第18話 限られた時間の中で魅せるには

 昨日のことを思い出すだけで体が熱くなってしまう。私の彼氏はSっ気たっぷりなブルーインパルスの五番機パイロット。

 練習だの、ペナルティだのって理由をつけて私にあんなことやこんなことをしてくる。

 彼のたくましい体が目の前に現れると、どこを見ていいか分からなくなって思わず目を瞑った。

 彼はクスクスと笑いながらも手は止めてくれない。


(だって初めてだから仕方がないじゃない!)


 と、開き直れたらどんなによかったか。


『天衣、飛行前点検だ』


「あー、ダメだ。ダメ!」


 少しでも油断すると頭の中でその言葉が聞こえてくる。

 結論から言うと、沖田さんとは最後までシてない!


(恥ずかし過ぎる、何が飛行前点検よっ)


「もーう、うぁぁ……よし! もう終わり。仕事、仕事だ」


 私は制服に着替え、気合を入れるために頬をパチンと叩いて玄関を出た。

 これから展示飛行のオンパレードだ。彼らの舞台を華やかなものにするのが私の仕事。

 私は広報の仕事に徹するべく基地に入った。


 広報室に入ると、まず塚田二佐に報告のため室長室を訪ねた。


「香川天衣、入ります! 報告に上がりました」

「ああ、おはよう。ん? 香川おまえ……」

「なんでしょうか」

「急に女っぽくなったよな」

「え、あ、ええっ!」

「と言ってみたかったんだよなぁ、俺」

「えええ」


 今の私にとって塚田室長の何気ない一言は物凄い爆弾投下だった。破壊力凄すぎで、動揺してしまった。私はなんとか平静を装って検査結果の報告をした。


「そうか、分かった。無理はするなよ。無理したり誤魔化したりすれば、治るものも治らない。いいな」

「はい」


 こうして私は、今まで以上に体調を気にしつつ日々の仕事をこなした。私の病名の詳細は沖田さん以外のクルーたちには伝えていない。気をつわれたくないのと、弱みを見せたくないと言う単なる私の我儘だ。



 ◇



 ブルーインパルスのスケジュールは順調に消化されて行った。天気と睨み合う日もあったけれど、美保基地も輪島基地も無事に終わった。

 ブルーインパルスは梅雨初期は北海道に展開し、梅雨が本格的になると一旦展示はオフとなる。それまでに、六月のスケジュールは予定通り行いたい、

 航空祭がある限り、招待されている限りは期待に応えたい。


 そして、六月最後の日曜日は九州でのスポーツ大会オープニングで、ブルーインパルスが飛行する事が決まった。こうやって民間からの要請で、突然スケジュールに割り込んで来ることもある。


「九州は梅雨入りしたからな、飛べるといいんだが」

「隊長、テールちゃんがいるから大丈夫だって」

「八神さんっ。私はてるてる坊主ではありませんからねっ」

「え、あははは」


 大友飛行隊長は天候を気にしていた。自然相手にはどんなに足掻いても勝てないのだ。それでも多くのファンが待っている。空に天気を祈りながら飛行訓練は続いた。


 気象隊と天気予報の確認をしながら、スポーツ大会の日がやって来た。

 普通なら前日に予行といって、本番同様のリハーサルをするけれど、生憎の天候で肝心の予行はキャンセル。隊長機だけが、位置の確認のため偵察しただけにとどまった。全員で飛ぶのは本番のみの一発勝負となった。


 九州の空はどんよりと雲が広がる。風も少しある。

 飛べるのか、飛べないのかギリギリの選択を迫られていた。そんな中、大友飛行隊長と塚田室長がそれについて相談を始めた。


「今回は市街地上空の為、離陸時のアクロバットはない。デルタ隊形(山の形)とダイヤモンド、それからアブレフト(並列)が主になる。ソロの五番機と六番機もタッククロス(近距離交差)程度だから、ある程度の無理はききます。気象隊はなんと言っていますか」

「風さえ止まれば今回のプログラムなら可能だと。ただ、噴煙が映えるかどうかがね」

「そこが、痛いところですね」


 今回の見せ所はレインフォールと言って、五機が垂直に降下し五方向へ花が開くように散る。噴煙が美しく軌道を描いてこその演目だ。それが曇り空だと白の噴煙が溶け込んで見えなくなってしまう。


