第6話前編「匠のタイタン」
・ドラゴンの騎士”新星”
生まれは野生のドラゴン、名立たる五大の系譜にも係らず卑賎である。加えて矮躯であった。
ドラゴンに限らず野生は強さこそが絶対である。兄弟との食べ物の取り合いに負ければ幼くして飢え死にする程に競争は激しい。彼は弾き出された。
孤独で矮小は死を意味する。だがしかし始皇帝ガイセルとの出会いから始まり、向上心を持って武器術、甲冑闘法にマナ術、人間との共闘を習得してはようやく一線を画す。
ドラゴンは通常、人に組しない。野生は獣以上に懐かず、五大の系譜ともなれば尊大に支配こそすれ友とならない。異例の彼は、種の長命にて長く帝国を支えて人々と神々にその名が認められた。
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走り蜥蜴、とは何時かの誰かが渾名した。肩高は女の背丈程の獣脚に鉤爪、成り損ないのドラゴンたるラプトルは群れにて距離を取り囲んでは、指導者の鳴き声に統率されて容易に攻め入っては来ない。愚かにも先走り突撃した同胞達の骸と瀕死体が転がっているからだ。
ラプトルの愚か者を散々に打ち倒したのは火を噴くドワーフ方陣。長槍兵、剣盾兵、銃兵、砲兵、昨今特に珍しくなったマナ術使いの神官が守る囲いの中には大陸西側難民の中でも足弱。鉄と山越の国を越え、ようやく塩の国に入った者達の最後列にして囮。必要な犠牲、蜥蜴の尻尾でもある。道無き強行軍を今日まで耐えた。
ラプトルの他にも恐ろしい怪物がいた。
鋼虫。こおろぎ姿の金属体で重く頑丈、飛蝗脚は力強く、顎は草のように鉄を噛み切る。それが方陣を取り巻くラプトルの群れの後方にて、時間が稼がれている隙に包囲配置についてから一斉突撃を敢行。マナ術と砲弾で迎撃され、破壊と足止めをされる中で方陣に辿り着き、刺さらぬ槍と盾で抑えつけられ、目や口など辛うじて攻撃が通用する弱点に銃口が向けられ、鉛弾が突き破って中を砕いて金臭い鉱毒の体液が漏れる。
そして鋼虫が抑えている間にラプトルが突進、その金属の背中を蹴って長槍より高く飛び込み方陣内側に着地し、獣のような高い雄叫びと共に叩き潰された。
「やっと来おったか!」
次々飛び込み、内から陣形を崩そうとするラプトルが一撃で頭、首、背骨を砕かれて倒れ、足弱の者達が寄って集って嬲り殺す。
「跳び蜥蜴が小賢しいわ!」
威勢の良い声で敵を威嚇、仲間を鼓舞するのは女騎士。他の騎士が三人掛かりで苦闘するラプトルを一人で剣や斧で叩き潰しては武器も潰し、従者が乱暴にしかし心得て投げつける新しい武器を受け取ってはまた潰して回る。その勢いは全力疾走のまま、疲れ知れずに衰えず、気合に溢れて成り損ないとはいえドラゴンも慄かせてはその牙と鉤爪も恐れず一撃粉砕。
「殿下来ましたぁ!」
方陣の隊長が強張った声で叫ぶ。耳障りな高音から、方陣の一部、兵が突然に煙を上げて火の手も無くしかしまるで焼けるように死に始めた。
「任せい!」
殿下とは死せる皇女、しかし蘇りに戦乙女となったクエネラである。鉄の国を発して今日も続く逃走劇へ戦神より派遣され、それは悲惨で血塗れであったが一点に置いて輝いて燃えていた。腕もさることながら、その鼓舞する振舞いは皆を絶望の淵から何度も引き上げた。
「小父御殿!」
死皇女より小父御と呼ばれたのは”新星”である。小柄なドラゴンながら甲冑を纏い、振るう大剣でラプトルの大半を叩き潰していた。その背中へクエネラはかつてのガイセリオン帝のように乗り、高跳びに長槍の壁を羽ばたきと共に越えて駆ける。
敵は野生動物ではない、エンシェントドラゴン”合奏”の僕である。肉弾以外の攻め手を持つ。
音鳴らしの鋼虫の群れが肉弾突撃の後方より音を合わせ、焦点を揃えて焼いている。矢玉のように飛ぶこともなく、マナ術で空気を遮断しようにも方陣全周を覆う技量の者はおらず防げない。ならば一点突破からの逆襲である。
”新星”は走りながら剣と尾、拳と翼の拳、マナ術にて腕六本もあるような働きでラプトルの予備兵力を薙ぎ倒し、己に音の焦点が合うより早く駆け、音鳴らしの群れに突っ込んで叩き殺す。
