第5話後編「海のタイタン」

・”宝石”の息子

 半分ドラゴンだから大丈夫だろうと何でも食わされた。正直、鉱石は不味くて食い物ではないと思う。多くの半端な兄弟姉妹達は腹を壊し、毒に蝕まれ、栄養失調で死んでいった。

「魔王の残滓とはいえデーモンでは限界があるか?」

 残る人数もわずかになってから、今度は北の一番遠い坑道で金剛水という大きな兄弟姉妹達でも触れることすら危ういおかしな物を飲まされて最後の一人となる。

「良く生き残った。強そうな名前が良い。あまり奇をてらってもな……」


■■■


 海底坑道。オアンネスの海洋宮建造計画に使われた海底図を流用して掘る。海水という要素を取り除けばその世界もまた山在り谷在り、火山も在る。固い岩盤から砂地まで、建物を造る為に考慮する要素は幾らでも。

 坑道は海嶺を通る。シャハズが中心となり、まつろわぬ魔法使い達は音の精霊術にて海中へ伝わる事を阻止し、また土の精霊術で掘削箇所を脆くし、逆に掘削後を固めていく。

 漏水、瓦斯の噴出、軟弱地盤の泥崩れ、予期せぬ熱水孔の掘り当て。困難は付き物だが大義の前では犠牲は厭われず、対処しながら作業は止まらない。環境の調整も重要。高まる気温と湿度、薄まる空気も気と冷の精霊術で送風、冷却が行われる。

 工夫の最先鋒は”宝石”の息子、金剛石の如き不壊の丈夫たれと名付けられた”金剛体”。彼は猿のように身体に比して腕が長く頑強。素手にて脆弱化してあるとはいえ岩盤を貫手にて休まず切り裂く。

 削れた土砂、岩石はワームが飲み込み、遥かな地上まで吐き出しに戻る。人を襲う姿は恐ろしい怪物の限りだが、坑道内を規則的に循環にうねり従順に作業する姿は意外に愛らしい。

 シャハズは、前回は潜水艦に同乗して潜入し、裏切り者の手引きでアプサム師から海底図の情報を入手して計画を練り、今回実行に移した。前回の内に隠密行動が露見しなければ時を戻す必要は無かったかもしれない。

 坑道掘削作業は長期に渡る。始めは手間取った給食と便所桶のやり取りも小慣れ、金剛のはずの”金剛体”が疲れて寝込むこと数回。もっとも優れた使い手であるシャハズが居眠りをすることも数回。土のドラゴンお姉ちゃんから小さな弟の様子を聞く伝言が下りて来ること百を超え、横堀りから縦掘りへ変えろとシャハズが指示を出した。

 海底を貫き、怒涛に流れ込むはずだった深海圧の海水を精霊術で強引に押し退け排水しつつ、気泡の壁、冷やして作る氷、海底の土と岩石、海中の金属成分で大空洞を造り上げたそこは海のタイタンが無闇矢鱈に蒐集した物品が集まる、塵山の宝物庫であった。

『やっぱり悪趣味』

 中型のワームに鞍をつけ、作業最終段階になってようやく坑道入りした裏切り者、エリクディスとヒュレメの娘、タイタンの目も曇らせる旧神”調伏の回虫”憑きセイレーン、帝国大学士の肩書には然程の誇りも無く、あの時代から生きるも特に古い恨みは持っていないテレネーはそう評価した。

 塵山は時代を超えて地上から奪われた各種品々が無造作に積まれた結果であるが、海水に腐敗し、錆て崩れて色褪せるどころか砂や堆積物と化している物が過半。物品だけではなく英雄と呼ばれたであろう人物から珍獣まで、骨が残っているだけでもマシなお宝まで存在。腐食し辛い物、低温下ならば形状を保つ物などは確かに形として残っているが、これ程に宝の持ち腐れという言葉が似合うこともなかった。文字通りに日の目に晒されず死蔵されてきたのだ。

