第7話 不機嫌なツバメさん
ものすごく不機嫌オーラを放った沖田さんは、無言のまま方向転換してシミュレーション室を出て行った。
シュミレーターに乗るんじゃなかったのだろうか。
彼の行動を見た相田さんと八神さんは笑っている。
「あれ? 沖田さん乗らないんですかね」
「くくっ、あいつ何やってんだよ。よし、アイちゃん、次は筋トレだ」
八神さんも相田さんも、沖田さんの様子を気にする事なくトレーニングルームに向かった。
「ここで俺たちは時間があればトレーニングをしているんだ。ほら、あそこ見て。隊長たちもいる」
「本当だ」
ここはパイロットでなくとも誰でも自由に使う事が出来る。でも、実際はパイロットの方ばかりだった。ランニングマシーンもただ走るだけでなく、マスクを装着している人もいる。
(息苦しそう)
操縦室では酸素マスクを装着しているとは言え、いつ何が起こるか分からない。
戦闘機は被弾を前提で航行する。万が一被弾すれば低酸素状態に陥り、意識を失う。
「アイちゃんも何かやってみたら?」
「え、でも」
「ほら、アレならいいでしょ」
「ベンチプレス、ですか」
「パイロットは腕、大事だよな?」
「ほらほら」なんて言って、八神さんは私の背中を押しベンチプレスマシーンの前に押しやった。本当にやらなければならないのだろうか。
チラりと八神さんを見たら、彼は期待感いっぱいの様子で頬を上げてにっこり笑う。早くと待っているのだ。
「あの、恥ずかしながら同じ重さは無理ですので軽めでお願いします」
「分かってる。ちゃんとサポートするからさ」
「お願いします」
何で私はこんな事をさせられているのか。私は仕方なく仰向けになり、ベンチプレスを両手でしっかりと握った。とりあえず一回上げてみよう。
「ふんっ!……あれ?」
「上がらないみたいだね。大丈夫?」
「まだまだっ、これからっ、です! よー」
「くくくっ」
悔しい事にピクリとも動かない。パイロットの腕や胸に筋肉が無ければ、空中でかかるGに耐えながら操縦桿を動かすことはできない。
勿論、それだけでは駄目だけれど。
「あ、ごめんごめん。ファイター使用の重さだったわ」
「なっ……もうっ! 八神さん!」
さっきからこの人にやられっぱなしで、つい声を張り上げてしまった。しまった! と思った時にはすでに遅し。私は注目の的となっていた。
「し、失礼しました!」
いくら部隊が違うとはいえ、八神さんは先輩だ。上司だと言われても文句は言えない立場の方に、私は何という口のききかたをしてしまったのか。
「ははっ。本当に君は面白いよ」
「おい、八神。おまえいい加減にしとけよ。塚田二佐から睨まれるぞ」
「はいはい。肝に銘じておきます」
橘さんが八神さんを叱った。私が騒がなければ八神さんが叱られることはなかったのに。
それにしても八神さんの「はいはい」って言い方、あまりにもぞんざいな返事ではないのか。
そのあとも私は、皆さんのトレーニングの様子を部屋の端で見学させてもらった。
余談だけどベンチプレスを上げられなかったのは、本気で悔しかったので、彼らがいない時にこっそり筋トレをしようと密かに決意をした。
塚田室長に「追いかけて」の指令を受けて、ようやく一日が終わろうとしていた。
パイロット試験に落ちた自分が、せめてパイロットに関わりたいと我がままを通して来た松島基地。
私が想像していたブルーインパルスとは違っていた。六人がそれぞれに個性をもち、どう見てもチームワークとは何かの疑問が残ってしまう。
それでも彼らは、ブルーインパルスに乗れば寸分狂いなく編隊を組んで空を舞う。
「不思議だなぁ……」
「香川さん?」
「はい!」
どうやら私は勤務報告書を書こうとしたまま、ぼんやりしていたようだ。鹿島さんが心配をして声を掛けて下さった。
