第5話 追跡者

 視線を感じるのには慣れている。小さい頃から視線を浴びて生きてきた私に取っては日常だ。それでも、不審な視線というものは慣れない。


「おはよ、岸波さんっ!」

「おはよう、工藤さん」


 私はその不審な視線の持ち主にとびきりの笑顔で返す。それ以上の会話を交わすことなく、工藤さんは自分の席に着く。


 工藤くどう美鈴みすず。外見は不健康そうな細い身体に青白い顔、たまにしているツインテールが痛い子を醸し出しており、メンヘラとの呼び声も高いらしい。

 だが、そんなことはどうでもいい。彼女は私と律の交際に誰よりも早く気づいた要注意人物。偶然だと思いたいが、あの依頼書が来て以来、露骨に私に接触するようになっていた。





 放課後、私は律の教室に向かう。クラスのほとんどの生徒が帰っているというのに、律だけは自分の机で寝ていた。


 起こそうとしたが、少し見ていたくなった。不思議なものだ。私は自分で思うより、感情豊かなのかもしれない。


「……有紗?」

「おはようございます、よく寝てましたね」


 15分ほどすると、律は目を覚まし、ゆっくりと伸びをする。


「起こしてくれて……良かったのに」

「たまにはこういうのも良いじゃないですか。恋人らしくて」


 そう言うと、律は照れる様子もなく、「意外だな」と短く返す。無愛想だが、こちらの方が彼らしい気もした。


 部活生が部活に勤しんでいるなか、2人で帰るというのはそれなりに優越感があるようで、新鮮だった。


「今日は寄らないのか?」


 律の問いかけには答えず、私は彼の腕に自分の腕を絡ませ、無理やり校舎と向かい合うように姿勢を変える。律はなにが起きたのか分からず、反応が追いついていない。


「はい、チーズ」


 棒読みでそう言って、写真を撮る。内側のカメラではなく、外側のカメラで。私はそっと自分の口元に人差し指を当て、元の姿勢に戻る。


「さて、帰りましょう」


 律は困惑していたが、なにかを察してくれたようで、すぐに追求はせず、2人で校門を出てから、ようやく口を開く。


「さっきのは?」

「これを見てください」


 私は先程撮った写真の一部分を拡大し、律に見せる。そこには1人の女子生徒が携帯を私達の方に向けて立っている姿が写っていた。


「俺達を監視している人がいるってことか」

「はい。現状では何人なのか、盗聴がないのか、それが分からないません。なので、百葉箱にも寄らず、極力喋らないで帰ってきたんですよ」

「写ってるのは、この前の工藤美鈴ってやつか?」

「……はい」

「ここまで露骨に監視してくることなんてあるのか?」

「分かりません。ですが、ただの高校生に完璧な監視ができるとも思えません」


 もちろん、ただ窓の傍で携帯を使っていた。という可能性もあるが、依頼書の件もあるため、正体を探られている可能性も高い。


「とりあえず、しばらくは百葉箱の活動を休止します」

「ああ、バレたら面倒だもんな」


 学校側からの注意で終わればまだ良いが、なにぶん少なからず恨みも買っているため、社会的に抹殺される可能性もある。


「それで、どうするんだ? お前は正体がバレそうだから、で止めるような人じゃないだろ?」


 律の言葉の端から期待を感じ、私の中にも自然と自信が溢れてくる。


「当然です。私の遊び場を荒らしに来たというのなら、容赦する訳にはいきません。この手で必ず工藤美鈴を釣り上げてみせます」


 とりあえず、考えをまとめるためにも帰ることにした。最近は母の機嫌も良いが、油断はできない。


 食材を買うためにスーパーに入ると、店内は夕飯時前らしい賑わいを見せており、家族連れも大勢いる。

 その中に1人の女の子がオロオロした様子で歩いているのを見つけ、私は自然と目を奪われる。その子はなにかを探しているようにその場を右往左往したかと思うと、コテっと転んだ。


「ママぁぁぁ!」


 大声で泣くが、通行人は一眼見るだけで対応しようとしない。さすがに小さな女の子を見捨てる訳にはいかず、その子の傍に行く。


「大丈夫?」


 3歳ぐらいだろうか。女の子は泣き止んでくれない。


「ほら、泣かないの。痛いの痛いの飛んでいけ〜」


 ぶつけてしまった部分に手を重ね、それが飛んでいくようなジェスチャーをする。極力穏やかに、羞恥心が無いわけではないが、精一杯の笑顔でそう言うと女の子も落ち着いてくれたようで、ようやく泣き止んだ。


