第7話前編「豊のタイタン」

・森の貴婦人

 何ものをも掌中にされたガイセル帝でさえ叶えられなかった初恋があると云う。意中のお相手は大層可憐で頼りになる方であったらしい。

 その悲恋の貴婦人は森の奥、森越より更に奥へと身を投げ、別れの時より永遠に再会叶わなかった。

 お相手とは身分や立場以上に信心が違ったとされ、たとえ両想いであっても叶うべきではなかった。

 彼女は悪魔と言葉を交わすまつろわぬ野人エルフではなかったかとされ、やはり結ばれるべきではなかった。始皇帝陛下であろうとも男の性により危うきに近づいてしまった例である。


■■■


 ”合奏”との死闘の後、唯一ガイセリオン帝の正嫡にして死せるも戦乙女に転生し再度受肉したクエネラは人事不詳であった。

 外傷は両耳に打ち込んだ耳栓ならぬ耳杭、”合奏”への一撃の反動で壊れた片腕、高所落下による全身打撲程度で、身を捧げ戦意挫けぬ限り不死の彼女にとり一時の軽傷。これは直ぐに癒える。

 問題は”合奏”が奏でた幻覚幻聴を呼び起こす惑乱の音色の後遺症であった。身体の損傷には著しく強靭なるクエネラも、神経を蝕まれては正気と狂気の境界を行き来しては暴れ回って食事睡眠もままならず疲労困憊。常人ならば死する苦しみであったが耐え、しかし時に心が挫けそうに見えた。

 誓約せずとも既に従者となった、一つ目と成りしハラルトは己の務めとして主人を献身的に世話し続けた。不意の殺意無けれども強烈な鉄拳鉄足の一撃を受け、時に一日中気を失うこともあったが辛抱強さのみを取り柄にしてきた元ドワーフは黙々と堪えた。

 正気の頂点を見計らっては食事を口に押し込み、血や糞尿に塗れて汚れた衣服の替えを用意し、破壊される度に工夫がついていく寝台へ拘束。医療の心得は無くとも器具修理と割り切って骨格を矯正。限定の不死相手ではそれで足りた。

 狂気の頂点で行う七転八倒の自傷では鎧甲冑も落脱、拷問器具に見えた兜でさえもそちらが先に音を上げて崩壊。衣服が破れるどころではなく折れた骨がはみ出る程で、目前に何かあれば破壊の衝動に駆られて血が舞う打撃を見舞う。如何に献身的であろうともその一時は近寄れもしない。せめて捕らえた動物や死体を用意して砕かせ、土の柔らかい場所へ誘導して穴掘りで外傷を緩和させる。

 正気も狂気も越えて倒れ伏せ、神経が萎えて意気が敗北しそうになったならば処置はこれしか無かろうと鉄槌殴打と熱湯浴びせにて気付けを行った。平手打ちに冷水浴びせなどまるで痛痒も感じぬ強靭な主人にはこのくらいが妥当。

 ハラルトがやつれ果て、一つ目の祝福なければ既に衰弱死していたであろう状態に至った頃にクエネラの神経が癒えた。

 癒えたその身は使命を取り戻してドラゴン、魔女の戦いの痕跡を辿る。ハラルトを肩に担いで横断の橋と化した世界樹の折れた幹、樹上森を渡る。新たに出現した、世界樹の株より天をも突くように立つ巨柱の元へと向かった。

 その終着点、巨柱には百足のような怪物が纏わりついてはしきりにそれを噛み砕いて喰らっていた。良く見ればその頭部には、怪物が大きくて分かり辛いが剣を振るう何者かがおり、柱の欠片を切り出し、食事を手伝っている。妙な低音も鳴っており、つい先程まで音の後遺症に苦しめられていた身では慎重になるべきである。

「この柱、御柱様が自らを生贄にして造った物のようで」

「ならば退治だ」

 とクエネラは言ってみるものの、何の手掛かり足掛かりも無い滑らかな柱の側面を自在に動き回る大百足相手にその手は届かない。ここには巨柱以上の高所は存在せず、迂回路は無い。

 ならば登って追い縋ればとエンシェントドラゴンの頭蓋も砕いた杭を巨柱に突き立てようとしたが全く刃が立たなかった。ゲルギルの金槌で打ち込んでも先端が滑るのみ。

「梯子を用意しろ」

「足場組むことになりやす」

「ではそうしろ」

「へい。しかし伐採道具も無けりゃ技師もおりませんで、何年掛かるか見当つきやせんが、よろしいんで?」

「授かった御力でこう、ばぁっとならんのか!」

「穴掘りなら感覚掴めるんですが、ああも高いところだとどう組めば自重と風で壊れない物に仕上がるか何回も試さないとなりやせん。それに足場組む足場も良くありやせんで」

 折れた世界樹の、洞となった株側から森と化した幹が折れ曲がり、倒れた方角だけはささくれ立ちながらも繋がっている。その屈折部のささくれの一部は経年劣化で横へ曲がり、一部腐敗し草木が生えて新た足場が出来上がり、株の洞を埋めるように立つ巨柱の側面に手が届くまでにはなっているものの、ここは平坦な大地ではない。鳥や山羊しか往来出来ないような高地よりも足場は悪く不安定である。

