第10話後編「竈のタイタン」

・エンシェントドラゴン”流血”

 他のドラゴンとは違って力量を弁えて謙虚に大袈裟なことはせず、自勢力圏内でも弱肉強食程度の自然秩序を保っていた。

『今後も世に混乱をもたらさないのであれば何事もありません』

 破滅的な争いが始まるに至れば勝敗に拘らず連座は必至、今までのような中立は有り得ない。血気盛んな者は戦いに加わり、それ以外は生存策を模索した。

『タイタンの籠は壊れた。争いばかりでは破滅しかない。我々だけでも生き延びる方法を探ろう』


■■■


 黒鷹アジルズに跨るクエネラとその一行は戦神の預言に任せて飛行していた。討つべき敵の方角が示される。目標物は無く、針路がずれる度に言葉が降りる。あまりに振れればお小言になる。高度が下がり過ぎれば姉貴分が怒鳴る。以前までの世界なら戦神の使い鴉なりが先導するところだが、その余裕が無い。

 斜陽しか浴びることの出来ない、かつて帝国が存在したなどという痕跡すらない捏ね繰り回しの土砂を後目にし、夜と短い夕方のみを往復。やがて天国は拡張を終えて天空を覆い尽くし、地上には赤い日すら刺さらなくなり暗闇の世界へと変わる。

 竈神の最終奇跡が完了となり、戦神が最終奇跡に入られる。終わらぬ暗闇、上限ある天上、下限に蠢く海面、終わった預言。ここで三つある内の奇跡を起こすエーテル結晶指輪の一つの出番となる。

 願うべき内容はエンリーが一つで複数の事態に対応出来るように考えてクエネラに複数案伝えてある。彼の頭脳が想像する範囲にて、予期せぬ反動が起きないよう、そして出来るだけ有用に。

 最も有用且つ反動も過少に、お慈悲もあろうと祈るのは亡き、しかし御力を残された竈神のご加護である。お優しき方へ良きに計らいますようにとお任せする。

 祈り、指輪が消滅し、クエネラは振動剣を抜き払って構える。半ドラゴンの身で造られた”振動剣”は、その不燃性に拘わらず燻る。掲げれば控えめの炎を纏う。何物をも焼き尽くし、火柱上げて爆砕するような類ではない。竈にくべられたような穏やかな火勢である。

 炎がしっかりと暖かに灯れば四名の腹も満たし始めた。空腹除けの奇跡である。得る糧を探すのも至難な暗闇と海原の上では何物にも代え難い。如何なる勇士も空腹に勝ったことはないのだ。

 一行は暗闇で炎色に浮く。灯りは何かに当たる前に全て闇に吸われる。無限の虚空で孤独のように感じる。

「敵へ導け」

 クエネラが声に出し炎へ命じれば剣身に沿う縦長の炎色の光線が伸び、一方を示す。そちらへアジルズは流れる。預言と小言より、不敬ながら見える分だけ針路は安定する。

 灯りに導かれて流れ続け、しばし風と潮の音以外聞くものなく、日出没も無ければかつての一日という概念すら無くなる。

 時折クエネラが忘我に至り、士気を落さぬよう己の喉を素手で引き千切って血を撒いて咽るなどという凄惨な手慰みはあるものの基本は静謐の只中。ハラルトは無駄口を叩かぬし、アジルズは人の言葉を扱えず、動きがやかましいフェアリーはそもそも唖である。

 正面へと誘導していた光線、徐々に下方へ向くようになる。始めはアジルズが高度を高く取ったからと思われたが平衡感覚を正すに、下方に敵有り。そしてほぼ真下を向くようになり、島影が照らされた。

「上から援護しろ」

 クエネラは飛び降り自由落下。”合奏”討伐時に会得した空中姿勢制御技術で位置取り調整しつつ、名も無き島の海岸にて集団で寝そべる”流血”の軍勢の一体、巨体の七つ首もある猛毒大蛇のヒュドラの頭に振動剣を突き立て、その首に全衝撃を預けて曲げ、珍しく自傷無く着地。

 ドラゴンの亜種ヒュドラにおける最も成長し強靭な個体は七つ首である。そのような強敵相手でも刺し入れた剣を抜いたら止めの二の太刀を入れることもなく、奇襲に驚き蠢き始めた他の七に満たぬヒュドラへも一太刀以上入れず、何ならクエネラには珍しく骨にすら至らぬ切れ口で次から次へと切り裂いて行く。水の魔物、粘状不定形の群体にすら本来不十分な一太刀のみで済ませて次から次へと切って走り去る。そして全てを死に導いた。