 塵の山から本物の宝をシャハズは探し出す。それは瓶詰の魚人の首。知のタイタン亡き今、最も博識な存在やもしれぬオアンネスのアプサム師、その生けるも成れ果ての姿である。

『シャハズ、また救ってくれたのか』

 かつては海底の底で事故から破壊困難な箱に囚われた。今度は海のタイタンに死にたくても死ねず、狂う事も許されず、口を動かすことしか許されぬ生首の知恵袋にされた上、ほとんど活用もされずに暗がりの塵山へ投棄されていたのだ。

 古き恨みを持つ彼は年寄りである以上に涙脆い。涙腺こそ無いが確かに泣いた。

『三回目』

『時の精霊術か! エリクディス殿が知ったら……』

『殺した』

『そうか。そうなったか』

 古代の賢人は世の仕組みを理解している。

 ワーム達には土砂運びの要領で宝の塵山を飲ませて運ばせる。

 塵の量は膨大であった。また鉱業慣れしたワームでさえこの腐れ塵は味が酷く不味いと酷評。

『我が儘言ったら駄目』

 魔女も指差し指導に入る。ワームは言葉を持たないが、頭を上下にしてごめんなさいと返答する。

 海上ではテレネーの指導が上手く行っていれば、何も知らない鉄火艦隊が海のタイタン勢を困らせるように、彼等は知らないはずの、タイタンお気に入りの海中博物館の丁度直上で爆雷投下訓練を行って学芸員を心底激怒させている頃合い。

 そんな陽動も功を奏し、大空洞の外、水中に響き渡る法螺貝の音が聞こえる頃に運び出しは終わっていた。

 外壁を破って水圧に飛ぶ海水と共に現れたのは陪神学芸員。この塵山の管理者である。陪神の役割様々であるが、永劫の時の中でも懲りずに塵を管理とは、多少は尊敬に値するかもしれない。

 蛸の姿の学芸員、触手一つに付き神器の武器を持って重武装。法螺貝を一つ持ち、これで海中へ非常警報を発した。削岩機を一つ持ち、これで外壁へ穴を開けた。他無数の武器はこれから魔女達を討ち滅ぼす為にある。

 シャハズによる複合精霊術が挨拶代わりに放たれ、学芸員の装備の一つ、精霊の水瓶が全て飲み込んで無効化。効かない。

 精霊術は目くらましに放ったエーテル鏃の矢の、一度軌道を脇に反れて戻る変則射撃。当たる寸前で踊る盾が一人でに動いて弾く。

『ゴロくん』

『あいよ』

 ”金剛体”とは呼び辛いので、見た目がごろっとしたゴロくんが殴り掛かった。

 学芸員が振るう無数の神器は様々であらゆる弱点を想定した武器の集まり。その数々の刃は全て金剛の如きに頑丈な身体に弾かれ傷一つ無く、真っ向から繰り出された拳骨が立ち蛸を殴り倒した。這って逃げる身体を指が食い込む程掴んでは潰れるまで殴り、術で乾いた海底、堆積物に擦り込む。

 道具の扱いに習熟し、大抵のことは器用にこなす料理上手な学芸員。不利を察知することに遅れ、引き際も分からず倒れた。戦いの使徒ではなかった。少なくとも小細工無用の相手に相性が悪かった。

 運び手のワームは既に海底坑道を進んで逃げている。後はシャハズ、”金剛体”、テレネーが追撃手を出来るだけ迎撃するのみ。

 敵の次なる攻撃は、周囲の海水量より私掠党の割り合いが大きくなる程の圧倒的な数で持っての、その重さで潰す雪崩込みを仕掛けてきた。

 外壁、大空洞が崩壊し、サハギンと大烏賊の先鋒が圧力で潰れて落ちて来る。三人と一匹と一個は坑道に入って後退しながら、流れ込む深海圧の海水、潰れた体液、内容物、挽肉へ波乗りのようにして突撃してくるサハギン、大烏賊共を迎え撃つ。