「大丈夫? 初日だから疲れたでしょ? それ、終わったら帰っていいそうよ。後で室長室に寄ってね」
「はい」
鹿島さんのお姉さん笑顔に癒されて、私はようやく手を動かすことができた。
「香川天衣、帰ります!」
広報室を後にして、私は徒歩五分の官舎に足を向けた。
◇
ただ真っ直ぐ帰るのはつまらない。微々たる距離だけれど、沿岸沿いの小道を歩いて帰る事にした。
ようやくこの辺りも春らしくなってきたようで、潮風が頬を刺すと感覚から撫でるに変わってきた。
空気を思い切り吸い込んだとき、タッ、タッ、タッ 、と一定のリズムを奏でながらで誰かが後ろから迫ってきた。
邪魔にならないように脇に避けると、一人の自衛官がジョギングをしているのだと思った。この辺りを一般の人が走ることは少ないので、勝手に同じ基地の誰かだと予測したのだ。振り返って、近づくその人の姿を見て私の心臓はドキッとした。
「沖田、さん?」
黒のスウェットに白いスニーカーで走る姿は軽やかだ。この人が自衛官でしかもパイロットだなんて誰が思うだろうか。
髪は短髪の自然な黒髪で、それがまた胸キュンのポイントになっている。
(え? 胸キュン? いやいや、それはない)
私の横を走り過ぎる彼の横顔は、ずるいくらいに爽やかで、伝い落ちる汗さえも美しく感じる。
私はぽかんと口を開けたままその背中を見送った。
(ドラマのワンシーンみたい……あはは)
緩いカーブを曲がって、あとは一直線に官舎に向かうだけとなった。日が暮れ始めてあたりが物寂しくなり始めていた。
「おい」
「……え?」
さすがに心細くなったので急ぎ足で帰っていると声をかけられた。
おそるおそる振り向くと、そこには先ほど走り去った沖田さんがいた。首からタオルを下げて、基地と一般道を区切るフェンスに寄りかかっている。
(わぁ……スポーツメーカーのCMみたい)
「沖田さん。お疲れ様です」
「いま帰り?」
「はい」
彼は相変わらず不機嫌そうな表情で私をる。せっかく端正な顔だちをしているのだから愛想笑いでもいいから、ちょっと見せて欲しい。
これは広報官としてのお願いだ。
「八神さんには気をつけた方がいい」
「どういうことですか?」
「言っただろ。俺たちは毎日プレッシャーの中で生きているんだ。何でも言う事を聞く、ケツの軽い女はすぐに食われる。そして、腹いっぱいになったら捨てられる」
「ちょ! 私は、ケツの軽い女ではありません!」
そのひどい物言いに、ついカッとなって大声で反論してしまった。沖田さんは驚いたのか、ほんの一瞬だけ目を見開いた。
でもすぐに目は細められ、冷たい表情に逆戻り。私の前までやってきて、私を見下ろした。
(うわ……怒らせた)
私は目を合わせることができず、俯いたまま彼が何か言うのを待った。すると彼の影がスッと落ちてきて、敵を射るような冷たい視線で私の顔を覗き込んだ。
(ちっ、かー‼︎)
「君はさ、何がしたいの?」
「なにがって、なんですか」
「パイロットの彼女になりに来たの。それともパイロットになりたくて来たのどっち……」
「何ですかその質問。私は、広報官として着任しました。それだけです!」
あまりにも不躾な質問に腹が立ち、階級の違いなんてすっかり忘れ、ここでも強く言い返してしまった。
沖田さんは眉をぐわんと歪めてゆっくりと口を開く。
「きみは……」
でも、途中で口を閉じてしまった。
「あの、沖田さん」
「いや。もういいよ。呼び止めて悪かったね」
沖田さんは私に背を向けて官舎に戻って行った。彼は私に何を言おうとしていたのだろう。
ただ、私を見ていた瞳が少しだけ揺れていた。
空ではあんなに楽しそうに舞うのに、どうして陸だと苦しそうなの?
沖田
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