第7話後編「豊のタイタン」

・”合奏”の娘

 姉妹ですらない同型と呼ばれた物の多くは動くことすらなかった。反応があっても虫以下、自由意志と呼べるものが芽生えたのは己だけ。

『産んだのではなく間違いなく製造しました。他とは違うことを自覚しなさい』

 様々に行動を試し、未経験の刺激がある度に神経が拡張。遂には遥か彼方との接続さえも感じ取ることに成功。

『良くそこまで動きました。名前も自分で見つけなさい。それはいい加減にではなく……』


■■■


 そこは足場が悪い。倒れ重なった古木が決闘場となる。幹は丸く、樹皮は怪力の踏み込みで剥けて滑り、枝葉が邪魔で視界を防ぐのみならず、力が掛かって折れるならまだしも曲がってしなりに返ってくる。羽虫もうるさい。

 ようやく掴まえた、そう二つとなった頭が相互に認識して、脳天割りから心臓割りに至った敵の剣を胸と手で止めた。

「そんな手が!」

 それに喜び驚いたのは、ドラゴンを良く模した甲冑を着たような如きの裸身者、外見のみで判断するなら半ドラゴンの如き剣士。名前はまだ無い、との名乗りであった。

 この半ドラゴンにとっては剣舞の、お遊びの心算らしかった。乱痴気騒ぎに興味は無いと、不意打ち飛び道具に毒なども使わずクエネラに真っ向勝負を挑み、好き者らしい達人の撃剣で追い詰めてからの即死の一撃が失敗に至る。

 剣先が背より向こうへ突き出た至近距離。不壊の金槌での滅多打ちが始まりかけて、ブンと鳴った途端に骨肉で止まった刃が嘘のように指を落して股下へ抜けた。

「お見事!」

 普通なら利く耳存在せぬ斬撃の後だが、既にその割れたはずの頭の接着が始まり、股下から内臓が一人分落ちてもその眼光は戦意に溢れていた。半不死の戦乙女は超常。

「次はこの振動剣を相手に勝てるよう精進しておいてくれたまえ!」

 半ドラゴンは己の剣、羽虫のように鳴る振動剣をクエネラに良く見せた後、高らかに笑いつつ走り跳び去っていく。

「待てぇい、この首繋がっているぞ!」

「そんなの勿体無い、また遊ぼう!」

 侮辱。腹が治りかけのまま、腹立ち紛れに垂れる己の内臓を千切って沼に投げ捨てる姿も超常。痛みや苦しみが忘れ去られたようだった。

「殿下、とりあえず逃げやしょう」

 戦馬から荷物のようにぶら下げられらたハラルトが忠言するも、当然否である。

「支度をするぞ。装備を整える」

「へい」

 従者は主に逆らうことはしない。

 湾の国統領エンリーとクエネラが相談、考案した豊神挑発作戦は、その起こりだけは成功を収めて現在失敗へ至っている。巨柱の傘が開くような変異に対する評価は現在不可能。

 まるで俗世など知らないという豊神を戦場へ狩り出す挑発行為は、戦乙女としてクエネラが、戦神に神々へ反逆するわけではないという確認を得た後に実行された。

 方法は、豊神の巫女を御柱様自身と見立てて本殿ご神木に抑えつけた後に神器たる杭を心臓に突き立て金槌で叩いてその激痛を念越しにぶつけることで成功する。戦の権能たる挑発、釣り出しの奇跡によりお相手の激情は能く刺激された。

 激怒される豊神に潰されぬための工夫は、エンリー自身は本殿より遥か遠くへ事前に避難するとして、クエネラは一つ受け取った奇跡を呼べるエーテル指輪を捧げて戦神から六本脚を持つ戦馬を譲り受けることで対応。此度の大戦争に積極介入の戦神からも、貴重な使徒を受け取るならば相応の対価が必要だった。奇跡に対価が必要とされるのはただご機嫌取りではない。必要なのである。

 悪路を苦とせぬ戦馬にクエネラは跨り、しがみ付くも跨るをしても落ちそうなハラルトは縄で鞍に縛り付けられたまま、使えそうな装備を見繕いにこの落ちた森を駆け巡る。頭と一緒に割られてはいなかったフェアリーは震えながらクエネラの耳を掴んでいる。さしもの小さな能天気もそうではいられない。

