第8話後編「天のタイタン」

・エンシェントドラゴン”吹雪”

 何も無い自由で秩序の無い空を制し、気紛れのように地上を襲撃しては去る天災の如き所業をタイタンは許さず打ち倒した。

『敗北の代償、まつろわぬ対価として、雲の上を見張れ』

 不自由な秩序の空を只管強いられて飛んで得るものの無いは苦痛に他ならない。空が落ちて天の向こうから何か来ることも無かった。

『勝ち負けは分からん。しかしだがやらねば生きてはいない。滾り果てるか冷めて漂うか我等ドラゴンが選ぶべきは一つ』


■■■


 主神からの預言により召集されたクエネラは巨柱より東、帝国伝説始まりの地の近くにまで来ていた。しかしその顔は不機嫌そのもの。嫌々、と見えぬ看板が立っている。腹いせ混じりに遺留品の牛乳蒸留酒をがぶ飲みしているが怒りが酔いに勝っている。時折唸って叫ぶ。

「あともう少しだった!」

 他に叫ぶ言葉はこれに近いものばかり。振動剣と羽虫型の発動器を手にし、六脚戦馬の脚力も手に入れ、遂にあの大百足切って捨てる時が来たと思ったらそんなことはいいからあっち行け、との御神命。不敬をしてはならぬと身についているはずなのにこの態度とは余程に悔しいのだ。

 機嫌の取り方、ましてや女と貴人の扱いを知らぬハラルトにはどうにもならなかった。ただ黙して荷物のように旅中は吊るされるのみ。心持ち仕立て直した甲冑を念入りに磨いてはみたが。

 愛嬌が売りとばかりのフェアリーは相手の機嫌などに構う心遣いは無かった。気ままに可愛い振る舞いをして、うるさいぞ糞虫と言われるだけで耳には届かず省みない。聞こえる、通じる、理解する、実行するには隔たりが大きい。

 かつて馬の国最悪の暴れ馬と呼ばれて破壊と種付けの限りを尽くし、戦乙女十人掛かりで四肢切断、胴だけになっても噛み付く暴れ振りで、戦神に召し上げられてから六脚となった戦馬は唸ったり叫んだりする騎手程度に動じることは無かった。

 そんな明らかに不機嫌な顔をした狂皇女へ、近寄れば面倒臭いことを良く知っているアジルズが率いる難民一行が合流する。決死の覚悟を決めさせられた難民達は、何だあの恐ろしいのはと不安がり、殿を務める最後の近衛チャルクアムはあれぞ武門筆頭皇統の猛々しさよ、と内心称える。

 今や世界は変わってしまった。事の始まりは遥か彼方、光の翼が眩く天高く飛んで消え、しばしして大気が雪崩打った暴風豪雨雪。次いでとばかりに古今東西の装束を着た木乃伊に、古戦場ならば古錆びた刃の雨も降った。分離したケンタウロスやナーガの下半身も見られる。

 死を覚悟した難民一行、敵と遭遇する前にこの変化でまた多くが死傷、動けぬ者は介錯がされて激減する。元ケンタウロスとなって四脚を失った者の多くは足萎えとなり、その者等も介錯された。またある者は怪我を負うでもなく身体が軽くなり過ぎる呪いに罹り、暴風に巻き込まれた時に遠くへ飛んで行方不明になっている。生きてはいまい。

 他にも別経路から難民が集まって来ている。何れも細々とした集団ばかりで、悪天候の他には飢えた犬に狼、ワイバーンが木乃伊食いの次いでに落伍者や死者を食っているという共通の話題が持ち上がる。

 ”吹雪”の軍勢ですらない羽毛無しの禿げワイバーンは野獣である。ある程度武装する集団となっていれば襲っても割に合わないと遠巻きにするだけだが、疲れ切った者達の多くは割りに合った。それから遭遇は稀だったようだが人肉目当ての強盗も出たようだ。隠しているがこの一行の中にも混じっていよう。