 シャハズは複合精霊術にて坑道を潰さぬよう、逃げるワーム達の安全を考慮して複合精霊術で殺しつつ壁を形成して封鎖。しかし洪水の如き私掠党の肉の圧力は、それに紛れる、潰れるも触手はまだ動く死に損ないの学芸員の削岩機が先鋒に破り、そこから死骸が溢れ出して潰しに迫る。大烏賊の刺激臭は毒瓦斯攻撃にも似る。

『皆殺しに出来るような数じゃないわよ』

 中型ワームの上で悠然とするテレネー。”調伏の回虫”とやらの力は今使っていない。これも相性が悪い様子。潰した海産肉を捻じ込むだけの攻撃を前にどう呪術で対処出来るだろうか。

 海底図は利用される。熱水孔の横穴を開けて坑道の罠を順次作動するのは怒涛の挽肉の中でも悠々と動く”金剛体”の役目。

 死骸を熱しても何にもならぬが、それを坑道に入って押し出す者達には通用した。

『前に教えて貰った熱水孔』

『そうそう。あれの近くは住めんからな』

 オアンネスの知恵である。生徒は先生の教えから色々と学んだ。

 単純な力押し、深海圧だけでこれだけの坑道を埋める挽肉を力強く押し込めない。セイレーンが集団で更なる水圧を掛ける魔法を扱っていると推測された。だから肉の背後、海水に没した坑道内で作業している者を想定して熱水罠を仕掛けたのだ。

 一時肉の洪水が緩み、また再開するが撤退する脚は距離を取り、シャハズが坑道を掘削以前のように埋めてしまう。

 攻め手がこれで終わるわけがなかった。頭上の海底が揺れる。地震は溶岩も無く岩石一枚程度のそこから発生することは有り得ない。何かに叩かれている。そして聞こえて来る高音低音混じる絶叫はサハギン、大烏賊にセイレーンが出せるものではない。

『海のタイタン。絶対に触れるな』

 坑道の天井を破って白い巨大な手、瞳孔の無い黒目の白い巨大な顔、蠢く触手の髪が、骨が無いように滑り込む。開けた口の中も真っ黒で、そこから触手の髪の毛と同じものが伸びて、一本一本が手になり目の無い肉食魚か虫か分からぬ口になって伸びて来る。

 気色悪さが半端ではない。その小さな口の一つ一つが「返せ」という言葉か声色の違う絶叫を上げる。アプサム師に言われなくても誰が好んで触るものか。

『きもっ!』

 シャハズも口に出すおぞましさ、

『人真似ならもっとマシなのあったでしょ!?』

 さしもの余裕を失ったテレネーは鳥肌が立つ。

 ”抹殺者”は待機中。海のタイタンの本性現わしたのであれば突撃してくれるがその気配はない。

 シャハズの放ったエーテルの矢がタイタンに突き立ち、飲まれて消える。傷がついた様子はない。まるで水か泥か、固体ではない。

 知恵袋のアプサム師。流石に海のタイタンのことなどわずかしか知らないので助言のしようが無い。知恵者は準備段階で大役が済んでいた。

 殿はゴロくん。”金剛体”の名に恥じず、黒い触手の手と牙を受けても傷つかない。

『さて?』

 テレネーが四面眼鏡を外し、本性ではないなら呪術の一つかと、気持ち悪いタイタンを睨めば多少勢いが減じる。あれを制御する術の一部なりとも抑え込んだ様子。

 シャハズは変わらず複合精霊術で牽制し、タイタンと併せて死に損ないの学芸員が削岩機で穿った穴を広げて迫ってくる肉の洪水を抑える。

 そんな中でも自由に動ける金剛剛力のゴロくんが盾、囮となりつつ熱水孔の横穴を開けて坑道に流し込む。

 可愛いワーム達に手出しはさせない。

 逃走劇は掘削作業より素早く展開するも距離は長大であった。


■■■


 副王国における筆頭種族はエルフである。草原政権と大河政権の両エルフが過去に合邦となったのが始まり。現在の馬の国と河の国はその政権の域外、辺境自治政府。

 その河の国は大河河口部に栄えていた。西帝国領の崩壊の煽りは受けていたが、かの地を見て来た者にとっては平穏に見えて活気がある。ただ海洋宮の海上封鎖と西へ行き、やってくる船便消滅の影響は免れない。看板を畳んだ商店は少なくない。

