった。
「くっそ、沖田のやつマジで腹立つなぁ。俺が先にアイちゃんに目付けてたのになぁ」
「もう、八神さん……」
「けどさいい事だよ。俺達のような人間には、心の支えがあった方が強くなれる。表向きは国のためにって言うけど、やっぱり家族や恋人のために戦う方が何倍も力になる。大友隊長はそれを分かってるんだよ」
「家族や恋人のため……ですか」
「そう。俺も早くその恋人ってのを探さなきゃなぁ。じゃ、お疲れ」
気づいたら二番機の三井さんも三番機の橘さんもいない。みんな次の日が休みだと帰るのが早い。特に家庭のある隊員はどの部隊もそう。
「あれ? テールちゃんまだいたの」
「相田さんお疲れ様です」
「あぁ、沖田を待ってたんだね。もう来るからさ」
「え! あ、いやそんなんじゃ」
「よーしと。俺、合コンだから先に出るね。お疲れ様」
「あ……」
室長には広報室に戻らなくていいと言われているし、みんなが言うように沖田さんが戻ってきたら一緒に帰ろう。
私は部屋の窓がきちんと閉まっているかを確認して、ブラインドを下ろした。
「よしっ。戸締りオッケー」
「天衣?」
振り向くとちょうど沖田さんが戻って来た所だった。
(しかも、天衣って呼んだし……)
「お疲れ様です。もう帰れますか?」
「ああ。そっちはいいのか、広報は」
「はい。夜間飛行見たらそのまま帰れって言われています」
「そうか。じゃあ一緒に帰ろう」
◇
二人並んで基地を出るのは何回目だろう。あまりお喋りでない彼はいつも話は聞き役。今日の空は晴れていて星が見えるほど美しい。そんな夜空を飛ぶなんて何だかロマンチックだと思ってしまう。
「ねえ、星って飛んでるときも見えるの?」
「星かぁ。まあ。そうだな。あんまり意識したこと無いけど、見ようと思えば見えるかな」
「そっか。訓練中に星がきれいだなとか、そんな事考えないよね」
そう私が言うと、口元だけで笑って「天衣も女の子だったんだな」と言った。発想が幼かっただろうか。
「ごめんさい。一人だけ浮ついてて。でも今日の夜空は久しぶりにキレイだったから」
「天衣」
「はい」
沖田さんは私の顔を覗き込んだ。何を言うでもなくじいっと私を見つめる。
「沖っ……あ!」
「くくっ。基地を出たのに、天衣は俺を沖田さんと言おうとした。ペナルティーだな」
「えっ! ちょ、それなんか狡い」
沖田さんはにっこり、と恐ろしいくらいの爽やか笑顔を私に見せると、私の手を取って官舎の門を潜った。彼は私を自分の部屋に連れこんだ。
「千斗星っ」
玄関に入ったと同時に私は閉めたドアに押し付けられた。彼の瞳の奥はさっきまでの爽やかさは消えて、ギラギラと光っていた。
「天衣、おれっ――」
「うん」
「おまえを絶対に手放しなくない」
「どうしたの……んっ」
沖田さんは熱い吐息を吐いて私の唇を奪った。私の体を支える彼の手まで熱く感じる。私たちは密着したまま、靴を脱いで玄関を上がり、そのままベッドに倒れ込んだ。
私たちはまだ、制服のままだ。
「ちとっ……!」
黒のネクタイを解かれ床に落とされた。彼も片手で自分のネクタイを緩めて放った。胸元のボタンは順に外され彼の厚い胸が現れた。
私は思わず生唾を呑み込んだ。
あまりにも性急すぎる。
「天衣……ごめん。もう、我慢できない」
「千斗星っ。あ、あの」
「嫌か?」
「ううん。お願いしま、す」
「ふっ。どもるなよ」
彼は私の制服のシャツのボタンを外していった。こんなふうに晒されるのは初めてではない。なのに、今夜はその時よりもドキドキしている。
当たり前だ。私が許可したのは、練習じゃないのだから。
「大丈夫。ゆっくりするから」
「うん」
「好きなんだ。天衣が、すげえ好きだ」
「ちとせ」
体はほんの少し辛い思いをしたけれど、心は彼の甘さに包まれて幸せだった。初めてを沖田さんにあげた。ドキドキしすぎてよくわからなかったけど。
◇
「なあ、天衣。聞いて欲しいことがある」
とても真剣な声色に心臓が跳ねた。
「うん、なに?」
「今年いっぱいで、ブルーインパルスを卒業する事が決まった」
「そう、なんだ」
ブルーインパルスの任期は約三年と言われている。彼はまだその年数に達していない。
自衛隊は陸海空どこも人手が足りない。日本の空は常に他国からの脅威に晒されている。きっと、彼は優秀なパイロットだから、どこかの基地から呼ばれたんだ。彼はまだ若い戦闘機パイロットだから、現場に戻される。
「近々、発表されるよ」
「どこに、異動するの」