 天神御隠れの話題も出る。明らかに気温が下がった。天が薄く曇って膜が張ったようにぼやけて日差しが弱った。雨雪以外にも灰が降り出している。空の灰が薄いか無い日の夜は星の川か雲のような見たこともない輝きが見られた。それは鑑賞に良かったが、今まで道標にしていた星の特定を困難にし、尚且つずれて見えることも確認された。また星が流れ落ちるという脅威の現象も見られる。遥か遠くで音も無く尾を引くだけのこともあれば、一度だけだが轟音と閃光を伴った破壊の一撃が地上へ降りたことも確認された。あれこそが天神の呪いかと御隠れされていないとの希望もあったが、やはりこの天に張られた奇跡の幕が取り払われて訪れた不幸の説明はお隠れしかない。

 これで歳末税なんか払わなくて済むぞ、と命懸けの軽口を天神の御膝元である高原で吐いた者が全く呪われなかった。いよいよ世も末である。

 そのような言葉、他の神に呪われる、という話題に発展した頃、集合地点へ天の陪神白鷹が滑空しつつ現れた時には多くの者が度肝を抜かれた。軽口の者は即座に地べたに這い蹲って命乞い。しかしそんな様子ではない。

 白鷹は着地を前にして羽ばたいても勢い体重に負けて姿勢を崩し、何とか翼を丸めて転げるよう鳥体なりの受け身を取った。岩肌には血と羽根が擦りつく。天神御隠れにより力が弱り、巨体が道理に飛べぬのだ。

 真っ先に駆けつけるのは戦乙女クエネラ、下々より立場も近ければ足も軽い。

「使命、お聞かせ願う」

 戦乙女ならば率直である。終わりが見えた身を案じるなど無為、今際の使命をうかがう。

「必殺の槍と必防の衣を手にせよ。父祖の代より建国神器として頂きに崇められ続けるあの品ならば、御柱様御隠れの今であっても力さえ注げれば”吹雪”討伐もなろう」

 皇帝即位時には必ず参拝に行かなければならない、始皇帝がナーガ、ケンタウロス両王号を手にしたとされる伝説の祭壇は皇族ならば誰でも知る。建国神器はあまりにも強力が故に長らく封じられて来たが遂に持ち出しの許可が下りたのだ。

 ”吹雪”の一過は皆が知るところ。あれを打ち倒せねばならないのは明白だが、手段が無かった。早く空を飛ぶ、これだけでも地上の者には手が出せない。ましてや破壊と凍結の暴風を巻き起こすならば万の銃砲と弓矢を用意してもどうにかなる相手ではなかった。

「お力の注ぎ方は軌跡をなぞればよろしいのですか?」

 天神御隠れならばその御力が移された神器は今無力である。

「その通り」

 クエネラが難民一行を睥睨する。なるほど、集められた者達の由来に合点がいった。ならば血の跡より白羽根を拾ってアジルズの胸に飾りとして付ける。

「アジルズ! お前が見届け人だ」

「はい」

「者共、私は先帝ガイセリオンの娘、鉄宮のクエネラが死して戦乙女となった者、皇統である! 魂を捧げろ、まとめて掛かって来い!」

 死しても戦いを止めぬ皇女、下馬し、近衛に馬と荷物の世話をしろと顎で指示。抜剣し剣先を者共に向けて来い、としゃくる。

 物語を祖先より語り継いできた両族の成れ果て達もならばここに来た意味がある、と決意を新たにし、減りに減ったとはいえ死の強行軍を生き延びた一〇〇〇優に数える強者達が一人と小さな一人に攻め掛かる。

「振動剣」

 ドラゴン殺しの剣をフェアリーが羽ばたきと共に起動。やっつけろ! という無邪気な笑いは直ぐに消え、懐に隠れることになる。小さな羽の人型は恐れ知らずではなく、どちらかと言えば迂闊である。一〇〇〇決死の吶喊を直視することは出来なかった。

 時間が掛かった。天候の移ろいやすい高原とはいえ、晴天が吹雪に代わるぐらいの手間となる。

 一〇〇〇の口に負けぬ猛り声を出し、戦乙女が唸る剣にて水でも弾くように迫る鉄と肉の突撃を切り捨てる。頭首に手指に肩胴、剣槍に斧盾が全て一刀で飛ぶ。エーテル結晶、金剛石以外で食い止められる斬撃ではない。

