第12話 シッポがないと落ちてしまう!?
医師からは疲労と貧血症を起こしていたと告げられた。倒れた時の状況から、再検査を勧められる。ただの鉄欠乏性貧血でないかも知れないとも医師は言った。
「え、私そんなに悪いんですか!」
「まだ分かりませんが、簡易検査では数値が基準をかなり下回っていました。今回のようにまた、突然倒れることもあり得ます」
「そうですか。分かりました。上司と相談します」
急にたくさんの不安が襲ってきて、私は病室で色々なことを考えていた。どうしよう。もし、単なる貧血ではなかったら飛行機になんて乗れない。
もしかしたら戦闘機乗りは諦めろと言う、神様からの通告なのかもしれない。
窓を開けるといつもの轟音が聞こえてくる。騒音なのに聞いているだけで少し落ち着くのは、私も空自の一員となったからだろうか。
「香川さんっ」
「はい」
振り向くと、鹿島さんが病室の入り口に立っていた。
「大丈夫? 今、退院手続きしてもらってるから。驚いたわ、沖田くんから電話があるんだもん」
「ご迷惑おかけしました」
「気にしない、気にしない。先ずはしっかり治す事。これから展示飛行のシーズンに入るのよ。早く治さなきゃ、ねっ」
「はい」
鹿島さんは自衛官とは思わせない柔らかい雰囲気を持った女性だ。
不思議と彼女の顔を見るとほっとする。
「香川」
「わっ! 塚田室長までっ、本当に申し分けございません」
「何を謝っている。上司が来るのは当たり前だろう。親御さんから預った大事な身体なんだ」
「ありがとうございます」
松島基地にも医務室はある。しかし今回の様なケースは医務室での対応は困難と判断し、救急車を呼んだそうだ。そのため、一般の病院に運ばれたのだ。
「医師から聞いたよ。週明けに
「はい!」
そう。まだ諦めてはいけない。
(弱気になるな! 香川天衣!)
退院手続が終わり、薬局で薬を処方してもらって官舎に戻った。室長からは翌週の検査が終わるまで休養するようにと告げられた。
「いろいろと、すみませんでした」
「ずっと寝ていろとは言わないが、安静にしていろよ。何かあったら遠慮なく言え。分かったな」
「はい。ありがとうございます」
室長が帰ったあと、私はどう過ごそうか考えた。親への報告はどうしよう。今度の検査が終わってからでいいよね。ただでさえ、自衛隊にいるという事だけで心配をかけているのだから。
◇
遠くで、ゴーと言うジェットエンジンの音が聞こえた。私はゆっくり目を開ける。病院から帰ってから、ずっと寝ていたようだ。部屋のカーテンの隙間からは茜色の陽が射し込み、夕方になった事を告げていた。
「寝すぎた」
気怠い体を起こすと、ほんの少し眩暈がした。私は病院からもらった薬を手に取りキッチンに向かう。コップに水を注いでそれを喉の奥に流し込んだ。
そのタイミングで、玄関の呼び鈴がなる。
ピンポーン♫
「誰だろう……」
時計は夕方の六時をさしている。心配して鹿島さんが様子を見に来たのかもしれない。私は、玄関に降り、ドアをそっと開けた。
「アイちゃん! 大丈夫か!」
「八神さん」
ドアを開けて、立っていたのは鹿島さんではなく八神さんだった。基地から直行してくれたのか、八神さんはまだ制服のままだった。
「アイちゃん、ごめん。俺が無理に誘ったから」
「え、違っ。違いますよ! 八神さんのせいではありません。私自身も気づかなくて。これは単なる自己管理不足ですから」
八神さんにいつもの軽さはなく、本当に心配してくれている事が分かった。眉は下がりっぱなし、声も元気がない。きっと今日一日、自分のせいだと責めていたのかもしれない。
「気づいてやるべきだったよ。アイちゃんと手を繋いだ時、熱かったんだ。けど、女の子だから男とは違うんだって思い込んでて」
「八神さん。この通り、私は生きています。そんな顔しないでください。八神さんらしくないですよ」
「アイちゃん……!」
「うわっ!」
八神さんのたくましい胸に捕らえられてしまった。私の右肩に八神さん顔が埋まっていて、ちょっとだけいい匂いがした。
(え、え……抱きつかれてる⁉︎)
「ちょっと。や、八神さん。離してください」
「ごめん。俺っ」
「あの、ここ……実は外から丸見えです」
私はとっさに色気もない声で、八神さんの抱擁を解こうとした。
八神さんはようやく冷静を取り戻したのか、「ごめん」と言って離れてくれた。こんなことされたら、余計に具合が悪くなりそう。心臓に悪い。
八神さんは私には本当にレベルが高すぎる。
「ほんとごめん。でも、顔をどうしても見たかったんだ。俺、もう帰るから。早く元気になって」
「はい。ありがとうございます」
八神さんはいつもの爽やかな笑顔を私に零し、自分の部屋に帰って行った。その後ろ姿を見つめながら、なんで部屋がバレたんだろうとそっちが気になって仕方がない。
でも、誰かに心配されるのは幸せな事だと思う。それが、自分の好きな人からだったらどんなに嬉しいだろう?