「おいそこの化物! 私が相手になってやる!」

 クエネラが大声を掛けると大百足は動きを止め、長い胴をくねらせて二人に頭を向け、無数の脚で巨柱を這って遥か下方へと走り去っていった。

「おのれぃ、追うぞ!」

「へい」

 ささくれの足場不安定な森を駆け降りるのだが、ハラルトは無論鈍足。匠神の力の一端をお借りした代償か腕が強くなった反面足弱であるからして、従者が主人の背中へ無様に抱き着く形を取る。

 株の幹内側面、大百足を追っては飛び降り、杭にて半ば穿って削っては落下速度を調整しつつ遥かな下方、日が遠のいて行く薄暗闇を目指す。

 何度も飛び降りては杭で穿つ。そうしている内に蝶の如き者達が集まって来た。

「ええい、フェアリーか。遊んでいる暇は無いのだぞ!」

 言葉は無くとも表情、仕草がそれを伝えるフェアリー達である。蛍光の蝶羽が妖しく、無垢な小人が間の抜ける。

 何してるの? 変な人間! 面白い!? わーい! とクエネラの下降を揃って真似始めた。真似だけではなくに勝手に肩に乗り、頭に乗り、鼻柱にすら掴まってくる。

「クソ虫が食い殺すぞ!」

 無用な殺生をしないクエネラは歯を噛み鳴らして威嚇するも、無垢からか殺意を見抜くフェアリーは軽くひらりと避ける素振りのみ。

「おい、追い払え!」

「俺が落ちちまいやす」

 帝国の仇たるまつろわぬ敵を追い降り、別の脅威がやってきた。外では決して見かけぬ、怪鳥としか呼べぬ珍奇な生物が猛禽のように滑空しながら追随し、二人を狙い始めた。同種、近似種もこの洞に多数巣くっている模様。

「何でしょ?」

「森越の更に奥には魔物ですらない異形が潜むと聞くが」

 怪鳥が迫り、落下の速度に狩りの爪撃が合わずそのまま飛び去り、逃げ遅れで真似事に夢中のフェアリー、最後の一匹否一人が驚きや風圧で羽ばたきでも間違えたか落下。クエネラがそれを掴んで助けて幹の内側面から離れる。

 離れたまま落下。そして先の戦いで習得したように杭からのマナ風にて姿勢を制御し、あえて巨柱へ寄ってからの蹴り足三角飛びにて勢いをつけ幹内側面へ至って蹴り足の――洞抜けである。

 岩盤の如き厚みの幹も、長年の風化により痛んでいる。クエネラが踏み抜いたのは腐って薄網の如きになった面を苔が覆ったものだった。暗闇から日中へ躍り出てまた落ちる。

 ハラルトは我慢強く悲鳴も上げない。

 クエネラは杭にまたマナ術を使わせて幹外側面へ杭打ちで取り付き、一先ず停止。心持ちを整理しつつ、手を広げる。

「おいクソ虫、出来んことをするな!」

 叱責に対し、その握り潰さぬよう注意が払われたフェアリーは鼻柱に飛びついての頬擦り。ありがとう! である。

 始皇帝ガイセルは数多くの言葉を残した。古く、伝説と化した中には経緯に意図も不明なものが多々あり、その一つ”フェアリーには優しくしろ”は有名。父祖の遺言と思ってクエネラは実践に至る。クソ虫呼ばわりは尋常の青春を送れなかった女の、せめてもの父系に対する反抗である。

 懐いたフェアリーはクエネラの頭を居場所と決めたようだ。今更振り払っても助けた意味が失せよう。

 外側面に出たまま下降する。内側面を避けるのは怪鳥を避けるためだ。それに加え、

「戦力が足りん。森越に下って副王殿下に助力を願いに行く」

「はいで」

 よし、行こう! ともう一行に加わった心算のフェアリーは細工のような拳を振り上げる。

 まだ高い株の外側面から南の方角を見渡せば延々と深い森が続き、その枝葉の下には森越の国がある。森が尽きれば馬の国に副王都領だ。

 下降は内側より慎重を要した。日が当たる分植物が茂り、あくまで側面の薄い堆積物に根が張っている程度なため泥のように崩れ、滑り、何度も打ち込んだ杭が空を切るが如く苔土を掻き、懲りずに打ち込むことになる。いっそクエネラ単身ならば激突するまで落ちても良いがハラルトが砕け散る。

 地上に近づく頃、三人は正に楽園のような花吹雪く、いかなる職人によって造形されたか、神技のように草木編みにて作られた無人の都に到着した。この一角だけに良く手が入っているわけではなく、同等の造りで延々と世界樹の根、麓を取り巻くように広がる。伊達や酔狂で造る規模ではない。何者かが必要に応じて長い月日と多くの人材を投入した証だ。

 フェアリーを数えぬのならば無人で、街造りは小さな者達に合っていない。草木編みの上に更に並んだ街路樹、生垣、花壇は良く整備され、代わりに乱雑な配置にて住民代わりの人型、良く見るに耳の形からエルフ型に草木で編まれた塊が点在しそれぞれ花が咲いている。また絵画に留めたように動きの途中の形でいて、突然人々が変化したかのように見せていた。