 奇跡の炎は焼いた敵を芯から油の乗った薪のように焚き付けていた。派手に焼き爆ぜはしないが、傷口から赤々とした筋が走って全身へ血液のように巡り火の粉が舞い上がる。幾ら刺しても切っても死に難い群体も焚かれれば全構成体が死に至る。内からの火は海中へ苦し紛れに飛び込んでも消えはしない。

 焚き殺された死体はその後も身が灰と成るまで穏やかに燃え続ける。島の海岸に一つ一つ、しかし素早く篝火が増えていく。

 ヒュドラの巨体の隙間にはまつろわぬ者からそうではない者達まで多数がいて、荷物が点在していた。終わった大陸からの最後の難民達である。それら全て、信心を問わずに切り捨てる。神々を信じるならば迎合の罪にて、信じぬならばそのもの罪にて全て死刑。

 それらの中には達人、英雄と呼ぶに相応しい戦士もいた。業物を構え、信心に拘わらず新しい仲間を守るために立ち上がる。

「振動剣」

 しかし燃ゆる、ほぼ全てを断ち切る震えの刃を前に、そうではなくても激しく重たい撃剣を前に全員が武器に盾、甲冑毎切り裂かれて焚かれる。相討ち狙いの一撃を何度も受けるが狂皇女は痛みを介さない。肉体の断裂は姿勢制御甲冑が食い止め、戦い続ける奇跡で傷も癒えれば何事も無い。加えて竈神の奇跡により刃が通った直後から傷が癒えるので見事な切断を受けようが水を切るかのような有り様に繋がる。

 人にドラゴンの亜種、魔物達は指揮官の命により陣形を整えて反撃体制を改めて構築し始めるが、その目立つ号令掛ける指揮官の身体を矢が貫いた。暗闇の空に紛れてアジルズの足弓が射抜く。クエネラに虐められて何かと弱体と見られそうだが、その身は産み直しの奇跡にて陪神白鷹の力を継承する。強弓の程は世に比肩しない。

 焚かれた物だけではなく島が赤く灯り始める。穏やかとはいえ火は島の草木に燃え移り始め、奇跡ならば砂利に岩石すら焚き始める。溶岩にならずとも赤熱する。

 島が焼ける。海岸線が湯気を上げる。切らずとも炙られる者ばかりとなり、良き加減の焼肉の匂いすら漂い始めて焦げ臭さに至る。

 熱に追われて島にいた軍勢は冷たい陸地へ、海上と逃げる。島は襲撃した海岸から徐々に火勢を広めた。島自体が照明となるに至れば軍勢は総崩れ。周辺海域も泡に湯気を立てて沸騰し、逃げる者を塩茹でにした。

 クエネラは剣を掲げる。次の標的は? と奇跡の炎に尋ね、光線は海中を射した。

 射した方向から一瞬津波に見えたのは、巨大な一個身体となった群体。焼ける炎を嫌がらず、猛烈な蒸気を上げ続けるがそれで痩せる気配も無い。

 熱水の魔物である。切り刻んでどうにかなる大きさではない。熱で殺せる体質でもないのは奇跡の炎を剣で刺して送り確認した。小さな個体が寄り集まって一個体として振舞う群体ならば一点貫けば即死するような脳に心臓も存在しない。その身体は大量の海水を飲み込みながら維持され続けている。まるで今のクエネラの打つ手全てを封じに来たようだった。

 戦い続ける奇跡があれば熱水の群体に無限に解かされ煮られようとも死にはしないが勝てもしない。ここで永遠に拘束されれば死んだと同等。

「上がるぞ!」

 クエネラは珍しく退くことを決定。アジルズの身を守るため、地上から必中の銛をただ真上に投げてそれを掴ませ、結びついた断たずの綱をよじ登って空中へ退避。

 熱水の群体は触手を作って天に伸ばそうとはするが、骨も無ければ沸騰し続けてそれほど頑丈でもない構造体は高くに届かない。

「ハラルト! あいつを殺す方法は思いつくか!?」

「へい。分かりやせん」

「アジルズ!」

 黒鷹はまるで子犬のようにくぅ、と鳴いて否定。

「クソ虫!」

 フェアリーは懐の避難筒から顔を出し、腕を上へ大きく広げることを三度繰り返してから、両手人差し指を立てて連続射撃するように交互前後させた。大勢を集め、マナ術に限らず悪しき魔法も使って飽和攻撃というわけだ。