背よりクエネラが跳び、敵中に飛び込んでは鋼虫を叩き潰し、間もなく武器が壊れれば徒手空拳で叩き潰し、小手が壊れたら己の甲冑の一部、鋼虫より剥ぎ取った一部を武器に使い、しまいには裸の拳骨が壊れても殴り続けては叫んで鋼の外骨格を割り、鉱毒の血が溢れる体内へ突き込み内臓を掴んで引きずり出して殺し続ける様は生前より進化したる狂戦士。
クエネラが痛みに屈することなどまず無く、叫び声はそれを誤魔化すためではなく、目立ち敵を引きつけ怖れさせる行為。またその壊れたはずの拳は、戦神より戦意潰えぬ限り肉体が滅びない祝福を得て解決。ならば己の骨肉爆ぜても問題なかろうと、歴戦の猛者でも一度で悶絶する痛みと引き換えに殴る勢いが止まらない。
方陣崩しの音鳴らしの鋼虫も討伐され始め、単純な突撃では埒が明かないとラプトルの指導者が鳴き声を上げて撤退を合図、蜥蜴も虫も一目散に逃げ始める。
古来より逃げた背中に追撃を加える時に最大の戦果が得られるが以前、方陣から一時”新星”とクエネラが離れた際、別動隊に襲撃されて大きな被害を出したことがある。追撃は取り止められた。
ラプトルの指導者が退きの合図を出す程に”合奏”の僕の死屍は累々であるが、それは一行も同じであった。何より休まず疲れ果てている。”新星”ですらも、多弁ではない性質だが逃走当初はまだ気遣い程度の言葉は頻繁に口にしていたが今は無い。
「勝利である! 皆、大義! 休む支度をせい!」
武具甲冑、全損に近いクエネラだけが無限に明るく強く精気を放っていた。如何なる戦場でもガイセリオン帝さえいれば光明が見えたと言われるが、ここでそれが分かる。
「殿下」
「うむ」
戦乙女となった死せる皇女には従者がついており、全損した武具甲冑の代わりを見繕って持って来た。それらは方陣の中で戦死した騎士の物で、体格に合ったり合わなかったり、紐結び、帯巻、詰め物を入れるなど簡単な処置が施される。少し前までは神器やアダマンタイト合金製などと大層な武具もあったのだが、全て使い潰している。鍛冶師もいるが設備が無ければ手も出せず、無用な重荷に耐えられる者もいないので破損した物は打ち捨てられて来た。
彼は昔馴染みの者ではなく、逃走の中で使い勝手が良いと彼女が指名したドワーフの若者だ。名はハラルト、塩の国の岩塩鉱夫。ただひたすら酷な環境に耐えて岩塩板を切り出しては延々黙々と運ぶことに慣れていた。
装備も一応整い、いつまた敵の急襲を受けても良い状態になったクエネラは戦い疲れた者達を見て回る。
「まだ戦えます……」
「無理だ、死ね!」
戦乙女は戦士を労わるのが仕事ではない。足手纏いとなった者には速やかに死を与えるよう、胸骨砕く拳を胸に入れて心臓を潰した。
この振舞い、逃走当初は波紋を呼んだが今では皆が慣れていた。今際の者に気を遣い、最期ならばと人足、飲食物に医療具が無為に宛がわれることを防ぎ、残る資源を限りなく温存するのだった。
「もうだめだぁ!」
方陣の隊長、叫んで服を脱いで走り出してしまう。重圧や連戦に耐えかねて狂ってしまったのだ。あの音焼きにて先任のまた先任のと何度か繰り返す程に代替わりしており、彼も昔は新任下士官だったのだ。
クエネラがその隊長を捕まえて顔面へ気付けの唾を吐きかけた。飲料水は勿体ない。
「まだだ、戦って死ね!」
そして張り手が炸裂、殴り倒して気合を入れた。
「ありがとうございます!」
ご褒美にはお礼であろう。
「総員整列!」
クエネラ殿下の木霊する号令に兵士、騎士達が並ぶ。
「お前ら、気合だ!」
総員に対し、一人残らず心のこもった張り手に打たれては、ありがとうございます! と気合の返事。希望者には痰唾も引っ掛けられ、喉が枯れては唸り声と共に蹴飛ばされる。
外と内からの暴力に搾り取られる者達は熱に浮かされ、身を削る戦いの祭事に身を委ね、酔っぱらい、精も根も灰へと向かっていた。尋常ではここまで来れなかったのだ。
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一行は粗方避難が済んだほぼ無人の塩の国、その高原を進んでいると地図に無い鉱山街に辿り着く。掘っ立て小屋が多く都市とまでは言い難いが一行には砂漠に現れた湧泉であった。何より流浪の、匠神の御膝元であった。