 ヒューネル、チャルクアム、アジルズ、エンリー、そしてサナンの一行は、海洋宮で足りぬ身形を揃えた正装にて首都港への上陸を果たし、港湾員が慌てて対応した後に国の小王より歓待を受けた。尚、セイレーンにとり気楽な全裸は地上で憚られるので巫女も相応、海神本殿代表者らしい儀式張った衣装である。

 海洋宮地上部での楽園の如き座敷牢生活へは、特にアジルズが非常に強く大いに懸念を頻繁に表明。ヒューネルが持ち得ているという魔女に抗うらしい力による前の記憶の継承とやらも音沙汰無く、海の守りは鉄壁で陸上の民である彼等にはするべきことは一つも一切たりとも何も無く鬱屈。だから草原と大河の支配者の血統に連なる王太子は哀れなゴブリンの両足を掴んで海に漬けたり揚げたりを繰り返す古き良き説得方法にて、時期尚早と喚く小賢しい元統領の心を圧し折って八つもあるとはいえ貴重なその一つの指輪を使わせ、故国への帰還に繋げた。勿体無さより期を逸することが悪いという理屈は奇跡の男も知る通りである。

 奇跡の男の祈りにより、一行には出港税免除の出港許可が下りた。その上、五人程度なら十分に操船可能な小型快速艇に積み込む物資まで用意させ、おまけに強力な水先案内人として巫女サナンまで同乗させたのだから妙技であろう。一体今までどれだけ尻の毛を隠密裏に毟ってきたのか一端が知れる。

 願いは一つ、成就は複数。ただし巫女の同乗は成就のようでいて引き換え条件でもあった。事の詳細については、私の口からはと微笑みのしかし絶対拒絶の返答が得られる。海神はその手から神性のように逃がす気が無い。しかし譲歩を得られただけでも勲功である。

 亡き皇帝陛下を頂点とし、その一つ下の存在として副王位がある。そしてそのまた一つ下の存在として小王位があった。統領等は世襲の権威が無く劣るとはいえ、帝都集結時には席次を並べる程である。

 河のエルフらしい黒い小王はそれでも王太子より高位であるが、突然の訪問に嫌味を垂れる口は流石になかった。それに戦時であり、身内でもあった。

「小さき王よ、反攻やら救済ならぬ救世やらの一大の作戦が二つもあるような話を聞いたのですが、真ですか」

 高位者との応対は心得と立場のあるアジルズ王太子が担当する。近衛は口で働くものではないし、暫定皇太子は話が面倒になり、元統領は亡国の後に守る民もいなければ只の人。巫女が俗事へ積極的に関わる事は預言が無ければ原則有り得ない。

「副王殿下からお話を聞いておりますが、私にも詳しくは、殿下もそのような口振りで。ただ何時でも、老人病人は捨てる覚悟で森越の世界樹へ国土を捨てて行ける準備はせよとのお達しを受けております。邪教の軍勢に対する一大拠点にされるとのことでしょうが、計画が壮大過ぎます」

「救世の一大作戦とやらはそれでしょう。当面の食糧は豊神が都合付けてくれると思いたいですが」

「西帝国領に振り分けられていた分の実りの祝福が今こちらに掛かっておりまして、収穫量だけは相当に。余る程なのでその分は森越に運び込んでいます。内陸の方はこちらの専門外なので、やはり詳細は殿下にお会いになられるべきでしょう」