 真の街の住人は何処へ消えたのか? 主無き奉仕者と見られるフェアリー達は絶えず”巨人”の街を余念無く整備し続けている。細やかに落ち葉、花びらを掃除して雑草を抜き、害虫を駆除。石造木造の建物や床の隙間に溜まった泥を掻き出し、また苔を擦り取る。エルフ型に対して本物の食べ物に茶を給仕している姿はごっこ遊びのようで、真に迫って不気味である。まるであれが主であるかのようだ。

「奇天烈な場所で」

「ああ」

「良い場所で」

「ああ」

 このまるで野人エルフが描いた理想郷の如き都を誰が何の目的で作ったのかは二人には見当がつかない。そして、見当がついていそうな人物が走って肩に乗せた大きなフェアリーを喜ばせているところに鉢合わせた。通常のフェアリーが手乗り大ならばあちらは赤子大であり、比較しても大きな羽は特別華やかな形状の上、緑に輝く。

「あ」

「うん」

 野人エルフ、そして戦神からの預言にて先ず絶対に誅すべしと言われきた魔女、神殺しにして此度の世界の混乱の元凶であった。知神御隠れの現在、その顔を奇跡で手配することは叶わないが、戦神の祝福により仇敵を察知する六感の嗅覚は間違いないものとなっている。

 怖ろしき魔女はエルフ型に給仕されていた物と同じ菓子をさくさく鳴らして食べており、大フェアリーはクエネラの顔を指差して、知ってる知ってる! と動きで喋る。そしてクエネラの頭から降りたフェアリーが威張ったような恰好で、連れて来ました、と、これは嘘と分かる自慢をする。

「貴様、魔女か!」

 鼻は間違いないとは言うものの、このこれから殺傷沙汰に持ち込もうとは考えづらい状況では流石の戦乙女と言えども誰何してしまった。

「ん……」

 魔女は唸ってから、口の中の物を十分に噛み下して飲み込んで、フェアリー三人が協力して運んで来た香草茶を受け取って口に含み、ぐじゅぐじゅ鳴らして口内を洗浄、ついでにうがいもしてから飲み込んだ。

「うん」

 まるで殺気も緊張感も感じられない魔女である。懐いた大フェアリーに、ほらほら! と頭を叩かれ続ける姿は余裕の表れで、しかしその脱力した自然体には隙が無く達人を疑わせない。

 それにしても相手は神殺し。剛勇で唸る戦乙女も、少し前に大百足相手に手も足も出なかったこともあってか確証に至っても杭先向けることを躊躇った。これが? これこそが、こんなところで? こんな感じなのか、と戦意が削がれていく。

「やっぱガイそっくり」

 魔女がクエネラの顔を指差す。これにも戦意など見えもしなかった。

「ガイ?」

「ガイセル。始皇帝とか呼ばれてる……あれが」

 あれが、で魔女が四半笑い程度になる。

「父祖の知り合いだとでも?」

「冒険仲間」

「伝説に野人エルフなど出てこないが」

「ふうん」

「宰相とも知り合いか」

「ハゲジジイ」

 骨に成る前から禿げとは聞いたことは無かったが、その即答様には親しさを感じる。

「もしかして森の貴婦人なのか?」

「何それ」

「父祖唯一の想い人という伝説がある」

「じゃあ人違い。ガイはお馬鹿で正直だからすぐ分かる」

 伝承、伝説とは個人の与り知らないところで広まるもの。男女揃えばとりあえず恋仲と仮定したがるのがその性質。それも語り手が継ぎ足し修正していれば実体から遠のく。また始皇帝は明快にて豪放と後世では語られている。お馬鹿で正直とは似た表現であろう。

「父祖ガイセルを友とするなら、その帝国と社会を破壊、子孫に臣民を虐殺するを何と心得るか」

「信者の力が……の力」

「何と?」

「……だけど」

 明らかに魔女は口が動き、吐息と共に声を出した。それの一部が聞こえない。邪悪な言葉が耳に入らぬように。

「じゃ、そっちが……ね」

「ぬ?」

「神達、聞こえた?」

「ああ」

「聞こえないのは……ね。これも駄目?」

「何なのだ」

「神達が使う不思議」

「不思議?」

「うん」

「破壊殺戮は神々の奇跡を妨げるのが目的と」

「そうそう」

「霊的な焼き働きなのは分かった。何故、神々を殺す」

「やられる前に殺す」

 無為自然とした態度だった魔女が、この時だけ感情が熱した。恨みが深いことが察せられる。

「原因があるはずだ」

「糞同士の争い」

 神々は時に理不尽である。部外者を巻き込む騒動を作り出すこともあり、常態とはいかずとも敢えて慈愛を持って配慮するかは気紛れ。その理不尽のツケが回って来ているということなのだろうか。

