第2話 うん、合格だな
防衛大学校では過酷な訓練をして、それなのに当たり前に授業を受けて、放課後には部活動までやっていたりする。なんて充実すぎる学生生活だっただろうか。
そして二年時に、念願かなって空自の道へ進んだ。
あんなに嫌がっていた母も、卒業式でのあの有名な帽子を投げるシーンには胸を熱くしていたっけ。「あーんもう、私も若かったらなぁ」と言うしまつ。
卒業式で投げた帽子は、後で後輩たちが届けてくれる。あれ、結構大変なんですよ? 帽子を拾うだけではなく、どこの所属の誰のものなのか確認しなければならない。ものすごく遠くに放る先輩もいて、せめて座席付近に落としてくださいよと、愚痴ったものだ。
卒業後は幹部候補生学校で更なる知識と技術を叩き込んだ。こう見えても私は幹部なのだ。
さて、回想はここまで。
この春わたしは、晴れて航空自衛隊の基地に配属となった。それも、たっぷりの挫折感を味わいながら宮城県は松島基地に降り立った。
なぜ挫折感満載かというと、先日の
たった二時間。されど二時間。私はT−7(初級練習機)に遊ばれた。相手は機械のくせにっ、鼻でふんっと笑われた気がする。
教官からは「まあ、女で初めてのテストならあんなもんだろ」と、貶しにも励ましにもならない言葉をいただいたのは忘れない。
「ぜーったいに、合格するまで受け続けてやる!」
パイロット不合格の烙印を押された私は、それでも戦闘機に関わる部署に行きたくて、前代未聞だと言われながらも戦闘機のある基地がいいと強く主張した。
結果、松島基地にて広報の仕事を言い渡されたのだ。
「広報官って……戦闘機と関係ないじゃない!」
その時、私の愚痴をかき消すように大きな音をたてながら、ものすごい勢いでT -4が頭上を飛んで行った。
「あっ! ブルーインパルス!」
ショックのあまりすっかり忘れていたけれど、ここはブルーインパルスの基地でもある。
「キャー素敵っ、カッコいい!」
思わず我を忘れて指をさしてしまう。
私の頭上を五番機が華麗にロールしながら浮上して、遥か彼方で旋回した。そのテクニックは素晴らしく、まるでツバメが空の散歩に出かけたようだった。
「ドルフィンって聞くけど、あれはまるでスワローね」
「へぇ、あの飛行を見ただけで分かっちゃうんだ」
「え!」
突然の声に振り向くと、そこには一人の男性隊員が立っていた。ネイビーブルーのフライトスーツ、胸にウィングマーク、左上腕に白のドルフィンワッペンあり。そしてキャップにBLUEIMPULSEの文字。もしかしなくても彼は、ブルーインパルスのパイロット!
私は慌てて姿勢を正し、敬礼をした。
「本日付で着任致しました、広報担当
私の態度の変化がおかしかったのか、その人は肩を揺らしながら笑った。
彼は背が高く、手足も長い。自衛官なのにすらりとした体型だった。日に焼けた肌は黒すぎず健康的な小麦色。キャップを被っているので顔はよく見えないけれど、間違いなくイケメンだ。
「アイちゃんか。可愛い名前だね。僕は
「八神さんは、失礼ですが、その……」
「ん? ああ、いちおう一等空尉だけど八神一尉なんて呼ばないでね。そうだ、真司でいいよ」
「しんじっ⁉︎ いえ! 八神さん、と呼ばせていただきます!」
私の返答に八神さんはククッと笑うと、なぜか私の体を上から下までゆっくりと観察した。
(やだ……怖いんですけど)
「なるほど。君が一年目にして無謀にもパイロット試験を受けた女の子かぁ。もっと厳つい子かと思っていたけど。うん、合格だな」
「はい?」
私はどうも八神さんの怪しげな検査に合格してしまったらしい。しかし、こんなところで時間を潰している場合ではない。
「それでは失礼します。着任報告に行かなければならないので」
私は八神さんに礼をして、気を取り直し基地内の広報室へ向かった。
◇
ここは広報の本部ではないため、広報官はわずか数名という少人数だ。本部は東京にあり、陸海空それぞれの広報室が設置されている。
「初めまして。
「香川天衣です。宜しくお願いいたします」
「そんなに緊張しなくていいのよ。ここは肩の力を抜かないと仕事が回らない場所だから」
「肩の力を抜く、のですか?」
「ふふ。そのうち分かると思うわ。分からない事があったら気軽に聞いてくださいね」
「ありがとうございます」
鹿島さんは三期先輩だそうだけど、こんな美人さんが
私ときたら、このタイトスカートの制服が嫌いだ。だっていざという時に走りづらいでしょう?