 惨状であろう。怒れる豊神にまつろわぬ軍勢は対向するため、エルフの森の下から御柱様と同大の白いドリアードを呼び出して戦わせた。

 まず大ドリアードの立ち上がりで森が落下し、その衝撃で森に難民野営地や居住地が崩壊、散らばって攪拌。この時点でほとんどの者が死亡する。

 落下したところがただの地底ならばまだ良かったが、その下は異常な臭気が漂う大沼。落ちた何もかもを底無しに飲み込んで止まらず、少しでも触れれば侵食、致命。不幸中の幸いとするならば水に石を落したようにとはいかないところで、森の沈下には猶予があるところ。

 追い打ちをかけるような不幸としては魔物と言うには全く姿が洗練されていない、そもそもまともな生物としての体を成していない異形としか言えぬ怪物が跋扈して死傷者から奇跡的な健常者まで襲っていること。

 異形にも種類があり、ただのたうつだけの水子のごとき個体からドラゴンの成り損ないかとまごう個体までまとまりがない。本能だけは真っ当にあるのか、自分より強い者からは逃げていく。弱い者は捕食する。

 そして更に森を沈めて立ち上がった大ドリアードだが、豊神を倒す役目を終えた後から崩落を始めている。草木編みの体、崩れていく肉には魔法の金属が纏って大重量。その落下の衝撃は沈む森を破壊、無論生存者も直撃で砕ける。更には余波にて泥を撒き散らしては、それが当たる何もかもを侵食して変な植物が生えたり、直ぐ朽ちたり、新たな異形が産まれて成育する間もなく大抵が死ぬ。

 小さい沼粒から産まれる多くはそもそも生存に必須の器官が揃っていないが、己の肌に張り付いた箇所からそんな異形が誕生する恐怖は筆舌し難く、生存者を発狂に導く。

 史上最悪の死地として指折られそうなこの場にてクエネラが目指したのは森越の国の首府大木城。世界樹の株と太陽の位置から大体を把握して進む。

 震えるフェアリーは流石にこの崩壊した地で案内には立てない。その代わり、魔法にて木の足場を作り戦馬の脚を助けた。

 悪魔の言葉こそ吐かないが明らかにフェアリーは邪悪でまつろわぬ魔法を使っている。怯えながらも自慢げに、役に立とうという姿を非難は出来ないのだが。


■■■


 ”生命の苗床”に森エルフ達の、シャハズの故郷が沈んで食われる。自ら望んで出た土地を、チッカに行動を依頼する形で滅ぼしてしまったと言える。こうなるとは予測していなかったとは言え、ならないよう細心の注意を払ったわけでもない。丸ごと崩壊するくらいは今までのタイタンとの戦いの経験で予測がつく。その上で手加減を要求しなかったということはそこまで大切に思っていなかった証明。うっかりする程に気を抜いてはいない。

 前回の偵察で分かっていたことだったが、現代において森エルフという存在はほぼ消え去ってしまっていた。この森に住むのは今の時代の者達が単純にエルフと呼ぶ連中で、森の血統を継いだように見えても完全に混血。髪に肌に顔が違う。率直にシャハズの頭に浮かんだ言葉は醜い雑種。普段、このようなことは考えないが魂が言う。

 血さえ受け継がれればとも考えられるが伝統は姿形を変えていた。森には開墾された畑が広がり、伐採林も管理され、道路が敷かれて外界にしか無かったような街も出来上がり、完結されていたはずの生態系に余分な草に虫に獣が入り込んでいる。ましてや出身のカガル族の大木城の玉座にはあろうことか、あの砂漠の糞混じり副王が我が物顔で座っていた。古い者の視点で既に己の文明は滅んでいた。現代野人エルフ達の意見は知らない。

 文明は滅んで新たな文明が築かれるものだが、今それすらも滅びようとしている。沈む森のエルフの生き残りはわずかで、それが更に落下し、捕食されて減り続けている。そして明らかに砂漠エルフの黒色が強い者を選んでシャハズは弓矢にて追い打ちに殺害。

 砂漠の糞共、物心ついた時から血が決めた宿敵。タイタン共への復讐のように経験から学んだ気はせず、食べて寝たいように憎いのは異常。明らかに呪いの類でこれの経緯は不明だが、互いにそう感じて応酬を繰り広げて現在の族滅状態に至るのであれば発端など些細である。これを討つのが義務。

 砂漠の純血は良く見られる。森外から避難してきた者も多い。射殺す。

 砂漠と草原の混血も多い。これが今の所謂エルフの主流派。射殺す。

 若干森と金の名残が見られる者もいるが、仕草や服装が完全に森外文化のものであるから射殺す。

 複合の精霊術で彼等を虐殺するのは容易くて手応えが軽い。森エルフの宿願は得意の伝統武器で叶えていくのが己の文明への葬儀になる気分。シャハズの顔が初めて浮かべる半笑い顔は、坑呪の魔女号でも抑えられなかった。