大なる豪腕を一二本を振るって鉱山を砂のように露天に掘る多眼の大巨人が見えた。素手で掻き掘っては土砂に鉱石、地下水に瓦斯が洪水のように溢れ出し、飛沫に粉塵が舞う。その働きは山を荒らし過ぎるとして益より害多しと封印された鉱業の怪物であった。
移動出来る車輪付きの山の如き工房が煙を吐いている。大巨人が採掘した石の中から鉱毒に強いドワーフの鉱夫が鉱石を選別し、それを呪い人たる動く石像が考える頭も無く工房へ運び続ける。その人足量は古今全ての呪われ達。過労で身が崩れて石屑になることもまま見られる。
工房内では名工達が肩を寄せ合って仕事をしていた。ドワーフの比率が高く、高名な神官鍛冶が顔を連ねる。鉱石が炉で大量に精錬されてから建材に加工され、高度な祝福が得られるように彫刻施され、それがまた動く石像によって運び出され、行き先は救世の地であると言う。
中でも加工極めて困難な神金と呼ばれるミスリル、アダマンタイト、オリハルコンを担当するのは、腕の良さから死ぬことを許されず石像にされたドワーフの古きゲルギルと、そんな大人物すら弟子に使う陪神”一つ目”。
匠神の工房と採掘場が設置された鉱山は壮大な、世界を救うための計画に邁進していた。そこは安泰の場所ではないがしかし、一行が一旦は落ち着ける地ではあった。
「おい石ジジイまた壊れたぞ!」
「扱いが雑なんだよ!」
クエネラは良い武器を求めていた。ゲルギルに端材で武器を作らせ、試し切りに廃材を叩き割っては武器も割っていた。
「下手糞が!」
クエネラがゲルギルの、鎖状に精巧に彫られた石髭を掴んで揺さぶる。
「お前が下手糞だ!」
良い素材は建材に回される。端材、使えぬ木っ端とされるには確かな理由があって、忙しき古いドワーフが仕事の合間に鍛えた武器も、至高の名工の手によるとはいえそれなりの出来栄えであった。
ゲルギルには、今や戦乙女の長となったスカーリーフという戦狂いの友がいた。彼女は繊細な道具でも壊さず虐殺する腕があってそれ基準で鍛えてみたのだが、この狂戦士も腹を蹴飛ばされた子犬に思える暴れん坊でやかましい糞餓鬼には相応しくなかったのだ。
道具を著しく目的から離れた用途で使ってはならない、という神法がある。また物損税という神法を補った神税もある。この一件はそのどちらにも適用されないはずだが、されてもおかしくない狂皇女は勢いが過ぎた。
「まあまあ、とりあえずこちらをお試しになって」
とそこへ匠の巫女が重い足取りで神器たる武器の数々を束に担いでやってきた。工房の倉庫から見繕ってきたのだ。匠神が金剛石の剣と甲冑を鍛えて新作を出さなくなった以前、数多成功作の裏に数多失敗作があり、埃を今日まで一〇〇〇年と被っていた代物であり、その中でも頑丈さに着目した物を目利きの彼女が探してきたのだ。
神の駄作は名工の傑作の水準に至る。石髭から柄に持ち替えて廃材を滅茶苦茶に破壊したクエネラは一先ず、よしと満足した。何も言わぬハラルトは荷車にそれらを積んで引っ張り、随行出来る程度の本数に調整する。
戦乱と崩壊で多くの神器は失われている。そして救世計画の前では武器如きに構っていられる余裕がなかった。本来ならばいかなる暴力にも耐える剣なり槍が作られるべきであったが、そこまでの神器を作る時間も想いを掛ける余力も無い。商神硬貨消失以来、人足も奇跡も尚更に有限となった。
「いかがでしたか?」
「ご配慮、感謝申し上げます」
クエネラは巫女に節度正しく礼をした。それから、ジジイは仕事に戻れ年寄りと言い捨て、うるさいわと返される。
ゲルギルは”新星”に並ぶような小父御の一人であり、中でも礼節を取り合う仲ではなかった。幼き頃から石のジジイは丈夫、と蹴ったり殴ったり。一番の仲良しである。