 言い伝えによればガイセル帝は様々な工夫を凝らして戦った。必殺の槍と必防の衣を纏う両王を相手に勝利したのだから並々なら手管、卑劣と評せる技も駆使した。

 この戦いでは必殺の剣を持って、如何なる横背撃を受けて血を流しても戦意挫けぬ限り不滅の必防相当の肉体を持つクエネラこそがかつての建国神器を持つようであった。これにて儀式は成立するのかは、白鷹も実のところ分からなかった。ただ魂を始めたとした数多の奇跡を願う想いが昇華され、天神が造ったあの両神器に乗り移ればと祈るばかり。不可能性に躊躇する余裕がこの地上にあろうか。

 散らばる血肉臓物が湯気を上げては冷めて凍り付く。斬殺続けるクエネラなど、己を殴って氷割りをせねばならなくなる程に返り血を浴びた。

 一本胴と四脚を失った元両族、一族の誇りを胸に倒れ伏した。もし無為だったとして絶望に死ぬよりは希望で死ぬ方が幸福である。何とも不覚悟に逃げる者もいたがそれはチャルクアムが鉄岩剣で粉砕、戦馬が蹴り噛み殺した。逃げて刑死となるのも儀式の再現なので良しとされる。

 これにて建国神器への力の注入達せられたかどうか、白鷹に皆の視線が注がれる。

「足りねばこの首を出す。それでも足りねば残る者も差し出せ」

 両族以外にも儀式には伝統的に関わっていない難民がいる。想いの質、量が違うため大した力にはならないかもしれなかった。

「いえお待ちを」

 アジルズがとっておきのエーテル結晶指輪を出す。

「考えておりました。”吹雪”の討伐、二つの建国神器では足りません。白鷹様合わせ三つ必要です。あのどこぞを彷徨い暴虐を働いているか分からぬ”吹雪”、あれに追いつけるのは力を取り戻した彼方様しかおられぬのでは? 六脚の戦馬でも地を這う程度ではあの風より早いドラゴンに追い付けないでしょう」

「して?」

「白鷹様はまずは死んではなりません、この指輪にて再び飛んで頂きます。そして建国神器、力を取り戻しているか確認しましょう。戻っていなければもう一つ指輪があります。これで必殺の槍を取り戻しましょう。クエネラ様であれば必防の衣、不要やもしれません」

「よしアジルズそれだ!」

 クエネラの肘打ち、褒め可愛がりに捉えて打ち倒す。


■■■


 儀式を再現する。祭壇へ向かうのはクエネラそして小さな供としてフェアリーを伴う。戦馬には乗らず徒歩で行く。ほぼ伝承通りである。

 白鷹初め、残る者達は祭壇への登山道入り口にて敵襲を受けた。クエネラの背中へ追いつかせぬよう迎え撃つ。まつろわぬ軍勢も伝承を知っていたらしく、神器獲得の妨害であろう。

 氷鳥の魔物が突撃を初め、それを後方から有毛のワイバーンが遠巻きに眺めて隙を待つという小癪でいて怖ろしい戦術で攻め寄せて来た。

 建国神器の争奪戦となるやもしれない。伝承では両族長との決闘の後、両母祖とガイセル帝が所有を巡って争ったともある。まつろわぬ軍勢をその相手と見立てれば更に力が戻る可能性が見いだされた。ならばこそクエネラは供を小さな一人のみとして背中を任せて道を駆け上がった。

 山道の吹雪は尋常ではなかった。明らかに邪悪な魔法の力により致死の域に達していた。

 クエネラは凍傷を負い、治る。耳や鼻など弱いところが落ちてまた生える。これは酷寒の地ではあることだが、冷えにくいところからも凍傷の肉が再生の肉に押し出されて脱落する。また何度も口から壊れた肺の内側を吐き出さなければならなかった。このような異常寒波は悪魔を使う邪教の力。

 フェアリーは魔法にて平気な様子だが、心配そうな顔をする割にクエネラへ魔法の保護を掛けぬあたり自己防衛が精々のようだ。これでは他に供を付けなくて正解である。この異常冷気に耐えられるのは同じ力か、対抗する神々の力を直接受ける者以外いない。