「どうにもならん、次!」

 クエネラは剣を掲げる。次の標的は? と奇跡の炎に尋ね、光線は直上を射した。

「回避!」

 アジルズは位置の力を下降にて速度へ変え急降下、海面限界まで降りる回避機動取った。

 直上から、有翼にして首長のドラゴンが降り、灯る島へ四つ足で着地、山の一角を崩した。その翼、着地前に減速のために広げられたが勢いを殺し切れずに骨が折れ曲がり、膜が裂けて血塗れとなっていた。海生生物のような太い胴体にそれは貧弱過ぎた。

 まるで自傷と嗤う気が起きる前にその翼、体内に引き込まれて無翼となる。新たな敵は自在に身体を作り変える化物、白鱗表面に静脈走る姿がまるで粘膜めいた姿でおぞましいエンシェントドラゴン”流血”であった。

 ”流血”の長い尾が縮まり、太くなってその先が蛭のような口に変形。熱水の群体を吸い上げ、腹に蓄える。そして、不気味に裂けた首が七つになり、それぞれが新たな健常な頭を構成して尋常の太さを取り戻す。翼が生えていた箇所に大穴が開き、周囲の蒸気の動きから空気を大量に吸い込んでいることも見えた。

 その時、アジルズは緊急回避機動で失った高度を羽ばたき上昇で再度稼いでいる状態。

 あの”吹雪”の空気弾より激烈な攻撃が予測された。七つ同時発射かと警戒すれば、その七つがまた七つに分かれて四九首となり、その四九がまた分かれ数百となる。その頃には胴体が、山を自重で崩す程に肥大。

「槍に宿れ」

 クエネラ、断たずの綱を解いた必中の槍を構え、矛先に奇跡の火炎が宿ったのを見て投げる。数百ある首の一部が槍に向かって熱水の群体を吐いて飛ばし、当たらず、しかし一斉の水蒸気爆発で大轟爆。必中の槍はその力によって衝撃の幕を抜けて飛翔して”流血”の腹に突き刺さり、その箇所が即座に抉れて落ちた。離されたその肉片だけが焚かれるのみ。

 数百ある首が続けざまに熱水の群体を吐いて飛ばした。山なり弾道、一行の頭上全体に覆い被さるよう放たれる。アジルズは良く距離を稼いだが、エンシェントドラゴンの射撃能力は伊達ではない。

 群体はそれぞれ己の役割を果たす魔物でただの発射された砲弾ではない。それぞれが適切な位置で爆発し、爆発の必要が無ければ海中に没してそこで待ち構えるか”流血”に吸い込まれに戻るだろう。

 アジルズ、ハラルト、フェアリーは間違いなく死ぬと見えた。クエネラは死にはしないが海中に没して窒息の苦しみを味わいながら、思うように動けない状態で群体や、海中行動も得意そうな”流血”からその無限と思われるような士気が挫けるまで嬲られるだろう。そのような心算は無いが数年、数十、数百となれば分からない。

 意志有る群体は散らばらず、広く薄い幕となって降る。空中で結合し合い隙間が無い。

「使え」

 二つある内の奇跡を起こすエーテル結晶指輪の一つの出番となる。

 瞬く間にクエネラは”流血”に衝突し、その胴体を貫きながら振動剣で切り裂き、地面に激突して液状に砕けるようにしながら奇跡にて散らばる前に再形成。戦い続ける奇跡だけならば再結合は難しかった。

 避難筒、家に入っているフェアリーは神格に適った力による無事。

 アジルズは最大神速により”流血”の側を飛び去った。何も出来ないハラルトは飛びの衝撃のみで重傷。

 願ったのは最大神速の一つのみ。速度に乗せて自傷の体当たりをしたのはただの工夫である。

 他のエンシェントドラゴンならば即死に至るような一撃であった。しかし”流血”は焚ける肉を削ぎ落しながら変形。クエネラが再生を終えて戦闘態勢を整える頃には”流血”は複数に分かれていた。半ドラゴンのような人型を中心に無数の白蛇。大蛇から虫のような大きさまで無数。