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エンシェントドラゴン”合奏”の軍勢にも小魔女がいた。例に漏れず野人と蔑まれた森エルフの血統であり、迫害を受けた過去により目は潰されて盲になって長い。代わりに耳長の中でも特に聴覚に優れて音に敏感、静謐を好む。そして静かなる、手も出さぬ置物のような唖の”抹殺者”を気に入っては、出会いの頃より常にひっついている。
『あ、お姉さま!』
”抹殺者”程ではないが無駄口を叩かず、声を出しても短いシャハズもお気に入りの一人。呼ぶ声を発する前に気配を察しては寄せてくる顔を手で押し返しても、ぐむむと腕が伸びて来る。
『出番』
『はーい』
タイタン共よりも古い時代、もしかしたら旧神よりも古い時代は海の底であった岩塩鉱床が並ぶ帝国領の一つ塩の国。地のタイタンに封じられたかつての地殻変動にて高原となる程に押し上げられたその地は金属資源もまた豊富であった。大地が脈打つところ、星の内側にて熔解された各種物質が盛り上がり、分別され冷えて固まっている。
その脈の一つの麓に匠のタイタンの鉱山街が出来上がっていた。あの糞が持つ移動する工房が有り、呪術で調整がされた鉱床が設置されている。腕の多い大巨人が暴れて掘削する姿は身を隠す素振りを感じさせない。護衛の軍勢もそれ程に見られない。
古き”抹消””吹雪””流血”と若き”灰燼””光線”の軍勢は大陸各所でタイタン共に共闘許さぬ攻勢を大出血を厭わず仕掛け続けており、今回、”合奏”の軍勢はその憎き首へ手が届くところへやってきた。転戦するシャハズと”抹殺者”がこの場に居合わせたのは偶然ではなく、旧神”予言の隠者”による不気味な、心臓を冷たい手で触る囁きによる。
準備は整っていた。金と音の魔物、鋼虫の雄が秋の繁殖期のように羽を振るって鈴どころではない怪音波を発し、その先頭に立つ小魔女が小さな杖を振っては音を精霊術で調律しては指向し、遠方の鉱山街へ焦点を合わせては身を焼き崩し、鉄を灼熱させて石も粉に砕く超音波の振動にして伝えた。
シャハズが名付けた小魔女、”調律”シュレメテル。己の目を潰すような境遇を作り出した糞共に対する返答はこれだ。術で現地の音も拾い、敵の雑魚共が大慌てに悲鳴を上げる様など大層に気分がよろしく口角が吊り上がる。敵が焼け、物が壊れ、あちこちにそれらが散らばって踊る。必死に奴等が何かを作っていて、それを台無しにしてやった。シュレメテル、人生最良の時が迎えられた。
突撃の準備が雄の群れと小魔女によってなされた。その混乱と破壊の間隙に雌と、まつろわぬ者達を背に乗せたラプトルの群れが突撃する。
突撃を迎え撃つのは長槍兵、剣盾兵、銃兵、砲兵、マナ術使いの方陣群。物体を偏向させる力を持つ黄のマナ風が敵軍を覆って殺傷破壊の振動を防いでいる。対応は早く、街の者達は工房に避難。ここからが本番である。
黄風に守られる方陣は鉄壁の一言。超音波は空気という物体の偏向により伝わらず、焼き殺せない。ラプトルより降りた者達が矢玉を投じても反らされる。雌が踏ん張って何とか方陣に寄っても槍と銃弾を受け、頑丈な身体にもある急所を突かれて倒れる。ラプトルが軽快に走り回って陣の隙を覗うが組まれた方陣はその隙を見せぬことに特化する。
敵も楽ではない。マナ術は何時までも全力発揮出来るものではない。酷使が過ぎれば使い手が過労で引っ繰り返る。その時まで圧力をかけ続けて崩壊を待つ。
雌とラプトルとまつろわぬ兵隊が方陣を抑え、逆襲の目を無くしている間に”調律”の手は再度タイタンの工房に向けられる。しかし精霊術の効かぬタイタンの呪いを前には無力。シュレメテルはぐむむ、と唸る。
そしてあの目立っていた大巨人がようやく事態を察したか採掘の手を止め、巨体故に緩慢に見えるも素早い動作で動き出し、そして躊躇無く工房を持ち上げて走って逃げ始めた。
『あれ?』
シャハズも思わず声が出た。
敵わないのならば逃げるのが戦術の基礎。しかし商の時もそうではあったが、ああまで露骨に逃げられると呆気に取られる。神々を名乗る程のタイタンが姿も見せず、殿部隊とはいえ味方を残しての逃走である。
逃げる背中には追撃であろう。この場で最も素早いのは予備待機していた金のドラゴンである。金属鱗のその背にシャハズと”抹殺者”が乗り込む。
