第3話 5番機、感じ悪っ

 着任初日は各部隊へ挨拶に周り、最後に司令室へと向かった。

 本来ならば着任して直ぐに行くべき場所だけど、お忙しい司令の都合がついたのがこの時間だった。


「司令、お連れしました」


 司令なだけあって、私を案内してくださったのは鹿島さんではなく塚田室長だ。


「本日付で着任いたしました、香川天衣あいと申します!」


 背筋を伸ばして敬礼をした。私の中でここ一番の敬礼だ。

 司令は「ご苦労様です」と敬礼を返してくださった。こんなお偉い方に敬礼を返してもらえるなんて、感動してしまう。


「私がここの司令を務めます、斎藤誠一です。宜しく」

「宜しくお願い致します!」


 斎藤司令は将官クラスの方で、私のような下っ端が直接言葉を交わせるような相手ではない。恐らく、この着任挨拶が最初で最後だろうと思う。

 さらに司令は、ガチガチに緊張した私に穏やかな表情で着席を促してくださった。

 司令は防衛大学校を首席で卒業された恐ろしく優秀な方だ。まさに雲の上の存在。

 在学中は情報工学と通信工学を学ばれたそうだ。御年五十三歳。


「君が先のパイロット試験を受けたと言う、じゃじゃ馬さんか」


 デスクの上に腕を乗せ、掌を組んた姿勢で私にそう言った。


「じゃ、じゃじゃ馬……。はい、身の程知らずと反省しております」


 司令は私の言葉にふっと頬を緩める。その笑った顔にドキリとしてしまう。大人の色気がプンプンするからだ。

 塚田室長もそうだけど、ここのオジサンたちのダンディーレベルがすごい。こんなまだまだ青い私が感じるのだから、それはもう相当なもの。

 目尻に刻まれた皺は決して老化には見えず、事務方の割には体がとても引き締まっている。

 上層幹部の方々は、みなお腹がポッコリ出ていると思っていたのに。


「いや、身の程なんて知るものではない。知っては何もできないよ。君くらいの勢いがないと人間は伸びないと思っている。頼もしいな、塚田くん」

「はいっ! 私も大いに期待しているところであります」


 司令はじっと私を見つめては時々、ふっと笑みを漏らす。塚田室長もだけど、やっぱりわたし、何かおかしな所があるのではないだろうか。

 思わず身なりを確認してしまう。本来、上司の前で確認するなんてあってはならないのに。


(でも、私を見て笑うから……)


「香川くん、ライダーたちの事、宜しく頼むよ」

「は、はい!」

「くくくっ、本当に頼もしいな。未来のファイターパイロット、か」


(笑っていますけど、本当に頼りにされてる?)



 ◇



 司令室を退出する頃にはもうお昼を回っていた。


「香川、部屋は片付いたのか?」

「いえ。今朝、定期便のC -1輸送機で来ましたので」

「ははっ。輸送機で越してくるやつを初めて見たな。あれはなかなか心地が悪いだろ」

「そうでもなかったです。ちょうど知った先輩が松島に行くと仰っていたので」

「よし。じゃあこの後は官舎に戻れ。明日から通常出勤でいい」

「いいのですか」

「ああ、寝床が整わないといい仕事は出来ないからな」

「ありがとうございます」


 室長と食堂で少し遅めの昼食をいただき、私は自宅となる独身者向けの官舎に向かった。


(整理整頓、しなくっちゃ)



 ◇



 基地から徒歩五分。

 官舎は大抵が基地からとても近くにあり、出勤するのにはとても便利だ。だけれど、近すぎるのもなんだか嫌だな。休みの日も職場が見えるなんて、気分転換にならない気がする。

 いちおう民間のアパートを借りることもできるけれど、官舎は家賃が安いし、いつ転勤になるか分からない身分なので我慢するのが賢いと思うことにした。

 部屋を片付けたら、隊員が帰宅する頃を見計らって挨拶に行かなければと母から渡された『志・入浴剤セット』を見ながら荷物を解いた。


「お母さん、ありがとう」


 親から遠く離れてやっと、親の有り難みを知るなんて。子供ってなんて薄情なんだろう。

「ごめんね。お父さん、お母さん」と心の中で呟くと、じんわりと熱いものが込み上げてきた。それを、ぐっと飲み込んで部屋の片付けに集中した。

 黙々と片付け続けたお陰で、私の寝床は完成した。と言っても独り身なので大した荷物はなかった。本当ならクローゼットは洋服で溢れるのだろうけれど、普段は制服なので私服はとても少ない。