 その時クエネラの全身に激痛が走り、痛いだけではなくて痒みもたまらず、尋常なら発狂に至る痛痒を自覚する。寄生虫大の”流血”の分体は衝突後の再形成時にその身に混じり、蝕みを始めた。筋肉、臓腑、そして脳神経に至って意識それ自体も食い始め、殺せずとも廃人へと至らしめようとした。内から縛り上げるのだ。

「何の!」

 薄れる意識は怒声で補い、クエネラは奇跡の炎を纏う振動剣にて己の腹を突き刺し、焚き付けて体内の分体を焼き殺した。身体の芯より焼けては直ぐに癒えるを繰り返し、ややもすれば寄生虫型の攻撃が幾分手柔らかにも思われた。

 そして当の脳神経も食われに代わって焼け、奇跡にて再生するも壊れ治りを繰り返して安定せず、結果理性の程甚だ怪しくなり、余計な思考が昇華される。

 呼吸に合わせて吠え、動く何かが燃える目に不確かに映れば切り掛かる。

 ドラゴン殺し、無心に始まる。


■■■


 高い山の上から見える位置に魔女の森は無い。異形の生物達の中に遥々遠くまで出向くような個体は珍しく、ゴーレム兵に難無く狩られる。

 天国に移住した人々は飛行船を解体して作った天幕で暮らしている。幸い、気候が素晴らしいので子供が野宿をしても凍えはしない。山の上ですらそうなのだからかつての地上で見られた厳しさも優しさも無い極自然は見られない。

 何時でも逃げられるようにしていなくてはいけない。ドラゴン”恒風”が休む時間が来たら移動して、多少でも負担を下げるために風上へ逃げなければいけない。だから地面に柱を打ち込むような家は持てない。農地も同様。狩猟と採集、牧畜で食い扶持を保つ。魔女の森より逃れる尋常の鳥獣は大移動の様相を呈しており、狩りも人慣れする動物を得るのも苦労しなかった。

 帝国臣民とまつろわぬ者達、共同にて遊牧生活を送る。灰と煙にすら乗る呪いの病をもたらす魔女の森から逃げるが、草場に水場にも困らず、ドラゴンとゴーレム兵の素晴らしい対応のおかげで危機は自覚するものの、比較的のどかであった。逃げる前は多数の病死者を出して苦しんだが犠牲に慣れた彼等にとっては理性を失う程ではなく、統率は保たれた。

 現在、ドラゴンとゴーレム兵に頼らずとも魔女の森の進撃を防げるのではないかという希望が持たれている。この山のような、草木が生い茂らない岩肌剥き出しの土地なら止まるのではないかというもの。山の中には孤立する渓谷があって川が流れ、孤草木が茂って鳥獣も住んでいるので暮らすこともできる。

 魔女の森は養分のある土の上にしか進撃出来ない。森が吸い尽くした荒れ地の上には繁茂せず、砂地に至れば速度が落ちる。全く草木の生えぬ真に不毛な砂漠が現在天国では確認されていないので確証はないが、そのような土地に直面すれば止まるという可能性が指摘される。

 この山が一つの希望になっている。地上の遊牧生活より遥かに安楽、あの悲惨な大陸崩壊時の逃避行に比べれば何事でもないこの生活だが、やはり定住をもう始めたいという要望が出ている。閉じた渓谷に落ち着きたいという声が上がっている。帝国大学士テレネーからも、山向こうに移動する準備は整えながらもここに定住することは検討しても良い、と意見を出している。

 テレネーは帝国創始以来の才媛。冷徹でもあり定住派を実験台にでもしながら不服従を表す者達の粛清を兼ねているのではないかと考えられたが、彼女でさえ両天秤に掛けるような判断を下さなければならない事態とも取れた。帝国臣民には分からない位置からゴーレム兵を量産して送り、独自にドラゴンと協調するなど、人々を愚民と扱って家畜のように守っている様子も見られたが、どちらにせよ判断を委ねられる者はこの何かと疑わしい一人だけである。

 混乱が無いように皇太子ヒューネルが、テレネーが正しいと盲印を押すように人々へ訴えかける。移動の時期も、移動先も、これから何をすべきかも全て帝国大学士が決定し、決定事項をヒューネルが広報するだけでここまで凌いできた。だがこれはある種、官僚行政で運営されていた帝国そのものである。父帝ガイセリオンは行政を完全に宰相エリクディスに委任していた。それは始皇帝も同様だったらしく、伝統であった。

