第8話前編「天のタイタン」
・外世界
海の限界は海神が定められた。それ以上外への航海は許されず、その外は未知である。果てから遠くを望んでも水平線ばかり。
天の限界は天神が定められた。翼無き者の飛行は許されず、その外は未知である。地より空を見上げても雲、星々ばかり。
海神はお隠れになられた。まつろわぬ者達の言では魔王の眷族が外海より帰還するという。
天神はご健在であられる。まつろわぬ者達の言でも星々が広がる外天は分からないが、何か在るのだろうか。
■■■
ヒューネル一行は湖の国に到着したが直ぐに去ることになった。かつて憧憬の地とされた湖は豊神死後、氾濫や渇水を繰り返しつつ無数の害虫が蔓延り、害虫ですら生きられぬ地となって死骸が積み重なり、水により支えられた豊かな生態系は腐汁の沼地と化し病害の温床となった。
新たな難民の一行に病には侵された元ナーガの、一本胴を無くして不慣れな二本足で歩く者達が加わる。
病は、症状が軽い者で発熱、蕁麻疹、下痢で、これらが弱りながらも追従してくる。
重い者は血便、血尿、腹痛と膨満で、これらは助けられぬと親族がそれぞれ介錯を施した。人は選別された。
それにしても人口数多と言われた湖の国の生き残りにしては難民の数は少なかった。南方から攻め上がってくるエンシェントドラゴン”鮮血”率いるまつろわぬ軍勢に追いやられた難民も混じっているのにだ。
それとなく噂から漏れ出て来るに、両難民は食糧不足からまつろわぬ敵そっちのけで互いに殺し合い、そしてその気力も体力も失って口が減った頃に和解が成ったそうだ。
一行は西から追われてやってきて、湖の国の者は南から追われて来た。行くところは東、旧都しかない。かの地にて手厚い竈神の加護こそあれば何とかなるという希望だけが足を動かす。
北は食糧などまともに望めぬ遊牧の高原の地であり、その地の主であるケンタウロス族とナーガ族は古来より仲が悪い。今この余裕の無い時期ならば更なる殺し合いとなろう。更にはその北から逃れて来たわずかなケンタウロス族がかの地には行ってはならないと警告する。その理由は一行が一度目にして心底に理解した。
初見でも、あれは、と分かる異様さであった。細身にして巨大な翼を持つ灰色のエンシェントドラゴン”吹雪”が天を轟かせて上空をただ通った。
耳が割れる音を鳴らし風圧が樹木を薙ぎ倒して地表を削り、殺人礫が舞う暴風の後に赤子や病人を瞬く間に凍死させる極寒をもたらす。開いた目、耳と指の先が腐れる。
その一過で一行の無力が知れた。”吹雪”は眼下の虫けらに目を配ることもなく、殺意すら無かったかもしれない。生き残りの多くは難聴を患った。魔法や火薬兵器への対処を知る者は口を開け、耳を防いで難を凌いだ。凍傷を負う者が続出し、その治療のために重傷者から優先的に竈神への生贄に捧げられた。共食いに等しかった。
”吹雪”一過後、突然に冬が数日間訪れて暦を無視した寒気と降雪に襲われた。ついでと現れるのは氷で出来た姿の鳥の魔物である。空中よりおもむろに氷結し姿を現すのは生命ではなく魔物であろう。最近はまつろわぬ軍勢を背に逃げ、人口過少により呪い人の襲撃も少なかったが、天国という楽園まで油断ならない。
氷鳥自体は然程の強敵ではない。脆く氷のように一撃で割れて砕け、その破片はやはりただの氷で勢いが過ぎなければかすり傷もつかない。触れた瞬間に凍傷を負う程の冷気も帯びておらず、また知能も低いのか自滅覚悟の体当たりが関の山で注意を払えば怪我もしない。しかし厄介なのはその数日の冬の間、引っ切り無しに昼夜問わず襲撃が途絶えぬこと。氷の塊の体当たり、一撃は投石の殺傷力を持ち、尖った造形は鋭鋒と言わぬが鈍くも刺さる。持久戦に耐えられぬ者からまた死んでいった。