 伝承では山道にてガイセル帝は様々な妨害を受けた。そして多彩な技にて全て退けた。

 冷気の他にあの氷鳥が現れる。際限無い程ではないが煩わしい。

 そして氷鳥の亜種か、霧氷の鳥も現れる。切るどころか手で払うだけで霧散する圧倒的脆弱さだがその冷気は怖ろしく、払った手がもげる程。流石のクエネラも頭をこれでやられればどうなるかと考え、その視認が難しい鳥を良く見るために瞬きを止め、片目を凍傷で潰れるままに見開き、潰れたら閉じていた予備の片目を開けて次の再生を待って順番に使い、可能なら投石、雪玉や氷鳥の欠片でも、最悪でも剣や手で払って撃破。頭部は勿論、足や体幹に当たらぬよう注意を払った。

 儀式の再現である今回、おそらくかのガイセル帝でも退散するような難行であった。常軌を逸した生物を許さない冷気と魔物。それを戦意挫けぬ限り滅びぬ身体でただ耐え、肉の脱落する苦痛を忍びつつ、下で待つ者達が死ぬ前に戻らねばならないだ。今や力を失った白鷹がどれほどまつろわぬ軍勢に抗えるか分からないのだ。アジルズにチャルクアムも一流の勇士であるが超一流の怪物相手ではやはり分が悪い。

 肉を落しての駆け上がりの登頂は狂戦士からも物狂いと称賛されるような気合で成功する。

 山頂の祭壇には槍が突き立っており、柄に巻かれた衣が強風で横になびき続けている。その壇のひび割れ、斜めの角度、ガイセル帝自ら突き立てた時のままであった。

 そして二つの建国神器より力は、微々たるものしか感じられなかった。せめて儀式を執り行って適切に力を導ける巫女でもいればと後悔しても人手は無かった。両族長にその娘、その代替となるような巫女などがいなかった。まつろわぬ軍勢の無差別破壊は足りるはずの物を事前に奪っていた。

 そして祭壇の後ろにはこの場に似つかわしくない、有毛の細身のドラゴンが待っていた。見たことが無くても”吹雪”ではない。”合奏”の威容を基準にすればその子供程であろう。だが軍勢の中では屈指と見えた。噂によれば”新星”以外のエンシェントドラゴンには後継がそれぞれいるらしい。

「出迎えとは何の心算だドラゴン」

「嗤いに来た。乱痴気に守るべき民を切り刻んでいたがこの通りだ」

 ドラゴンが指で神器を弾き、祭壇より落す。そして風が吹いて崖下へ転がり落ちていった。

「振動剣」

 ドラゴン殺しの剣をフェアリーが羽ばたきと共に起動

「またそいつがお前と戦いたがっていたぞ。剣術、工夫がついたそうだ」

「何?」

「それから奴は天の本殿でしばらく馬鹿をやっている」

 ドラゴン、祭壇に周辺土砂、クエネラ毎山道側へ爆風で吹き飛ばしつつ翼を広げて飛び去る。


■■■


 ”吹雪”と大百足の次にあのお喋りを殺すと誓いながら、崖下の雪と土砂の中から余り力の入っていない建国神器を持ち帰ったクエネラは、殺す順番を再検討した。

 山の下に戻ると全滅の有り様に見えた。

 難民、頭割り首両断が目立つワイバーンの死骸に混ざり、尽く倒れて霜と砕けた氷の下。

 白鷹、うつ伏せに寝ており目は開いているが生きてはいない。身体に落着時より新しい傷があって嘴は血濡れ。戦った後に凍死した様相。

 チャルクアムは鉄岩剣を構えず地に刺し、訝る様子で凍り付いての立往生。その目線の先では白鷹ほどではないが大きな黒鷹が小柄な野人エルフを嬲って血塗れにしていた。軽く引っ掻き、刺した爪先だけで持ち上げては落す。小魔女であろう者は悪魔の言葉で痛いと言いながら、細くて柔らかい腕で空しく抵抗し、弱く唸る。既に片目は抉られ、耳は鋸上に刻まれている。