『お姉さま、私の彼方、お気をつけて!』
えらい呼び方をされても目もくれぬ二人を乗せて金のドラゴンが走り出す。ドラゴン得意の、翼を広げて滑空するような走りは巨体を全く感じさせず矢の早さ。
「待てぇい!」
それを追って来るのは同じく滑空走りの姿勢を取る、小柄で甲冑を纏った人に組するドラゴン。その背に跨るのは威勢の良い、ガイセル似の女騎士である。シャハズと”抹殺者”には見覚えがあった。死のタイタン殺害の過程で知り合っている。
知り合いとて遠慮するシャハズではない。恩も情もあったエリクディスでさえ殺しに掛かれるのだからちょっとした知り合いくらいなんであろうか。ドラゴンに跨る背面騎射にて精霊術で超加速された矢を放ち、甲冑ドラゴンが剣にて寸で弾く。
次、二の矢を放つふりから術による幻影、氷、金の矢を放った後の、一旦側方に曲がってから戻るこれまた術隠蔽された変則軌道弓射が甲冑ドラゴンの剣術を上回り、女騎士の頭を撃ち抜き、それが素手で引き抜かれた。
「良い腕だぞ野人め!」
鏃には返しが付く。たとえ刺さって即死はせずともそれを乱暴に抜けば脳が掻き出されるはずで、そうなったのだがあの女騎士は死にもせず笑って腕を褒めさえした。そういう呪術に掛けられている。
戦術の基礎には対処が難しい相手への対処法がある。判断の早いシャハズは戦うことを諦め、精霊術にて背後に土壁、落とし穴、鉄杭、茨や氷や酸に闇に閃光、真空地帯などの複合障害を設置して行く手を阻んで追撃を失敗させた。女の獣のような叫び声が響く。
敵の追撃を終わらせた。金のドラゴンは大巨人の足跡を追う。道中にはあの鉱山街で製作された建材を運ぶ匠の呪われ人たる石像達が事態に関せず黙々と整備された道路を歩き、荷車も曳く。大巨人に踏み潰され、金のドラゴンに邪魔と払われても黙々と働く。そんな彼等も匠のタイタンが死ねば解放される。砕けたその身で解放されたならば相応の憂き目に遭うだろう。
高原を南へ行く。昼夜を跨いでも彼我距離は容易に縮まらず、遂には懐かしのハイエルフの領域から折れ、この北の高原まで渡って橋と化した世界樹の幹の先端にまで辿り着く。遠い昔に葉が散った枝が大地に突き刺さり浮いた根が張ったよう。そこには階段や荷揚げの昇降装置が整備されており、これも匠のタイタン達の手による。余程南方へ物資を届けねばならぬ理由があるらしい。
大巨人はその巨体から幹の端の先へ進めず、登攀口にて待ち構えていた。
初撃は工房の投擲。施設としては放棄され、炉の火が回って噴煙火の粉を纏い尾を引く大質量。並ならばどう素早く避けても足が足りない巨大が直球。
シャハズによる複合精霊術で工房を減速、反らし続けながら、避ける金のドラゴンの行く手を破壊と均しに開いて姿勢を制御、多方面から後押しして可能な限り逃げる。それでも足りねば逆に立ち向かい、その壁を破壊して抜け、内壁を破りながら道具、作りかけと金屑、燃える石炭が進行方向と逆に押し付けられる中を抜け、駆け上がり、反対の外壁を破って通過し、噴煙火の粉を浴びながら抜ける。
内部を通られることで空振りとなった工房は地面を抉って弾き飛ばして地形を崩し、中身を遠心力で撒きながら転がり回っていった。
初撃を掻い潜った次に超加速の矢をシャハズが放ち、大巨人の目を射抜くがまるで痛がる素振りも、潰れた様子も見せなかった。複合精霊術も遠隔ながら飛ばして当てるが効いた様子も無い。術が効かぬは呪術によるものとして、矢が急所に当たっても動じぬとは巨体が過ぎる故であろう。文字通り毛程でもない様子、まつ毛の威力に届かない。
『任せて先へ行きなさい』
シャハズと”抹殺者”は躊躇せず金のドラゴンから降りる。
大巨人は次の手、地面を掬ってはほぼ回避不能に投擲する土砂投げ。散弾、嵐どころではない一二本が繰り返す掘って盛る動作は地形を変える。
シャハズは海底作戦で習熟した地中行動にて、表層を穿った後はただ盛り上がる投擲土砂の山の下を潜って世界樹の幹を目指す。”抹殺者”は追随。
金のドラゴンは身体の頑丈さを頼りに囮となって大巨人の相手をし続けた。単純な命令しか聞かない動く石像達は真っすぐ渦中へ入って潰れ、埋もれる。