そして冬から戻れば雨や泥が待ち受けた。また雪解けの再現のように緩んだ地盤が土砂崩れを起こす。山の斜面から、また踏んだ地面そのものが。
既に世界の風景は一変しており道を知る者も知れぬ有り様。ただ天の星が標である。
何度も繰り返した難民の合流と生きる力の無い者達の死ぬ様。慣れぬ者は泣き喚いた。魔王と魔女の仕打ち、何故これ程までに苛烈かと嘆いても誰も分からず、神々の力不足を訴えた者が呪われるのではと一度注目を集めたが、それすら無かった。いよいよ頼る何かが何も無くなってきている。
そんな泣いた子も黙らせたのは天神の陪神、白鷹である。天より白亜の巨鳥が、一つの羽根でも落ちたように柔らかく舞い降りた。微風が撫でる。
救われた、と早合点する者が現れる前に白鷹は口早に告げる。
「最後の皇統ヒューネル、巫女サナン、統領エンリー、我が背に乗れ。他はガイセルが王を宣言した地、ケンタウロスとナーガの聖地、槍と衣の祭壇へ行くのだ。務めがある」
「女子供がおりますが」
皇太子ヒューネルが意見した。もしかしたら、と子供を抱え上げてその高い背に乗せる用意をしていた者達を代表した。
「務めがある」
「は」
陪神に物申すなど意味の無いことである。
出会いも別れも突然であることに皆が慣れてしまった。選ばれなかった者達は王太子アジルズが率いて、少し前にケンタウロス族が危険と忠告した北の高原を目指すことになる。過酷な死を命じられたわけだが、無為に削り取られるだけのような旅路よりは目的が見えて快かった。
アジルズがヒューネルへ大狼の毛皮を脱いで渡した。これは始皇帝の武具であり、矢避けの加護を持って死傷を難しくする。伝説の剣と甲冑にこれが揃えば最後の皇統として見栄えがする。
「これは、よろしいので」
「皇太子ヒューネル! お前の命はお前の物ではない。人々の物であり、死すべき時あらばそれは神々が決めることだ。自由に死ぬなど許されんのだからな!」
怒鳴り、背を向けるアジルズへエンリーがエーテル結晶指輪を外して渡す。貴重な六つの内の一つだ。
「何かあればお使い下さい」
「ゴブリン如きに心配される謂れなどない!」
「左様で。では御達者で」
「彼方もだぞ統領!」
「尽力させて頂きます」
エンリーは北の死地へ向かうチャルクアムにもエーテル結晶指輪を、貴重な五つの内の一つを渡した。
「これを」
その指は太過ぎたが、下顎から突き出る牙に嵌めた。
「もしや不敬に当たらぬか?」
オークの装飾には牙飾りというものがあった。近衛は華美無用と許されていなかったが。
「奇跡の対価であって神の眷族ではありません」
「ならば」
泣いたり抱き合ったりして惜しむ間柄など無く、選ばれた三人は白鷹の羽毛にしがみ付いてその背に乗った。
サナンは同胞、元ナーガ族の者達に手を振る。親族もいた。
ヒューネルが何か言ってくれ、とチャルクアムを見ればただ拳を突き出して胸を叩いた。言葉は無粋。それを返すだけである。
■■■
”吹雪”による天のタイタン本殿周辺の制圧は範囲が拡大も拡大し、この大陸の東西を隔てる山脈一帯を麓から破壊し尽した。
山々は暴風で森林土砂に脆い岩も削れて岩盤のみが露出する有り様。保水力を失った山へ降る水、湧き出る水は凍りついて氷河を形成。最後の本殿に立て篭る者達以外を根こそぎ、領域まるごと、祈りあのタイタンへ力を注ぐ者達は地形毎消え去った。
生活基準から冒険基準まで旅路の距離と困難さに比して生み出されるその想いを呪力として、難民死屍累々の行路にて過去類を見ぬ程に高まったそれを天のタイタンは受け取っていた。悲惨を救って人々に還元する気が天のタイタンに無いことは判明している。代わりに何を成そうとしているかは分からなかった。匠が柱を立て、豊がその傘を広げた。次は何であろうか?