「分かりました」

「それとやはり、皇帝陛下は?」

「戦死されました」

「皇統は……」

「そこにいる人間の若者、ヒューネルという者が実子に当たります」

 ヒューネルは私です、と一礼する。

「聞いたことが無いお名前です。宮殿でも見かけたことは、いえ、いや似ている方は覚えておりますが」

「不義とは言いたくありません。ただ鉄の宮后の妹君との間で結婚せずに産まれました。産後は”新星”殿が鉄の国にて育てられました。決して無資格ではありません」

「何と。しかし、この時期に迂遠な経緯の皇太子とは、内紛は信じたくありませんが」

 厄介者とは千年一統が言わせない。

「それを神々が保証してくれるのならば?」

「求心力に。は、なるほど、海の巫女様はそれで?」

「今は申し上げられません」

 海神の巫女サナンは答えないが、今はとは言う。如何なる預言を受けてやってきたか。

「叔父殿よ、私は一度副都に上がります。それまでの間、彼等を保護して頂けないか」

「合点がいった。まだ隠しておかねばな」

 副王たるアジルズの父、小王の姉の夫は野心高らかである。かねてよりその皇帝に劣る号にも明からさまに不満であった。そのエルフの頭がヒューネルを傀儡にし、東の法王ヤハルと対立などという目も当てられない惨状は有り得ない話ではなかった。

 野人エルフが良く口にする誰それは糞との言、この事に限れば否定が難しいところである。

「ヒューネル、君は何か動きがあるまでそう、更に修行と勉学に励んでいてくれ。ここなら文物は揃っている。突然人前に出て皇太子を名乗っても良いように備えてくれ。チャルクアム」

「は」

 近衛のオークには今更言うことなど少ない。阿吽であるかの確認で十分。

「……エンリー殿」

「振り付けはお任せを」

 耳長の個人的な事ならばともかく、逆境を踏み越えて来た為政経験者であるゴブリンの経験は得難い。皇帝らしさは己で醸すしかないだろうが、踏み台にされぬという最低限の振る舞いは身に着けさせてくれるだろう。

「サナン殿は、お願い出来るだろうか」

「祓魔術でしたら」

 神々との特別な契約があるとすれば、ヒューネルが相応の器になってからだろうとアジルズは予測した。彼女の巫女としての役割はまだ後だろうが、遊ばせておくのは勿体ない。

 歴代の巫女は宰相エリクディスのマナ術開眼以来、対魔の象徴としての観点からもその天才が選ばれる。ヒューネルが黒石以外にも開眼すれば生存率も上がり、対魔の象徴としても強くなる。反攻の大作戦時、容易に死なぬ皇統の旗が前線に翻り続ける事は非常に望ましい。

 後は女に弱そうな所もどうにかして貰いたいが、どう頼んだものか。

「ヒューネル、一戦士であればという時期は終わった。今更だが一層の、別次元の覚悟を決めてくれ」

「父祖ガイセルと父ガイセリオン、養父”新星”それから得難き友人達、散っていった勇士達にも誓う……」

「後、誰それと続けてはは際限が無いぞ。意気込みは分かった。副都は任せておけ」

「……はい」

 年上としてアジルズは偉そうに言ってみた。これが兄貴分のように偉ぶれる最後の機会だろう。


■■■


 海底坑道からの逃走は長く、一先ずの区切りがついて略奪した塵の山は内陸部へワームの口により吐き出された。元の臭さに粘液が混じっては最早、価値の程は何とも言えぬ。

 これは作戦である。海のタイタンが異常に執着する塵の宝物により、その軍勢を誘引しようとの策である。

 海では対等に戦えぬ。ならば陸に誘って対等に戦わぬのだ。

 当初は私掠党が陸で足掻く様を空想していたが、違う攻撃が繰り出された。黒い大津波である。

 浅瀬どころか沖合の深みまで暴露する程に潮が引いた後、泥の色どころではなくどす黒く染色された大津波が押し寄せた。

 津波による蹂躙は予想の範疇。遥かに海から遠い山岳部まで下がっている。下がったのだが高さ以上に、速度以上に、地上を破壊して押し潰して流しながら、水量を減じながらも怒涛に侵食を続け、水気を失うような段階に至ってもある種粘性を保持しながらそれは這い上がりを止めなかった。