 お化粧道具も基本的なセットしか持っていない。でも、広報なので身だしなみはきちんとしなければ。


「さて、ご飯食べようかな」


 母が詰め込んでくれた食材を箱から漁り、ひとり夕飯を作って食べた。

 官舎の隣は基地だから轟音がする。一応、二重窓にはなっているけれど気休め程度にしか軽減されない。

 でも、私にとってそれは心地のよい音だった。

 ここ、松島基地は主に戦闘機F−2パイロットになりたてホヤホヤの隊員たちの訓練の場だ。有事の際や天候状況によっては、三沢基地などが代替空港として利用することもあるらしい。もしかしたら、米空軍の珍しい機体を見られるかもしれない。


「わたし、広報官で来ちゃったし……ウィングマーク取得者しか飛行群には入れない。私、本当にパイロットになれるのかなぁ」


 ものすごく不安になってきた。

 取り敢えず、ご近似さんにご挨拶して志セットを渡してしまおう。



 ―― ピーンポーン……


「いらっしゃらない? 夜勤かな」


 ―― ピーンポーン……


「ここも不在か。私の両脇はお忙しい方らしい」


 私は三階の奥から二番目の部屋だ。私の部屋の下は空き部屋と聞いていたので、上の階に向かった。


 ―― ピーンポーン…… カタッ、ガチャ


(居たっ!)


「夜分に失礼します。本日、下の階に入りました香川と申します」

「いいよ。そういうの」

「え、あ。でも、ご挨拶を」

「基地から離れたら仕事とか忘れたいから」


(なんだこの人っ!)


「そうですか、大変失礼しました」


 顔を上げると、基地から戻ったばかりなのか彼はまだ制服のままだった。

 男性も女性も同じデザインの黒の制服、白いシャツに黒いネクタイ。そこまでは同じだ。でも、つい癖で袖口や左胸、肩に目が行ってしまう。私は瞬時に判断したのだ、この人の階級を。

 恐らく、二等空尉。


「分かったならもう戻りな。ってか、この棟に女性自衛官がいるって知らせない方がいいと思うけど」

「え? どう言う意味ですか」

「ここの官舎は空きが多い、既婚者は違う棟だし。しかもギラギラした奴らばっかりだからね。気をつけな」

「ぇ……な、何に気をつけ」

「はぁ……」


 ものすごく深いため息を吐かれてしまった。ギラギラした奴らばかりだと彼は言うけれど……まさか、ここ官舎ですけど。


「日々、過酷な訓練とプレッシャーの中で戦ってるんだ。家族持ちは帰れば癒されるけど、俺たちはそうじゃない。溜まってるもん吐き出すために牙を剥くかもしれないってこと」

「あ〜」

「武道をたしなんでいたって、所詮は女。男には勝てない」

「すみません」

「いや、別に謝らせたい訳じゃ。とにかくそう言うことだ」

「はい。部屋に戻ります」

「ああ」

「あのっ、せめてお名前だけでも教えて下さい。名前も知らない先輩に叱られたなんて、惨めですから」


 私がそう言うと、彼は眉を歪めて面倒臭そうに口を開いた。


「沖田、千斗星ちとせ。二尉、一応ここのパイロット。じゃあな」


 吐き捨てるように名を名乗ると、部屋のドアを閉めてしまった。


(うわっ、感じ悪っ。愛想笑いの一つもできないなんて!)


 悔しいのが眉を歪めても彼の顔が整っていたことだ。少し伸びた前髪が眉にかかっていたけれど、覗かせる瞳は美しかった。

 切れ長の奥二重の目、筋の通った鼻、形の整った薄い唇、少し尖った耳。背も高かった。腕にはパイロット仕様の時計がはめられていた。


「あれ? オキタチトセ……って、あの沖田千斗星⁉︎」


 くしくも、今朝、私が釘付けになったブルーインパルスの五番機パイロットだ。


(めっちゃくちゃ感じ悪かったんですけどー)


 広報の仕事がとても憂鬱になってきた。

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