地中を潜っては次に、虫のように枝に幹を潜り、複合精霊術で隠匿、偽装しながら橋渡りに移る。大巨人は土砂投げに夢中で、どうやら頭の程はそれ程ではないらしい。
世界の屋根から遥か下に大陸中央から、空気の層で霞んで見えない南方まで広がる。懐かしの故郷の森は折れた根本の南側で見えないが空気は感じられよう。
かつて古い仲間達と根本側から進んだ世界樹の洞の森へは下りなかった。術で道を作るまでもなく、匠のタイタンの僕達が物流のために建設した道路と橋を利用。
道中、人造の橋の上にて、足止めのドワーフ横陣が立ちはだかった。職業兵士ではなく、本来なら製作に専念するはずの職人民兵である。働く体は肉付きも良く、中には従軍経験者こそいるがしかし殺気の立ちようは専門家に及ばない。
「今なら思い出した…」『…魔法爺が自慢してた森エルフか』
『うん』
先頭に立って民兵が戦わずして逃げることを選ばせない背中を見せるのは石のゲルギルである。尋常の頃から優れた戦士であり、今や使徒、陪神に準ずる大物となれば短躯ですら威容。
『どうしてこうなったか』
『うーん』
封じられたが今や解放された古い記憶を持つ者ならこの世界の惨状、どこか必然と納得してしまうところがあった。
『ところで、橋は何だか分かるか?』
ゲルギルの口遊びにエーテル鏃の矢で答えた。脳天に突き刺さって抜け、その後ろの民兵も貫くが石のドワーフは動じない。複合精霊術を浴びせても例のタイタンのように効かず、その後方集団が壊滅するだけ。同時に人造の橋が爆破して落ちる。
シャハズは精霊術で橋をかけ直して落下を防ぎ、ゲルギルは落下しながら隠した小さな石弓を撃って、鋼線付きの矢を”抹殺者”に突き刺して道連れにしようとする。だが手繰るように鋼線を掴み、石の体重から持ち上げるに至らないが踏ん張って耐えた。耐える程に鏃の大返しが掛った背骨に食い込み、捕えて離さない。
シャハズは動じず、踏ん張って耐える相棒の姿を見て手助けもせずに橋の修復に専念。後に鋼線でも、場合によればその相棒の胴半分でも切り落として余分を押し付け、再生させれば良いと考えたのだが、予想しないことが起こる。
まだ何も手を出していなかった。姿すら確認していなかったのに”抹殺者”が”秩序の尖兵”の力を呼び起こす反応を示し出したのだ。その身を突き破って金剛石が現れて化身の姿を取り始める。
『足止めするまでもなかったわ』
勝ち誇る石のドワーフが笑う。石の口が軽くなる。
『御柱様は足曲がりの足弱でな、お前さんみたいな手練れには敵わんと分かっていた。だから、ほれ』
遠くからでも見えた。世界樹の折れた地より、ハイエルフの成れ果ての廃宮殿より黒々とした柱が一気に天まで伸びた。その立ち上がりの衝撃波が低層から高層の雲まで分け、円に穴を穿つ様子が見えた。
『御柱様が人柱となられた。こりゃあ面白い。今際の見世物としちゃ良いもんだ』
”秩序の尖兵”の反応が止まり、金剛石が”抹殺者”の中に納まり始める。
『見ろ、ほれ』
石のゲルギルが石ではなくなり始めた。石化が解け、生身になり、元気な老体と呼べる姿も萎れて乾き始め、一〇〇〇年嘘を吐き続けた呪いの姿が真実に追い付く。そして遠方からの衝撃波が洞の森を揺らしながら迫ってここへ到達。萎れ切ったゲルギルが塵になって骨を散らして吹き飛んだ。
建材を愚直に運んでいた石像も戻り、多くがゲルギルと同様の結末を迎える。しかし最近、新しく呪われた者ならば寿命が間に合って朽ちはしなかった。だが多くが建材の重量に耐えきれず肩から崩れ落ちて骨を折り、筋を断って即死せずとも動きがとれず、救う者がいなければ助からぬ重傷を負う。物を担がぬ復路の途中であっても、風化に応じて身が削れたまま戻って傷を負い血を流す。軽傷も人里の外ならば辛く、重傷はとどめを入れて欲しがる程。全身の皮膚が削げた状態でのた打ち回るのはさぞや辛い。怨恨から石化の後に顔を削られた者は即死だけはしなかった。何とか解呪後も無事でいられた者達もいるが、身一つで辺境へ放り出されたのだ。生存は難い。
