第15話 不器用で優しいツバメさん
部屋に戻ってきた私は、制服から普段着に着替えるためクローゼットを開けた。初めて彼の部屋にお邪魔するのに、部屋着はなしだろう。だからといって、お出かけするような服もどうかと思う。
どうしようかと、ハンガーにかかったふくと睨めっこしている。
「ん? 私、汗かいてよね。やだ、シャワー浴びてから行こうかな」
これでも一応へ乙女なのだ。やっぱり好きな人の前では清潔でいたいし、可愛くありたいと思ってしまう。私はカジュアルな服を選んで、シャワールームに駆け込んだ。
きちんと丁寧に浴びたつもりなのに、十分しか経っていなかった。この異様な素早さは職業病だと言えるかもしれない。別にもう抜き打ちで
一人で突っ込んで一人で苦笑いをしてしまう。
最後にもう一度、鏡の前で身なりを確認した。
「胸、ざんねーん」
鹿島先輩のような体のラインが欲しいと思ってしまうなんて。こんなことは、初めてだ。好きな人ができると、自分のことが嫌いになる。だって私の体、ぜんぜん女性らしくないんだもの。
「ダメダメ……胸より体力! 筋肉をつけないとっ」
乙女心を頭の中で打ち消して、ひとつ上の階の沖田さんの部屋に向かった。
◇
「入って」
「おじゃまします」
こうやって沖田さんの部屋を訪れる日がくるなんて、過去の私は想像していなかったと思う。
単身者の部屋の間取りは同じはずなのに、住む人が違うだけでまったく違って見える。どこまで見ていいのか、見てはいけないのか少し困る。
(じろじろ見ちゃだめ……でも、見てしまうの。だって、彼の部屋だよ。見たいよね)
男性の部屋らしくとてもシンプルで、無駄のない部屋の風景が自衛官らしいと言うか、感心するほどに整理整頓されていた。
(なんだろう。私たちって、おかしいくらいに病的よね)
「天衣、何で笑ってるんだよ」
「ん? いや、キレイな部屋だなと思って」
「笑うことじゃないだろ」
「自衛官って、プライベートも自衛官なんだなって思ったの」
沖田さんは意味が分からないと言った様子で、首を傾げながらキッチンに入っていった。
そっとキッチンの様子をうかがうと、パスタ、サラダ、スープができあがっていた。
「うそ!」
「うおっ……なんだよ。びっくりするだろ」
「え! だって、それ作ったのよね? 全部?」
「そうだけど」
自炊ができるのも自衛官らしい一つかもしれない。でも、イタリアンなんて習ってない。しかもこんな短時間でさらりと作ってしまうあたり、手慣れている。
驚く私に、沖田さんは「飯はちゃんと食え」と言って、たくさんよそってくれた。
それはもう、とっても美味しかった。
「片付けはやります。させて下さい」
「別にいいのに」
「私がよくないから」
「じゃあ、頼む」
彼女らしいところを見せるなんてほど遠い気がしてきた。せめて、せめて洗い物くらいはと手をあげた。
私が食器を洗っている間、沖田さんはカウンターに頬づえついて私の手元を見ている。間違えたやり方はしてないと思うけれど、ちょっとやりづらい。
「あの、シャワー浴びてきてはどうですか?」
「え!」
私が何気にそう言うと沖田さんは驚いて目を見開いた。
「気にしないで行って来てください。私は来る前に浴びてきましたから」
「マジか……」
「え?」
「いや。じゃあ浴びてくる。あと、よろしく」
「はい」
(なぜ、マジか……なんだろう)
私は洗い物を終わらせると、病院から出された薬を飲んだ。沖田さんが戻るまでは、ソファーに座って待たせてもらうことにした。
座りが心地のよいソファーだから? 何だかとても眠くなる。他人の家で眠くなるなんて、あり得ない。
まぶたの重みに耐えられなくなって目を閉じた。
(ちょっと、だけ……)
「天衣? おい、具合悪いのか」
「ん……あっ、沖田さん」
「まだ沖田さんかよ」
「千斗星、さん?」