「広報室では室長がトップになります。さあ、こちらへどうぞ」
鹿島さんは軽快にノックをして室長室へ入った。私もその後に続く。
「室長、香川さん着任です」
「おお! 待っていたよ。君がその……くくっ、先日パイロットの試験を受けた……ふふ」
「はい。香川天衣と申します。宜しくお願いいたします」
室長は笑いを堪えているのか、口を歪めた表情で自己紹介を始めた。
「
「はい。あの? 私、どこかおかしいでしょうか」
「え?……ふはははっ!」
私がそう尋ねたのがいけなかったのか、塚田室長は大きな声で笑い出してしまった。
「室長! 女性をそんなに笑うものじゃないですよ。ねえ、香川さん? 失礼だって言っていいのよ」
「え、いえ。その、私がおかしな事をしたのかもしれませんし」
「ごめん、ごめん。申し訳ない。いやぁ、見た目とヤッってることの差がすごくて驚いているんだよ」
「見た目とやっていること、ですか?」
室長は私の見た目とパイロットになりたいと言うやる気が一致しないのがツボなんだと言う。しかも、そんないきなり試験を受ける人いないよと更に笑い出すしまつ。
「しかし、やってみて損はないかと思いまして」
「だはははっ。確かにっ、くくっ。まあそのチャレンジ精神って言うのが君の良い所なのかな」
「はい。めげないのが私の取り柄です」
私がそう答えると、ゲラゲラ笑っていた室長の目がスッと細められ。しだいにそれが鋭いものに変わった。
「それが欲しかったんだ」と真顔で言う。
私の背中をゾワリとした何とも言えない感覚が走った。
「君なら彼らと上手くやれるかも知れない。期待しているよ」
「ありがとうございます」
お礼は言ったものの何か腑に落ちない。めげない私なら彼らと上手くやれるかもとは、どういう事だろうか。
(彼ら? 彼らって誰のことだろう)
室長室を後にした私は、鹿島さんに連れられて基地内を回った。ここは第4航空団に属しており管制隊、気象隊、整備隊、救難隊、警務隊がある。私が最後に案内されたのはブルーインパルス。
ここにはパイロットや整備員を含む三十数名が所属しているアクロバット専門の部隊だ。機体六機と予備機。それに対して飛行要員は一名ないし二名。
ブルーインパルスのパイロットの事を通称ドルフィンライダーと呼び、その彼らを支える整備員の事をドルフィンキーパーと呼ぶ。
チームワークが重要となる為、整備員は各機体に専属がおり、他の機体を見る事はないのだとか。
例えば、一番機の担当は他の機体は見ない。なぜならば機体それぞれに癖があり、メンテナンスの方法も違うのだそうだ。
「独特な雰囲気ですね」
「そうかもしれないわね。選びぬかれた精鋭たちがここでおよそ三年間、展示飛行の訓練をするの。その三年は他の部隊とは別物扱いだら」
「それって、彼らはアイドルやヒーローと同じ扱いをされていると言う事ですか?」
「実際はそんな扱いはしてないんだけど、そういう風に創り上げちゃったから……ま、仕方がないのよね」
「そうですか」
ここはなにやら大人の事情がありそうだ。
でも、憧れが強い世界ほど現実と理想のギャップも大きくなる。仕方のないことだと思う。
広報官は民間との架け橋となって、多くの人に自衛隊の事を理解し支持してもらうのが仕事だ。
(取り敢えずは目の前の事を頑張ろう!)
「そうそう、香川さんにはブルーインパルスを担当して貰うことになっています。頑張ってね」
「はい!……えっ、いきなりですか⁉︎」
「そうなの。室長命令なのでごめんなさい。でも、香川さん一人じゃないから安心してください」
「よかったぁ……。どなたがご指導下さるのですか?」
「ふふっ。はい、塚田室長です。心強いでしょ」
(な、なんですとぉぉぉ!)
嫌な予感がするのは私だけだろうか。なぜ、室長クラスの方がこんな下っ端を指導するのか。普通は一等級上の先輩が指導をするはずなのに。それにブルーインパルスの担当だとサラッと言われたけれど、どう考えても彼らはひと癖もふた癖もありそうなんだけど。
そう言えば、ここに来る前に八神さんと言うブルーインパルスのパイロットに会った。
『うん、合格だな』
(やだ! まさか、あそこからもう既に何かが始まっていた、とか!)
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