第4話後編「商のタイタン」

・エンシェントドラゴン”宝石”

 小人から見たタイタンは万能に等しい力を振るうがしかし、何でも出来るわけでもない。そしてやれば出来るがやりたくない事など幾らでもあった。

『敗北の代償、まつろわぬ対価として、大陸全土の地中にある貴金属を掘り出して集めてもらおう』

 暗く地味でつまらない上に手間が掛かり、それが出来るような力を持つのは”宝石”ぐらいしかいなかった。時が過ぎ、反逆の機会が訪れた。

『死の者が死んだ! タイタンは不死身じゃなくなった! 予言の日が来たぞ!』


■■■


 ”吹雪”が極寒の暴風雪で地上を破壊し凍てつかせ、”宝石”が地中から地下に逃れた者達毎破壊し殺戮して商のタイタンの本拠を陥落させたが決着は付かなかった。

 シャハズはタイタンの首を狙って待ち、”抹殺者”を待機させていたのだが湾の国へ逃げられてしまった。本性を現せばエンシェントドラゴン二体を相手にしても勝つタイタンだったがそうはせず、”秩序の尖兵”の化身の力を呼び覚ます危険を冒さなかった。

 初めは”抹殺者”との共闘で殺せた。

 次は”焚火”の力を借りた。

 そして三度目では二体のエンシェントドラゴンの力を借りても失敗した。不意打ちが通用する段階ではないと証明される。

 逃げた商のタイタンは海のタイタンへ保護を求める。それは従属を意味し、誇りに傷はつくが合理である。敵は慢心や対立を捨て始めた。

 商のタイタンの力の源は欲。欲は広い概念だが、貨幣などを用いて有償に何かを手に入れるという物欲の領域を司る。無償の愛などは竈神の領域。そこで商と海、この通商を司る二大の力が合わさった時、どれほどの呪いを、想いの力を相乗に生み出すかは計り知れない。ヴァシライエが語るに、史上無かったことなので字義通りに計り知れないのだ。

 商のタイタンの本拠陥落にて現在、大陸経済は麻痺している。

 造幣局と両替所は破壊した。商神硬貨の組織的大量発行は再建されるまで停止する。

 貯蓄されていた予備の貴金属も全て強奪した。これで予備に扱われる人造硬貨の発行も鈍化し、まつろわぬ者達が手にして自分達の経済を回す。ドラゴン領が壊滅した今とて小さな市場が存在する。

 商のタイタンは今、弱っている。全力を出せぬというよりは一度全力を出せば後が無い。呪いの力は想いに積まれて増えるが、使えば消え、使わず忘れられれば減じていく。積み込みが今非常に鈍化している。

 全ての領域を総取りする全のタイタンがもしいればそれは強力だが、それは分立状態が許していない。分かれ、独立している内に殺さなくてはならない。なりふり構わず、従属の不名誉に甘んじてでも逃げるその背中を討たねばならない。力を合わせたタイタンがどれほど強力であるかという前例を他のタイタンに示してはならないのだ。

 敵から学習の機会は奪えば奪う程良い。時間を戻して学習に勝利を重ねるシャハズは逆説に理解する。

 武闘派ではないものの商のタイタン抹殺の効果は大きく期待がされる。

 タイタンと信者達が呪いの力のやり取りに使用する商神硬貨が消失すれば今までのような硬貨大量使用による、積んだ呪いの力に頼らない容量を越える無茶な呪術が使い辛くなる。

 硬貨以外にも想いの詰まった古い品がある。しかしこれの数は限られ、持ち運びに難がある。更には生贄の利用もあるが、自意識の存在は運用に障りがあった。

 単純な経済の崩壊から、呪術にて管理される大陸共通銀行も停止すれば悪い意味で信者達の貧富の差は無くなって帝国経済は完全に破壊される。その混乱による間接的な虐殺はどれほどの信者を奪い、タイタンを弱らせるかこれも計り知れぬ。

 分立しながらも世界を支え合っていた柱を圧し折れば折る程にその仕組みは加速的に崩壊する。勝利は次の勝利を呼ぶ。

 大業成す為、シャハズは商のタイタンが逃げた後の時間に戻って策を講じる。戻る時間は相変わらず自在に操れず、目の前には前回と同じくぷりぷりと迫力もなく怒る小魔女からあれこれと罵倒されているところから始まった。