「まだ決まってない。三沢か、築城か、どこだろうな。俺、もともとF-2乗りだから」
「そっか」
気の利いた言葉が出てこなかった。いつかそういう日が来ることは初めから分かっていた。なのに、体中が不安に包まれてしまう。
彼のいないブルーインパルスで、私はやっていけるのか。いちばん初めに戻るだけなのに、得てしまった幸せが離れていくのが怖かった。
「そんな顔をするなって。これが終わりじゃない。これからが俺達の始まりだろ? ほら、やっと今日、天衣の初めてをもらったし」
「ちょ、千斗星ってば。何言ってるの」
「俺、言ったことは守るんだよ。二回目も三回目もその先ずっと、俺がもらうって言ったろ。それに、俺の空も見せてやるって」
「千斗星……」
私は彼の胸で泣いた。
これからが始まりだって言ってくれるなら、私も立ち止まってはいられない。戦闘機パイロットで生きていく彼を、どうにかして支えたい。飛べない私にできる事をこれから彼の卒業までに、見つけようと心に決めた。
「ありがとう。私、がんばるよ」
「ああ。適当にな」
◇
時間が経つのは本当に早かった。秋以降は展示飛行がぎっしりと組まれ、天候にも恵まれてあっという間に冬が来た。
時々、何かの拍子でふらつくこともあったけれど幸い倒れることはなかった。もしかしたら治ったのかなもしれない。そう思える程、私の体は調子良かった。
「天衣、おまえは頑張り過ぎる」
「え? そんなこと」
「あるんだよ。来いっ」
「うわっ」
それは全部、彼のお陰だったんだと思う。そろそろ危険かな、と言うタイミングでこうして甘やかしてくれた。
彼の隣で眠ると、朝まで夢を見ない。それだけ安心して深い眠りに落ちているという事だ。
「では、明日が年内最後の展示飛行となる。それの予行を今から行う。沖田と八神は明日の展示飛行が最後だな。今までよくやってくれた」
そう、卒業するのは千斗星だけでなく八神さんもだった。八神さんは
「そこでだ、沖田が珍しく俺に頭を下げてきた。卒業祝いで今日だけそれを許可する」
(え? 千斗星、大友隊長に何をお願いしたの?)
「本日の予行は八神が五番機、沖田が四番機に乗る。以上!」
「はい!」
はい!って。みんな、どうしてそんなにあっさりと返事ができるの? 簡単に今日は四番機とか、そんなこと無理でしょう?
心なしか、皆が私の方を見て笑った気がした。
大友隊長に関してはニヤニヤを隠すこともしない。
「よーく見ておけよテール」
大きい声でそういいながら、コックピットに乗り込んだ。
「え……なんか、怖いです」
一番機から四番機がダイヤモンド編隊で離陸した。初めて見る千斗星の四番機は、八神さんにも負けていなかった。一番機にピッタリくっついている。
(四番機でも、かっこいい!)
六機はそれぞれのフォーメーションを確認し終えて、最後のプログラムに移った。
スターを大空に描くのだ。
『テール聞こえるか』
「あっ、はい!」
突然、大友隊長から無線が入ってきた。こんな事は初めてだった。
『頑張るテールにプレゼントだ。しっかり受け取れ』
「えーっ!」
(プレゼントって、何⁉︎)
空を見上げると六番機と八神さんが乗った五番機が現れて、二機が同時に上昇していった。
(え? スターは?)
そこからふたてに別れて弧を描くように下降し始める。真白な噴煙を色濃く吐きながらそこに描いたものは――。
「どうして!」
『沖田!
隊長の声が無線から流れ、左方向から四番機に乗った千斗星が進入した。
「あっ――!」
真っ白い噴煙を吐きながらその中央を突破する。突破する直前に一旦、噴煙を切り、再び吐きながら突き抜けた。
彼らは何て事をしてくれたのだろうか。
―― バーティカル・キューピッド
空に現れたのは、矢に射られた大きなハート。
『見えたかテール』
「はい! 見えました」
『俺たちからのクリスマスプレゼントだ。テールのハートを射抜いたのは沖田だったな。がんばれよー』
矢を射抜くのは四番機の役目。それを今日だけ特別に八神さんでなく、千斗星が代わりに担った。
大友隊長、貴方は本当に粋な人。
千斗星だけじゃない、私は必ず彼らを支えてみせる。ブルーインパルスの熱き魂を胸に刻み、私も彼らと共に日本の空を護りたい。
(いいえ、護ってみせます!)
私はその噴煙が空の青に溶け込むまで、見つめていた。
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