「ハラルト!」

 クエネラが大声を上げれば、白鷹の胴の下から這い出た異形の隻眼、元ドワーフの従僕が足の悪そうな走り方で御前に参上。

「説明しろ!」

「へい。ほぼ全滅。生き残りは俺だけでやして、馬は後から来たドラゴンに掴まって持ってかれました」

「あの黒いのは何だ!」

「へい。アジルズ王子があの、野人エルフに魔法で殺される前に白鷹様が一口で飲まれやして、これはたぶん、あのエーテル結晶の指輪のお力か直ぐに産まれました。お産です、卵じゃなかったです」

「再生の奇跡か。で何故近衛がああも間抜けな姿なのだ」

「へい。あのエルフ、小魔女ですか、死ぬような寒さを魔法で出すんですが、こう、仰向けに寝っ転がってまるで戦う構えで無かったようで、近衛さんが見つけた時にどうも迷ったようです。全てはっきり見たわけではありやせんが、把握してるのはそんなところで」

「大体分かった」

 戦士は戦って死ぬものである。真っ向勝負だろうが隙を突かれようが敗死は敗死で負けは負け、そして最後まで立っていたものが勝者。

「すいやせん、あの、見てるだけで逃げてしまいやした」

「お前の仕事は戦うことではないわ!」

 クエネラはハラルトの後悔毎頬を殴り飛ばした後、小うるさい血塗れの小魔女を一撃で踏み潰し、猛る黒鷹の下嘴を掴んで引き寄せる。その胸には一本だけ白羽が生えていた。

「次は”吹雪”だ! 遊んでいる暇はないぞ、己の仇を取れ!」

 産まれ立てにどこまで言葉が通じるか不明だったが、肘打ちで殴り倒してから策を練った。フェアリーはこの黒い猛禽が怖いようで慣れるまで時間を要す。


■■■


 ”合奏”の時と同様、訓練と準備を欠かさず行い、挑んだ。

 ”吹雪”の居所はあのお喋りの、野心有る様子から信用した。罠ならばそれもまた良し。目当てがいるかいないか、小細工は押し通す。

 天の本殿に到着。情報の通りに”吹雪”は崩れた塔の上におり、翼兵の死体を弄んでは食うを堪能していた。

 エンシェントドラゴンは神々に恨みがある。”吹雪”もまたあり、天神の使徒を辱めることで心を満たしている様子。一つところに座って攻撃を受ける隙を作る程度には満足していたようだった。

 初手、逆光落し。やや陰ったとはいえ未だに目を焼く太陽、それを背負い落下。必殺の槍に振動剣を取り付けられるようにした振動槍にて頭頂を狙い、寸で気付いた”吹雪”は魔法の爆風を巨大な翼に受けて無動作離陸。せめて一太刀と横回転に切れば切っ先が首をかすめて流血。ドラゴン殺しの刃は問題無く通る。どの程度の力加減で裂けるかも把握した。

 塔の瓦礫にクエネラ激突。骨格内臓、著しく破壊されながら続いて急降下から水平飛行へ移った黒鷹の脚に掴まり、その首根の鞍に乗り込む。両者の高空での呼吸の難さはフェアリーが魔法で補う。

 降下の速度そのまま、無動作離陸から宙にて大羽ばたきから飛行姿勢へ移る”吹雪”側面に回り騎突の構えで迫るも、翼を閉じて力を抜いた無動作の錐もみ落下で避けられる。

 眼下の”吹雪”は落下姿勢から開翼滑空、本殿周囲の崖に張り付きつつ谷筋へ抜ける。クエネラは高い位置を保ったまま追う。

 ”吹雪”は山肌を抉り剥すような破壊の飛翔で彼我距離を離す。時折足で地面を蹴って尚加速し、あちらが圧倒的に早い。ならばと黒鷹、爪に固定された残る一つのエーテル結晶指輪に念じて奇跡の神速を得て距離を縮める。クエネラは頭を羽毛に沈める程下げ、黒鷹は翼を閉じて空気抵抗を極限に減らす。目指すはその尾でも尻でも頭でもなく進み続ける鼻先の向こう。