「あ」

「あ?」

 魔女がクエネラの背後を指差し、振り返って見れば街路の隙間から草木が伸びて編まれ、あのエルフ型に形を取り、瞬時に焼け尽きた。

「あれは危ない」

 予備動作や気配も全く無く焼いたのは間違いなく魔女。魔女は何時でもクエネラを容易にそう出来ると示したかのようだ。

 悪魔の言葉で魔女が何か呼び掛ければ、はーい、と大フェアリーがクエネラに手招きして、こっちだよ! と手を叩いて鳴らす。何処かへ案内する気であろうか。

「下の里まで案内してくれる」

 そう喋っている間にも無数のエルフ型が生えてきては尽く焼けて灰に潰れていく。

「私は敵だぞ!」

「ふうん」

 相手にならぬ、戦力とすら見做していないから手をわざわざ出しもしないし、まるで知り合いに施すような慈善を振舞う余裕すらあると魔女は言っているに等しい。

 侮辱。今何かしらの非常事態であろうとも目に物見せてやろうかと思ったクエネラであるが、ハラルトの弱い脚に草木が絡んで根が土に入り込むように食い始めたのを受けて中断。魔女が仕込み杖からの抜刀一閃で蔦を切り落とし、クエネラがハラルトを地面から持って引き離す。

「これはドリアード。相手してたらキリない。ほら」

 しっしっと魔女が手を振ってあっち行けとやる。そうしている内にも終わりが見えぬ勢いで無数にドリアードというエルフ型が無数に生えてくる。フェアリーには危害を加えず、異物のみに反応するような魔物の類と見えた。見た勘で、あれと戦っても無限に無駄な努力を強いられるように見えた。

「何れ決するぞ!」

「はいはい」

 クエネラはハラルトを担いだまま、大フェアリーと懐いた小さい方に導かれて世界樹を更に、根を伝って下る。

 森越の国へ。


■■■


 時を戻すこと三度目であった。

 一度目は副王国を滅ぼし、街も畑も人も、特に砂漠の糞共は心躍りつつ何もかも焼いたが、この地に本殿を置く豊のタイタンが全く動かず、行方も知れず、どう挑発して誘き出して殺そうかと工夫を重ねたが結局何も成せなかった。破壊と再生の循環、豊穣という代償行為から呪いの力を受け取る豊のタイタンに取り、その権能である破壊という干渉を受けても何ら痛痒としなかったのだ。再生の方を封じようにも、死骸には虫に獣が集り、灰の中からは草木の新芽が伸びる以上はどうしようもない。

 二度目は副王国へ潜伏して情報を収集した。豊のタイタンに救済を求める為政者達が巫女より、帝国基準で言う世界の破壊は次なる再生の一歩として捨て置く、と預言を告げられたことが判明。たとえ大陸が半分沈もうが海が肥えるだけでそれも良しとするのが豊穣の論理。それに義憤を覚えたガイセルの子孫ヒューネルが必死に動き回るが無力。クエネラはというと世界樹を抜ける道中、ハイエルフの旧都にてドリアードに襲撃されて従者を失い、呪いの杭を失って逃げ去り、世界樹を囲むあの猖獗の大沼の森にて彷徨い続けるだけで姉弟の再開も叶わずこれといった働きも無しに時間戻しの基点に到達した。

 三度目では彼女を無事草原と砂漠の合いの子エルフ達の下へ送り届けることにより、今までとは違う反応があるだろうとシャハズは推測した。五体満足元気で高貴な戦乙女ならば、戦のタイタンの力でも使って豊のタイタンを叩き起こすやもしれない。”百足”と化した金のドラゴンに手も足もでないから協力しろ、とでも。

 そして一度目に行って、豊のタイタンが動かないことで無為に終わった作戦をもう一度行うことにした。要領は学習済みであり、シロくんはしばらく出番が無いのでフェアリーと遊んでいる。

 クエネラを案内するはずのチッカが早々にシャハズの肩に戻って来た。そう時間は経っていない。

『案内代わったの?』

 こうたーい、とチッカがくるりと横に腕振り一回転。

 一〇〇〇年振りの再会時に迷わず感激の体当たりをしてきたこの小さな友人は決して世代を越えた他人の空似ではない。一〇〇〇年も経てば骨すら残らないのではと思われたが、ハイエルフならぬハイフェアリーと化して不老の長寿を得ていた。経緯を口の利けぬ彼女が説明することは困難極まったが、シャハズの手製にして時を経て呪物と化したあのマナランプが作用したのではないかと推測される。

 マナランプならぬ呪術ランプ。以前のような精霊術の依り代としての能力は失われた。今のところ、ドリアードに花を咲かせて飾ったり操る能力が代わりに確認されており、また知のタイタンによる記憶への干渉も防いだことから呪い除けとしても機能する。彼女の羽に、かつてハイエルフ達が他者と格別するため己に宿した呪いの緑を与えたのがこのランプであるかどうかは事例がチッカの一件のみで確かではない。ただ、推定ハイエルフの成れ果てを動かせる以上、関連性はあろう。

 世界樹の折れ株、その内側をシャハズとチッカは昔のように木の精霊術にて足場を作りながら今度は下る。地下に居るか在る”生命の苗床”生まれの異形の怪物を後目に、襲い掛かる様子があれば即座に複合精霊術で血の臭いすら残さず消し炭とする。新鮮な死骸はまた別のうるさい何かを呼ぶものだ。

 暗闇の地下空洞に広がる白の密林へと足を踏み入れた。先に金のドラゴンお兄ちゃんがあのクエネラの相手は面倒と降り、一緒だった”合奏”の娘は勝手気ままに歩いてエルフの森の方へと消えている。一応、クエネラを切ってはならないとは言い含めてあるが、他人にあれしろこうしろと言える経歴ではないシャハズは珍しく気に病んでいる。