 そしてある日、山向こうへ避難する者と、決死に渓谷へ定住する者が分けられた時、主無き陪神傾城より提案がされた。竈神の最終儀式終了後、ほぼ沈黙を保って来たお方がである。

 傾城は現在、魔女に信頼を置いて本来は敵である半ドラゴン”火炎舌””金剛体””振動剣”の三名を洗脳の奇跡にて操っている。

 人と獣の間のような陪神は不思議な眼差しであり、心と目を奪われ、合えば自我すら失いそうになる。魔女との敵対が明朗になる前はあの半ドラゴン達すら懐いていた。その隙を利用し術中に嵌めて今日まで逃がしていない。

 その内の一名”火炎舌”に神降ろしの儀式を行い、竈神の力を一時的に顕現。化身にさせ、”火炎舌”が持つ”更新の灼熱”の力を合わせ、その強大な力にて魔女の森を完全に灰に煙も残さず滅ぼそうという作戦。

 憂慮すべきは制御不能の破壊の化身と”火炎舌”が化した時のこと。

 己の意識を取り戻せば魔女に帰順することは間違いなく、天国そのものの抹消を企てて不思議ではない。

 神憑りに全くの別人にもなり得て、その時の人格が温和で話し合いに応じるものと断定はできない。

 話し合いに展望が無ければ討伐方法だが、それは唯一世界の外、上天にある星々の世界を漂う”秩序の尖兵”を宿す”抹殺者”に殺させるというもの。折角天神が追放した存在であるが、儀式で己を捧げる覚悟を決めた神、残る最後の戦神にとっては最早脅威と言えないのだ。

 帝国大学士テレネー、奇跡の領域となれば判断が難しいか即答しなかった。だが何時の間にか現れたダンピールの長ヴァシライエが、それで良いのではないかと一言告げれば決行された。無論ヒューネルは二人の老巨頭に従ってただ広報するのみである。相談に乗る忠臣エンリーは、私の知識では計りかねますと申し訳なさそうに言うだけ。常人の手に負えぬとも言う。

 鬼女法王ヤハル亡き今、巫女の筆頭は腹が目立ち始めた皇太子妃サナンである。むしろ胎児あればこそ、祝福に誕生した者を抱えればこそ竈神の奇跡に良く通じよう。

 儀式の祭壇は竈を模した。山の岩盤を掘った半地下型の大竈を造り、薪、段階に応じて乾燥糞に、急遽用意された志願者の木乃伊すらをくべて燃やす。大竈の上には大鍋を置き、生贄の血で”火炎舌”を弱火で煮る。派手に火を起こして強火にはしない。上手な料理は弱火の使い方から始まる。素人のようにいきなり強火で焦がすのは浅慮。火加減は祈祷するサナンが傾城の助言を受けながら慎重に行う。

 生贄の選別、採血は傾城が行う。老若男女の人間と家畜から致命に至らぬ量を集める。破壊と再生の輪廻を司った豊神と違い、致死の要素は重視されない。そして儀式の進捗に合わせてそれぞれの血液が適宜注がれる。

 妻の儀式にヒューネルは立ち会う。声を掛ける余裕は無いが、夫が後から炊飯に見立てた儀式を見守ることは竈神の儀式に適ってむしろ良いとする。真、苛烈に極端な犠牲や苦痛ばかり要求してきた今はもう亡き神々とは一線を画される。このいと素晴らしき女神以外がこの天国を司っていたならばどれだけ苦痛に塗れていたか分からない。御隠れになられたことが極大に惜しい。

 薪の火に当てられ、汗で肌に髪が張り付くサナン。ふと髪が垂れて火に落ちないかと心配になってヒューネルが頭巾を取って来てその髪を纏める。あっ、と儀式の邪魔をしたかと思えば傾城が、問題ありませんと言ってくる。そして更に一言。

「人の子のように同情いたしませんので申し上げておきます。殿下のお子様を捧げる必要があるかもしれません」

 サナンの腹の膨れ具合はまだわずか。この場合にそうすると言うのならば腹を割くか、掻き棒で出すかということになってくるかもしれない。ヒューネルは奇跡で穏やかに堕胎出来ればとも望みたいようで、考えたくはないが。

「覚悟は出来ております。それに一番辛いのは私ではないでしょう」

 儀式に専念する、同じく覚悟を決めているサナンは何も言わずに火を見る。

「左様でございますか」

 慎み深ければまた作ればいいとは言わぬが、人外の陪神の様子を見れば雰囲気が言っている。それに抗議出来る状況ではない。既に控えめとはいえ命は捧げられた。木乃伊は中々に燃えた。