 黒鷹は優速で迫って背面飛行に移り、騎乗のクエネラは逆さの真上、下方への攻撃に移ろうとした時、魔法の気配も無く爆音と同時に”吹雪”は正面開翼による急減速、槍先の狙いが外れる。そして宙返りから長い尾撃が下から、思わず迎え撃って切ろうとクエネラが振動槍を伸ばしたが、それを予測したように曲がり、外し、黒鷹の姿勢が乱れる。突撃から通常姿勢に戻るまで若干の時間を落す。

 ”吹雪”が真後ろを取り、蛇のように顎が外れる程の大口を開いて首も胸も腹も倍程膨れ上がらせ、瞬時に戻り、一見間抜け面に口先を尖らせる。

「撃ってくる!」

 クエネラの警告。斜め左上がりに動いた黒鷹の元の位置を霧氷の筋が通って先の岩塊を破砕。蝋燭の火のように敵を吹き消せる空気弾。

 凍てつく空気弾の回避はクエネラが後ろを見て”吹雪”の胸、翼を扱う筋肉ではなく奥の肺臓の動きから推測し、螺旋を描く狙い難い動を取る黒鷹に避けるべき方向を叩いて教えて予測困難な動きを作り出す。また確率に頼らず目線、口先の位置からクエネラが正直に撃つか、見越しの予測射撃であればその先を見極め、見当外れと見えれば進路先の岩塊、破片効果に注意させる。手段はともかく、魔法による射撃は予測されて訓練の範疇。

 谷筋より横道へ反れる交差点へ黒鷹は退避。巨体故の大きな旋回半径、外側より大回りに横道に入って来た”吹雪”目掛けて黒鷹がワイバーン製の合成足弓を構えて放つ。鏃は鉄岩剣を崩した良き鉄、深手ではないが己が追う側と思い込んでいた”吹雪”が驚き、胸に溜めた圧縮空気を吐き出して石礫混じりの地吹雪を起こす。黒鷹は避けるため上昇、乱気流で安定せず、無理が掛かる上昇を強いられる。

 ”吹雪”は破れかぶれの手など打たない。低空状態から更に地吹雪へ突っ込むように降下し、空からでも感じるような地響き、山間全体に張り巡らされた網でも引き揚げられたように雪と岩石土砂が持ち上がった。下から飛び上がる雪崩を”吹雪”が引き上げるように翼も使わず魔法の力で急上昇。どうにか左右に体を振って避けられる規模ではない。避ける方法は吹雪より早く上昇するのみ。

 黒鷹はまた神速を指輪に祈って絞り出す。まるで燃料のように、一つの願いを徐々に叶える指輪は虹彩に融けて細っている。速く昇り、そして雲の中へ飛び込む。

 避けるだけで勝てるはずがない。雲の高さなど”吹雪”にとりまだ下界。

 雲中からの開翼急減速からの反転降下、頭合わせからの騎突。これに”吹雪”はたまらず身体を反らして斜め降下、距離を取り逃げた。昇る雪崩が落ちる。

 次は黒鷹が”吹雪”を追う。全速力で逃げたと思った”吹雪”だが、羽ばたきの派手さと違っていやに遅かった。そう思った時に彼我距離は瞬く間に縮み、頭を向けぬままに大口を開いて空気を飲み、胸ではなく腹が倍ほど膨らんだ。

「尻から撃つぞ!」

 戦ではある種の常識である。”吹雪”は圧縮空気を肺ではなく胃腸で作り、糞を砲弾に見立てて後方へ射撃したのだ。下劣など勝利の前ではそのものの名称程に価値が無い。

 凍れる岩の如き糞、未消化で半ば翼兵の姿を保った物が噴き出し、見るだけなら美しい霧氷の筋を流す。

 狙いも付けぬ上、散弾連射の様相を体して糞弾は単純な回避機動では避けきれない。

「背ぇ向けぇ!」

 ならばとクエネラは鞍の上、爪先だけ引っ掛けて立てるようにとハラルトが工夫した取っ手を頼りに降下する黒鷹の背に立ち、一旦振動槍も鞍に預けて杭と金槌を持つ。そして迫る糞弾、当たる物だけ選び、直撃直前で巨大なら杭打ちからの祓魔の黄風で弾くのではなくそれを起点に受け流すように軌道修正。小さな物は金槌で打ち落す。

