第8話 形の無い敵

 翌朝、改札を抜け、快速電車に乗る。学校だと言うのに、そんなことを気にしている自分はいなかった。


 電車に乗っていると、みるみる窓の外の景色が田舎のように変わっていき、3時間ほどして、ようやく俺の故郷に着いた。


 古びた駅、見渡せば海や森が見える。大きなショッピングセンターもなければ、コンビニもそこまで多くはない。人も少ないため、噂もすぐに回る。田舎という言葉がこれほどまで相応しい場所もないだろう。


「あれ? 律くんか? 冴島のところの」


 駅で1人立っていると、駅員さんの1人が話しかけてくる。俺の父親の知り合いだ。


「久しぶりだな。なんかあったのか?」

『のうのうと帰ってきたのか、親不孝者が』


 まただ。駅員さんの声と重なって、低い声が聴こえる。


「すいません、急いでいるので」


 過去に縛られている限り、俺は幻聴を聴き続ける。向き合うべき人は他にいる。


 懐かしい道を進む。平日の昼間ということもあり、人通りが少ないのは救いだった。


 2年ぶりの実家。いざここを前にすると、入るのが怖くなる。明澄が死んでから親とはロクに話していない。家を出る時も、最低限の業務連絡程度で済ませていた。なによりも、明澄の生きた証が残るこの家に入るのが怖かった。


 30分ほど、長い長い葛藤を終え、扉に手をかける。


「りっくん?」


 開けようとした瞬間、背後から声をかけられる。勢いよく振り返ると、そこには亜美先輩が立っていた。


「……帰ってきたんだね」

『どの面下げて?』


 低いが、確かに亜美先輩の声と認識できる声に寒気がする。

 幻聴だ。幻聴なのだ。自分に言い聞かせ、平常心を保つ。


「すみません、先輩には両親に会った後、会いに行くつもりでした」

「……そっか、おばさんもおじさんもまだ仕事だよ」

『娘を殺した息子に会いたいと思うの?』

「っ……!」


 その通りだ。俺が明澄を殺した。幻聴であっても、それを言われたくはない。


 だが、俺は受け入れなければ。


「先輩」

「な、なに?」


 俺が怖い顔をしていたのか、先輩は驚いたように瞬きする。


「お話があります」


 先輩は了承し、いつもの喫茶店に向かう。幻聴を聴く恐怖で道中はほとんど話せなかった。


「……昔もここで話しましたね」


 向かいあって席に着き、そう言うと、先輩の表情が曇る。だが、それは一瞬のことで、すぐに明るい顔に戻った。

 3年前、俺が明澄への好意を告げた時のことを思い出してしまったのだろう。


「先輩、この前はすいませんでした」


 数ヶ月前に先輩に会った時、幻聴を聴いた俺は気が動転し、有紗に連れられてその場を逃れた。


「ううん、大丈夫。ちょっとびっくりしちゃったけど」

『我慢せずにさっさと逃げ出せば?』


 幻聴は俺の心を読むようにそう言い放つが、聞かずに続ける。


「俺は先輩が怖かった。先輩は止めてくれたのに、止まらなかった自分を見たくなかった。俺のせいで明澄が死んだってことを認めたくなかった」

「りっくんそれは……」

「俺は未だにあの事実を受け止められてない。でも、俺は前に進まないといけないんです」


 長いこと突っかかっていた思いをようやく吐き出すと、先輩は俯き加減になる。


「あの時止めた理由は別にあるんだよ」

「え?」


 先輩は観念するように頭を上げると、目を瞑り、ゆっくり開く。


「私は明澄ちゃんにりっくんを取られたくなかった」


 予想だにしていない言葉に一瞬幻聴の可能性がよぎってしまうが、間違えなく先輩の言葉だ。


「私は明澄ちゃんがああなるなんて分からなかった。でも、2人が上手くいくのが嫌で……だから私は……ああ言ったの」


 先輩の目に涙が浮かび、表情は自嘲したように笑っている。俺には信じられないことだった。


「明澄ちゃんが亡くなった時、悲しくて堪らなかった。それなのに……安心してる自分もいたの……」


 先輩の声が震え、膝の上で強く握りしめた拳に向かって涙が落ちる。


「前に進むのはあの時手を引っ張った子のためでしょ……?」

「……そうです」

「だったら……行かないで」


 最後の声がか細いのは、先輩も迷っているからなのだろうか。


「私はりっくんが好き……! だから……行かないで!」


 先輩は震える声をなんとか保ちながら、言い放つ。先輩に逃げてしまいたくなる気持ちがないと言えば嘘になる。それでも……


「……先輩の気持ちには答えられません」


 俺は明澄を助けられなかった。悲鳴を上げてるのに、聞こえてないフリをした。俺はもう間違えるわけにはいかない。


「……そうだよね。分かってたけど……いざ言われると……悲しいもんだね」


 先輩はそう言って笑うが、今にもまた泣き出しそうな顔をしていた。俺ももう少し気が緩めば泣いてしまいそうな気がした。


「今やらないといけないことが終わったら、もう一度帰ってきます。その時はまた話しましょう。今度は、たわいのない話を」

「うん……」


 先輩は無理矢理作ったような笑顔を見せる。

 俺は店を出て、駅に向かう。

 これから親に会うというのは少々荷が重かった。亜美先輩との会話に思いのほか疲れてしまったようだ。

 なによりも一刻も早く有紗のもとに行かないと行けない気がした。



「ありがとう、霞。準備しておく」


 電話を切り、ベッドに座りこむ。隣の部屋に母親がいる。今日は彼氏が来る予定だったと思うが、やけに静かだ。


「ようやく、私の日常が帰ってくる」


 この日々の終わりの到来にかつてなく私の胸は高鳴っていた。

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