 分け入るなどせず焼き尽くして拓く密林は日を浴びず、土を被せて育てた農作物のように白い。枝葉は縦横無尽に綿の如く密生し、大輪の花から異形の赤子や種が排泄される。あれが異形の怪物に運が良ければ育ったり、密林の植生に多少の変化を与える。

 前回のようにわざわざ藪を鉈で捌いて進むような慎重さをシャハズは必要としないと学習している。複合精霊術で綿のような密生の障害を灰にし、灰と化した時の毒の気奥へと流し込んで異形達を殺戮。また枝葉に通っていた焼けぬ、生物の素となる泥が通り雨のように落ちていく。花を通さねば術も通じぬ不思議の性質を持ち、旧神の一部かと推測される。

 焼けた後、失われる足場は木の精霊に築かせる。

 地下へ下る程に赤子と種を排泄する花は巨大に数を増していく。どこからか伝わってくる地下水が時に滝となり川となり雨となり、湿気も強くなりつつ気温も上がって、目に刺すような辛味さえ感じる臭気が強くなって不快感が増す。天然瓦斯の噴出も合わさり毒が蔓延。不快を我慢する気の無いシャハズは複合精霊術で快適な空気を身に纏わせる。チッカがその範囲から出て、くっさ! と戻り、またもう一度出て、やっぱくっさ! とまた戻る。

 そして何か使命に基づいて行動している豊のタイタンの使徒、陪神首狩りの群れが、花から沸き続ける生物を狩り殺しては生贄に捧げる作業を延々と繰り返し、只管に呪力を主に送り続けている。そんな儀式の場を荒らしに来たシャハズに対しては、戦いを挑むより場を替えた方が良いとして脇目も振らずに逃げ去ってしまった。

 かつて尋常であった頃のシャハズと一行でさえも手傷を負わせられる程度の使徒である。今ならば相手にならず正に瞬殺も可能だ。予防的に複合精霊術で密林毎無数の首狩りを原型も残さず屠ったが、総合的には無為であった。

 この”生命の苗床”かもしれない白の密林を降り切ると、本体かもしれないえらく酷い臭いの、粘性が強いの泥のような地底湖が現れる。無数に無為に生まれ落ちた異形達の腐り果てにしては量が余りに膨大で、もう腐りようがない成れの果ては見られない。

 これは”更新の灼熱”のように、そこに在って意志も無く力を発揮しているだけに見える。神の如き力は間違いがなく、タイタンのように何かする気は無い。気を持つということすら無いのだろう。”精霊の卵巣”もそのようだった。

 ”秩序の尖兵”は意志があるような気もするが、本性を出したタイタンを滅ぼす以外の行動を取らず、気を持つというには違和感が強い。

 ”調伏の回虫”はエリクディスの娘テレネーに何故か宿る。目の中に虫として見えて、他と違って一応生物的だが、こちらも意志があるか不明。寄生虫程度には自律しているかもしれないが。

 ”予言の隠者”だけが明確に言葉と意志を持ち、姿は見せない。夜神、”抹消”、ヴァシライエの秘密が明かされればわかるような気はするが、内緒らしいので探ることは出来ない。

 泥沼はただの毒でないようだった。密林から異形が落ちて着水の音もわずかに、まるで霧へ落ちるように滑らかに飲み込まれては波立ちすらしない様子は理解が難しい。そして旧神やタイタン共の性質だろうか、精霊術を当てても一切効果が無い。術での調査もならず、ましてやあのような所へ手探り潜水調査等出来はしない。

 匠神の柱はこの泥沼に突き立ち、根がおそらく地中まで下りている。根から基盤、均衡を崩せば比較的簡単に倒せると思われるが、泥中からは破壊工作はし難い。”百足”のようになった金のドラゴンお兄ちゃんがその代わり、自重での倒壊も計算、考慮に入れて泥沼の湖面に近い位置から直接の破壊を試みている。

『がんばってー』

 チッカも、がんばれがんばれと両手を振る。

『私の心が折れる前にタイタン共を何とかして下さいね』

『うーん』

 チッカも、両腕を組んで唇を曲げる。

 不味そうな、成長し続ける不思議の巨柱を噛み千切り、飲み干しては己の身体に取り込み少しずつ巨大化し続ける”百足”の金のドラゴンの戦いはこれからだ。

『チッカ、あれお願い』

 くっさー、とチッカが鼻を抓みながら、泥沼の湖面へと近づいて呪術ランプへ”生命の苗床”を汲んだ。


■■■


「おい近衛、歯ぁ食い縛れ!」

「は」

 チャルクアムの分厚く固い腹が鉄拳により陥没。がは、とオークが膝から落ちる。額には汗と血管が浮き出る。

「アジルズ! 良く生きていた!」

「やめて!」

 まるで乙女のような声を上げたエルフの王太子は平手打ちを顎に受けて糸が切れたように卒倒する。

「お前、坊主! 乳臭いのが抜けたか!」

「はい!」

 鉄の男女は鉄の挨拶である肘打ちをぶつけ合い、弾かれよろめいたヒューネルには追い打ちの鉄槌が、まだ甘い、と脳天に打ち下され顎が下がった後に後ろへ転倒。

 鉄宮のクエネラ、訪れた森越の大木城にて知り合いを見つけては声を掛けて暴力を挨拶に替えた。幾名かのエルフ貴族もその辺に転がっている。力の加減が間違っていた場合は弱さが罪となる。強さは罰する者がいればのこと。