「迷子?」

「ううん、ママがどっか行ったの……」

「そっか、じゃあママを見つけに行かないとね」


 私は彼女の小さい手を取り、歩き始める。


「名前なんていうの?」

しおりはね、栞っていうんだ〜」

「栞ちゃんか、良い名前だね」

「でしょぉ?」


 名前を言っているだけだが、どこか誇らしげで微笑ましい。


「栞ちゃんはお母さんのこと好き?」

「うん! あ……でも、たまに怖いから嫌い……」

「怒られるの?」

「栞がトマト食べなかったらママは鬼になる」

「鬼か、それは怖いかもね」


 そんな話をしながら、スーパーを歩いていると、栞ちゃんはお母さんらしき人を見つけ、駆け出して行く。


「ママぁーー!」


 抱きつく栞ちゃんを微笑ましく眺めていると、お母さんが私の方にやってくる。


「すみません、ウチの娘がご迷惑をかけたようで……」

「いえいえ、私も大したことしてないので」


 私はしゃがみ、栞ちゃんと目を合わせる。


「ママの言うこと聞くんだよ?」

「言うこと聞いたら、栞と遊んでくれる?」

「うん、遊んであげる」

「ほんと? やったぁ! 遊んでくれるって! ママ!」

「良かったね、栞」


 私が立ち上がると、栞ちゃんのお母さんは軽く頭を下げ、2人で帰っていった。

 栞ちゃんはずっと手を振ってくれて、最後まで可愛かった。それと同時に羨ましくもあった。私にもあんな時代があった。親子で買い物に行ったり、ご飯を食べたりする、そんな当たり前の日常が。



「お待たせしました。待ちました?」

「いや、俺も今来たところだから大丈夫だ」


 定型文のようなやりとりをするのも仕方がない。今日はデートなのだから。


「さて、早速行きましょう」


 12月に入り、街はクリスマス1色に染まっている。すれ違う人々の顔もどことなく明るい。


「どうせなら、クリスマスにデートすれば良かったですね」

「クリスマスも行けば良いんじゃないか?」

「それもそうですね、行きましょうか」


 契約関係の延長線とはいえ、クリスマスデートに憧れはある。それなりに嬉しいものだ。ただ、後ろから感じる視線さえなければ、もう少し喜べただろう。


「いるのか?」

「はい、この人混みの中でもしっかりと着いてきています」


 私は小さめの声でそう報告する。

 先日、教室で出かけることを霞に話しておいたのだ。工藤さんに聞こえるように。こんなにあっさり釣れたことに驚きはあるが、そこまでの執念と考えると恐ろしくもある。


「盗聴はされてないと思いますが、念の為、百葉箱の話題は出さないように」

「了解」

「私達は計画通りに決めておいたルートを進むだけです。ほら、そろそろ1つ目の目的地ですよ」


 1つ目の目的地はただの本屋。特に理由はないが、単純に私が行きたいと思っていたところだ。さすがは都会の本屋なだけあって、探せばなんでも出てきそうだ。


「本読むの好きなのか?」

「ええ、特に小説が好きですね」

「意外だな、もっと現実主義だと思ってた」

「小説はたとえ作り話だとしても、そこに込められたメッセージは紛れもなく作者がその目で見た現実そのもの。なんら矛盾はありませんよ?」


 なにも考えずに書く人がいるのも事実だとは思うが、律はそこをつつくことはせず、素直に感心していた。


 私は欲しい本を何冊か取り、レジに向かうと、何冊も積み上がっている週刊誌に目が留まる。その表紙には今をときめく俳優の写真と、その隣に大きく『不倫』の2文字が書かれていた。

 どことなく溢れてくる嫌悪感に吐き気がするが、なぜか目線を外すことが出来なかった。


「……有紗?」


 律に話しかけられ、ようやく我に返る。


「あっ……すみません……」

「いや、大丈夫か?」

「大丈夫です。行きましょう」


 律は不思議そうな顔をしていたが、私はそれ以上何も言わずに本を買って店を後にした。

 それから何軒か雑貨屋や気になる店を周り、お昼に差し掛かった頃に決めておいた飲食店に入る。


「思った通り、丁度死角に居ますね、彼女」

「上手いもんだな」

「こんなことをしてなにが楽しいんだか、私には理解しかねますがね」


 あまり人がいなかったため、注文してすぐに料理が来る。たわいもない話をしながら食べ進め、食べ終わる頃に律が口を開いた。


「なぁ、有紗。聞きたいことがあるんだが」

「妙に改まってどうしました?」


 先程までの律とはかなり違うトーンで尋ねてきたが、私は変えずに対応する。


「いや……ずっと気になってはいたんだが、どうして、そんなにあの仕事に拘るんだ?」


 『あの仕事』というのは百葉箱の仕事なのだろう。店の中には続々と人が入っており、おそらく普通に話しても工藤さんには聞こえない。私は素直に答えることにした。


「人の幸せを素直に喜べないんですよ、私は」

「……複雑だな」

「そもそも、私は一般的な人が抱く恋愛感情というものにあまり良いイメージを持っていません」

「まぁ……俺とは利害関係の一致みたいなもんだもんな」


 律は淡々とそう言うが、どこかもの寂しそうだった。


「永遠に続く恋愛感情なんてないと思いながらも、あって欲しいと思う私がいる。この仕事をすれば、いつか見つかるんじゃないかって思うんです。だから、こんなところで引く訳にはいかないんですよ」