 黒い粘液は触手に手に口を無数に、泡立ちながら形を作って「返せ」という言葉か声色の違う絶叫を上げ、あの気色悪い海のタイタンとなって驀進。地上の土も動物も植物も逃げ遅れも何もかも飲み込み滅殺ながら侵食、山を登り谷を下って川を潰してどこまでも押し寄せる。何重にも深い壕を巡らし、脇へ排水するようにと放水路を形成したが意志のある黒津波の前ではどれ程の足止めになろうか。

 私掠党対策に用意された植物毒、鉱毒を溜め込んだ樽が割られ、飲ませても意味が無い。

 石油樽を抱えた、”灰燼”の軍勢から借りた焼き討ちの樹人が決死に黒煙を吐き出す炎の壁となっても飲まれるのみ。

 これでも海のタイタンの本性ではなく”秩序の尖兵”が抹殺に至る程ではないらしい。

 土のドラゴンの準備は整っていた。ヴァンピールより錬金術の技を受け継ぐダンピール達の協力を得て精錬された小さな太陽銀を小分けに食らった。呪術的にも”調伏の回虫”の力を借りて能くその毒光を制御した。体も新しい力に対応するよう、原石の塊のようだった”宝石”以上に研磨された宝石の姿、病身にならぬ身体を獲得。更に獲得した天を覆うような飛行を放棄した大翼を怪力で広げ、陽光を受けて散逸させぬよう呪術で蓄積凝集。これらの組み合わせは”宝石”の惨状と地上の太陽の業より、時折アプサム師の生徒となっていたテレネーの頭脳が短期に最終解決させている。

 土のドラゴンは鏡面状の喉と口から太陽銀と太陽の力を合わせた光の線を音も無く照射、後に首振り横一線に薙ぎ払い、高熱にて黒津波を地形毎気化爆発させ破壊の壁を作る。

 黒津波が途切れる、切断された先端部が急速に萎えて腐れる。また後続が迫るがまた熱線で切り気化爆発し、また同じこと。新名”光線”とは昨日までは恐ろしくない名だった。

 何度迫っても切断されて黒の手先を破壊される海のタイタンは遂に諦め、地表を削り抉って新しい遠浅の入江を形成しながら退散した。

 本性を現したわけではないにもかからわずこの圧倒的な破壊力。武闘派ではない知と商のタイタンと比して今までとはまるで違った。

『攻める』

 魔女シャハズは決断した。


■■■


 それでも怖ろしく何が待ち受けているか分からない海洋宮へ攻め入るのは、二本脚の同背丈内では類を見ぬ健脚で走る”金剛体”ゴロくんと、その肩の上でしゃがむ魔女シャハズ。行く手の水面は精霊術が手近な物質を集めて凍れる凝固土とする。

 他者は二人の機動力の前では足手纏いである。逃げるも攻めるも速度と生存能力が第一。心配性のドラゴン”光線”お姉ちゃんは二度目の黒津波対策に待機。気を付けて絶対に帰って来なさい、との言葉を海底作戦時のように受け取った。

 今度は海上からの殴り込み作戦。障害には鉄火艦隊が加わるだろうか? その軍の指揮官は裏切り者、古きセイレーンのテレネー。頭は良いようだが人品に欠けると”金剛体”には見えていた。

 鉄火艦隊はまつろわぬ者達で構成されていないという。ただ彼女の命令には遵守するように多角的に調教がされているそうで、彼等は今、戦士の誇りも遠くからの指令一つで抑えつけられ、何事も出来ず海上にて臍を嚙んでいる手筈。現状、曖昧な指示しか出さぬ愚将の下で苦しむ悲劇の兵隊だ。

 死ぬにしても己の意志で本分を果たせるならまだいい。守るべき者達を目の前で殺されても何も出来ぬとは死ぬより苦しいのではないか? 海洋宮地上部へ到達した”金剛体”は無力ながらも死力を尽くすことを許された陸の兵を薙ぎ殺して思う。

 肩から降りた魔女はそういった誇りなど感慨も無く、兵の頭上を悠々と越えて海のタイタンの呪いの力を支える信仰心を奪う為、陽動する”金剛体”がしたがらない所謂無辜の民を広範を対象にする複合精霊術で殺戮。箒で塵でも掃くように人と建物が崩れる。

