第11話 俺が乗せてやる
顎を下から持ち上げられたら何も言えない。
何も言えないだけではない。目を逸らすことも、逃げることも振り払うことも不思議とできなかった。
ただ、非常に不機嫌な沖田さんが私を見下ろしている。不機嫌なのに双眸は美しく、黒目は小さく揺れていた。
さっきまでザワザワしていた気持ちが、ドクドクという心臓の音で掻き消される。
「君はバカなのか」
「……」
「俺は言ったはずだ。八神さんは君に手に負えるような男じゃないと。それとも君の方がやり手なのか? パイロットに志願して試験まで受けたくらいだもんな。八神さんと上手くやれば優遇してもらえるかもしれないよな」
沖田さんはとんでもないことを私に言った。
私が八神さんに取り入って、パイロットの資格を取ろうとしていると、言いたいのだ。
「あの人はいずれ飛行教導群に行く人だよ。そして、さらに上に立つ立場になると思う。本当に君には感心するよ」
つまり、戦闘機パイロットのエリート集団という事だ。
とても皮肉めいた言い方なのに、なぜか寂しそうに聞こえる。
彼は言いたい事を言い終えたのか、顎に添えた手を外し即座に私に背を向けた。
(なんなの! この人!)
私は苛立ちと怒りがこみ上げた。勝手に私のことを推し量ったからだ。
「ちょっといったい、何なんですか!」
廊下に響き渡る声で私は抗議の意を込めて叫んだ。背を向けた沖田さんは微かに肩を揺らして立ち止まった。
「八神さんとお食事に行きましたが、先輩と後輩と言う立場でした。私に下心があるような言い方しないで下さい。そこまでして私はパイロットになりたくない!」
私がそう言うと、彼は勢い良く振り返った。
「それが甘いんだよ! どんな手を使ってでもなりたいって、君は思わないのか! エースパイロットになるには技術だけじゃダメなんだ。どこの出身なのか、親は誰なのかで簡単に左右される。本気なら、利用できるものはとことん利用するものだろ!」
「ちょっと待って下さい。沖田さんの言っていることが理解できません。そう思っているなら、どうして私に忠告するんですか」
沖田さんは片方の眉をつり上げて、顔を私から逸らした。言っていることがめちゃくちゃ過ぎる。心配してくれたのかと思いきや、八神さんを利用してパイロットになろうとしているとか。
私が違うと否定をすると、パイロットへの思いはその程度なのかと罵る。
「いったい、何が……言いたい、の、です……か」
急に感情をたかぶらせたせいか、私の体は脱力してしまった。地面に膝をぶつける鈍い音がした。痛いと言う感覚よりも、気怠いが勝っていた。
私はいったいどうしたのだろう。
「おい! 香川っ、香川!」
立ち上がらないと、沖田さんが怒っている。あれ、停電なの? 真っ暗で、なにも、見えな――
◇
「あれ?」
気がつくと私はベッドで寝ていた。
沖田さんと部屋の前で話したのは覚えている。でも、その後はどうなったのか全然思い出せない。
酔っ払っていたのかな、いや、お酒はそんなに飲んでいない。
薄暗い部屋を見渡すとベッドの四方はカーテンで囲われており機械音が聞こえた。明らかに私の部屋ではないと分かる。
ピッ、ピッ、ピッ……
「え! ここ病院!」
見れば私の腕は点滴で繋がれていた。胸は心電図を測るものだろうか。私は機械に繋がれていた。
「香川」
「ひっ」
誰かが私の名前を呼んだ。目を向けると、カーテンが小さく揺れて、誰かが入ってきた。
「香川、目が覚めたか」
現れたのは沖田さんだった。
「沖田さん? あの、これっ。どうして?」
「君は倒れたんだ。それで病院に運んだ。明日の朝には帰れるそうだ」
「私、倒れたんですか! どうして」
「詳しくは明日、医師から話があるよ。俺は、身内ではないから説明されなかった。自分でしっかり聞いてくれて」
「すみませんでした。ご迷惑を、お掛けしました」
「いや」
ここが病院だからなのか、私が病人だからなのか、沖田さんはとても静かに話してくれた。
「ここ、座るな」
ベッドの横にあったパイプ椅子に静かに座ると、私の顔をじっと見た。この風景はなんだか、落ち着かない。
「もう、帰られた方が。明日も訓練ありますよね」
「君が気にする事じゃないだろ。自己管理はできているつもりだ」
「あ、すみません」
「いや、そう言うつもりじゃっ」
沖田さんはその後、黙り込んでしまった。
でも、帰ろうとはしなかった。そばに付いていてくれることは心強いけれど、相手が沖田さんだとどうしたらよいか分からない。
私はポタポタと落ちる点滴をじぃっと見る事で、自分の感情を誤魔化そうとした。こんな狭い空間に沖田さんと二人だなんて、血圧が上がりそう。
そんなことを考えていると、布が擦れる音がした。次の瞬間、沖田さんが私の手を握ってきたのだ。
(えっ、えっ!)
びっくりしすぎで、思わず手を引っ込めた。それでも彼は構うことなく、私の手を握りしめた。さっきよりもぎゅっと、力を入れて。
「おっ、沖田さん」
「君は危なっかし過ぎる。何でも自分で抱えて、他人のために走り回って。いったいなんの徳になる?
沖田さんの言葉は私を
彼がどうしてそんなことを言うのか分からないけれど、私は少し自分のことを話すことにした。
「私は高校二年の夏に、初めてブルーインパルスの展示飛行を見ました。美しく空を舞うあの姿に憧れて、防衛大学校を受けたんです」
「へぇ、エリートなんだな」
航空自衛隊のパイロットになるには幾つか道がある。
ひとつは高校卒業後、防衛大学校に入り幹部候補生学校を出て、飛行訓練に入る。
もうひとつは高校卒業後、航空学生として航空自衛隊に入り専門知識を学んで、飛行訓練をする。
最後は、一般大学を卒業後、幹部候補生学校に入り飛行訓練をする。
「エリートではありませんよ。結果的にこうして広報にいます。初めから配属が広報なんですよ? それは、戦闘機パイロットにはなれないと言う意味です」
そう言うと、沖田さんは私の手を更に強く握った。不思議とその握力が心地よく、ずっとそうしていて欲しいと思えた。彼の手は温かい。
「諦めたのか」
「諦めたくないけど、これが現実です。遊びじゃないですから。国を護れる技量が無いものが、コックピットに座ってはいけない」
(本当は諦めたくない! 諦めたくないけど、ダメの確率が高いんだもん!)
「俺が乗せてやるよ」
「えっ」
(今、何て? 俺が乗せてやる?)
沖田さんはそのあと静かに立ち上がった。
「ゆっくり休めよ」
労りの言葉を残して部屋を出て行った。
私の心臓はずっとかけ足状態で、胸が苦しくて、どうして彼はそんなことを言ったの。
「ぇ……ぇ?」
とうてい理解できるものではなかった。
もちろん、その夜は眠れなかった。
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