 雑種を殺戮していく中で目を引く老体を見つける。エルフ最強であろう副王である。醜い雑種の上、古いエルフ基準では老い腐れの年代、早く次代のため、敵刃に掛らぬならば身内が頭を斧で割るべき皺の深さだった。

 複合精霊術で最大速力を得た矢が副王に向かい、余裕を見せるように掴み取られて弓で射返される。遅いので侮りそうになったが途中から複合マナ術纏いに彩り揃えて加速、遅延発現。それに複合精霊術を当てるも全て相殺されて矢だけが早いまま、それに加えて影矢も飛び、精確な正中線狙撃に二本は仕込み杖を盾に防いだ。精確に過ぎる射撃は達人に読まれる。

 エルフ副王は魔王と呼ばれたロクサールとの戦役で活躍し、他の王子王女を抑えて玉座に付いた実力者。流石に手練れ。

 副王の周囲、燃え始める。そして精霊術を相殺するマナの橙火を纏って祓魔の防御を固め、矢合戦は埒が明かないと即座に判断して抜刀、古木に枝葉に飛ぶ異形から空中までマナ術を使って蹴りながら高速でシャハズへ肉薄しつつ、道中でチッカを狙って短剣投擲、高みの見物を決め込んでいた武術知らずの大フェアリーはあっさり緑羽を落され落下、顔が悲鳴を上げていた。

 副王の橙火、複合の精霊術に相殺される。そして相殺の中振るわれたミスリル刀は仕込み杖に防がれた。杖に当たって刃が折れる曲がるならまだしも、鞘に切れ目が入った直後に手応え薄く切れ飛ぶのは予想外。そう気付いた時には身体の勢いは刹那に静止不能、素直に刃が杖を抜けて身体に食い込んでいないと実感した時には捻りが入った杖が折れた刃を弾いていた。

 シャハズは杖を短く持ち替えた打撃で喉を潰す反撃にて、最強の現代エルフを倒した。老体は古木から滑って沼に落ちる。小さな友人への陽動攻撃などに動揺しなかった結果が出る。

 杖に仕込みがあったまでは手練れは予測していたかもしれない。しかしそれがタイタンも切り裂くエーテル刃などと終ぞ考えもしなかった。

 沼の表面近く、小さな白ドリアードに支えられて沼落ちからは免れたチッカがいる。緑は片羽、空しく羽ばたいても当然飛べず、顔は困惑の色。同情を誘う意図は本人に無くとも大抵の者の心を打つ見目となっていた。

『うーん』

 足場を作ってチッカの下へ行き、シャハズは呪術ランプ借りて考える。普段なら真似するところ、気弱になっている大フェアリーは、どう? と首を傾げる。

『ベロちゃん、ベロちゃん……』

 ”生命の苗床”を宿せるならば”更新の灼熱”も出来るのではないかと考えられた。一度はその呪術を扱う”火炎舌”の力で死を克服した魔女ならば、今からその緑の羽を治すことは可能に思われた。試行錯誤がされる。


■■■


 クエネラは装備を整えた。大木城の武器庫や死者、死に掛けの者にとどめを刺すついでに必要な物を集めてハラルトが身体に合うよう調整して甲冑騎士姿を取る。そして仕掛けもした。

 武装が整えば、次は戦士を侮辱するという行為に代償を支払わせる。それで戦馬にその気配を探らせ追跡させる条件には十分。犬が臭いから獲物を追うように、戦う理由を追うのだ。騎兵としての追撃働きの様相を得るならば六本脚は更に軽やかになる。止めを刺さず、勝ち逃げの心算で背を向けたならば、戦場法にて自惚れの敗者を追い討つもの。

 戦馬は古木の上を跳ね走り、そして沈む森の縁に到着してから斜面を駆け上がる。追うを使命とした以上、生存者の救出は慮外。空も暗くなりつつあり、森も消えつつあり、戦馬に乗せられる者も限られ、死する運命にある者を助けるのは使命にも性にも合わない。

 地上に出れば神が死ぬごとに訪れる不幸が蔓延していた。

 豊神の放った貪食蝗に代わり、同じく無数の蝗が草葉を禿げ尽きる程食らいながら空が黒ずむ程飛んでいる。天穹に根を張りつつある巨柱も合わされば昼すら夜になりかねない。それに蝗だけではなく蛾も混じる。一体今までこれほどの害虫がどこに潜んでいたのか、神のみぞ知る。