 次に海中部も一掃。音の精霊術で繰り返し穏やかな海が荒れる大衝撃を与え、熱の精霊術で沸き立つ程熱し、浮いて来た死体が解けだす程の腐の精霊術を掛けた。海中に居を移した海産人や迎撃に上がってきたはずの私掠党のサハギンと大烏賊の死体で海面が埋まる。セイレーンの姿がわずかしか見られないのは予備に待機させられていると見られる。予備投入を前に決着を付けるべきだろう。

『ゴロくん、潜る』

『おう』

 タイタンを奉じる敵に容赦する気は微塵も無い”金剛体”であるが、事も無げに、無感動にこれほどの大量殺戮が出来るこのエルフもタイタンみたいなものではないかと思えてくる。古代森エルフの教育の結果らしいが。

 抵抗と言えば肉と体液の気色の悪さだけになった海へ、複合精霊術による潜水術に守られた二人は入って着底。”金剛体”は比重が大きいので泳ぎは得意ではなく、走るが速い。

 舞い上がった砂と泥の霧に包まれた、崩壊した海中都市を通り、シャハズがあっちと指差す先の海溝部へ迷いなく落ちる。海底図はあの頭の中にある。

 光が照らさぬ深海を進めば、魔法で照らさねばその壮麗さも見えぬのに彫刻装飾の限りを尽くした壮大な海洋宮の海中博物館に到達。中に展示される珍品類、腐った塵も含めてずらりと並ぶ。先に海のタイタンへ放ったばかりのエーテル鏃の矢さえ陳列対象である。

 これらが蒐集品。海底で大いに暇を持て余しているのならば仕方のない趣味かもしれない。

 建物の奥、蛋白石の玉座に座る海のタイタンがいた。白肌黒髪、人間より大きいが見た目は少女の年頃で下半身は魚形でセイレーン。あの坑道に現れた異形の面影はあるも全く気持ち悪くない。むしろ可憐とも言えるこれが本体で、力を出し切った後か気怠い様子。繰り出してきた気色悪い黒の何かは呪術の分身であろう。

「世界を破壊してなんとする。次代の神にでもなる心算か」

『別に』

 シャハズに大義無し。全て自己防衛。エンシェントドラゴンのように誇りや大義も無く、守る者があるかも怪しい。旧神のように何を考えているか分からないわけでもない。単純な生存競争があるのみ。

 シャハズが弓から放ったエーテル鏃の矢は精霊術の気泡を纏って高速に、抵抗する素振りの無い海のタイタンの額を貫いた。

 仮初の本体が致命傷を受けたことにより本性が現れたかは直ぐに分からなかった。セイレーンのような体は脱力し、浮力に玉座からやや浮く。

 脳裏に過るのは影武者か擬態、また黒津波を用いるような奇襲。二人距離を取り、本性を確認した。それは黒でも白でもない、赤い魚卵の如き粒がまるで産卵するように複数撒かれた。まずはそれだけだが、どう、何をしようというのかまるで得体が知れず怖ろしい。

 海水を割く衝撃から、今まで潜水艦に隠れ潜んでいた”抹殺者”のシロくんが、結晶化した”秩序の尖兵”の化身となりその一撃で粒を割った。

 粒から漏れる赤い何かが海水を怒涛の勢いで吸い込み始めて激流が生まれる。

 蒐集品が吸われる。抗う力が無い物体、泥に砂、死体、弱った海産の個体が赤に吸われて消えていく。石も吸われて転がり飲まれる。それほど飲み込む腹がどこにあるか液状の赤には全く確認出来ない。