(私の好きな人って、誰よ)
『俺が乗せてやるよ』
沖田さんの言葉が蘇る。彼はどうして、私の手を握ったの。怒ったり、優しくしてくれたり、彼の気持ちが分からない。だけど、彼のことを考えるとどうしも胸の奥が疼いてしまう。
私は八神さんが帰った後も部屋には入らず、ぼんやりと外を眺めていた。頭の中はどうしてとか、なんでという沖田さんへの疑問でいっぱいだった。
だから、声をかけられるまで気づかなかった。
「おい」
振り返ると、ビニール袋を下げた沖田さんが立っている。
「沖田さん!」
「起きてて大丈夫なのか? それとも誰かを待っていた、とか」
「いえ、誰も来ませんよ。あの! 昨夜はありがとうございました!」
夕べ、救急車を呼び私が落ち着くまで付き添ってくれたのは彼だ。私は感謝と申し訳なさで深く頭を下げた。
沖田さんはやっぱり今日も少し不機嫌な表情をしている。私はいつも彼を不愉快にさせているみたい。さすがに、ちょっとヘコむ。
「これ」
沖田さんは手にしていた袋を私にさし出した。
「え?」
驚いてなかなか受け取らない私に、彼は溜息を吐いて、袋の中身を見せてくれた。
「あ、これ」
「まだ、買い物に出るのは辛いだろ。だから、これやるよ」
袋の中にはレトルトのお粥、おにぎり、ゼリー、冷凍のおかず、プリン、サンドイッチ、それにスポーツドリンクなどがたくさん入っていた。
「お幾らですか? 私、払います」
「要らない」
「でもっ」
沖田さんは「ほら」と私の手に無理やり袋を握らせる。私はそんな彼に対する感情が分からなくなって、だんだんと胸の奥が苦しくなった。軽い目眩がしてドアに寄りかかる。まだ、ぜんぜん体調は戻っていないみたい。
「香川っ」
咄嗟に沖田さんが倒れないように支えてくれた。
「ごめんなさい」
「まだ、安静が必要なんだろ。飯も食ってないんじゃないか。点滴だけじゃもたないぞ。中いいか?」
「なか?」
彼は私の返事も待たずに、私の肩を抱くようにして部屋の中に入った。沖田さんが触れている場所に全神経が集中しちゃって、私はますます体のコントロールができなくなっていた。
《私ってば、八神さんの時とは全然違う反応をするんだから)
彼は私をソファーまで運んでくれた。
「あのっ」
「悪い、勝手に。けど、また倒れたら怪我だけじゃ済まなくなりそうだから」
「心配、してくれるんですか」
私は一体、彼に何を確認しようとしているのか。ただ、自分の思考がいつもと少し違うのは分かっている。
「すみません。そうだったら、嬉しいなって」
急に気まずくなって俯いた。自分の膝を見つめながら、ばかな事を聞いてしまったと後悔をした。
すると、私の上に沖田さんの影が落ちてきてトンと頭に重みを感じた。
それは、手のひらの感覚だった。沖田さんの手が私の頭に触れている。
「らしくない君が、心配なんだ。いつも賑やかに、必死で俺たちの後ろを着いてくる姿がないと、調子が狂う。動物はさ、シッポが無いとバランスが取れなくなるんだ。君がいないと墜落するかもしれない」
「そんな事っ! だめです。あってはなりません!」
墜落という言葉についカッとなって顔を上げて叫んだ。冗談でもそんな事、絶対に言わないでほしいから。
「香川」
沖田さんの声がさっきより近くで聞こえて、その後は視界が遮られた。
それは、私のことを沖田さんが包み込んでいるからだ。私は沖田さんに抱きしめられている。
沖田さんの体温は、とても、心地がよかった。
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