第4話 冴島明澄

 まだ、物心つかない頃、両親が離婚した。父親曰く、母は高圧的な人で、相性が合わなかったらしい。


「今日から、私が律くんのお母さんになるの。よろしくね」


 小学1年生の時、新しい母親が家に来た。そして……


「ねぇ! あんたなんていう名前?」

「冴島……律」

「そっか、律か!私は出雲……じゃなくて……冴島明澄あずみ!」


 新しく姉が出来た。


「律!近くに森があるらしいの!探検しに行きましょ!」


 歳は1つ上で、性別も女、それなのに、俺よりも物凄く子どもっぽかった。当時の俺は引っ込み思案で断ることも多かったが、その度に無理矢理連れていかれた。


「今日はクラスの友達連れてきたの!亜美ちゃんって言うの!可愛いでしょ?」

「明澄の弟くん?なんて名前?」

「冴島……律」

「律くんか……じゃあ……りっくんって呼んでも良い?」

「う、うん……」

「律も友達連れてきなさいよ。楽しいよ?友達居たら」


 その日から、俺は友達を作ろうと思った。


「あの……さ、そのゲーム僕も持ってるんだけど……」


 子どもというのは単純で、勇気を出して踏み出せば、結果は返ってくる。


「律だっけ?いいよ、一緒にやろ。俺はとおる、よろしくな」


 徹と出会ってから、他にもたくさん友達ができるようになった。これが最初の1年間の話。


 それからも俺と明澄は仲の良い姉弟だった。明澄は歳を重ねるに連れて、お転婆な一面は鳴りを潜めていったが、違和感は感じなかった。





「なるほど、貴方には義理の姉が」


 俺は有紗に連れられ、ホテルに来ていた。いつもなら、彼女はあまりここに来ようとはしないが、大事な話をするには人がいない方が良いと思ったのだろう。


「少し意外ですね。話を聞いてる分には貴方がそこまで暗い性格になるような境遇には思えませんが」

「大事なのはここからだ」

「そうですか。心しておきます」




 初めて明澄に出会った日から6年が経ち、俺達は中学生になった。

 入っていた美術部の提出期限に焦ったり、テストに焦ったり、そんな普通の中学生活を送っていた。しかし、そんな日にも変化が起きた。


「あ……あの……私……冴島君のことが好きなの!私と付き合ってください!」


 生まれて初めて、告白というものを体験した。俺は断ったが、初めて向けられる好意は俺の中のなにかを崩したような気がした。


「私に相談なんて、珍しいね」


 ある日、俺は亜美先輩を呼び出した。昔のように俺も毎日明澄といるわけではなくなったので、久しぶりだった。


「先輩、もしもの話なんだけどさ、自分のお姉ちゃんのことが好きになったって人がいたら、どう思う?」

「ふふっ、変な冗談言わないの」

「答えて、真剣に」


 先輩はゆっくりと笑顔を消し、真剣な眼差しに変わる。


「それはりっくんの話?」

「……分からない。明澄のことはずっと好きだった。姉として」

「うん、そうだね」

「でも、この前告白された時に思った。俺が好きなのは明澄だ。人として、1人の異性として明澄が好きなんだって」


 俺の言葉を聞き、先輩は数秒を間を置いて、口を開く。


「………私は応援できない」


 そう返ってくると分かっていても、その言葉に心が痛む。


「律がしようとしてることは間違ってる。世間も親も友達もきっと認めない」


 返す言葉が見つからなかった。


「少なくとも、私は認めない」


 今思えば、それが正しかったのだ。でも、俺は止まらなかった。


「……明澄」

「なに?勉強教えて欲しいの?」

「いや、そういう訳じゃないんだ」


 明澄は勉強をしており、振り向かずにそう俺に尋ねる。俺は彼女の部屋に入り、勉強机とは真逆の位置にあるベッドの上に座る。


「……俺さ、この前告白されたんだ」

「へぇー、良かったじゃん。私も彼氏欲しいなーー」


 明澄のいつもどおりな軽い口ぶりとは裏腹に俺の緊張はどんどん高まって行く。


「断った」

「え、もったいない!なんで!」


 さすがにこれは衝撃的だったようで、明澄は勢いよく、椅子を回し、俺の方を向く。改めて見る明澄の顔に俺の鼓動は跳ね上がり、次の言葉が詰まる。


「あ、ごめん。どんな子かも分からないのに……顔が好みじゃないとか、性格が好みじゃないとか色々あるよね、私としたことがつい……うん、この話終わりにしよ」

「違う、そういうことじゃなくて……」


 明澄の早とちりで会話が終わりそうになり、俺は慌てて、呼び止める。