シャハズは”抹殺者”から遠慮せず、傷が広がるのも無視して思い切り矢を抜く。血塗れに暫くのた打ち回る相棒は傷がすぐに再生し始めるので安心だ。
『うーん……』
流石の魔女も今回は釈然としない。やり直しもせずに匠のタイタンを自決に追い込んだのだが、首を取ったわけではない。
世界樹に相当する物を、そうしてまでも再建するのが使命であったと見える。敵は死んでもやり遂げたと見なせる。死のタイタン亡き後、復活の呪術も無いというのに躊躇いが感じられなかった。何かのために自己を犠牲する義心の発露。それは思い描いていたタイタン像から離れる。
遅かった、とシャハズは自己評価した。もう一回やり直せばと思って待ってみたがしかし、時の精霊がもう一度と囁くことは無かった。
タイタンは死んだのだ。
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鋼虫が飛蝗脚を岩側面に当てての水平跳び、その頭を真っ向からクエネラが金槌で叩き割り、外骨格を割って金臭い体液を散らす。退きの合図を聞き取れず、群れから逸れた最後の一匹であった。
鉱山街の者達は敗走した。”合奏”の軍勢も消耗し、これまでと深追いをしなかったおかげで皆殺しの憂き目に遭わなかったのは不幸中の幸いである。
まずドワーフ達に変化が訪れた。多くの年嵩の者が急に短命種の寿命に追いついたように老衰し、老いて、中には腐敗、そして塵と化して骨だけしか残らない者すら現れる。
この場にいた動く石像達が呪いが解けて生身に戻ったがそれも多くがドワーフを後追いするような惨状。老いも若きも生存者はいたが、石の時に傷がついていればそれがそのまま負い傷となって血が出る。生存可能者はごくわずかだった。
また多くの者、特に手工業者達が身体に麻痺を訴え、筋肉が石化のような硬直を始めて治癒の方法が皆目見当がつかなくなる。温泉に入れてみる手法も効果無し。呪いの病を発症したのだ。この場では分からないがおそらく、前例により世界中でこの病は蔓延し、物作りが劇的に停滞を始めていると見て良い。
老いと呪いの病から逃れたドワーフの中でも鉱業に携わる者達にも変化が生じる。押し並べて神経症状的であり、それはドワーフに罹らず他種族には掛る鉱毒病そのものであった。
加えてそれら不幸から逃れたドワーフ全てに襲った不幸がある。種族特有の頑健な身体が損なわれてやせ細り、しかし背は伸びず発育不良の人間と化した。女は髭が抜ける。
敗走出来た者は幸運であった。足の遅い者は全て敵中に残され、罪無く皆殺しとなった。
クエネラだけが戦意尽きるまで不死に戦い続けることは可能であったが、負傷に歯を食い縛る”新星”が戦の長として、撤退と号して退き始めればそうも行かない。
成り損ないの、しかも途中で不思議に力を失って並業物に堕ちた神器は尽く破壊し尽した。残るは鍛冶の手を止めたと決意した石ジジイから譲り受けた金槌のみ。それは幾千万と敵と鉄に振るわれては修理を重ねて元の物体が残らずとも歴史によって神器となり、クエネラが暴れ振るっても敵ばかり壊して不壊。しかし強力に武器も兼用するが工具は工具、手元も寂しく超の狂戦士と言われようとも頭が冷える。
力が弱ったハラルトが、マナ術にて皆を守り続けて過労で倒れ伏した巫女を担いで足取り重く走り出す姿もあり、健常者を逃がせると判断が出来れば算を乱さず、足止め必死の殿部隊が尽く犠牲となって若者を優先に逃がして玉砕した。
既に何度も誓った復讐を再度誓って逃げ果せた。無闇に戦うより再起し、軍を起こせぬならば刺客となって小魔女に魔女にドラゴン、姿を見せぬエンシェントドラゴンの首を取る機会を覗うのだ。戦神より戦意潰えぬ限り肉体が滅びない祝福を得た戦乙女に選ばれしクエネラ、一歩引いたのは次、殺すためである。
落ち延びた先でも安息は求めず、次の戦いを思案し、結論が出た。
意気さえ挫けねば無限に叩けるクエネラが主力間違い無し。疲労と負傷で困憊する”新星”に頼り切るのは論外である。