 そして倒れているアジルズの胸倉を掴んで引きずり、湖に放り投げて気付け。ふわあぁ、と浅い知り合いからは信じられない声を出して水中なのに岸部に立って笑っているだけの女から逃げ惑って転げ回り溺れる。案内も終わったのにクエネラから離れないフェアリーはその真似をして空中で笑い回る。

 限られたエルフしか暮らさない森越の国は今、人々が洪水の様に押し寄せて額の狭さに押し込められた難民野営地の様相であるた。かつて服属前の野人エルフが見たならば発狂して殺戮を始める程の集まり。

 副王と河と馬の民は今、神々の計画に則り故郷を捨ててここに避難している。中でも帝都方面より海路脱出出来たのはアジルズ一行だけである。まつろわぬ者達の軍勢の侵略は枯れ草の原に放たれた火の如く、殺戮の手は情け容赦を一切知らない。殿を務めた軍兵士達の多くは務めを果たしつつも何れ最期を迎える。

 謁見したクエネラが”新星”の討ち死にと”合奏”の討伐、山越経路の難民の全滅、塩の国の崩壊、世界樹に現れた柱を食らう大百足等の件をエルフの副王殿下に報告した時、互いに絶望的な現状を認識し合った。

「豊神様はお手をお貸し下さらなかったのですか?」

「巫女様の預言によれば破壊と再生の輪廻が巡っているだけとの見解だ」

 戦神の使徒として、神命にて山越経路の難民を守ろうとしたクエネラは、神々はまつろわぬ者達に対して一致団結しているものと思い込んでいた。

「まさかですが、神税徴収されましたか?」

「そのまさかだ。帝都陥落から急いで収穫させたが収穫税を取られた。それからこの森での大々的な狩猟行為には精強な男を生贄に出すようにとのお申し付けだ。畑の時は若い女で良かったのだが……」

 戦時、子孫繁栄などより現存優先の時に戦士、男手を取られるのは非常に困ることであった。必要とはいえ辛い。

「一時免除もされず、代替の捧げ物も?」

「お認めにならない」

「豊神様のお考えは本当にそれだけなのですか?」

「真っ当な神官も呪われ過ぎて残っていなくてな。御隠れになられた海神様の巫女殿と知恵者のエンリー統領があれこれ考えてくれているのだが、どうもな」

 かつては野心も隠さず帝室堕落すれば己が乗っとるとまで豪語していた副王は疲れた顔で嘆息し、そのかすかな音をクエネラが床板を鉄拳で砕くことで消した。

「直談判して参ります」

「何と!? いやしかしクエネラよ、何をする気だ!?」

「知れたことです。巫女の腸でも生贄に豊神様を召喚しましょう。私と御柱様の戦いに敵を巻き込んで諸共滅ぼしてしまえば万事よろしいではありませんか」

 そう言い、知らぬ者でももう止まる気配の無い戦乙女は踵を返して城を後にする。副王の制止の声など意味は無い。

 大木城の島から橋を渡り、待っていたハラルトと合流。

「豊神様と一戦交える」

「へい」

 フェアリーはというと理解が出来ぬのか蛮勇か、いけいけ! と無邪気に拳を突き上げた。

 エルフの森を縦断に貫く街道を南下。難民は道沿いに屯し、野人エルフが栽培していた果実や野草は既に食い尽くされている。道を外れれば大熊、大狼、大猪といった恐るべし害獣、相対するとなれば合戦の様相となる怪物がうろついている。野人エルフの衰退に代わり森の外にまで出て来る大害獣の猛威は一般人も知るところ。

「お待ちください!」

 待てと言われて待たぬ者を止めるには行く手を阻むために汗を切らして走らねばならない。その者は驚くべきことに完全に身の丈に合った始皇帝の甲冑を身に着けたヒューネルだ。再会時は平服であった。

「坊主、それを着るか」

「はい」

「で、止めるか?」

「いえ、お供します」

「ふん」

 クエネラの返答は掌底直突き、眉間に反応する間も無く受けたヒューネルは地から足が離れた後に倒れた。

「弱い!」

 如何に始皇帝の甲冑を着ようとも中身が伴わなければ何事も成せず、成長する機会も無く死んでしまうだけである。人型最強の一人となった戦乙女でさえ祝福無ければ数えきれない致死を得て来た。これからの挑戦は一度で終わる軟弱の役目ではなかった。

「殿下お待ちを!」

 次なるは、馬を駆って横並びとなった湾の国の統領エンリーである。国を枕に心中しなかったゴブリンであり、殉死しなかったことを兎角愚か者達から糾弾されていた。

「統領殿ですか。しかし、貴方では」

「武勇ではご期待に添えかねますが、戦神の使徒となられた貴女ならば御柱様への働きかけ、並の我々と違うことが出来ると思い参じました」

「ぬ」

 身一つ以上のことは出来そうにないヒューネルに対し、頭でそれ以上を企図するエンリーに、弱い! と一喝一撃を食らわすことは考えられなかった。

「今まではどう願えば豊神様に参戦して頂けるか、怒りを買わぬようにと算段していましたがまるで論理が繋がりませんでした。しかし戦神様の御力を拝借出来るやもしれぬとなれば話は別です。戦の権能が通じれば可能性があります」