『一〇〇〇年も何もせず、私達の苦しみも知らないで……私はあなたを認めない!』

『ふうん』

 彼女は目も大きく、金髪で肌も白く綺麗で輝いていると言っても良い姿、腹に力が入っているのかわからぬふんわりした声を出す。

『話を聞いているんですか!?』

『うーん』

 光の小魔女、隔世遺伝で金エルフの特徴が出た森エルフである。純血ならば戦のタイタンの使徒と化しているので別物だ。

 前回、シャハズは彼女との仲をいい加減にしてしまった失敗がある。仲を修復しないと一人で突っ走って無駄死にしてしまうのだ。

 森エルフの中でも集団行動を苦手とするシャハズ如きが器用なご機嫌の取り方など心得ているわけもないので、とりあえず犬猫相手のように、小魔女の背後に回って抱きしめたまま座り、座らせて全身を撫でる、揉む。柔らかくてすべすべで大層良かった。毛並みも良ければ匂いも良し。

『ふにゃあ!? やめてください!』

 その反意を無性に粉砕したくなる声色であった。顔は赤く、目が濡れる。劣位の才能が輝く。

『よしよし』

 その内力尽きて固い身が柔らかくなってしまうのだから一人にしておくわけにはいかないと思わされる。

『名前付けてあげる』

『ふえ?』

『”可愛い”ハルザディル』

『それはいや!』

 シャハズがハルザディルを手懐けている間に、前回と違って精霊術による地中伝導の声にて呼び出したエンシェントドラゴン”宝石”が、ゆっくりと地面に穴を開けて輝く宝石塊の鱗に覆われた顔だけを出した。目を潰し肌を焼く輝きは隠密活動中で抑制される。

 自制により眩くないのだが、シャハズは咄嗟に水とマナの青水による二重壁を構築して防御体勢を取った。古い学習と新しい学習の組み合わせによる。

 前回は話す間も無かった。地中を進んでいるとは知らなかったこともある。

 ”焚火”と”抹消”とは連携していた。

 ”宝石”と”吹雪”とは商のタイタン本拠の同時襲撃以上の連絡はまともに取れていなかった。合同作戦などという考えを古くから持ち合わせていなかったのだ。時期を合わせられただけでも柔軟と褒めて良いかもしれない。

『本拠で変な物食ったでしょ。ぺっしないと駄目』

『あれか……』

 心当たりがあった”宝石”が口をもごもごと動かしてから吐き出したのは太陽銀と呼ばれる、オアンネスがかつて作り出した青い毒光放つ鈍い銀色塊だった。その光に晒されると熱を感じ、時間を掛けて身体が少しずつ崩れる。外だけではなく内も侵して致命へ進む。

『それで病気になる』

『そうか。長くなさそうだ』

 シャハズは知識だけはアプサム師より受け継いでいる。原石やその無害な加工品を見たことはあるが、有害に精製された実物は初めてである。

『”宝石”様、御病気なんですか!?』

 思わず駆け寄ろうとするハルザディルをシャハズが掴んで離さない。壁の向こうに行けば侵されるのだ。

『吐き気は』

『生まれてこの方無い』

『鼻血と下血は』

『している』

 ”宝石”の息遣いは気にしなければ違和感は無いが、静かに鼻を啜る様子がうかがえる。

『何でも食べちゃ駄目』

『昔から食べてはきたが平気だった』

『精製してない小さいやつでしょ』

『これほどの純度は初めてだった』

 いかなる鉱毒でも平らげその身としてきた”宝石”の欲が招いた失敗は取り返しがつかなかった。時間の巻き戻しはそこへ届かなかった。

『むぅうう!』

 拘束に抗って唸るハルザディル。爪も牙も無ければふんわり柔らかいだけだった。

『どうどう』

『違うの! あの光、分かりそうなの!』

『よし』

 解き放たれたハルザディル、毒光も恐れず二重壁を迂回して、青色を浴びた後、少しして抑えてしまった。光の精霊術を得意とすることで光の小魔女と呼ばれるだけあり称号に囚われ、祝福されたように天才であった。瞬間的な閃き、その一分野では元祖の魔女も敵わないかもしれない。しかし寿命は著しく減じた。