 ”火炎舌”は血でひたすら煮られて、苦しいとも言わず忘我したように鎮座している。傾城の奇跡により感覚が奪われている。本来の儀式ならば捧げられるこの者、煮炊きの苦しみをひたすら我慢しなくてはならない。

 このかつて、難民であった時のヒューネルが一時淡い想いを抱いた半ドラゴンに神が降りる。父帝を殺した者が、陪神に操られて良いように使われてから”秩序の尖兵”に用済みと殺されるというのだ。まつろわぬ邪悪にありながら邪心無く愛嬌溢れていた者が。

 過去に大きく遡り何か最良の解決方法は無かったかと空想してもヒューネルの想像力ではまるでその道筋に至らない。

 半ドラゴン”火炎舌”は良く煮られた。”焚火”の娘ならば熱湯どころか火にも痛痒を感じないところだが、奇跡に煮られて崩れ去って汁と化していた。見た目には原型を留めず、そしてまだ焦げないように煮られ、真に崩れたところで神降ろしとなった。

 鍋から獣と見られる手が出る。すると傾城が急いで鍋の端を持ち、引っ張ってから竈の火中へ中身を引っ繰り返すように持ち上げ、重さと熱さに唸って踏ん張る。

 ヒューネルは即座にサナンを抱え上げ、逃げるかと問うて、はいと返事を聞いて走る。

 鍋が引っ繰り返されて薪に汁が注いで血色の湯気が上がり、汁から注いで煮られて蒸発した血液量より遥かに重く大きな手が見えて竈が砕け散り、続々と全身が這い出て産声のように巨獣が七つの長い首を振り回す。

 焼ける獣毛に覆われたドラゴンにも似た燻る獣、三つの尾を振り回してしばし周囲の岩盤を砕きながら暴れて鳴き、やがて首が座って意識を得たように立ち上がる。お産したての馬のように震えること少し、歩き出し、周囲を確認するようにうろつく。

「かつての御柱様の真の姿そのものです」

「この御姿が」

 旧都にてヒューネルが拝謁した慈母のような巨人の方からは想像がつかない恐ろしい姿である。

「化身を誘導しに行きます」

 傾城が手招きすれば化身は彼女を見ながらゆっくりと歩き出す。母を見るようであろうか、何であろうか、踏み潰そう、噛み砕こうという様子は見られない。

 そして魔女の森の進撃阻止から一旦離れてやって来ていたドラゴン”恒風”が迎えに来て、傾城を頭に乗せて跳び上がる。急激に離れれば急いで追い付こうと化身は走り出す。魔女の森へと誘導されて行った。

「ヒューネル殿下、これを使うといい」

 何時、何処にいるかも分からず目にしなければ妙に思い出せもしないダンピールの長ヴァシライエから、ありがたくと望遠鏡を借りて見やれば、地平の彼方に山へ迫りかけていた魔女の森が見えた。その怖ろしい緑が、化身が吐き出す滅びの揺らめき、色の無い火炎に覆い尽くされる。燃え尽きる様子を見せる間も無く消え去り、大地は滑らかに抉れる。

「いつ”秩序の尖兵”は降りて来るでしょうか」

「あれはまだ姿形だけだ。いずれ陪神の力が尽きて制御不能になり、大暴れで本性を剥き出しにし始めた時に来る。そうしたらお前達に真の春が来る」

「はい」

 不思議のダンピールは未来でも見通したように言う。

 貴女は何者か、と問おうと望遠鏡から目を離した時にはもういなかった。

 望遠鏡を持たぬ皆が不安に不明の彼方を見つめ続けた。その道具が無ければ魔女の森が迫る様子の無い中、緑の麓が何時まであるかと思い悩む。

 そして季節は巡らず、しかし昼夜は訪れ時は着実に過ぎてヒューネルは我が子を手に抱くまでに至る。元気であるがそうそう泣かぬ娘であった。麓はまだ緑。

 その誕生日の夜空、一際輝く流れ星があった。かつて地上にいた時には一筋も無かった流れ星。物珍しく皆で夜空に見つけては良いことがあるのでは、と天国到着以来、新たなおとぎ話を作っていた最中のことである。