天険の頂き、世界最高峰に設けられた更に天を臨む天の本殿、形は高みを目指す塔である。そこは魔法を相殺する赤光のマナ術に覆われていた。まつろわぬ軍勢が苦手とすると言って良いだろう。小手調べに突入させた氷鳥の魔物は全てただの水となった。
包囲するのは小魔女、そして野性の弱い禿げとは違う、高地適応の有毛ワイバーン達であった。
小魔女は毛皮で赤子のような”お包み”となり寝転がっていた。立つも座るも煩わしいと仰向けに天を眺め、足の裏は本殿に向いている。その姿勢にて冷の精霊や氷鳥を操り、本殿丸ごと凍てつかせようとしていたのであるが、今のところは千日手である。
登山は面倒と、気のドラゴンお姉ちゃんに送って貰ったシャハズは到着するなりその小魔女の頭の方に座り、顔を覗き込めばエルフにしては丸かった。そのまるで寝ているようで目が薄っすら開いて瞳孔がゆるりと動く。
『どう?』
『空気を……』
かすれる声の小魔女へ、シャハズは精霊術で低地同等の濃くて暖かい空気を作り出して送る。すると深呼吸を始めた。
『大層良い心地です魔女様。好きです』
小魔女の声は大層眠そうで、やる気の有る無しを気合だけで計るなら一割と言わず一分の半分程度。腹の上に大フェアリーのチッカが、どーん! と乗っても、やや唸るだけで身体を強張りさせもしない。脱力の才があった。成熟しても赤子のような振舞いは生半ではない。
『で』
『ゆるりと締め上げております』
『ふうん』
時折明滅する赤光の外にはまるで彫像のようにケンタウロスの戦士達が林立しており、凍り付きながら突進を止めなかった者は足が折れ、形相だけは勇ましいままに転がっている。霜の張り積もり具合で新旧区別出来ようか。
とりあえずシャハズはその丸い顔を手で挟んで遊ぶ。顎の筋肉は発達しておらず贅肉が多い。本気で食い縛って力を出した経験などない柔らかさである。チッカは下顎から攻める。
『疲れた?』
『高山病対策でもありますが、これは私の体捌きがうんちなので、ならばいっそ戦う姿勢すら見せずに相手の戦意を挫こうという策なのです。寝転がる頭の弱そうな少女を見て奮起する勇士も中々珍しいのでは』
『ふんふん』
シャハズはそういう発想もあるのかと感心した。死んだ振りならず戦わぬ振り。やる気が失せたと見せて不意打ちを入れる殺法もあるが、初めから捨てられた人形のように振舞うのは面白かった。
『良く出来ました』
『はい』
『眠い?』
『森エルフ直伝の覚醒剤を服用しております。あちらと違って冴え渡っております。眠そうな顔と声は生来です。前の主人には使い古しの縫いぐるみと言われたこともあります』
『そ』
『はい』
シャハズは赤光の向こう側、マナ術で揺らいで乱れる見目を頭の中で整理し、実像に近いものに仕上げる。不眠不休、脂汗が滲んで決死の形相となっているケンタウロスの巫女が見えた。姿は白毛金髪の、あの当時の母祖の再来に近い。気負いの程は並ぶ者がいたとしても上はいないと見える。その周囲には完全武装の同族兵士が健気にも臨戦態勢を解かないでいる。
『閉じ込めて二日になります。彼等にはお山を不眠不休で渡る難行があるそうで、もう数日なら巫女姫さん方は堪えるでしょう』
『”吹雪”は?』
『”吹雪”様はタイタンの一撃を怖れて遠巻きです』
本殿周辺は、高地ということで岩盤剥き出しではあるが多少の並の積雪が見られる。ゴミも多少、吹き飛ばされた跡ではない。
『糞は?』
『どうやら塔に籠って何かしている様子です。下界の破壊を見ても微動もしておりませんが、下々は一瞬でも稼ごうと命を惜しんでおりません』
