第4話 追っかけ

 五番機に乗るくらいのひとだから、もっと愛想よくて親切な人だと思っていた。

 あんな無愛想なのに、航空祭で展示飛行してるなんておかしい。

 私はモヤモヤした気持ちのまま、朝をを迎えた。


「よしっ! 気合い、気合い。頑張るぞ」


 私はめげないのが取り柄でしょ!

 鏡の前でそう言い聞かせた。ネクタイをしめて、帽子を被れば一人前の自衛官だ。私は気持ちを切り替えて家を出た。


 基地に着くと警衛所の隊員に身分証を提示して入る。新人なので早く出勤して掃除をし、給湯室を整える。先輩方が来たら、朝の一杯を出すのも仕事。

 女だからではない。ここは男女関係なく新人がする仕事だ。


 どんなに偉くなっても若い頃に叩き込まれた事は忘れない。それは私たち自衛官の特徴でもある。

 ベッドメイキングもワイシャツのアイロンがけも、防大在学中に厳しく仕込まれた。年配の男性隊員は、嫁さんより上手いんだよと自慢げに笑う。


 部隊によっては予告無しに呼集こしゅうがかり、夜中に作業服を着て集合させられることもある。だからちょっとの音でも目が覚めてしまう。起床ラッパや笛の音はちょっとしたトラウマになる人もいる。

 それでも、睡眠はしっかりと取れという矛盾の中で私たちは働いている。


「おはようございます」

「おはよう。早いね」


 早いというわりに、課業開始三十分前には全員席についていた。


 先ずは、広報官の仕事を簡単に確認する。


【対外広報】

 基地のホームページ・SNSの更新、メディアの取材対応、プレスリリースの配信、基地見学者への対応、イベントの企画・進行など他多数。


【対内広報】

 新隊員情報、イベントスケジュール、基地新聞など基地内向けの情報の配信など他多数。


 国民に親しみやすい、航空自衛隊を発信する事が私たち広報官の仕事だ。


「香川さんに室長とブルーインパルスを担当して頂きます。手が空いているときは私もサポートに回りますね」

「ありがとうございます。心強いです」

「では、室長に本日の行動確認をして来てください」


 (当たり前だけど、いきなり室長の部屋に行くのかぁ)


「香川です」

「入ってよし」

「失礼します」


 室長のデスクの前に行くと、昨日とはうってかわって上官の威厳丸出しの塚田室長が座っている。


(うん、やっぱりダンディーだ)


「よく眠れたかな」

「はい!」

「それは良かった。スクランブルは無いにしろ、二十四時間基地は動いているからね。あの轟音ごうおんの中でも眠られるなら問題ないな」


 塚田室長は穏やかに微笑みながら、今日の仕事を勿体付けて切り出してきた。


「本日の香川三尉の仕事だけれども……」


 私は背筋を伸ばして室長の言葉を待つ。


「追っかけをやってもらおうかな」

「追っかけ、ですか?」

「そう。彼らの一日を把握するために野朗のケツを追ってもらう。それが当面の君の仕事だ」

「彼らって、ブルーインパルスの事ですか」

「そうだ。でも、パイロットだけじゃないぞ。整備員、補給員も含めてブルーインパルスだ」

「はい! 承知しました!」

「イイねその眼。めげるなよ? よし、行ってこい」


 私の本心は「は? 追っかけ? なぜ?」と言う言葉がぐるぐるしている。でも、口答えはご法度だ。部下は上官が例え間違っていても、それに従わなければならない。

 でも、ブルーインパルスを担当するなら確かに彼らの一日を知る必要がある。知らずして広報官が務まるはずがないのだから。


「行って参ります!」


 私は室長室を出て、ブルーインパルスのもとへ向かった。



 ◇



「すぅー……はぁぁぁ、すぅー」


 とは言え緊張していた。深呼吸を何度かしてドアに手を掛けた。なぜこんなにドキドキするのか。それはあの憧れのブルーインパルスの皆さんがいるからだ。私の心をときめかせたあの青いフライトスーツを着た人たち。


「広報、香川です! 失礼しますっ」


 あんなに気持ちを整えてドアを開けたのに!


「誰もいないっ!」


 部屋の中は空っぽだった。いったい、どこに行ってしまったの?


(そうだ、彼らのスケジュール!)


