第6話 四番機には気をつけろ

 とりあえず私は、八神さんと相田さんのトレーニングを見学させてもらうことにした。

 途中、シミュレーター使用許可をもらうために管理室に寄る。私は廊下で待機することにした。


「第11飛行隊、ブルーインパルス八神真司入ります!」

「同じく第11飛行隊、ブルーインパルス相田翔入ります!」


 二人は、さっきまでとはがらりと雰囲気を変えてきた。砕けた、ちゃらい雰囲気を醸し出していた人たちとは別人だ。

 縦社会である自衛隊は入退室もとても厳しく言われている。声の大きさや滑舌が悪いと何度もやり直しをさせられるし、ドアをノックする回数まで決められている。


「帰ります!」


 しばらくすると二人が出てきた。


「いこうか」


 八神さんは、廊下で待つ私にに爽やかな笑顔を向けて、またいつもの彼に戻る。

 きっと八神さんに泣かされた人は、このギャップにやられてしまったのだろうと勝手に想像した。なぜならば女子はギャップに弱いからだ。


(私? 私は大丈夫です! たぶん!」



 ◇



 フライトシミュレーター室に入ると、二人は無言で準備を始めた。最初に相田さんが乗るようだ。

 ヘルメットを着用しシートに座ると自動的に座席が動き、ボックスになったシミュレーターの中に入って行った。私はこんな立派なシミュレーターを使った事がない。

 当たり前だ。私はまだTR(訓練中)にさえなっていない。適正検査に合格した事をいいことに、調子に乗ってパイロット試験を受けた。そんな自分と彼らは見ている世界が違う。ブルーインパルスとして毎日訓練する彼らの姿を見ていると、自分がとても恥ずかしくなる。

 なんて勘違いも甚だしいことしたんだろう。つい溜息を漏らしてしまう。


「アイちゃん。もう飽きちゃった?」

「いいえ! 少々自分に呆れていただけです」

「は? どういう事」


 訓練中の相田さんの映像を見ながら、自分が感じたことを八神さんに話した。彼はきっと笑い飛ばす、そう思っていた。でも、違った。


「それは、やっと君が成長し始めた証拠だよ」


 そう真剣な顔で言われた。

 八神さんのそんな表情を初めて見た。そうか、コックピットに座っている時の彼は、きっとこんな顔をしているんだ。


「人間としての成長でしょうか。パイロットとしての成長はまだまだ先かな。もしかしたら無いかもしれません。現にこうして広報という立場で着任しましたから」


 私はシミュレーター画面から目を離すことなくそう言った。情けない事に泣きそうだったからだ。

 自分でも強がりでここまで来たことを理解している。戦闘機パイロットになれるのはほんの一握り、才能と技術がモノを言う世界だ。どんなにやる気と根性があったってなれないもは、なれない。


「そうだな。そう君が思うなら、そうなんだろうね」


 八神さんの言葉が胸にささる。

 相田さんのトレーニングが終わったら、今度は八神さんが入れ替わりでシミュレーターに乗り込んだ。

 彼のその横顔はいつものチャラけた顔ではなかった。戦闘機パイロット、そのものだ。


「お疲れ様です」

「どう? 香川さんから見た僕のドルフィンは」

「失礼を承知で言わせて頂きますが、動きがとても細やかですばしっこいです。低空飛行であの回数ロールする方はあまり見たことがありません」

「へぇ、ちゃんと見てるんだね。驚いたよ。どうりで八神さんがちょっかい出すわけだ」

「はい?」


 相田さんは爽やか笑顔で私の疑念をさらりと流し、真剣な目つきで八神さんのシミュレーター画面に目を向けた。


(なんなんだここの人たちのギャップは。いちいちドキドキさせないで欲しい!)


 八神さんは四番機を操縦する。ダイヤモンド隊形では一番機の後方を追尾し、少しも乱れることなくターンをする。ほんの数センチの距離も狂わせることなく操縦するのだから、その腕は確かなものだ。


