3.ハンバーガーを頬張る少女とそれに注がれる目
ずいぶん遠くまでやってきたものだと振り返るたびに思うけれど、それってつまりどういうことなのか、わたしにはわかるはずがない。
わたしの目の前では一人の聡明そうな少女がこちらのことを一切見ないでハンバーガーを頬張っている。この店はサイズと食材のフレッシュさが売りの店で。だからとても大きなハンバーガーなのだけれど、彼女はテーブルに置かれているナイフとフォークを一目見ることもなく、両手で包むように摑んで、口を大きく開けてハンバーガーを頬張っている。バンズが彼女の歯によって沈み、噛みきれてあとにはベーコン、チーズ、パティ、トマト、レタスと続く。それらは彼女の口のなかでカクテルされて彼女はそれを呑みこむ。そして笑う。横に置かれたケチャップとマスタードはどうやら不要らしかった。
彼女はわたしを見ない。
とても食事に集中していることは確かだけれど、それだけではなくて、彼女にわたしは見えない。ただありったけの幸福をアーティスティックに形づくる彼女の表情をわたしが眺めているだけ。そういうものだ。
彼女は誰かを待っているのかも知れない、とわたしはふと思った。それは、彼女がこの店で待ち合わせをしていて、その待ち時間に腹ごしらえをしている、という意味ではない。彼女の待ち人はきっと、今でも若い彼女が今よりもっと幼かったころから待っている人なのだ。彼女はもうずっと待っていて、そして延々と待っている、とかそんな感じ。目下、その待ち人は来る予定はない。そして彼女はそれに安心してもいる。来なければずっと待ちつづけることができるという意味で。来ないことが望まれる待ち人。この街はそんな人でいっぱいだ。
どうしてわたしはそんなことを思ったのだろうか。ハンバーガーを頬張る彼女からはそんなサインが出ているようには見えない。見えないのか、あるいはわたしの目には見えているけれどわたしの脳が認識できていないのかも知れない。わたしの言語領域の外のサインが彼女のわずかなまつげの揺れあたりから出ている可能性はある。わたしの視覚聴覚嗅覚その他もろもろのアンテナが受信している情報量すべてをわたしの脳が正しく処理してくれていると信じられる証拠はどこにもない。わたしとわたしの脳との信頼関係はその辺りでふわふわしている。
彼女が待っている人はおそらく、彼女にとって決定的な人だろう。恋人関係にあるというのがもっとも連想しやすいけれど、ほかにも何らかのライバル、何らかの戦友、何らかの肉親などいろいろあるだろう。そのどれでもいい。重要なのはその待ち人が彼女のまえに現れると、彼女の性質は決定的に変化するということだけ。その性質自体には良いも悪いもないけれど、彼女はその変化をとても恐れている。待ち人が来ないことに安心しているのはそれが理由。
彼女はほんとうに誰かを待っているのだろうか。
彼女の口からそのことが出たわけではない。わたしの側がふと思いついただけのことなのだ。彼女は誰も待ってなんかいない。そういうことも大いにありうる。
ところで、彼女の手足はとてもきれいだ。
きわめて暴力的な手足をしている。
別に恐るべき筋肉たちでそこらじゅうを穴だらけにできるとか、そういうことではなくて、見ているとついかしずいてしまうような魔力があるということ。見るものを跪かせるなんて、とても暴力的だ。なんだか彼女の手足は彼女そのものをあらわしているように思える。彼女の内面もまた、暴力的なのだ。つまり、彼女がいる空間を支配することが得意で、しかもそのことに彼女自身が気がついていない。自走する戦車が自分のことをミニカーだと思っているもので、周囲の人間にとって、こんなに危険な存在もそうそうない。彼女はだから、いろんなものを踏みつぶしてきた経験を持っているけれど、それに伴う痛みを知らない。
彼女はハンバーガーを食べ終わっていた。手を空に伸ばして店の人を呼ぶ。お会計を、そう言って微笑む。美味しかったです、とても。
彼女は店を出て、わたしもそれについて行く。
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