 糞弾を受けている内に”吹雪”は反転、背面飛行のまま尖らせた口先を向けていた。黒鷹の選んだ選択は前に出る回避。それも紙一重を心掛け、姿勢は速度追求、むしろ近づいて狙いを中央正面に絞らせての頭合わせ。ただ避け続けても勝利は無い。

 ”吹雪”は接近を嫌がり、空気弾ではなく広範を吹き飛ばす衝撃の吐き出しを選択し、黒鷹の真下を潜るように飛びぬけて距離を取った。互いの速度が積み上がった速度、意表、と思った時には手の出ない位置にある。足弓で狙える距離でも無くなった。

 ”吹雪”と黒鷹、圧倒的な差が一つあった。既に互いを必殺出来るような手段は持っている。速度もエーテル結晶指輪が消失するまでは競争可能。

「おい限界ならうんとかすんとか言え」

 その差とは持久力。黒鷹、度重なる機動に息を切らして喘いでいた。己の身一つならまだしも完全武装の勇ましが過ぎる大女を乗せ、誕生したばかりの身で空飛ぶ世界最強に挑まされているのだ。ましてや俗に言う鳥頭ではなく、使徒の末裔として、アジルズの記憶をほぼ欠けずに持って頭は理知で回っている。あれこれ考えては器用に動き、難を凌いでは余計に疲れていた。

 次なる”吹雪”の手、上がって落ちた雪崩を再度掻き回して横向きの竜巻となって直進、直撃経路。またも翼は動いていない。

「下に落ちろ!」

 飛ぶは難しいが落ちるは脱力のみ。黒鷹は落ちた。再度上昇することも軟着陸する体力も残っていない。

「背中からぁ!」

 そして鳥とはいえ巨体を背負ったクエネラは岩肌に着地し脛、膝、股、腰の骨を粉砕、圧力で膨らみ膨張する程だがしかし倒れない。装甲度外視の骨格破壊を前提にした稼働式甲冑が折れ曲がりを支えて姿勢を保った。これは肉体を消耗する緩衝材と見做す設計であった。正に狂皇女にうってつけ。

 地に落ちて直撃を避けたとはいえ横向きの雪崩は地を舐める。そこで出番となるのは祓魔の黄風を呼ぶ巫女の臓腑を食らった奇跡の杭。地面に突き立て魔法から身を守る。”吹雪”の起こした暴風そのものはマナ術が防いだ。後は勢いづく雪と岩石だが、岩陰に隠れつつ直撃を避け、陰を迂回する流れ込みは突き立てた杭に掴まり、黒鷹の脚を掴んで筋力で耐える。

「糞虫、こいつの息を整えさせろ」

 フェアリーが魔法で極力暖かく、標高の低い土地基準の空気を作り出して黒鷹の口に運ぶ。泡涎を垂らす疲弊振りで休ませたいところであったが横薙ぎ雪崩の次の手は間違いなく、間もなく訪れる。

 黒鷹は疲労困憊。エルフの気付け薬を、大体人の体重と比べて倍分飲ませたが効きが悪いか抵抗が強いか、死ぬまで動くという様子ではなかった。少なくともそう戦神に召し上げられる基準にある者からは見えた。一太刀浴びずとも筋千切れ骨砕けるまで戦う、の基準である。

「気合を入れろ!」

 クエネラは躊躇しない。手に気付け薬を持って黒鷹の排泄口へ突き入れ直腸投与。健気な乙女のように食い縛らせた。

 その後、気合が入り直るまでの間、落下地点は予測されていると見て吹き溜まりの雪の中を、悶絶しかつ体形上匍匐が出来ない黒鷹を仰向けにしてから引きずってクエネラは這って雪洞を掘りながら進む。既に骨格は再生しており快速。