『分かった』
天のタイタンが闘争を放棄してまで何かに注力しているのはやはり間違いが無かった。呪術を効かせている先が遠隔地で判然としないのが良くはない。
シャハズは小魔女の額をぺち、と鳴らして叩く。
『”剥製”エイダン』
『お名前頂きます。行いと在りよう、そのものです』
立ち上がるなりシャハズは矢を番え、加速だけに絞った術矢を放って巫女姫の目から頭部を射抜いたが倒れない。脳の大事ではない部分だけを偶然貫いた可能性があった。綺麗に貫き過ぎた可能性。
攻撃を受け護衛兵が早速その周囲を固めて肉の防壁となる。今までエイダンの攻撃にだけ慣れていたせいで、疲労もあろうがこの有様。赤光のマナ術は持続力に優れて広く魔法を防ぐも物体を通すのだ。
赤光は半透明に濃淡揺らぎ、良く見通せない。護衛兵達は短弓を構え、おおよそシャハズのいる方向へと矢を乱れ射るも、魔女の手に掛かれれば全て精霊術で欠損させずに落し、チッカも手伝い、はい、ほれ、それと矢を拾って渡し、射返し虐殺へと移る。
巫女姫は意識があった。ケンタウロスの女族長も兼ねて王号は謙遜し姫号を使い、才色兼備と母祖の見目の再現からも慕われた。
慕う同族達は盾となることに躊躇が無く、死んでいく。赤光が消えれば塔の中の者達まで死んでしまう。戦士達が死に絶え、そして守ろうとしたはずの女達も死に絶え、子供達さえも前に出た時に赤光は消滅した。気力は絶えて守るべき者が凍てつき剥製の如きとなった。
巫女姫は凍り付きながら走り、怨念の形相にて槍を投げ構えた姿勢で止まり凍てつき剥製の如きとなった。潰れていない目をチッカが撫でてももう動くことはない。
直後、上空から翼広げる六肢、重装翼兵の軍勢が襲い来る。下々の皆殺しを待っての行動である。
寝たままのエイダンはワイバーンの一頭に咥えられて離脱する。その判断は翼兵が冷気を物ともせずに動き回っていることが確認された瞬間。
天のタイタンの使徒ならば精霊術除けの呪術を纏っている可能性があった。シャハズは試しに、そうでなければ身体の形も保てない威力の複合精霊術を放ったところそよ風の手応えすらない。
今まで待機していた有毛のワイバーン達が立ち上がり、いきり立って軍勢に激突。牙に爪は甲冑に通らず、そもそも巧みに避ける。稀に当たる巨体の打撃は木の葉を打つように手応えが無い。亜竜の暴力さえも流される。
エイダンの置き土産の術により空気中より結晶出でたる氷鳥の魔物も賑やかしにしかならず砕け散るのみ。正に眼中に無い。
その翼持つ軍勢数百数千、全て武芸の達人であった。槍に斧槍、鉤竿に鉤縄に弓矢を用いて瞬く間にワイバーン達が捉えられ、急所を無駄なく刺して殺していく。
シャハズが放った矢も如何に加速して良く真芯を捉えても何か手応えが無い。当たった物を空に切らせる呪術、それが掛かっているようだった。エーテル刃のみが切り裂くが、如何に魔女などと号されても多勢に無勢で一体二体に傷を負わすのが精々。
『”更新の灼熱”』
チッカが呪術ランプを掲げ、光なのか何なのか良くわからないぼやけた何かをそこに宿す。
シャハズがランプを媒介に旧神の力を放つ。それは光りもせず色も無く、空気が蠢くことでようやく何かが走っていることが確認出来て、それに触れた翼兵は焼けもとろけもせずただ粉のような、わずかな風だけで地にも落ちぬ細かな埃になった。
”生命の苗床”。