「俺が好きなのは……明澄だけだから」


 これの言葉を聞き、明澄は何回かゆっくりと目をパチパチさせる。


「あ、律の学年に『あずみ』って名前の子がいるのか。あー、お姉ちゃんてっきり……」


 俺は彼女の両肩に勢いよく手を置く。すると、彼女は「ひゃっ!」と可愛い声を出し、硬直する。


「俺が好きなのは!冴島明澄だ!」

「で、でも……私は律のお姉ちゃんで……」


 震えた声で返す明澄を見て、俺の脳裏に邪な考えがよぎる。


「それでも……俺が好きなのは明澄なんだ……」


 明澄が押しに弱いことは知っていた。俺はそれにつけ込んだ。


「……良いよ、付き合おう。律」


 こうして、俺達は姉弟から恋人に変わった。親の目を盗んで、恋人らしいことをしたり、休日2人で出かけたりと俺は幸福感で舞い上がっていた。


「なぁ、律」

「ん?」

「お前、明澄さんと付き合ってんの?」


 ある日、徹と2人でご飯を食べていると、自然な口ぶりでそう尋ねられる。

 背筋が凍るような寒気を感じたが、悟られる訳にはいかない。


「違うよ。なんで?」


 今、俺は普通の表情をしているだろうか。普通の声だろうか。願うように、徹の返答を待つ。


「いや、根拠はない。なんとなくってやつだ。ごめんな」


 罪悪感や背徳感を感じることもあったが、それが一層刺激となっていた。


 1年間の交際期間を経て、俺達の恋愛はなんだかんだで順調に進んでいた。しかし、そんな日常が崩れ落ちる事件が起きる。


「うっ……」


 家族4人でご飯を食べていると、急に明澄は口元を手で抑え、短く声を漏らす。


「大丈夫?明澄」

「ごめん、お母さん。私トイレ行ってくるね」


 明澄が小走りでトイレに向かうと、両親は受験のストレスなのではないかと心配気な話を始める。だが、俺にはその原因がなにか勘づいていた。


 それから1週間ほどして、俺は明澄に呼び出された。


「あ、あのね……律……」


 夏だというのに、明澄は手を震わせ、その顔は青ざめている。ただならぬ雰囲気に俺は瞬時に事の異常性を察知する。


「……なんでも、受け止めるから。大丈夫、安心して」


 おおよそ検討はついている。この予想が間違っていて欲しいと願っていた。


「で……できちゃったの……子どもが……」


 そう言って、泣き始める明澄を俺はそっと抱きしめた。慰めるためなのか、自分が後悔していることを隠すためなのか、今でも分からない。


 当然、親にも報告した。優しい父もこの時ばかりは俺をボコボコに殴った。母は逆にほとんど何も言わなかった。ただ一言「堕ろしなさい」とだけ。


 働くこともできない中学生に責任など取れる訳もなかった。親に頼れる訳もなく、明澄は手術を受けることになった。


 手術が終わっても、明澄は気丈だった。不安ではあったものの、いつまでも落ち込む訳にはいかない。少しでも早く立ち直らなければとそう思っていた。しかし、手術から1ヶ月ほど経ち、恐れていた事態が起きた。


 ある日、教室に入ると、クラスがザワついていた。クラスがうるさいのはいつものことだが、その日は違った。視線がこちらを向いている。

 自分の席に着くと、1人の女子生徒が来る。


「ねぇ……冴島君。噂で聞いたんだけど……」


 その女子生徒と俺の会話にクラス中が注目しているのが肌でわかる。


「冴島君って、3年生の冴島先輩と付き合ってるの……?」


 ここにいるのは同じ小学校から中学に上がってきた人達ばかり。そんな人達が俺と明澄が姉弟であることなど、知らないはずがない。否定したが、そんなものは意味をなさなかった。


 誰から露見したのだろうか。明澄が友人に話したというのは彼女の義理堅い性格からは考えられない。だとすれば、俺には1人しか考えられなかった。


「……律?」


 放課後、俺が向かったのは部活終わりの徹の所だった。俺と徹のクラスは違うため、噂が伝わっていないらしく、彼は不思議そうに俺を見つめていた。


 俺はなにも言わずに近づき、全力で徹を殴り飛ばす。


「……なにすんだよ」


 徹の目の色が変わったのがすぐ分かったが、俺も自分の感情を抑えられなかった。そこからはなにが起きたかよく覚えていないが、俺らは人目も憚らずに殴り合いの喧嘩をし、教師に止められるまで続いた。


 その日から、俺と明澄の関係は学校中に露見し、俺達は好奇の目に晒された。1番の友人に裏切られたことで俺の人間不信は加速的に進行した。人が話していることすべてが俺への悪口に聴こえるようになってしまった。