『青はおまけ。色んな見えない、刺さるような光がありました』

『名前。”太陽”ハルザディル』

 光の小魔女が首を傾げる。シャハズの名付け趣味は新世代の同胞の琴線には触れないようだ。

『魔女にその力を認められたということだ。褒められている。誇らしいぞ』

『はい!』

 小躍りする笑顔は太陽の名に恥じなかった。

 手遅れながら”宝石”の病状の再進行は防がれた。少し寿命も延びたかもしれない。

 前回は今から湾の国に攻め入るまでの長い間、毒光を腹で受けながら地中を進んでいた。

 今回は原因と結果が分かって不治の病に対する覚悟も決まり、”宝石”は明日を捨てる戦いに臨めるようになる。前回は明日を見ていた節がある。捨て身か否かで動きは違ってくる。

 ”太陽”ハルザディルは太陽銀を手に持ち、新しい魔法が会得出来ないかと観察、研究を『うみゅ』と唸りながら始めた。後に嘔吐して寿命を知る。

 シャハズは”宝石”と打ち合わせをする。

 大宝船の出港は”宝石”の軍勢による虐殺が起きなければ前回よりも遅れる。数が減らない分だけ乗船時間が増え、積み荷の量が増えるからだ。

 都内で危機的な混乱を起こさなければ商のタイタンとの奴隷契約を結ぼうと民衆が思わないので更に遅れる。土のドラゴンによる魔物投擲も勿論、決戦の時まで禁止である。

 都内に潜伏するまつろわぬ者達にも動くなと伝える。一部は勝手に動いているのでどうにもならないが、タイタン信仰の女の精神を壊し、直腸から胃にワームの幼生体を差し込んで送り出す呪い迂回攻撃の作戦も延期される。

 後は決戦の時までに一つ、商のタイタンを殺すための障害を取り除かなければならなかった。


■■■


 湾の国の首都、難民でごった返す雑踏。店舗からの客呼びの声も無く、小銭稼ぎの流しの演者もいない。ただ不安に陰鬱な顔が並ぶ。子供が高い声で泣けば周囲の刺さる視線から親が引っ叩く。静かなのは鎖無しの首輪付きの、奴隷の呪い人である。

 シャハズは野人エルフと呼ばれる姿を隠しもせずに城門を潜った。あまり周知はされていないが、”抹消”の兵隊であるダンピールの姿のままで”抹殺者”も騎士の武装にて潜る。見る者が見れば怪しいと分かるが、このくらいの怪しい風体の者など流れにいくらでもいた。どうせ後から神官が呪い殺すからと門番は怠惰であった。一人一人検査していては壁外に貧民窟が出来るような難民の数なのだ。

 事が起きるまで時間は掛からなかった。”抹殺者”が胸甲毎胸を裂かれ、血を噴き出した。

「金剛石、貰い受けた!」

 道行く人々が呆気に取られ、シャハズが手出し無用にと”抹殺者”を精霊術による複合体の檻に閉じ込める。奪い返すまで保護する必要がある。

 陪神義賊の手による強奪は神速の手捌きで起こりが見えず、奪い取った結果だけが見られた。こうなると分かっていて心構えをしていたシャハズに”抹殺者”だったが、得物に手を伸ばす暇すらなかった。

 既に逃げ去る白服の背中が遠くになりかけ、シャハズは追った。建物、段差、堀、水路、何もかも複合精霊術で破壊して均して足場を作り上げて一直線に走る道を作り上げて最短を目指す。

 シャハズは畏怖される魔女の名に恥じなかった。雑踏、怯える人々でさえも精霊術で舗装した。奴隷の呪い人による突撃も玉砕させた。大重量にも拘らず機敏に襲い来る黄金軍団も同様に粉砕した。

 前回は精霊術による舗装は足がかりを作る程度にしか使わなかった上、ヒューネルに矢筒を掴まれて少し足止めを食った上に三本目の長い腕たる矢も失ってしまった。その反省を活かす。

 一〇〇〇年前の追走ならばもう既に追い付く速度と効率をシャハズは叩き出していたが追い付けない。義賊の動きは当時の遊び半分のものとは違った。

 この作戦では金剛石をわざと盗ませた。盗む前に殺害出来れば最良だがそれには期待をかけない。

 あの昔、ヴァシライエですら反応こそしたが盗まれた。伝説上からも義賊は相手の持ち物を因果逆転に奪う呪術を使える。そして奪われた物を取り返すための追走劇に発展することも因果の内で、絶対に取り逃せないわけではない緊張感のある劇芝居の流れまでが呪術と推測された。