チッカも脅威となれば翼兵の矛先が向くが、それは言うなれば肉のドリアードが壁となって防いだ。原材料は死したワイバーン、そして大フェアリーに近寄った敵そのものであった。肉を蔦のように変化させねじくれ絡み合って別の生き物と化して翼兵を掴み、絞り上げては身体の穴という穴に浸透、中から食い荒らして増殖。これにはうげ、と術者も顔をしかめ、くさい、と臓物由来の蔦が臭って鼻を抓む。
『”調伏の回虫”』
シャハズの瞳孔に線虫のような何かが巡り、睨みつけた者の呪術が解かれる。使徒たる翼兵はその不自然な翼での飛行を保てなくなって落下し、矢を受ければ刺さって死ぬ。これにて形勢逆転、生き残りのワイバーン達がただの地面で足掻くだけの常人の如き翼兵を噛んで蹴り潰し、尾撃で骨と内臓を砕いた。
翼の雑兵が死に尽くした後、次は四翼を持つ裸身の翼巨人が現れ、手招きするような仕草一つでワイバーンに肉ドリアード達を天に落とした。チッカも髪天突くような姿になって落ち掛けたがシャハズが足を掴んだ後に解呪。
翼巨人、天のタイタンかとシャハズは判断に迷ったがどうやらその雰囲気は無い。しかしどうにも次から次へと畳みかけずに逐一実力を計るような戦術には疑問が沸いた。
この前は”吹雪”が先陣を切ってこの本殿を襲撃、塔をあっさりと崩落させたことにより天のタイタンは奴等の言う天国へと逃げてしまった。そして追撃したエンシェントドラゴンはあの柱の上の新たな大地へ単独で向かい、撃墜されて死んだ。失敗だった。
今回は”吹雪”はあくまでも遠巻きに包囲するような形で、タイタンへの呪力の供給源を断って何らかの企みを予防もしくは遅延することに専念させた。
最後のセイレーン、テレネーから分けられた”調伏の回虫”の瞳にて翼巨人をシャハズが睨めば、落ちはしたが軟着地。放った矢は反れ、”更新の灼熱”はあまり進みが早くないことから走って逃げられた。
シャハズはまた逆さに落ちたら危ないとチッカと手を繋ぎながら考える。
『そっか』
翼巨人を無視して塔へ駆け出した。
■■■
天のタイタンは次々試した。武術も精霊術も通じぬ翼兵を呪術でもって殺し、特別力を与えた者も難なくあしらうあの者は地獄から戻った魔女で間違いなかった。ならばどこかに”秩序の尖兵”もおり、こちらが本領発揮する時を待ち構えている。
タイタンは永遠の如き命を持つからこそ死や己に匹敵、凌駕する力を特に恐れて来たが遂に捨てる日が来た。一度決断すれば軽かった。
本殿である塔内を魔女が駆け上がっている。もうあれこれと呪術を掛けようにも余力が無かった。全て計画に費やした。特別力を与えた者は――塔の入り口に引っ掛かって難儀しているだけでもう役立たず。大きければ威圧感から相手を圧倒すると思っての造形だったがここで使いものにならなくなる。
罠も待ち伏せもなく、エルフの魔女は塔屋上へ到着した。”生命の苗床”の力を感じる緑羽を持つ大フェアリーを背負っており、両者共に何やら散策にでも来たような泰然自若の風貌であった。如何なる時でも平静の者は強い。
『お前も既に魔女や魔王の後継と、何れ”抹消”の息子に消されるだろう』
『あっそ』
天のタイタンは常態にて六翼を持つ巨人大の輝ける美青年。魔女が繰り出す矢も無数に組み合わせた対処困難な複合の精霊術もそのまま受けて無傷。様子を見て、避けようともせず、今まで如何様にして、初めに死の者を殺した方法とは何だと興味を持って観察していたところ目に矢が突き立った。目眩ましに混じった忘れる程昔に感じた痛みに笑った。それはエーテル鏃でタイタンを貫く。
少し試してみるかとタイタンは槍を持ち、扱いて魔女を突き、避けられ、柄の上を走って喉元に迫られ仕込み杖による抜刀で迂闊にも首を撥ねられた。切った方も拍子抜けの両断。