ゲルギルの金槌は女々の細工たる剣に槍などという軟弱が似合わぬ狂皇女に似合いの逸物であったが、やはりどう見ても工具で、片手で手元へ振るうに良い塩梅だが敵を殺すとなると柄の長さや重心等の具合が悪かった。
ドワーフらしい短躯ながら力強く骨の太い身がみるみる痩せてしまった上に、髭が抜けて背丈だけは伸びず、少年然としたハラルトが、しかめ面は何時も通りながら口を開いた。
「一応手順は心得ておりやすが、てめぇの仕事道具、手直しする腕しかありやせんが、よろしいんで」
「構いません」
「では」
まともに動けて鍛冶手順を一応心得ていた者はハラルトしか残っていなかった。つい先程までは世界の名工が集っていたのにも係わらず。
敗走時には皆、重荷となる武器を投げ捨てる。唯一残った鈍らの短剣を材料として、応急の炉で赤熱させて叩いて伸ばして整形する。腕は平凡以下で不格好。
そして刃先となる部分を再度加熱し、焼き入れのために水へ入れて一気に冷やして硬くするのだが、ここでは覚悟を決めた匠の、奉じる先を失った巫女の腹を使う。
匠神の御隠れにより、その手とその係累の手による神器は全て尋常の物品と化したのだ。末路は確認せずとも繋がる巫女と、様々な不幸を見れば確信出来る。しかし世には匠神に依らぬ神器もあった。ゲルギルの金槌等がそうであり、しかし数は少なく出回らず、大概は性能もお粗末であれば、今の戦乱で多くが散逸という状態。ならば作るしかなかった。
苦痛から逃れてはならない。麻酔も酒も使わぬ巫女は、ハラルトが作った不格好な剣もどきを、口に布一枚も噛み入れずに受け入れる。皮に脂肪、筋肉を焼き、刃を仕上げる前ならば杭としても鈍らな鉄塊が、上手く入らぬと捩じり抉って突き入れられる。単純素朴なハラルトはやれと言われて躊躇しない。
鈍らを冷やすだけが目的なわけがない。ここに魂を入れて神器と化さねばならない。
人は臓物を潰されただけでは即死しない。助かりもしないし気絶も難しい。この苦痛から復讐の力を宿すため、冷える以上に苦しみ抜いて想いを込める。息絶えるまで念じ続けて三日三晩、手助けも介抱も無く、怨念を鉄塊に練り込み続けた後、抜いたところその形は入れる前とは違っていた。
抜き出した形は、初めは焼け焦げた臓物が変形して絡みついたかと思われたが違った。
物の色、紋様は焦げ肉様。入れた時より伸びて長く、仕上がりは剣、否、棒、辛うじて杭が錬成されていた。
ハラルトの腕ではまともな柄を拵えることも出来ない。物の形からも研ぐには難儀で、更にその姿には巫女の生身を感じて、腕の悪さもあるが見た目を良くするための研磨も、刃付けの研ぎも直観が、してはいけない、むしろ砥石も通じぬだろうと拒否した。
突けはしそうだが切れそうにない剣とも棍棒とも言えぬ得物をクエネラは手にする。脈を感じた。
「生きている」
マナ術の黄風が吹き荒れて周囲の道具を吹き飛ばし、力を主張したのだ。
まず、神剣ではない。
■■■
・石像と矮躯の呪い人
呪いの石像が姿を取り戻す。偽りの長寿は真実に近づき、寿命を越えていれば朽ち果てる。また石の負い傷はそのまま体に残ってしまう。
ドワーフは匠のタイタンが自分に都合良く品種改良した人間。長命は短命へ、器用な手先は並に、重労働に耐える筋力や鉱毒耐性は失わる。多くが老衰し、生き残っても中毒症状に苦しむ手弱な小人に戻り役に立たぬ。女は髭が抜ける。
・石痺病
筋肉や靭帯が石のように固まって動かなくなる。手足から始まり、血行不良から腐り始め、心肺に至るまで生きていれば死に至る。
・神器無効
匠のタイタンの呪いにより、道具でありながら呪術を扱う神器等は本来あるべき性能を取り戻し、多くの者を落胆させる。ただ、このタイタンの力に依らねば良いのだ。
・技巧
技巧とはより良い物を作ろうという想いから工夫する力であり、匠のタイタンの力の源であった。便利に、美しく、文明を発展させるそれらは人々を満足させた。
・神技喪失
従来の凄まじい神技を持った職人は全てその呪いの恩恵に授かる。それが消えた今、並の名人か凡人になり下がる。文明は後退を強いられる。
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