 落下地点には空気弾が撃ち込まれる。雪と砕けた岩の柱が立つ。

 黒鷹が鳴く。気合が入った。

 クエネラは黒鷹を肩車する形で持ち上げて走り、雪上へ身体を出して羽ばたかせて飛翔。跳び上がりの鈍足を狙い撃ちにされかけたが、エーテル結晶指輪の消失に伴う神速で高速化、空気弾は的を外した。

 黒鷹は崖に向かって飛翔、足をクエネラを壁面に向けてまた足腰を粉砕しつつの三角跳びで十全の飛行姿勢を取り戻す速度、高度を得て鞍へ乗り直す。

 神速の勢い残るまま、黒鷹は”吹雪”の上方から迫り頭合わせ、そして先に少し上昇、捻って背面飛行しながら宙返り、降下から上昇、腹の下を突き上げに取りに行く。

 ”吹雪”は腹を取られる直前にその場で上昇反転、上下からの頭合わせ、を通り過ぎ胴回し回転尾撃、黒鷹仰角付けての回避と即座の上昇。

 俯角を取っての回避ならば槍が届いて尾を切れた。後知恵ならそう判断出来る一面。

 尾撃に速度を落し、仰角から然程上昇力を失わずに黒鷹は並走に迫るが、爆風が起きて”吹雪”が頭からではなく、尻から上昇して高位を取っての頭合わせ。圧縮空気ではなかったが、その口から霧氷が溢れ出す。

「せりゃ!」

 クエネラ、ここで槍の投擲。霧氷に向かって伸び、”吹雪”は首を振って肩に受け、柄を手で掴みつつ小さく息を吸い空気弾一発分を作る。わざと受けて肉を斬らせ、身を砕きにいった。

 黒鷹はクエネラを捨て直滑降、離脱。そして捨てられた者だが、槍に繋がる綱に掴まり飛ぶように登っていた。

 接近は危険との判断より、”吹雪”は槍を抜いて捨てる。

 クエネラは落ちて、縄を手繰り寄せてまた投げる。”吹雪”は片翼だけで減速、急旋回して避けるも奇跡に戻った槍が背中へ、命中寸前に加えられた綱を引く力が合わさって何とか浅く刺さる。必殺の槍は必中の槍へ成り下がった。

 また体に綱でぶら下がるクエネラ。”吹雪”は背の槍に手が届かず、綱を切ろうと両手で試みるが切れない。必防の衣は解されて捩り編まれ、非常に頑丈な綱へ成り下がった。

 そして、フェアリーがもう無理、と寝込む最後の魔法の力を使い、翼も使い急上昇した黒鷹がクエネラの背中に爪を引っ掛けて持ち上げ、蹴り投げた。

 ”吹雪”は首を振り、急所へは到達させまいと頭を遠ざけるがもう一段、杭の黄風が方向転換と加速をもたらす。

 振動しない振動剣を牙の隙間に打ち込み手掛かりとし、クエネラは”吹雪”の口の中に転がり込んだ。舌を滑るままに喉へ降り、伸縮する喉を手足ではち切りながら押し進む。杭を片手に打ち込みながら、圧縮空気や凍付く冷気に身を潰されながら、喉から胸を目指す。

 ”吹雪”は地に落ち、しばし喉から胸へと掻き毟ってはもがいた。綺麗に心臓への一撃を入れる空間は巨体とはいえ無く、また中に明かりや道標なども無く、手探りに内臓を荒らされてしばし苦痛に狂乱。

 ドラゴン殺し、成る。


■■■


・再生の奇跡

 ある者を食らう等して一度取り込み、そして産み直す奇跡は下々の伝承の中でも稀だが事例がある。神々の世界では選んだ者を使徒へと作り直す時に使われる手法の一つ。

 可能ならば生きている内、最低でも死後間もなく食らうと魂の劣化が抑えられるという。間もなく、とは死神が魂を回収する前までにすべき、という意味合いも含まれる。

 戦神の使徒たる戦乙女達が主神に捧げるべき者を物色し、誘拐などせず手早く突然に打ち殺しに掛かって魂だけ抜いていき、それを使って戦神が産み直す事例が再生として最も多い。

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