沖田さんは小さく溜息をついて私の隣にポ座った。そして、彼は私の肩を抱き寄せる。沖田さんの肩に私は頭を預けたような態勢になっていた。
お風呂上がりで少し体温の高い彼は、まだ肌寒いこの季節にちょうどいいくらいだった。
(わたし、彼女みたい……)
「ところで、病院ではなんて?」
「あのね、詳しい結果は一週間後だって。もしかしたら溶血性貧血かもしれない」
「溶血性て、なんだよそれ」
わたし自身もいまいちよく分かっていないけれど、医師から言われたことをそのまま話した。沖田さんは聞いている間、ずっと難しい顔をしている。
ときどき、私の肩を抱く手に力が入った。
「でもまだ、分からないの」
「心配するなよ。天衣はそんなのにならない」
「ありがとう。でも、もしそうならパイロットは諦める。もともと今のままじゃ、女性は戦闘機に乗れないし」
今の日本では、まだ女性が戦闘機パイロットになることご認められていない。理由は母体保護の観念からだ。しかし、輸送機やヘリコプターなど後方支援では、すでに女性パイロットが活躍している。
自分でそう言っておきながら、とても惨めな気分になった。なぜならば、自衛官なら誰でも知っている事だから。私の
「わたし、わがままで無知で、単なるの無鉄砲なの」
「そんな風に言うなよ。時代と共に変わるんだよ。天衣が戦闘機のコックピットに座る日だってそう遠くない。諦めるなよ」
「でも」
「俺が乗せてやるって言っただろ」
沖田さんはとても優しい声で、私を慰めるようにそう言う。彼は私の頬をなで流れた髪を耳に掛けて、露わになった耳にキスをくれた。
「んっ」
耳にキスなんて、されたことがない。ゾクゾクと全身が粟立った。鳥肌でもない、痺れでもない初めての感覚。彼のキスはそれだけでは終わらなかった。
彼の唇は私の額や鼻先にキスをして、そして唇に降りてきた。
(これって、大人のキス?)
私は不思議な心地に抱かれて、されるがまま受け入れていた。
「天衣は覚悟、できてんの?」
「かくご?」
「シャワーまで浴びて、準備万端の状態で男の部屋に来たんだ。それなりの覚悟はあるのかって聞いてる」
「あっ」
(そ、そうよね。そうだよね。私、バカだからあんまり考えてなかった)
ましてや恋人になったばかりの状況で、キスだけで終わるはずがない。でも、経験こそないけれど好きな人とならそうなっていいと思ってる。覚悟はなかったけれど、それに関しては問題ない。
(男女の関係に、ならないとおかしいんだよ!)
「ぶっ。くくっ、ははは」
「えっ?」
沖田さんはとうとう笑い出してしまった。
「ごめん。そんなに考え込むなって。病み上がりの天衣を抱くなんて、俺、そこまで鬼畜じゃないから。だから、怯えるな」
最初は笑っていたくせに、最後はとても優しい。そんな彼の言動は、私の胸の奥をキュッと締めつける。言い方は冷たい時がある。でも、彼は人の心にとても敏感な人かもしれない。
そしてそれを表に出せない、不器用な人。
「怖く、ないよ。私、いつでも大丈夫だから。千斗星となら、そうなっていいよ」
彼の腕の中、彼の匂いに包まれると安心する。だから、男と女の関係になっていい。なりたいと思う。
私は顔を上げて、彼の瞳を見つめながらそう言った。
「天衣」
熱を孕んだ男の
「その気持ちだけで、今日は我慢する」
「どうして?」
「天衣の体調が、完全に戻るまで我慢する」
「沖っ、千斗星」
「なまえ、早く慣れろよ」
沖田さんはもう一度、優しく私を抱きしめた。彼の心臓の音がする。少し速かった。
「検査結果の日。俺も行く」
「それはっ」
「休暇取らないとまずいんだ。いいだろ? それとも俺と一緒は嫌なのか」
「嫌じゃないよ。嬉しいよ」
「じゃあ決まりだ。俺が天衣の付き添いな」
「うん」
五番機のツバメさんは、想像していた以上に優しい人だった。
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