■■■


 一目には快挙。”灰燼””光線””百足”の三ドラゴンは総力を合わせて遂に匠のタイタンの柱を破壊することに成功した。長い時間が掛り、折れた柱が天より下がり、地より突き出て繋がらない状態に追い込んだ。そしてそれだけで終わってしまった。

 もはや地上を完全に覆った天蓋、それ自体で支え合って落ちも揺らぎもしない。若干揺らいだ可能性はあるが、軽い地震で済まされた可能性がある。そうして無為だったかと眺めている内に柱は元通りに再生してまう。

 今日まで長い間、美味くもない、むしろ若干まずいほうが良かったかもしれないと思える無味無臭を食ってきた”百足”が徒労を嘆いて努力の証である巨体を振り回して乱痴気に叫ぶ。皆にそれを窘められない程度の苦労は重ねてきた。

 ちなみに大陸崩壊により海底へ森が沈んで住処の大半を失ったフェアリー達は暗闇の中、光り虫のようにぼんやりと周囲を灯りながらドラゴン達の暴れ振りを見ては手を叩いて笑い、真似をして小馬鹿にしていた。

 世界樹の折れた幹は沈み、根より伸びる部分は柱を囲み纏わり付きながらまだ残る。得られる食べ物は減り続け、群れの維持をするために自ずから餓死を選んで落ちるフェアリーが続出して数は往時に届かない。それでも生来の馬鹿な明るさから不幸があったようには見えなかった。

 柱の破壊の側で行われたもう一つの破壊があった。螺旋衝角飛行戦艦魔天号により天蓋掘削である。その岩石を砕き落とす勢いは相当なものであったがしかし、ある高度に達すると不壊の結界に辿り着いてそれ以上進めない。その進行妨げる結界は目に見えない。岩石とは明らかに違い、固いのではなくとにかく切っ先が滑るというもので、”精霊の卵巣”機関より出でた大出力精霊術も滑り、”光線”の熱線も拡散し”灰燼”の炎でもどうにもならず”百足”の顎も滑った。そして掘削を止めてしばしすれば穴は塞がった。

 タイタンの呪術恐るべし。つい最近まで魔女と”秩序の尖兵”がこれまで重ねられてきた年月を抹殺粉砕してきたおかげで認識が狂いかけているが、一二ないし一一のタイタン達は畏怖に値する存在だったのだ。これまで幾度となく反逆者を歴史毎抹消して来た力は本物である。

 ドラゴン達は残る世界樹の根の股に寝転んで途方に暮れ、フェアリーの遊園地となる。魔天号のロクサール艦長は破壊以外の機能を試そうと、とりあえずは人工の太陽と成れぬか上空で光量の調節を試み、タイタンの大陸最後と見られる緑がもう一度活性しないかと研究。

 そんなしょぼくれた大蜥蜴共のところへシャハズ一行が到着した。

 まずフェアリーの女王たるチッカが生存者に空中整列させて指差し点呼を実施。お恵みに呪術の果実を配り、わーいやったーすきーと忠誠心を獲得。

 ドラゴン、艦長、シャハズの五人は車座になって今後を考える。

 最早天国は落とせず、侵入も出来ずと判断された。

 地下世界で生き残る方法を探る必要がある。

 際限なく呪術に頼るのも考え物であり、別の健全な方法を見出す必要性を認める。

 まずは異大陸へ行き、こちら側とは違う知識と経験を積んでいるデーモン達へ会いに行く。

 既に、デーモンが混じり言葉無き会話が出来る”風切羽”が既に異大陸へ渡って様子を確認し、連絡も取っている。そこは豊かでなければ弱い者が間引かれる厳しい環境であるものの、古代から今日まで集団で大陸中に根付くことに成功している。

 また先発している”流血”の移住団に追いつくことも公定される。

 それから第二の異大陸、島々の探検も積極、早期に検討し実施する。魔天号があって移動手段に不足はない。

 陽光が失われて一層厳しくなっているだろうデーモン大陸に何時までも身を寄せることは難しいと考えられる。シャハズが”流血”と約束した呪術による環境改善を実施したとしても、それは失敗する前提で考えるべきで最悪に備える。

 加えて旧神がタイタンの大陸だけで七つも確認されたというのなら他にもいるかもしれないということ。利用できるかどうかは別問題で敵対する危険もあるが、打つ手無くなった時に博打で手を出すことは決して愚かではない。避けられぬ破滅と破滅の可能性では天と地程に違う。

 最後に、何れはこちらが第二のタイタンになる可能性というのもあった。それも優れず劣り、一〇〇〇年以上も繁栄させられない神々として。

 もはや後戻りは出来ない。タイタンは糞。残る戦のタイタンが地下に残っているなら発見次第抹殺。ならば前進あるのみ。

 魔天号、発進轟!