 実に下らない信念だ。それでも、私にはこれしかない。もしかしたら、これとは別の本心が私の心の奥底で眠っているのかもしれないが、今はまだわからない。


「さて、そろそろ出ましょうか。重い雰囲気はあまり好きじゃないので」


 私達は店を出て、最後に選んで置いた衣料品店に入る。この店は窓ガラスの面積が大きく、外からも十分店内が見えるので、工藤さんは外から中を見ていた。


「終わらせますよ、律」

「はいよ」


 私は普通に気になった服を2,3着選び、試着室に入る。律には試着室の前で待機してもらった。


 私は選んだ服とは別に、既に持ってきてあった自分の服に着替える。靴も先程よりかなり高めのハイヒールを履き、最後にサングラスをかける。鏡に映る私はもはや別人だろう。


 私は堂々とした足取りで試着室を後にし、店を出る。容貌、挙動、仕草、全てに気を使い、別人を装う。


「なにしてるの?こんなところで」


 工藤さんに後ろから話しかけ、私はすぐさまその手に構えてあった彼女の携帯を奪い取る。しかし、彼女は驚きのあまり、取り返そうとすらしなかった。


「なんでここに……!」

「試着室は見えないけど、律が見えるものね。それで、安心しちゃった?」


 奪い取った彼女の携帯が開いたままだったので、私は盗撮された写真と動画をすぐさま自分の携帯に転送する。


「さて、洗いざらい話してもらいますよ?」


 私は最高の笑顔を向けるが、彼女の顔はますます青ざめていった。


「返事……は?」

「は……はい……分かりました……」



 工藤さんは抵抗するでも、逃げるでもなく、大人しく着いてきた。


「着替えたのか」

「はい、あの服は落ち着かないので」


 私は律にそう返して、工藤さんの方に視線を移す。当の本人は俯いて、一向にこちらを見ようとしない。


「まず、なぜ盗撮していたかを教えて貰えますか?」

「……き、岸波さんを……百葉箱の近くでよく見たので例の噂の人なんじゃないかって……思ったんです」


 『例の噂の人』というのは間違いなく呪いの百葉箱の人だろう。嗅ぎ回っていたのがそっちなのであれば、まだ好都合だ。


「だからと言って、盗撮する必要性は?」

「証拠に残さないと……誰も認めてくれないから……」


 承認欲求か。なぜわざわざ盗撮までしたのかが疑問だったが、これではっきりした。


「なるほど、誰に頼まれたというわけではないんですね?」

「……はい。好奇心がエスカレートして……それで……」


 誰かが裏で操っているにしてはおざなりな行動も多かった。信憑性は、ある。


「なるほど、大体分かりました。とりあえず、盗撮した今までの写真と動画を今私達に見せた状態で消してください」


 私はそう言って、奪い取った彼女の携帯を机の上に放り投げる。

 工藤さんは恐る恐る携帯を取り、私達に画面を見せたまま、一連の操作を終える。


「け、消しました……」

「確認させてください」

「は、はい……」


 写真のフォルダを隈無く探しても写真はなく、他人に送られた形跡もなかったため、本当に消したと見ていいだろう。


「私達のことを外部に暴露した場合、私は貴女の盗撮とストーカーの証拠を全て開示します。その時は、お互い停学で済めば良いですね」

「……分かりました」


 釘は刺した。私達は席を立ち、店を後にする。


「工藤さん。貴女とは友達として出会いたかった」


 秘密が露見してもなお、嘘で取り繕うのは悪い癖だ。嘘でなければ、私はもっと楽に生きれただろうに。



 朝早くここに来た。


 思えば、この百葉箱とも約3年の付き合いになる。帰省本能とでも言うのだろうか。


 私は百葉箱を開けるでもなく、ただ触れた。



「人を好きになれなくなったから、今度は物ってわけ?」



 気づけなかった。この私が。



「ねぇ、私もお願いしたいんだよね。呪いの百葉箱に」



 派手だが整えられた茶髪、誰もが羨む体型を持った、私の親友。



「冴島律と岸波有紗、ああ……違かったね。黒瀬有紗を別れさせて」



 天童霞はそう言って、微笑んだ。

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