第7話 亡霊を操る女

 幼い頃から他人の視点に立って物事を考えるのが好きだった。他人の存在が好きだった。


 どうしてこんな簡単なことが分からないのか、どうしてこんな単純なことができないのか、不可解だった。


 他人の視点に立って、その人が嬉しいと思うことをしてあげると、喜ぶ。逆に嫌なことをしてあげると、怒る。


 もちろん、気味悪がられた。


 そんな時、私は大手出版社の社長をしている父の部屋で1枚の写真を見つけた。可愛い女の子だった。名前は黒瀬有紗。


 私は無性にこの女の子に会いたくなり、父に頼むと、私を溺愛している父はすぐに会わせてくれた。


 初めて会った彼女は幸せそうだった。自信に溢れ、純粋でまっすぐな心、異質な私は、普通の頂点を極めたような彼女の姿に憧れた。


 黒瀬有紗はそこで終わった。


 悲しかった。死んでもいないのに、死んでしまったかのように、悲しかった。


 プロファイリングというものに触れたのが8歳の頃だった。膨大な人間の感情を情報として呑み込んで、私は精度を上げた。今思うと、いずれ来る日を無意識に見据えていたのかもしれない。


 そして、黒瀬有紗という存在が死んでから、10年の月日が流れた。


 私は岸波有紗に出会った。


 彼女の目からは光が消え、人生に失望していた。私が憧れた、普通の最高の人生を歩んでいた黒瀬有紗は本当に死んでしまったのだと思った。だが、その異質な姿に私は惹かれた。


 私しかいないのだ。2人の有紗を同時に愛せるのは。





 工藤美鈴の一件から早いものでもう1週間が経った。しかし、有紗が学校に来ることはなく、メッセージを送っても返ってくることはなかった。


 授業が終わり、いつも通り携帯を確認するが返信はなかった。工藤美鈴がこの期に及んでなにかをするとは思えないが、しないとも言いきれない。俺はすぐさま有紗のクラスに向かった。


 扉から中を見ると、受験生ということもあるのか、ほとんどの生徒が帰っており、もちろん有紗も工藤美鈴もいなかった。


「どしたの? 誰か探してたりする?」


 入ろうか迷っていると、それを見透かすように1人の女子生徒が俺に声をかけてくる。見たことがある、いつも有紗の近くにいる女だ。名前は確か天童霞。

 有紗はもちろん俺との交際を隠している。必要以上に繋がりを見せることはない。


「いや、知り合いに用があったんですけど、帰ってるみたいなので大丈夫です。わざわざありがとうございます」


 猫を被るような言い回しを残して、その場を離れようとすると、不意に天童先輩が俺の腕を掴む。


「あの……先輩……?」

「私にちょっと付き合ってよ」


 声色が低くなり、雰囲気が変わった彼女に急速に危機感を覚える。


「良いでしょ? ストーカーさん」

「ストーカー……? なんのことです?」


 捕まるのは危険すぎる。この女がどこまで知っているのかは分からないが、それを確定させれば、俺達は終わる。


「急いでいるので、離して貰えますか?」


 数人だが周りに生徒もいる。俺がそう言うと、先輩は手を離した。


「残念、君の口から聞きたかったのにな、冴島明澄の話を」


 先輩はそう言うと、意地悪そうな笑みを浮かべる。俺に振り返ることは出来なかった。



「なにも隠す必要はないよね? 貴方は岸波有紗のストーカーで、協力者」


 冬の乾いた空気のせいで、天童霞の声がやけに綺麗に聴こえる。寒くないのは、俺自身がそれどころではないからなのだろう。


「無言は肯定と取るよ、分かりきってるからね」

「好きにしろ」


 肯定はしないというスタンスを取ったが、無駄なことだ。


「工藤美鈴はどうだった? かなり危険視してたんだろうけど」

「知ってるってことは、お前の差し金か」

「そう、あの時も私が指示を出してた。俯いてたから分からなかっただろうけど、あの子の耳にはイヤホンがずっと付いてた、髪で隠してたけどさ」


 ワイヤレスのイヤホンを髪で隠して使う。俺達がいつも使っていた手法と全く同じ。あえて使ったのだろう、性格が悪い。


「美鈴を捕まえさせたのはわざと。美鈴自身が気づいていたかはさておき、君達の策に嵌めさせれば、油断が生まれると思ってね。完璧主義な有紗は特に」


 あんな単純な方法で捕まったのかは確かに疑問だった。だが、工藤の雑な尾行、性格から鑑みて、俺も有紗も単純に終わると思ってしまっていた。完敗だ。


「美鈴は良い駒だよ、本当に」

「駒扱いする人間にどうしてそんなに従うんだろうな」


 皮肉を込めて言い放つと、天童は笑い始める。


「ふふっ、君は本当に馬鹿だね。気づいてないの?」

「……なにを?」

「君自身、岸波有紗の駒なんだよ。都合良く使われて、使われてる側はそんなこと一切気づかない。私と美鈴の関係となにが違うの?」


 認めたくはない。俺といた時の有紗の表情も感情も全部偽物だと、認めたくなかった。


「確かに有紗は君に好意を持っていた。理由は単純。君が有紗を好きだったから」

「じゃあ、あいつは誰でも良かったってことか?」

「それは違う。君の悲劇的な人生は有紗の心の拠り所にはうってつけだった。岸波有紗はなにかに飢えていた。何者でもない自分が嫌いだった。でも、理想の過去はもうない。なら、どうする?」