■■■


 魔女の森の脅威が天国より去った。広大な荒野が生まれ、端の方から徐々に緑が戻りつつあるのは奇跡のお陰か、既に根付いた生き物の力か。天国には無いとされた砂漠が生まれる可能性が示唆されている。砂漠もまたそう全く無生物の世界ではないから多様性が生まれて良かったのでは、という意見も否定し辛い。

 致命的な危機は去った。依然として散らばった灰に呪いの病が残っている可能性が危惧されて周辺地域は立ち入り禁止。ゴーレムによる途方も無い除染作業が始まっている。

 危機から手を取り合った帝国臣民とまつろわぬ者達。一体地上での凄惨な殺戮と破壊は何であったかと思われる程に友好を深めつつある。近々、傾城と”火炎舌”の服喪も開けたならば平和の到来の証として皇太子ヒューネルの戴冠式が予定されるというのだから平和論者が哲学を勢い良く振り回しても頭を棍棒で殴られない。かつてなら一族まとめて尻の穴にまで捻じ込まれた。

 そのような中で”抹殺者”は一人黙々とひたすら穴を掘っていた。ドラゴン殺しにすら愛嬌を感じるような怖ろしい神殺しならば手伝う者もおらず、誘ってもいない。友達になれそうな”金剛体”と”振動剣”は危険分子として獄中。

 孤独な彼の道具は棒切れに打製石器を取ってつけたような手製の粗雑品である。幾ら平穏とはいえ遊びに道具を貸せる程に天国の人々には余裕が無い。定住地の建設が始まっているのだ。

 泥に塗れる愚かなダンピールを、仕立ての良い服を着て見下ろすのはその長である。

「意味の無いことだ。かつての大陸で星の裏側を目指すくらいに不毛だ」

 掘る。籠に砕いた土を掴んで積む。

「深い穴を掘るというのはとても難しいことだ。建築技術が必要だな。上り下りする設備がいる。掻き出した土を地上に上げる設備がいる。螺旋階段のように筒形に掘るなら建材がいるな。露天採掘場のようにするならまず途轍もなく広い穴にしなくてはならない。送風装置が無ければ奥で息も出来ない」

 掘り、石に当たり手こずる。

「岩盤層に地下水脈や瓦斯溜まりはどうする。延々と泥を掘ることもあるだろう。水脈に流されれば崩落もある。空洞に落ちてから這い上がるのは辛そうだ。そもそも底があるのだろうかと考えたか? 地と竈のタイタンの呪術は生半可ではないぞ」

 石の側を掘り、手を入れて引っ繰り返して起こし、持って地上へ投げる。手で投げて届く程度の深さである。

「シャハズとお前の殺しは見事だったが、タイタンの世界を維持管理する力は別方向で特別優れている。その点では全く及ばない。一〇と億兆を比べるように途方も無い。文明の崩壊と再建を幾つも操って来た経験と実績は伊達ではないのだ。憎むにしても決して馬鹿にしたものではない。超古代からの巨人は偏屈であろうが巨大だ。偉大と呼ぶには少々、こちら側が偏屈であるかな」

 掘る。籠に砕いた土を掴んで積む。

「それで気が済むならそうしていろ。愛しの彼女に会うためには本物の奇跡が必要だな」

 ”抹殺者”は初めて顔を上げて睨み返した。

「宇宙を遊泳していたわりには随分と人格がらしくなってきたな。そのまま掘り続けていれば哲学者にでもなれるか」

 掘る。籠に砕いた土を掴んで積んでから持ち上げ、頭上より高い地上に押し上げた。


■■■


・神降ろし

 陪神が行える儀式の中では最高の奇跡。巫女如きにはその儀式を主催する資格は無い。

 この奇跡に見合うだけの十分な優れた器を持つ依り代を必要とし、その身に神の本性を仮初に降ろして化身に変えて御力を一時的に振るうことが出来る。

 本来の化身ならば神格が乗り移ってその御意志のままに事を成されるが、竈神亡き後の力のみ残った状態で行われた本件では依り代を受肉素体へと解体して無体な死に至らしめた上に傾城による誘導が必要となって不完全であった。

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