第9話 展示飛行

 五月某日山口県防府北基地。

 晴れ。気温二十七度の夏日。


 朝の爽やかな空気から徐々に気温は上がり、午前八時を過ぎた頃にはジャケットを脱ぎたくなるほど暑くなった。

 今日は私にとって公での広報活動デビューだ。


(がんばるぞ!)


 防府北基地の隊員との打合せも終わり、私たちは最終確認のためブルーインパルスのもとに向かった。松島基地から広報官として同行したのは私の他、塚田室長と鹿島さん、そして専属のカメラマンの四名。前日に支援機としてやってきた輸送機C-1に、整備士や補給員たちと一緒に乗せてもらったのだ。パイロットたちも前日に、ブルーインパルスに乗って移動。私たちはそれを展開という。


 今朝は朝早くから入念に機体のチェックを行なっていたようだ。


「大友隊長、本日は宜しくお願いいたします」


 塚田室長が挨拶をすると、全員がきおつけの姿勢から敬礼をした。動きに無駄がなくみごとなシンクロに圧倒される。


「塚田二佐。こちらこそ宜しくお願い致します!」

「宜しくお願い致します!」


 あのチャラっとした八神さんも、何を考えているのか分からない沖田さんも、この時ばかりは空気が違う。ああ、やっぱり彼も自衛官なんだと改めて感じる。


 今日の展示飛行は今年最初ということもあって、大掛かりなアクロバットはしないと聞いている。

 オープニングはT-4の航過飛行で始まり、T−7の変態飛行、F−4、F−2の機動飛行が披露される。

 機動飛行はブルーインパルスのような曲技はしない。

 主に、急旋回、360度ターン、急上昇、急降下など実戦で行う動作の披露だ。戦闘機の飛行は圧巻される。お腹に響くエンジン音、マッハで通過する時に機体が霧のような白いベールをまとう、ベイパーコーンは、人々を唸らせる。

 戦闘機だけではない。ヘリコプターや輸送機など航空自衛隊が保有する機体が空を舞う。


 そして、ブルーインパルスはプログラムの一番最後に披露することになっている。



 ◇



 いよいよその時がきた。


「では、事故の無いようお願いいたします」

「承知しています」


 全員が敬礼をしてそれぞれの配置に着く。


「香川」

「はい! 室長」

「君もタックネームを貰ったんだって? なんだったか……ああ、テールか。彼らから目を離すなよ」

「塚田室長! それをどこでっ」

「とこでもなにも松島基地中の皆が知っているぞ」

「ええ!」


(テールだなんて職務中に呼ばれたこと無いのに!)


 隣にいた鹿島さんが追い討ちをかけてくる。


「香川さんはいったい誰のテールになるのかなーって噂よ」

「ええっー」


 驚きのあまり目をを白黒させる私を塚田室長は笑い飛ばした。私が誰かの特定のシッポになることはないと思う。なったらダメだと思う!


「おい、香川。冗談だよ早く行け」

「はっ、はい!」


 私は塚田室長に敬礼をして、ブルーインパルスの後を追った。


(そんな冗談はいりません!)


 ブルーインパルスが飛行前に行うのは、来場客との交流だ。これを楽しみにしている人は非常に多い。特にブルーインパルスは男性だけではなく、女性や子どもにも人気が高い。基地の中にある販売店では、ブルーインパルスのグッズの売れ行きがとてもよいと聞いた。


「来たよー、ブルーインパルスのパイロットだ!」


 家族と来ていたお子さんが、大きな声でそう言った。

 ブルーインパルスのパイロットは展示用のフライトスーツを着ている。深い青のパイロットスーツを着て、機体番号が入ったキャップ帽を被り機体の前に並んだ。


「かっこいいー!」

「きゃー」


 ファンミーティングが始まると、それぞれのパイロットの前にファンたちが並ぶ。写真撮影やサインをもらったり、自衛隊のことを質問したりと賑やかだ。中には着ているティーシャツにサインをもらう人もいる。


(どこかのアイドルの握手会みたいね……)


 やはりと言えばよいのか、四番機の八神さんの前は特に列が長かった。この人は本当に人たらしだ。でも、ブルーインパルスにはありがたい存在かもしれない。


「すみません。順番に並んでいただけますか」


 私は押し合って転けたりしないように、列を作るようお願いをした。


 男性ファンがいちばん多かったのは、一番機の大友隊長だ。こうして見るとファン層も微妙に違っていて面白い。

 そして、リードソロの五番機を操る沖田さんに目をやる。彼は無愛想だから、あまり並んでいないんじゃないかな。私はそんなふうに思いこんでいた。


 でも――


「うっそ! 笑ってる!」


 私はその時、初めて沖田さんの笑顔を見た。

 もちろん営業スマイルだということは承知している。でも、あんなに優しく笑うことができるなんて知らない。

 それを見たら急に、胸が苦しくなった。


(心臓、痛い……)


『あと五分で切り上げ〜』


 イヤホンからまもなく終了の知らせが入った。私は痛む胸をトンとひと叩きして仕事に戻る。


「申し訳ございません。まもなくブルーインパルスは展示飛行の準備に入ります。ここまででお願いします」


 私がそう告げると、ファンたちは名残惜しそうに離れて行った。文句を言うことなく、ルールをきちんと守る姿勢は、やはりブルーインパルスのファンだなと感心した。


「沖田一尉、宜しくお願いします」

「了解」


 私がそう言うと、彼は軽く敬礼で返してくれた。そのときの彼の表情は穏やかで、優しくて、凛々しくて……。


(ええっ、まってまって)


 胸の奥にある心臓を、鷲掴みにされたみたいに痛みが走った。思わず私は制服の合わせを握りしめる。


(まただ、なんで!)


「香川、終わったか」

「はい! 全員、準備に入りました」


 ドクドクと心臓がうるさい。私は頬をバシと叩いて気合を入れた。

 あれは私に笑ったんじゃない。彼はファンに笑って見せたんだ。それに空を飛ぶのが好きだから、たまたま機嫌がよかっただけ。そう言い聞かせた。


 ―― ただいまから、ブルーインパルスの展示飛行を開始します!


 飛行前点検が終わり、いよいよ六機の機体が滑走路へと移動した。


 青く澄み渡った空を見上げると、父と行った航空祭を思い出す。あの空に舞うドルフィンは生き生きとしていて、とても楽しそうに飛ぶの。


 エンジン音を轟かせ一番機が滑走開始。離陸した瞬間に二番機、三番機そして四番機も離れた。

 離陸した四機は並列し、会場に向かって大きくターンをした。ダイヤモンドの形を取りなが、会場左手から右手へと、猛スピードで通過。


 ―― ファンブレイク


 羽が付くか付かないかの近距離で飛ぶ姿に会場から歓声が湧いた。

 そしてそのままの態勢を維持して旋回。


 ―― ダーティーターン


 四機は白い背中を会場の来場客にお披露目。その背中は太陽に反射してキラキラ光っている。


「お見事」


 まもなくして、五番機が離陸した。

 目の前を低空飛行で移動、そして会場のいちばん端で一気に機首を上げて急上昇!


 ―― ローアングルテイクオフ


 何度見ても迫力がある。その姿はとても美しく、乱れることなく真っ直ぐに上昇する。彼の腕は本当に素晴らしい。


「沖田さん、とても綺麗だよ」


 スワローと言うタックネームは誰がつけたのか。彼はその名の通り軽やかに空を舞う。


「すてき……」


 その姿を見て熱いため息が零れるのは、仕方のないことだと思う。

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