 そう言えばF-15に戻りたいと言っていた。別名イーグルは、ミサイルを抱えて飛ぶ正真正銘の戦闘機だ。二十四時間アラート待機して、スクランブルに備える空の戦士。

 ※スクランブル:緊急発進の意。領空侵犯する恐れのある機体に対処するための出動の事。


「八神さんのフライト、どう思います?」

「え?」

「香川さんの目はけっこう当たってるから」

「見たままですよ? 八神さんのフライトは鋭くて槍のように見えます。ぶれることなくターゲットを刺す。そんな感じです」

「なるほど。同じ動作をしても僕のとは違うんだね」

「そうですね。データの飛行筋だけだと同じ動きをしていますけど、違いますね」

「どっちが敵を刺せると思う?」

「それは……分りかねます。敵の性質にもよると思いますので」

「そっか、そうだね」


 戦闘機パイロットはお互いのことをライバル視しているようだ。相手の機動は仲間とはいえ気になるのだろう。

 そんな話をしていると、八神さんがトレーニングを終えて降りてきた。額には薄っすらと汗が滲む。

 フライトシミュレーターとはいえ、本物とほぼ変わりない造りをしている。違うのは飛行中のGが掛からないという事くらいだろうか。


「よーっし。はい、どうぞ」

「どうぞっ、て?」


 八神さんが私にヘルメットを押し付けてきた。


「乗ってみなよ、こいつに」

「はぁぁ!」


 にやにやと笑う八神さんの隣で相田さんは呆れた顔をしている。「また始まった」そんな言葉を言いたげだ。


「広報でしょ? たまにやってんじゃん、フライトシミュレーター体験ってやつ。見学者に説明できないんじゃブルーインパルス担当を名乗らないでほしいな」

「しかし、上司の許可がないとっ」

「今は俺が君の上司だよ。君、階級は?」

「さ、三尉です」

「俺は?」

「一尉、八神一尉です」

「よろしい。じゃあ乗って、俺も後ろに乗るから」

「……はい」


 仕方がなくヘルメットをかぶると、フライトシミュレーターの前席に着席した。八神さんは後部座席に座る。

 もしかして試されているのだろうか。練習機T−7には乗れたんだろう? だったらこれも同じT型だぞって。


「俺は何もしない。You have control!《お前が操縦しろ》」

「はいっ……、I have control《私が操縦します》」


 半ば強制的に私は操縦桿を握らされた。


(落ち着けば大丈夫。ついこの間、飛んだじゃない! シミュレーターじゃなく、本物に乗ったでしょ!)


「離陸します!」


 もうこうなったら、突っ込むくらいの気持ちでやるしかない。そんな私の決心を蹴散らすように、八神さんは上官らしい声色で言う。


「ローアングルテイクオフ、して」

「ええっ!」

「おい! 前を見ろ! もう一回言う。ローアングルテイクオフだ」

「そんな、できるわけが」

「返事!」

「っ、はい!」


(もう、知るかぁ! 何なのよ、何がやらせたいのよ! 私はブルーインパルスじゃない)


 ブルーインパルス。あんなにブルーインパルスに乗りたかったのに、今では怖いとすら感じる。

 ローアングルテイクオフは何度も見た。でも、実際にできるものではない。


「スピード上げろ! ちっ、やり直して」

「うっ」

「早く!」

「はい!」


(今だけ、今だけでいい。私はブルーインパルス、五番機よ!)


 操縦桿を握り直し手前に引いた。グンとシートに背中が押し付けられた。良くできたシミュレーターだと思った。本当に乗っているみたいだ。


「そのままの高度をキープ。俺の合図で機首を思い切り上げて」

「はい」


 フワッと浮く感覚までも味わえる。まだなの? 機械が高度を上げろと、けたたましい警告音を鳴らしている。


(墜落するっ)


「Now!」


 操縦桿を手前に思い切り引いた。機首が傾き天井が真っ青になった。

 今、私はどこに居るの? 上に向かっている筈なのに、落ちているような感覚におちいった。


「戻して!」


 ゆっくりと機体を戻すとすぐに八神さんから「ライトターン」と指示が来る。


(右に旋回っ、重いっ)


 あまりにも操縦に気を取られていると、機体の態勢を見失いそうになる。


(地面はどっち? 空はどこ? 計器、計器を見ないと!)


 なんとか水平をもちなおす。


「オッケー、LANDING《着陸》」

「はい!」


 時間にして十五分弱。なのにとんでもなく恐ろしかった。エンジンが停止しても指が操縦桿からなかなか離れない。


「アイちゃん、お疲れ。いいよ降りて」

「は、はい。しかし、その、手が」

「え? あー、色変わってるじゃん。ほら力抜いて」


 八神さんが座席の後ろから、私の固まった指を一本づつ外してくれた。不覚にもドキリとしてしまう。

 だって、なんだかいい匂いがするんだもの。


「ありがとうございます」

「アイちゃんはなかなか度胸があるよね。気に入ったよ」

「ありがとうございま、え?」


 ものすごい色気のある微笑みを頂いてしまった。


 ―― 4番機、危険です!


「八神さん、チェックシックスですよ」

「あ?」

 

 チェックシックスとは、自分の後方(六時の方向)を注意せよという意味だ。

 相田さんの忠告で後ろを振り返ると、超絶に不機嫌な顔をした沖田さんが立っていた。


(う、わぁ……)


 黒いオーラが見えるのは私だけだろうか……。

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