 戦の権能は正面から殺し合うだけではない。同盟相手を探し、戦士を募兵し、道具を調達、様々な戦術を用いるもの。奇跡の男と呼ばれた、卑賎のゴブリンながら一国統領にのし上がった者ならば何かしてくれそうだった。指に嵌った七つのエーテル結晶指輪も理屈倒れを防ぐ輝きがある。

「ご同行、こちらからお願いする」

「はい」

「しかし引く頃合いは必ず誤らないで下さい」

「生き恥を晒すのは得意です」

「死んで奉公は武人の論理、文人の奉公は憤死することでしょう。視野が狭く口さがない者は絶えません」

「そう言って頂ければ幸いでございます」

 本殿までの道中、二人で算段した。


■■■


『おっ』

 でかーい! とチッカが両腕を上げた。

 一〇〇〇年の昔、今のように世界樹の上より眺めた光景に似ていた。低い雲に届く巨体にて、大地を揺らして破壊に脚を上げるタイタンの舞踏である。クエネラを送り届けることにより事態は望んだ方へと導かれた。やってくれそうなガイセルの子孫はやってくれた。

『シロくんどう?』

 どうだ、とチッカが両手挟みに”抹殺者”の両頬を叩く。

 シャハズは複合精霊術にて遠くの様子を、目前へ鏡に映したかのように投影している。

 豊のタイタンが地盤を踏み砕いては地下水が噴出して足形の湖が即製される様は新旧の大戦が始まる前の基準に照らせばこの世の終わりの始まり。山丘蹴れば土石流、湖水歩けば大氾濫、破壊の跡からは動植物も無差別に喰らう、陪神首狩りよりも厄介に見える貪食蝗が雲霞の如く大発生。副王領の逃げ遅れ、殿軍にそれを追い詰めていたはずのドラゴンの軍勢は諸共破壊され、食い尽くされていった。豊神の本殿都市など激怒の初撃で砂利と化している。

 タイタンが本性を現す前の姿は大きな人型が基準であった。今、豊のタイタンが見せているのは黒々とした三面六臂の大巨体。痩せた少女、ふくよかな女性、木乃伊の如き老女の三面が憤怒の直視と横目で睨み付けて追いかけるのは、戦神の使徒たる六本脚の戦馬に跨る過剰な働きを見せたかもしれないクエネラである。

『だめっぽい?』

 動け! とチッカが”抹殺者”の心臓の上を拳でとんと叩く。

 ”抹殺者”は己の身体に変なところはないかとあちこち埃でも出すように叩いてみるがうんともすんとも言わなかった。魔女様に期待された出番だが、その身に宿す旧神は居眠りの最中。是非ともあの逃げながら破壊に追われる戦乙女の一人に”巨人”の目覚まし方法を教授して貰いたいところであった。これではまるで本番直前でお役に立てないようである。不壊の金剛も起き上がらなければ意味が無い。

 クエネラが戦馬を駆ける道筋それはエルフの森を中心に弧を描き、副王都からシャハズの故郷である旧カガル族の王城へ繋がる街道を避け、難民の群れへ直撃しないようにと豊のタイタンを誘導している。あれを妨害する必要は認められない。

 戦馬は呪力も借りて異常に素早く、尋常なら月跨ぎの行程を日が沈まぬ内に終え、一歩が巨大なタイタンも追随。森を崩壊させ、その姿が近づいて来る。

 距離の問題があって”秩序の尖兵”が目覚めないのかとも思われたが、やはり”抹殺者”はこの期に及んでも役に立たない。

 豊のタイタン、正に見上げる巨体。ドラゴンでさえ比すれば虫である。複合精霊術は例により通じず、通じるエーテル刃で切り刻んだところで急所を狙っても薄皮を剥く程度にしか至らないだろう。金のドラゴンお兄ちゃんがあのくらいにまで巨大化してくれれば対抗出来ようが、山の大きさには至っていない。

 豊のタイタンが迫り、クエネラに差し向けられていた六つの目の内、四つがシャハズに注いだ。首謀者、発見である。愚かにも操られた手先よりも怒りの矛先が向かうとすれば卑劣な黒幕であろう。

『お迎え』

 ”百足”が巨体と無数の脚にてあの戦馬も鈍足に見える動きで巨柱を登り、シャハズと”抹殺者”を回収。高原方向へと逃げる。手出し無為ならば手を出さぬのが戦術。

 代わりに戦うのは、出て来い出て来いにょっきにょき! と空を舞うチッカである。タイタンと比するならば小蝿にも劣る小人は巫女らしく、そしてフェアリーらしく身体の動きで祈りを捧げたのだ。

 かつて精霊を宿したマナランプは、今や”生命の苗床”宿すに至った。旧神の巫女となった大フェアリーがエルフの森、世界樹を囲う大森林を地中へ沈めて暗闇から這い上がらせたのは白い人型の密林、大も大のタイタンに匹敵する大ドリアードである。誕生の産声など無かったが、犠牲となった難民、動物達の悲鳴の合唱はあった。