呪術に恃んだその悠久の生においては武術どころか体操も怠り続けて来た。隙を見せれば後は無いという緊張感に欠けていた。磨き抜かれた俊敏な達人を前に、単純な実力差でもって敵わなかった。
胴から首が離れた天のタイタンは反射的に、常人が熱い物を触れば手を引っ込めるように真の姿を晒す。それは頭も胴も無い光の翼そのものである。せめて変化の瞬間を奇襲とし、翼にて魔女を打ち払い一撃しようとしたが翼面を蹴って自ら飛んで衝撃を無きものとしていなされた。達人を前に悪戯な打擲は意味が無かった。そしてまた泰然自若の風貌のまま、塔の下へ落ちていったかと思えば精霊術にて速度を調節して難の無い始末。魔王を名乗るデーモンから呪いを引き継いだとはいえあの個人としての実力は天晴れ。
真っ向勝負に負けた天のタイタン、計画通りに、物思いに耽りそうになる思考を切り替え、とにかく全力最大の力を振り絞って天高く羽ばたいて加速、天突き抜けるまでの飛翔を開始する。
眼下、小さくも素早く理不尽に迫るのは”抹消”が仕上げた”抹殺者”を媒体にした、金剛石の塊となった人型”秩序の尖兵”。タイタンを持ってしても理不尽の権化と評される、旧神と便宜上呼ぶ何かしら。
天のタイタン、真の姿でこれを待っていた。元より死ぬ覚悟である。
只管太陽に向かって上昇する。無駄なく直上、最速を求めた。
高く目指す程寒くなる。高層の雲、着氷。
更に高みを目指す。まだ”秩序の尖兵”は追って来る。翼も何もなければ精霊術の気配も無く飛翔する姿はやはり理不尽。呪術の限りを尽くした最高速に対して何の代償も無く追随して来るように見えた。
余りに高く、生命が呼吸出来ない位置、下がった気温が上がる。そしてまた下がる。
空気がにおいが味が代わり、日差しが地上では比べ物にならない程刺す。
空気は最早薄いというより無いか散らばっているかのようになる。青空ではなく黒空になった。
音が消える。肌に空気も触れない。翼を動かしても抵抗も無く勢いもつかない。精霊は全くいない。その身は地上には引かれるようだが落ちることもない。例外的に外から勢い帯びて迫る石くれは落ちていく。あれは魔法なのか何なのか、星の屑が偶然通りがかっただけなのか。
この高さまで来るのは天のタイタンでも初めてである。地上に落ちる高さより上は恐怖から挑んだことはなかった。この高さならばもしやどこか高みから全てを見下ろしている”予言の隠者”でも探せるのではないかと思えたが見えはしない。
物思いに耽る間も無く”秩序の尖兵”が何もない空間で飛び跳ねるように天のタイタンを切り刻み始めた。鋭利な刃などではなく、ただ素早い体当たりの連続。
死にながら最期に見たのは古代より褪せたがまだまだ青い世界、渦巻く雲、幾つもの陸塊、増えた氷河、一際不細工なのは匠と豊の者が拵えた天国の土台。空を飛ぶことを小人に禁じて来たのはこれらを見せぬ為、行かせぬ為。
■■■
シャハズは精霊術を駆使し、可能な限りに上空を望遠した。何も見えなかった。目立つ光の翼も、砂粒以下になって消えた”抹殺者”も青空の向こう側のようである。
天のタイタンの死は観測された。千年以上天に溜め込まれていた、呪いにより天に落ちた者達の木乃伊が礫のように落ちて来る。先程死んだばかりのワイバーン達の巨体が岩盤で打ち砕かれ始める。
凍死した剥製のようなケンタウロス達が下半身から蠢き出した。蹴飛ばせば馬身が崩れ、脱皮でもするかのように人の二脚が現れる。
山から上下に見えた。渦巻く高い雲、低い雲、まるで洪水のように流れつつ一部は雷光雷鳴を孕みつつ一気に冷え込む。そして雷とは別の轟音、光り引く塊が空の向こうから落ちては閃光放ち、流れた地平線の向こうで着弾爆音。まるで星が落ちて来たかのようで、それしか見当が付かない。