「状況に応じて、フォー・シップ・インバートに変えましょう」


 フォー・シップ・インバートとはダイヤモンド隊形で侵入した機体が180度横転して背面飛行をすることだ。隊長の合図で同時に全機横転するので、こちらも見応えがある。


「分かりました」


 どうか、空の機嫌が良くなりますように。私には祈ることしかできなかった。


「香川」

「沖田さん」


 勤務中は互いをそう呼び合う。


「そんな顔するなよ。大丈夫、飛べるさ」

「でも皆さんの安全が第一です。リスクは少ない方向で行きたいです」

「これくらいで中止したら、お客様は納得しないよ。広報が責められるぞ」

「それが私たちの仕事ですよ。人の命が掛かっているんですから、広報としてお客様とライダーたちの命を守らなければなりません」


 そう返すと、沖田さんは一瞬目尻を下げ微笑んだ。そして直ぐに鋭い眼差しに変わる。


「分かった。ゴーサインが出たら、広報の熱い気持ちを胸に空を舞うよ」


 彼のドルフィンライダーとしての魂に火がついた瞬間だった。



 ◇



「気象隊より、三十分が限度と連絡が入りました」

「分かった。晴れることは期待できそうにないな。よし、レインフォールは中止。フォー・シップ・インバートに変更!」

「はい!」


 バタバタと準備が進み、ギリギリの天候の下であるが展示飛行が行われる事になった。

 どうか無事に終わりますようにと、私は強く祈る。


 会場では多くのファンたちが空を見上げ、今か今かとその時を待ち望んでいた。


「ブルー飛ぶって!」

「本当! 嬉しいー」


 そんな声が聞こえてきた。彼らの声に私たちは支えられている。

 あとはライダーたちか魅せる番。


 遠くからゴーと言う音が聞こえ、目を凝らすと四機のブルーインパルスがダイヤモンド隊形で進入してきた。


「来た! 来た! 見てー、ブルーインパルス来たよ」


 会場では歓声が湧く。

 その隣で私も彼らを見上げた。白と青の機体は曇空にも負けていなかった。シューと音をたてて大空を駆け抜ける。


「おー!」


 歓声が湧いた。

 続いて、五番機と六番機が並列して進入。まもなくして大きく二手に別れた。タッククロスに移る準備だ。

 互いが近距離で交差する技は、わずかな狂いが衝突を呼びかねない。空は雲で真っ白だ。互いの距離感の相違リスクがなによりも怖い。


(無理はしないでっ、お願い!)


 気づけば私は、そんな事を心の中で叫んでいた。


「カッケー! マジでやばいって。近ぇし、鳥肌立つ」

「すげー、熱いって」


 若者たちがそう叫ぶ。

 五番機の沖田さんと六番機の相田さんは息がピッタリだった。私の心配を見事に吹き飛ばしてくれた。

 よかったと安堵し、握りしめた拳を開くと爪の後が残っている。不思議と手汗が止まらない、膝が小さく体が震える。

 私はこの日、初めて武者震いを体感した。


(まるで自分が乗ってたみたい……!)


『俺が乗せてやるよ』


 そうか、こう言う事だったのかもしれない。見ているだけで自分が飛んでいるような錯覚が起きた。私は彼らに、沖田さんにあの空へ連れて行ってもらったんだ。

 最後に本日メインのフォー・シップ・インバート。背面飛行は高度な技術が必要となる技だ。天井が入れ替わるのだから、技術だけでなく体にもとても負荷がかかる。


 再び四機がダイヤモンド隊形で進入してきた。そして、クルンと180度横転。私たちの頭上を背面で横切った。


「逆さまやん! すげー!」

「かっこいい!」


 これで本日の展示飛行は終了。

 いつもより早めに短めに展示飛行は終わった。まだ見たいとざわめく人々。しかし、これ以上は危険だ。

 最後に六機が縦列に並んで現れた。彼らは最寄りに航空自衛隊の基地に帰投する。そのブルーインパルスの背が空に並んだとき


「見てぇ! あれっ」

「キャー、嬉しい。バイバーイ」


 お客様が跳び上がりながら両手を空に向けて大きく振る。

 その理由はバイバイウィング。

 翼を大きく右へ左へと傾けて、観客たちに別れを告げる合図。

 まさにバイバイと手を振っているように見えるのだ。


「大友隊長って、粋な人」


 私も彼らの背中に手を振った。

 私は彼らと共に飛んでいる。ときに空回りはするけれど、しっかりとブルーインパルスのシッポを務めたい。

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