 それでも、俺が学校に行き続けられたのは、明澄のお陰だろう。


「大丈夫だよ、律。『人の噂も七十五日』って言うでしょ?」

「明澄は……大丈夫なのか?」

「うん、悲しいこともあるけど、きっと皆分かってくれると思う!」


 空元気かもしれない。だが、それでも笑顔を崩さない明澄を心配できるほど、俺に余裕はなかった。

 俺は膝をつき、座っている明澄の腰に手を回し、その太ももに顔を埋める。


「なんにも……できなくてごめん」


 言葉を発すると同時に涙が出てくる。無力で、不甲斐なく、情けない自分に。


「大丈夫だよ、私は。だから、きっと律も大丈夫。私が、お姉ちゃんが守ってあげるから」


 明澄はそう言うと、そっと俺の頭を撫でる。それ以上はなにも言わなかった。


 そんな日が続く中、俺を喫茶店に呼び出したのは亜美先輩だった。


「私は警告したはずだよ? 律くん」

「……分かってます」


 いつも優しい亜美先輩の、取り繕いのない純粋な怒りを見るのは初めてだった。


「今や、校内で冴島姉弟の名前を知らない人はいない。この状況をどうするつもり?」

「……乗り越えてみせます」


 せめてあと半年。明澄の卒業まで持ちこたえられれば、俺達のことなど知ってる人はいなくなる。しかし、亜美先輩の目は一向に変わる気配がない。


「甘いよ。甘すぎるよ」


 先輩は荷物をまとめ、席を立つ。


「私には、どうすることもできない」


 そう言って、去っていった。


 季節は変わり、冬。噂が出てから3ヶ月近く経ち、相変わらず好奇の目で見られるのは変わらないが、表立って噂されることは少なくなっていた。


 そんな日の夜だった。寝ていると身体に肌寒さと重圧を感じ、目を覚ます。


「明澄……?」


 見ると、俺の身体の上に明澄が乗っている。彼女はなにも言わないため、まだ夢を見ているのだと思った。

 すると、明澄は身体を前に倒し、強引に俺の口を塞ぐ。艶かしい舌への感覚がこれが夢ではないことを告げていた。

 長いキスを終え、明澄は元の体勢戻ると、おもむろに服を脱ぎ、投げるように捨てる。


「あ、明澄……なんで急に……?」

「もう……お姉ちゃん疲れちゃった」

「え……?」


 明澄は手で両手を抑え、涙声で続ける。


「子どもができた時……怖かったけど……嬉しかった。でも……現実はそんなに簡単じゃなかった。子どもは産めない、家族もバラバラ、学校でもずっと噂されて……それでも、頑張った。私はお姉ちゃんだから……そう思って……ずっと頑張ってた……だけど、もう無理……無理なんだよ……律……」


 仮にも中学生がこれほどの重圧に耐えられるわけが無い。とっくに明澄の心は壊れてしまっていた。気づける機会は幾らでもあった。それでも気づけなかったのは、俺が気づきたくなかったからだろう。



「ねぇ……律。めちゃくちゃにして欲しい……」


 親が起きるかもしれない。だが、そんなことはもう、どうでも良かった。

 俺は顔を隠している彼女の手を取り、強引に抱き寄せる。それからはひたすらに交わり続けた。


 次の日の朝、俺の隣に明澄はいなかった。


 数日後、明澄は森の中で見つかった。死因は分からない。怖くて、聞けなかった。




「……作り話であれば、もう少し楽に聞けたんですけどね」


 聞き終わった有紗のは憐れむでもなく、至って普通の表情だったが、声のトーンは露骨に下がっていた。


「それから、俺は変わった。幻聴が聴こえるようになってから、少しでも早く逃げたくて、引きこもって馬鹿みたいに勉強するようになった」

「なるほど、それでこの学校に」

「ああ、もっと離れるべきだったんだろうがな。できなかった」


 思い出の場所を簡単には捨てられなかったのかもしれない。


「では、なぜ私を?聞いた通りでは私と明澄さんの性格は真逆ですが」

「俺は他人の幸せが憎かった。そんな中、『呪いの百葉箱』の噂を聞いた。最初はただの噂だと思ってた。だけど、話を聞いているうちに誰がやってるんだろうって興味が湧いた。きっと、その人は俺と同じ目をしてると思ったから」

「……不名誉ですね」


 反射的に謝罪の言葉を口に出そうとすると、少し大きめの声で「ですが」と遮る。


「貴方の考えは間違っていない」

「……そうか」

「正式に、私と付き合う気はありますか?」

「え?」


 思いもよらない提案に俺は困惑するが、有紗はそのまま続ける。


「今、私は貴方に対して、非常に興味を持っています。貴方が冴島明澄を忘れられないというのなら、それでも良い。どうです?私と付き合う気はありますか?」


 この恋愛が、俺から明澄を忘れさせることができるかどうかは分からない。それでも、俺には他に選択肢がなかった。


「分かった、俺と付き合ってくれ」

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