 タイタンが拳で大ドリアードを殴り、その草木編みの身体は容易に千切れ飛ぶ。打ち返す白い拳は黒い身体に当たってただ砕け散る。

 チッカが次に踊るのは、筋肉筋肉むっきむき、であった。崩れた大ドリアードの全身に咲く花から異形の生物の形すら取らない肉が流れ出しては身体を造り上げ、豊のタイタンを真似た三面六臂へと変身。その肌の色は相手の黒に対して白である。

 豊のタイタンがまた拳を振り上げ、大ドリアードは寸分違わず真似をして互いに交差し殴打。大質量同士が大気を震わせる。

 計一二の拳が殴り合う、殴り合う。全く同じ動きで、互いに弾けた肉から血、泥を飛ばし合う。タイタンが巨体に似合わぬ徒手格闘術の動きを見せても大ドリアードは全く同じ動きで追随、互いに傷がついても瞬くまに再生して埒が明かぬ。

 そうなれば真似の出来ぬ攻撃が企図され、貪食蝗が大ドリアードに襲い掛かるが、同じく花から異形の貪食蝗同等の虫が雲霞の如き生み出されて合い食み互角。これに陪神首狩りが混ざるも、同じく同程度の異形が生み出され、しかし流石に精強さは首狩りが勝り劣勢が見られるも、これには超遠距離よりの魔女の術矢が飛んでまず五分と見られる戦いに持ち込まれる。

 次なる豊のタイタンの手、呪力により生み出したその巨体に見合った鎌、鋤、殻竿、槍、弓矢を手に取る。大ドリアードも真似するが、その手にする同形の武器は樹木骨肉製。切り裂き、打ち込み、貫いてと傷の深さは神器たる大文明の利器が勝る。しかしまだ手があった。魔女がその紛い物の武器を精霊術に金属を纏わせ複雑怪奇な合成物に昇華させ、更には身体にも甲冑を纏わせるようにしたならば今度はタイタンの刃が容易に通らぬ。

 そして大ドリアード優勢も、豊のタイタンの次なる手は地中に落ちてほぼ死に絶えた己の信者達を掬い上げては握り潰し、その中にいた神官を主な贄として橙火を発動。巨大な炎の如きマナを投げつけ合成物の白い巨体を焼き融かす。同時に真似たるは”生命の苗床”と思しき泥を投げつけ、黒い巨体を強酸のように侵食しては発芽してタイタンより肉混じりの密林が生える。

 ”巨人”の応酬は互角に見え、徐々に双方力が尽きて来る。ここへ戦のタイタンの助力が加われば形勢傾くやもしれなかったが、その発現であるクエネラは”合奏”の娘が崩落した森の中にて、場違いの剣術勝負を挑んで実質食い止めていた。

 身を崩し、手下を消耗し合い、チッカが、もう一度! と踊っても互いに倒れる時に”抹殺者”の身体が震えだし、血を吹きながら金剛石が起き上がる。

 ”秩序の尖兵”による勝利が約束されたとの期待と、あれですら本性ではなかった豊のタイタンの本気が旧神に対処可能なのかという不安。そして匠のタイタンの前例により、戦って勝てぬならば己を贄として何事か計りかねる大業を発現させること。これは敗北に近しく、現状防ぐ手立てが分からない。

 結局”抹殺者”は立ち上がり損に血塗れで苦しむだけで終わってしまった。豊のタイタン、死に際に己を捧げてしまったのだ。

 黒い巨人の大呪術は効果覿面、直ぐに発現する。匠の巨柱が血走り、その頂上は伸びることを止めて天穹へと根を張るように横へ広がり、侵食するようにこの地上を暗闇に落し始めた。

 古い世界が捨てられ、新しい地上が創られ始めたのである。


■■■


・害虫と蛇身の呪い人

 豊のタイタンが制御していた数多害虫が自由を取り戻す。本来、文明が受けるはずだった洗礼は今日まで免除されていたのだ。

 ナーガは豊のタイタンが自分に都合良く品種改良した人間。生命の循環が激しい水場にその生活環境を縛り付けるため下半身を変化させた。伝統的な水域生活者の困窮、一時的な溺死者の増加は確実であるが現状に鑑みて些細。

・暴食病

 際限の無い食欲に突き動かされて他者からの干渉が無ければ胃が裂けて死ぬまで食事を止めない。飢餓の危機が迫る中でこのような患者は害虫の如く怖ろしい。

・砂漠拡大

 豊のタイタンの呪いにより、本来植物など育たない不毛の地にさえ実りがあって破壊と再生の循環があった。砂漠の復活と防がれてきた拡大により生命活動は停滞を始める。

・循環

 破壊と再生、誕生と死という巡りは一喜一憂の想いを生む力であり、豊のタイタンの力の源であった。望みに拘わらず始まったものは終わり、終わりからは別の始まりがあった。

・不作病害

 農業とは手作業と祈りと生贄により行われて来た。今後は呪術ではなく学問によって諸問題が解決されなければならないが、今を生きる文明人にとり科学的農法は不思議の領域にある。

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