「……代わりを探す」

「そう。君と同じだよ、冴島律。君が姉の代わりに有紗を欲したように、有紗は自分の過去の代わりとして君が欲しかった。君の好意の対象となれば、それは岸波有紗という人間の中身に成りうる」


 気持ち悪い。話しているのは天童だ。それだと言うのに、有紗の感情を自分のことのように語っている。存在そのものが脅威に見えた。


「……お前は何者なんだ」

「私は大手出版社の娘。だから、パパに頼めばどんなことでも探れる。私は趣味でプロファイリングをやってるから、人の心は手に取るようにわかる」


 プロファイリングか、FBIが使ってるとか使ってないとか、名前しか知らない。だが、合点はいった。


「さて、本題に入ろうか」


 長い前置きから入る本題、俺は生唾を呑み込んで、それが告げられる瞬間を待つ。


「有紗と別れて」


「……俺と有紗が別れて、なにがあるんだ」

「有紗は私に全てを委ねた。私のものなんだよ、君のものじゃない」

「お前……有紗になにを……」


 有紗の他人への警戒心が異常に強いのは俺も知っている。ただでさえも百葉箱の活動を妨害してきた女だ、そんな女に有紗が付くはずがない。


「私は有紗の望みを叶えただけ」

「……望み?」

「有紗は昔、子役だった。それも天才子役。でも、同じく俳優の父親の不倫が露見して、共倒れになった」


 そんな話は聞いたことがない。だが、心当たりはある。有紗の演技への執着、不倫を公表する週刊誌への嫌悪、不可解な点が繋がるのは偶然ではないだろう。


「有紗は私の手引きで芸能界に復帰する。彼女が望んだ過去を、彼女の未来にする」


 正しい。


「君になにができるの? 自分も過去に縛られてるのに、どうやって過去に囚われた人を救うの?」


 それも正しい。


「私しかいないんだよ、有紗の空っぽの心を埋められるのは」


 それも正しい。だが……


「俺はお前を認められない……」


 全て正しくても、有紗を渡してはいけない気がした。


「……じゃあ、認めさせてあげるよ」


 天童は冷たい声色でそう言うと、俺になにかを書いた紙を渡してくる。


「これは……?」

「岸波家の住所。行ってみなよ、すぐにわかる。その感情は君のエゴだって」


 そう言い残し、天童は去っていった。



 岸波家は案外都会にあった。元芸能人というのだから、あまり人の住んでいないところに住んでいると思っていたが、木を隠すなら森の中ということなのだろう。

 家に入ってある表札には岸波と書いてあり、車が2台止まっていた。

 インターホンを鳴らすが、返事がない。試しにドアに手をかけ、引いてみると、すぐに開いた。


 入ると、上の階から女の喘ぎ声が聴こえる。生々しい感情が心を包み、吐き気がする。まだバレていない、足早に去ろうとしたその時だった。


「律?」


 エプロン姿の有紗がそこに立っていた。幼い子どものような笑顔を浮かべているが、目が死んでいる。


「来てくれたんだ。上がったら? まだあっちは時間がかかりそうだし」


 この状況がさぞ当たり前のようにそう告げる彼女に恐怖を覚える。


「お前……こんな環境で育ったのか……」

「うん、でも、もう終わる」


 死んだ目のまま、表情だけが明るくなる。演技をしていない、本当の彼女がそこにいる。


「霞のおかげ。私は家を出て、霞の元で暮らす」

「あの女はなにを考えてるのか分からない。やめておいた方が良い」

「……簡単に言ってくれるよね」


 触れてはいけないところに触れた代償が、冷たい眼差しと声となって返ってくる。


「私を救えるのは霞しかいないの! あの子がなにを考えていようが! なにを企んでいようが! 私にはもうそれしかないの!」


 有紗は感情的に言い放つと、その両目から涙がこぼれ始める。


「律になら……分かるでしょ?」


 よく分かる。俺が家を出た時と同じだ。正解か間違いかなんて分からない、それしか無かった。


「私は……これで良いの。だから、もう……なにも言わないで」


 有紗はそう言うと、階段を駆け上がっていった。俺は上がる勇気などなく、振り返って外に出た。


 エゴなのだろうか。


 確かに天童の言い分は正しいのかもしれない。今の俺に有紗は救えないのかもしれない。


 なら、どうすれば良いのか。


 『過去に縛られた人は過去に囚われた人を救えない』と天童は言っていた。


 じゃあ、もしも、俺が過去の縛りから脱出することができたら?


 終わらせなければ。俺と明澄の関係を。


 過去と向き合う日が来たのだと。

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