「えっと、今の時間帯は……。MR? あっ、モーニングレポートだ」


 モーニングレポートとはその日の天候状況を把握し、フライトスケジュールの確認をする作業だ。その後、フライト準備とブリーフィングと言って飛行前のミーティングがある。


 私は急いでモーニングレポートが行われている部屋に行った。天候確認は終わったのか、ブリーフィングの真っ最中だった。


(しまった、出遅れたかな)


 ここは邪魔してはならない。私は部屋には入らず、廊下からその様子を伺うことにした。鹿島さんからもらった資料で、ドルフィンライダーたちの名前を確認した。


(一番機は飛行隊長の大友さん、ウルフ…ん? 何それ)


 1番機 飛行隊長 大友英之 ウルフ

 2番機 三井雄大 ホーネット

 3番機 橘誠 パンサー

 4番機 八神真司 サンダー

 5番機 沖田千斗星 スワロー

 6番機 相田翔 ファルコン


「これって、俗に言うタックネーム?……かっこいい」


 そう言えば八神さんが言っていた。『あの飛行見ただけで分かるんだ』って。私は五番機をみてまるでスワローだと言った。それは沖田さんのタックネームだったんだ。

 あんなにツンケンしてるのに腕は確かなのよね。でなければリードソロの五番機には乗ることはできないから。


「おい。入るのか、入らないのか」


 ひとりぶつぶつ言っていると、迷惑そうな声が耳に入った。私に言っている?


「わっ、私ですか。え? 入っても宜しいのですか」

「窓の向こうで、影がチラチラ動いていたら気が散るだろ」

「ああっ、すみません。入ります! 入ります!」


 思わず大きくなった私の声に室内の空気が止まった。


(……怖い)


 改めて小声で「入ります」と言い直して部屋の端に静かに移動した。


「ぷっ。アイちゃんおもしろ過ぎだよ。ふははっ」


 笑いだしたのは一番最初にお会いした八神さんだった。彼は四番機のパイロットだ。多少軽そうだけど、彼が乗務する四番機は非常に難しい位置を飛ぶ。例えばダイヤモンドテイクオフをすると、一番機の尾翼が視界に入るし、下手すれば噴煙を被ることになる。かなり難しいポジションだと聞いたことがある。


「なんだお前、もう名前呼びかよ。気をつけな、こいつ手も早いから」

「え、あっ。はい!」

「はい! だって。くくっ、ツボった」


 気をつけろと忠告をくださったのは三番機の橘さんだ。彼は左翼機(レフトウィング)。その隣で微笑んでいるのは二番機の三井さん。右翼機(ライトウィング)。三井さんが一番優しそうに見える。

 そして一番上座(お誕生日席)に座るのが、飛行隊長の大友さん。一番機を操る編成機(リーダー)のパイロット。少し強面なのがあのタックネームを思い出させる。正にウルフだ。

 五番機の沖田さんは何を考えているのか分からない表情で、対照的に六番機の相田さんはにこにこしながら座っている。

 今日は他の基地に出張で不在だけど、一番機を担当する隊長付がいらっしゃる。その他に数名のパイロット訓練生がいて、とにかく男だらけで息ぐるしい。


「これでブリーフィングを終わる! 乗務準備せよ」

「ラジャー」


 終始ヘラヘラしていた八神さんも真剣な顔つきになっている。

 後方席に乗る訓練生たちの表情も引き締まった。

 よく見ればみんな精悍な顔つきになり、私にもそれが伝わって背筋が伸びる。


(これがブルーインパルス……なのね)


 パイロットたちは機体が格納された場所へ移動する。途中、F−2、F−4の戦闘機パイロットとすれ違った。

 彼らも過去にブルーインパルスを経験した事がある、もしくは今後経験するかもしれない人たちだ。ブルーインパルスは全国の戦闘機パイロットの中から選抜された優秀な人材だ。基地司令の推薦であったり、本人の強い希望であったりとそれぞれだが、基本は志願制らしい。


「あーあ、俺も早くイーグルF-15に戻りたいよ」

「八神、口を慎め」

「はい、はい」


 ブルーインパルスはT−4。練習機と同じ部類に入る。そう、ブルーインパルスは戦闘機ではないのだ。

 しかし、彼らが乗るT -4は展示飛行専用の仕様となっている。私たちパイロットの卵から見たらT−4の性能は戦闘機と変わらない優秀な国産機だ。


 私は邪魔にならないように彼らの後方で、必死になってメモを取っていた。ドルフィンキーパー(整備隊)の様子も忘れずに。キーパーなしではブルーインパルスは動かない。

 それにしてもこの私の格好は動き辛い。これでは追っかけ、は難しい。


「あの、大友隊長!」


 私は思い切って手を上げた。


「なんだ」

「作業服に着替えてきても宜しいでしょうか」


「「は?」」


 全員が「おまえ、こんな時に何を言いやがるんだ」みたいな顔で私を睨んだ。


「おいおい、まさか私にもやらせて下さいなんて言うんじゃないよな」


 橘さんが眉間にシワを寄せながらそう聞いてきた。さすがにそれは、ない。


「違います! この制服では動き辛いのです。わたし、タイトスカートが苦手なんです。申し訳ありませんでした。このままで続けます」


 私の不要なお願いに格納庫内がしんとなってしまった。


(うわぁ……だめな空気だ、どうしよう)


 急に焦っていると、予想外な展開が起こった。


「うわはははははっー!」


 大友隊長が、笑っている!

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