 速力を得た甲冑と戦馬に蝗と蛾が当たって音が鳴りと共に潰れていく。

 涸れ川が作った段丘を何度も戦馬が飛び越える。谷だと思った場所に手入れされた帆船が傾いて横たわる姿が見えれば、そこが少し前まで大河だったと分かる。

 蝗が食い荒らして緑が消え、かつては黒々としていた土も既に乾いて見る間に細砂と化しつつあるのは呪いの早さ。

 風が吹き、雷と共に砂嵐が吹き荒れて夜でも昼でも更に暗い。かつてこの地でこのような天候、有り得なかった。比較的渇いていた草原でも雷光を呼ぶ砂塵は無かった。

 砂から葉が食われた根が掘り起こされて転がり、またそれが蝗の生き残りが食って消して、遂に力尽きて地に転がって砂に混じっても堆肥になりはしない。不毛をもたらす蝗にすら生気を感じる世界に変わりつつある。

 水は無い。ハラルトは干物になりつつある。フェアリーはどうやら魔法でどうにかしている。

 一流の猟犬も鼻を病んで主人の期待に応えられなくなるような中、戦馬は気配を辿って細砂、砂、礫、岩場を踏み越えてようやく獲物を捉えた。かの半ドラゴン、エルフの死体を並べてその側で岩を鳴る剣で整形して石棺を製作している途中であった。

 周囲と死体の様子から砂嵐で窒息した者達と見られた。埋葬は尊いがそのような奇特さは知ったことではなかった。

 クエネラ、無言の騎兵突撃。槍を脇に抱えて突進、穂先がその顎下を捉えて甲冑の隙間のような、一見脆そうな関節に当たって刃が欠けて滑った。尋常ならざる膂力を得た戦乙女でもその刃先から感じる重量、正に鉄塊。帝都のゴーレムを稽古相手にした時の手応えを実感する。

「嬉しい! ここまで追いかけてくれるとは愛を感じるよ! 女じゃなくて男になれば良かった!」

「死ねぇい”振動剣”!」

「その名前貰った!」

 下馬したクエネラが左に盾、右に金槌を持って吶喊。半ドラゴン”振動剣”が剣を鳴らさず脳天割りを繰り出す。以前に常ならば致命傷を与えたこの一撃、今度はどう捌くのかと殺意ではなく興味から放たれた。

 脳天割りは盾による横払いで防ぐように見えたが力負け、しかしその負けを利用しての横移動からの、盾裏で逆手持ちに隠した短剣による目潰し。またしかし”振動剣”の目は肉ではなく刃が通らなかった。柄頭を金槌で打っての穿ち込みも刃先が折れて無駄だった。短剣が完全に潰れて柄も壊れるまで打ち込んでも急所が急所ではない。

「ううん、そういう手もあるのか! 知り合いの武芸者とも色々やったけど、似てる技もあるんだけどやっぱり違うんだなぁ!」

 そう”振動剣”は顔に、喋る最中に開いた下顎まで金槌で殴られても感動するだけで動じない。言葉も止まらない。

 侮りの戦いの構えを解いていた”振動剣”の頭に左掌が添えられた。掴んでいない、掴めない、筋に神経もまともに通っておらず、骨肉毎弾けた。

「なんと!?」

 神器の杭にて頭が砕かれ仰向けに倒れた”振動剣”、喋った。

 盾、手に縛った短剣の扱いは偽装、狙いは前腕内部に治癒を続ける骨肉を折り曲げ強引に仕込んだ筒と杭。撃ち出しの力は杭が得意とするマナ術緑風によるもので、密閉腕内で発動することにより火薬の如きに弾けた。”合奏”の頭蓋内を破壊した時より力は抑えられているが、威力は結果の通り。

 相手はまだ死なぬ。クエネラの左腕は杭撃ちの衝撃で肘先から吹っ飛んで遠く。

 頭が砕けてもこの敵はまともに動くのだろうかと様子を見るに身体は痙攣、指先は閉じたり開いたり。ではと、”振動剣”の名前となった振動する剣をクエネラは奪う。

 ゲルギルの金槌は不壊だが特別破壊力に優れるわけではない。ではこの奴の言う音の鳴る振動する剣ならばと手に持ち、振ったり触ったりしてみるが反応しない。音が鳴らない。

「おい、殺すから使い方教えろ」

「あー、そういう手もあるんだなぁ」

 並の剣のようにクエネラは”振動剣”を斬り付けてみるが傷もつきはしない。刃が欠ける様子も無い。

「殿下、それは魔法で動くのでは」

 従者は主に助言をしてみる。勿論、鞍から吊り下げられたままである。

「おいクソ虫、やってみろ」

 フェアリーが、ほらっ、と蝶羽を跳ばずに羽ばたかせると、振動剣が名の通りに震えてブンと鳴った。持っているだけでそれが伝わり、身が震えて、震え過ぎて熱を持って血肉が沸く。湯気を上げて焼ける。