 シャハズが作った海底に深く根を張る軛に二人は掴って耐える。そして軛は増設されて防塁と化し、屋根も出来上がって飲まれる海流から逃れる。

 吸い込まれることなく目視困難な斬撃舞で”秩序の尖兵”は、激流とは無縁に散らばり始めた赤粒を潰して更に赤液を広げる。

 遂には深海であるにもかかわらず水面が下がって空の太陽が水面に映る白い光さえ届き始めた。

 勝ちは確定だが、広がる赤液は防塁を侵食、消滅させ始めた。ならば逃げる先は海底。

 シャハズの複合精霊術が地盤を脆くし、”宝石”一派らしく”金剛体”が掘って逃げる。不幸中の幸いとも言えぬが、堀り捨てた土砂は赤液が吸い上げて邪魔にならず、吸われる過程で、術にて防護壁に再製される。そして潰した海底坑道に至り、今度は酷く腐れたその腐敗液と骨と落盤の道を、これまた防護壁、小さな隧道に加工して走って逃げる。

 二人が赤液から逃れた後、”秩序の尖兵”が最後の赤粒を潰した時、海洋宮水中部が外気に露出する程水位が下がって、海面は円状の大瀑布と化し、海底も巨大な擂鉢状に抉れた後のことである。海のタイタンは消滅して飲み込んだ全てを一度に解放した。

 衝撃で海底陥没、無数の地割れが発生。

 各熱水孔が粉砕され奥の溶岩帯へ至り、史上類の無い規模の水蒸気爆発。同時多数に海底噴火が連鎖。

 既に周囲を爆発的に弾き飛ばして衝撃波と共に広がっていた大質量がその噴火と合わさり、先の地上の太陽が粒程に見える破壊の水柱が立って天に届いて雲も吹き飛ばした。

 その沖合から大陸西南岸部中に潮の暴風雨、無数の噴石、大津波が押し寄せて破壊し尽す。無論、鉄火艦隊など跡形も無い。

 内陸部で待機していたまつろわぬ軍勢は暴風雨にたじろぐも、噴石は”光線”が全て光の魔法で迎撃破壊し、被害は最小限に留まった。新たな入江に押し寄せた津波は内陸地形自体が放水路となって捌き、しかし無数の塩性湿地を生んで環境を崩す。

 不壊の”金剛体”は盾になり魔女を守る。シャハズはその間に複合精霊術にて周囲全ての物質を極限に使って鋭角の衝撃を流す防護壁を地中に造り、音の精霊術最大に生かして振動、衝撃を殺して生存。

 死に際さえも海のタイタンは怖ろしい存在だった。”抹殺者”の回収は更に難儀で、死ねないのに溺れ続ける姿を見つけた時はシャハズでさえ強めに同情。音の精霊術で可能な限り短期に発見したのだが、さしもの彼も白い顔を青くしていた。以後なでなでの回数が増える。

 世界各地の沿岸部にて、篤信の海の男達を中心に陸で溺れる呪いの奇病が流行し始めた。世界を周回した衝撃波と合せて海のタイタン死すとの情報が巡った。


■■■


・海産の呪い人

 呪いにより海産種に変ぜられた者達が元の姿を取り戻し、多くがそのまま溺死。浮上に成功した後は漂流の運試しが待ち受ける。

 オアンネス、呪われのサハギンは元より海の者。知恵を奪われたものだが教育無くば変わり映えはしない。また近くに溺れる元セイレーンなどいれば手頃な食事となるだろう。

・陸溺病

 水中でもないのに突然溺れたように呼吸が出来なくなり、恐慌状態に陥る。そして水に潜れば息が出来るかと思っているように飛び込んで溺死する。

・呪術結界

 海はこの大陸世界と外界を分け隔てる結界。タイタン達の世界はこれにて隔離保護されてきた。今や海路、外界との入出を妨げる魔法は無い。

・畏怖

 畏怖とは想いを圧倒的に支配する力であり、海のタイタンの力の源であった。海の恵みを与えて尊敬させ、様々な災害と人智を超えた底知れぬ恐怖で屈服させた。当のタイタン亡き後も海は畏怖され続けるだろう。

・海洋制御

 従来の海洋災害の多くは海のタイタンの理不尽さに発するものであり、願い奉ればこそ豊漁や安全を保証された。今や全てが環境変異と自己責任に基づくことになり、従来の篤信は気休めにしかならない。しかしそれでは以前と変わらない。

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