強風が少しの灰を呼び込んだ。今これらの光景はかつて外の大陸へ逃げたデーモン達が味わった慈しみの無い天候である。
空が黒と星と月だけになるのを待っても”抹殺者”帰還の様子も無い。夜空には星が線となって流れる様が見られて、もしやあの中の一つかと思えば捜索が手間に過ぎる。この大陸に、そもそも土の上に落ちる可能性すら低そうだ。
チッカが呪術ランプを掲げて”秩序の尖兵”の力を宿そうと試みて、やはり反応が無い。空の向こうに行った”抹殺者”を操作して戻すことが出来ないかと試したのである。
『どうしよ』
だめかも、と首を傾げるチッカ。せめて金剛石の欠片一つでも手に入らないかと念じても反応が無い。本性晒したタイタンを殺す手立てを失ったかもしれないのだ。
ワイバーンが口先に、渇いた涎でべたべたのエイダンを咥えて戻ってくる。話しやすいように二人の目線に合わせた高さで保持される。
『ご討伐おめでとうございます。何かお困りと見えますが』
『空の向こうに行ったシロくんが戻って来ない』
『お噂のタイタンを殺す”抹殺者”様ですね。天より上へ連れて行かれて迷子になって空気も無く無限に窒息し、大変お寒い上に太陽に焼かれてしまうのでしょうか。お可哀想に。きっと道連れにしたのでしょう。半数以上も殺せば対策を取られても不思議ではありません』
『どうしよ』
『気のドラゴン様から以前に、ここよりそう遠くない砂漠の魔王城に旧神”精霊の卵巣”があると聞いております。状況が落ち着いたら修行に行ってみてはと言われておりましたが、旧神のことは旧神に頼ってみるのがよろしいのではないでしょうか』
『それ』
旧ロクサールの砂漠の奥地にある”精霊の卵巣”。無論シャハズの頭の中にそれはあったが、そこへ赴けば自分の手から離れたことばかり起こるような気がしてあまり考えないようにしていたのだ。誰にでも苦手はある。
チッカが、大丈夫! と両手を握り拳にした。前と違って相棒同伴は頼りになるが。
■■■
・荒天と馬身の呪い人
天のタイタンが安定させていた天候が乱れ始める。耕作、牧畜、居住可能地域はおそろしく狭まり、生活も牙剥く自然と相対する機会が増える。
ケンタウロスは天のタイタンが自分に都合良く品種改良した人間。四脚にて広範囲を縦横無尽に駆け回らせることを可能にさせ、居住に過酷な草原砂漠も繁栄させ且つ大陸交通を壮大活発なものとした。馬身を失った馬と馬術を持たぬ者が広漠な地に取り残されれば運命は自ずと知れよう。
・軽身病
天に落ちる程ではないが身体が極端に軽くなり歩くことすらままならなくなる。ふとした弾みに吹き飛んでは不便を強いられる。尚、呪いの病に罹る程の神官等は絶滅危惧がされている。
・結界の空
天のタイタンは空の上にいる何かを怖れた。”予言の隠者”ではないかとの憶測と隕石という実害である。今日から空には星が流れ、たまに落ちる。
・旅行
生活程度から冒険程度まで、移動し何かを為すまたは何も為さずとも得られる苦痛と達成感は想いを生む力であり、天のタイタンの力の源であった。天候は巡って不動の大地の上でも小さな者達は巡り続けた。
・気候変動
季節の巡りが人の目からは狂った極自然となり旧来の暦は今後用を為さない。この箱庭に住む者はこれから火山灰が舞い、寒波が日常的に襲う世界に身を置く。
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