 驚いたフェアリーは飛んで逃げてクエネラの顔を見て、大丈夫? と窺う。己の放った魔法以上の震えようらしいことはこれで分かる。振動剣自体に何かしらの魔法仕掛けが有った。

「良くやった」

 身が焼ける程度、今更この戦乙女に通じない。

「あらら、次は……」

 間抜けた声は、首を振動剣で撥ねて蹴飛ばした。

「そんなもの無いわ!」

 ”振動剣”討伐成る。首だけではなく、胸も腹も開いて中身を抉る手間は必要無かった。それきり動かなくなる。

 身が焼けて目も潰れる中、手に入れた名剣を前にクエネラは高らかに笑う。これならばあの大百足、斬れると。

 豊神が死に際、己を犠牲に巨柱に変化を与えた。それは匠神に続いて意味が不明であるが守る必要を感じていた。少なくともみすみす大百足に食い倒されるわけには、おそらくいかない。


■■■


 ヒューネルとチャルクアムにアジルズ、この三人は幸運であった。側にサナンがおり、森の落下時から複合のマナ術にて軟着陸に成功、助けてくれたのだ。事態は突発で彼女も救えるのは手近な、意識が集中出来る見知りの三人のみだった。

 四人は沈む森よりわずかな、生存可能性がある生き残りを救出しながら大穴からの脱出を目指す。落下事故は多発。捕食に襲ってくる異形の群れは決して積極的ではないが弱い者を虎視眈々と狙う。

 豊神が破れ去った時、サナンが蛇身を失い慣れぬ二本脚を扱いかねて足元が滑る。槍を古木に突き刺し沼への落下を免れ、以降はヒューネルが背負う。チャルクアムは古木の枝葉を斬り払って道を開く任があり、アジルズは異形を近づく前に弓矢で殺すか痛みで追い散らす任があった。平時なら役得などと冗談も飛ばせるがこの場では不可能。

 時間は掛かったものの森が完全に沼へ沈む前に一行は大穴から斜面を登って地上へ脱出。しかしそこはまるで別世界のような砂漠。水も無く食糧も無い。草すら生えていなかった。

 そんな中、少数ながら難民集団を率いていた奇跡の男エンリーとの合流は正に奇跡であった。難民の中には遊牧民がおり、彼等が砂に沈みつつある井戸の位置を何とか特定して死を免れる。地上は変わっても空は、巨柱の変化で見辛くはなっていたが天測はまだ可能だった。

 食糧の穀物であるが、袋の中には象虫が粒と変わらぬ数で沸いており、砂嵐に合う度に砂も混じり、それを粥にして食べることになる。かつては犬にすら食べさせなかったような生ごみでさえ拾えば食べた。

 難民同士の争いも多発。内々の争いはまだ仲裁の余地があったが、共食いも厭わない程に飢えた者同士の闘争は苛烈。奴隷となる道すら残らない。

 そして神が一柱御隠れに成る度に現れた恐ろしい奇妙な病の一つが見られるようになる。豊神への信心が深い者程何をいくら食べても飢えに襲われ、胃が裂け血を吐くまで食べることを止めない呪いである。罹患時の理性は薄く、大事な食糧に手を出すので殺さなければならない。その上で殺さねば共食いに走る。

 砂漠を越えて緑があるような地に至ってもそこには蝗が蔓延。野草どころか毒草すら一片も残らない。蝗は昆虫、ならば食べられるのではと思われたが身は詰まっておらず食い出が無い上に毒草食いの個体に当たれば腹を下す。腹を下せばこの道についていけず、死ぬ。

 何も目的も無く減り続ける一行は放浪しているわけではない。東帝国領へと向かっている。その道は長く、長く歩けない者は捨てて行かねばならない。

 その道中、サナンに預言が降りた。竈神に祈って出来るだけ暖かい食事をと工夫していた時である。

「皆を天国へ逃がす用意があると、竈神様から」

「天国?」

「今のこの地上のような苦しみが無い楽園だと仰っておりましたが」

「そんなところが?」

 主たる神を失った巫女に狂気は見られない。


■■■


・天国

 そこは暮らす者にとって理想的な楽園であり、煩いは無く調和が取れて快適で理想的であるとされる。

 老いも病も無く、飢えも寒さも暑さも無ければ邪教に毒されることも無いということだろうか。

 そんな地を創る御業に、至る方法を知るのは神々のみであろう。そして敬虔なる真の信仰者達をお救い下さるに違いない。

 場所は名前から察するに高い場所にあろうか。

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