 義賊の逃げ足は風や矢も追い越すような速さで、それは追手の実力に比例する。

 追跡者は魔女。タイタンも殺した史上最悪の追手。義賊は今日、全力を発揮している。

 単純な速度では義賊が上。地形破壊からの舗装による最短移動を行うシャハズは総合的に彼我距離を詰めつつあった。

 湾の国の首都は広大であるが、城壁を人造で囲めるぐらいには狭かった。やがて城壁際にまで追い詰められた義賊は方向転換に逃げる。その直角的な機動を、斜めに横切る動きでシャハズは後追い有利に縮める。

 都の中からは出られない。因果を無視する代償がこの制限。

 義賊の逃げ道は一つしか残っていない。商のタイタンの下である。

 義賊は真っすぐにタイタンの御座、大宝船へは逃げなかった。逃げられなかった。追走劇の演じなければならないからこそ、その枷があればこそ演出にまず街中を駆けて人々を驚かせなければならなかった。例えそれが虐殺に繋がっても、である。追い物に巻き添えは規模に拘わらず付きものだ。金剛石などというタイタンも殺す大物相手なれば尚更劇が強いられるのだろう。

 演出は義賊を岬へと向かわせた。都市中心部から外れ、小高く岩で盛り上がる半島。劇的な終盤に相応しい袋小路へ誘われる。

 岬に立っているのは灯台の巨像である。その黒く輝く巨体を駆け昇った義賊はその手に掲げた灯台まで行き着いた。灯台から先、勢いをつけて飛び降り、斜め下へと進んでいけば劇的に大宝船の甲板へと辿り着き、陪神の主の下へと辿り着いてこの世の何よりも危険で貴重な金剛石を献じることになるだろう。

『ハンサリー、その契約解除!』

 唯一救いとなった想い出の声は精霊術に乗って耳に届き、呪術契約の破棄をタイタンに抗う者の許可で成し遂げた。

 長らく忘れていた喉の使い方は拙く獣以下の唸り声であったがしかし、応、である。

 灯台が握り潰され、義賊が足場を無くした。軽やかに跳躍は出来ても翼を広げて飛べるわけではなく、瓦礫と落ちる。

 己で招いた災いながら、このかつては矮小なゴブリンであったハンサリーの古い逆恨みは一級であった。もはや商のタイタンの奴隷ではなく、海のタイタンの玩具でもなくなり、そして強引な解呪を起点にした代償に、その巨体と同量の商神硬貨となって雪崩に潰れた。

 雪崩に揉まれる義賊はこれで終わりではない。その渦中に紛れて逃げ果せれば追走劇の勝者となるが、瓦礫と硬貨の隙間を縫いつつ纏った暴風が弾いて開いた道を抜けた矢が義賊の、伊達の片眼鏡を破って眼球を貫いた。ヴァシライエより贈られたエーテル鏃はタイタンに連なる者の剛体を傷つける。

 義賊最期の抵抗は、金剛石を手から離して硬貨の大山に混ぜ込むことだった。

 義賊の敗北が伝わった大宝船は舷梯の収納もせずその上を渡る人も省みずに落とし、もやい綱を引き千切って出港した。奇跡の局所風を受けて帆を広げた上で黄金軍団が繰る、疲れ知れずの櫂が何段にも渡って突き出されて海面を捉える。

 シャハズは発光の合図を出した。

 土のドラゴンによる岩獣の投擲による攻城戦が、黄金軍団の防衛抜きで始まった。同時に地中から、城壁の内側からはワームが奇襲攻撃を開始してまつろわぬ者達が内部から行動を開始。降伏も許されぬ虐殺が始まった。虜囚にしてもタイタンに救いを求めて生きられたらそれは想いの力、呪いの力となってあの敵の糧となって積まれてしまうのだ。

『うーん』

 シャハズは銅、銀、金、ミスリル、アダマンタイト、オリハルコン、それぞれに輝く硬貨の中から際立って目立つわけでない血塗れの結晶を探さなくてはいけない。手探りでは途方もない。

『あ、そっか』

 金剛石は実質不壊。加工だけでも匠のタイタンが千年掛かりで、”更新の灼熱”の力を借りてようやく粘性に熔ける。熱と金の精霊を主体にした熔解選別の複合精霊術を使うのだ。


■■■


 魔女は時を戻せるが任意の時を選べない。戻した後の行動の変化により相手の反応も変わり、その動きを予言出来ない。しかし原則というものは変わらない。高いところから水を流せば下に降りるようなことだ。

 ”宝石”は湾の国沖合の岩礁に座り、普段は気楽に放っている灼ける光を偏じて背景を投影、幻影の迷彩に隠れている。血の臭いに釣られた渡り鳥が幾分かやかましく、宝石塊の鱗に便を落して白くしている。

『見えた』

 ”宝石”は光を曲げて映した像にて水平線の向こう側、沿岸部から海洋宮を目指す大宝船をその目で捉えた。

 待ち伏せである。ドラゴンの中では飛行が得意ではない土竜の如き”宝石”が逃げ出す方舟に追いつくためには先回りしかなかった。魔女の予測はその古い力で拾い上げて当てた。

 ”宝石”は短く岩礁を削り走ってから羽ばたいて飛び上がる。渡り鳥が逃げ出す。岩石塊のような身体は重く、病からの脱力で常より力弱い。

 大宝船が巡航から戦速に移り、舷側から突き出す櫂を増やして加速し、方向転換を始めた。また甲板上から人外の黄金軍団が操る設計の弩砲から大矢が放たれる。

 ”宝石”は大矢を全て凝集光で熔かして撃墜し、砲手も貫き、帆を焼き、櫂を焼いて減速させる。

 巫女や神官が青水のマナ術で船体に防護膜を展開。光速無数に放たれ続けて点に焼く光は満遍が無かったが、青水も同様で効果が無くなってくる。

 逃走に失敗した大宝船へ”宝石”が着艦し、甲板を割って半身が埋まった。巨船は巨大で重過ぎるドラゴンも易々と乗せて耐えた。船内で暴れる鋸の如き尾が船内を挽いても撃沈には程遠い。

 青水の中でさえ偏向して刺さる凝集光を今編み出した”宝石”が乱反射に巫女や神官を殺戮する。しかし状況は変わらない。

 船外にて死なずに残るのは巨人の姿、肥満体の商の者。”宝石”が全力で放つ一点の凝集光も鼻で笑うタイタンが構えた黄金に似て非なる呪術体の大鎚は、船体と青水と病の進行で身動きが取れなくなった”宝石”の頭部を粉砕しようと振りかぶられた。

 ”宝石”が開けた大口、鉱石を磨り潰す歯並びに潜む”太陽”ハルザディルは血混じる鉱毒の涎に塗れ、貧血で顔色が陰り、美しい金髪も柔らかい身体も細っていたが、目は燃えている。

『ご一緒出来て光栄でした』

 青く光る太陽銀を掲げ、ドラゴンをも蝕んだ毒光を最大級に、”太陽”の名に恥じぬ増幅をして当てる心算だった。

 ――その後に”秩序の尖兵”の化身が弾丸のように岸壁から飛び出した。


■■■


 前回と事の運び、流れが違っていた。魔女が時を操っているのなら、前回の失敗を踏まえて違う手で来ることは当たり前だった。

 折角魔女に抗う力を手にしたはずのヒューネルだったが、鉄の男らしく説明は拙く、身内のアジルズでさえ説得出来なかった。皇帝陛下の庶子である明かし、情報とその容貌から王太子を納得させるも論拠にならず無駄だった。

 極度の精神疲労と勘違いされただけとはならず、二人の仲間は思いのほか温かだったが結果に結びつかなければ何にもならない。

 予言者にはなれなかった。前回と違う突如街中で起こった義賊と魔女の追走に伴う破壊と殺戮は余人が付け入る隙など無かった。

 対策も練れなかった。時期外れても必ず訪れる土のドラゴンと岩獣の襲撃、ワームの奇襲は正面からぶつかる剛力に拠るもので小細工を叩き潰す。

 灯台の巨像が失せ、大宝船が無情にも逃げ出し、義賊も黄金軍団も巫女もおらず、わずかな神官と傭兵と、精強な勇士ながらも常人の域を出ぬ三人では岩獣とワームを多少は討伐出来ても大勢を決することは出来ず、虐殺を防ぐことは出来なかった。統制される奴隷が肉弾に戦ったが敵の頑丈な身体には雑兵殺法など通用しない。

 そして海上に現れた太陽が引き起こした押して引く大風と、大波が過ぎ去った後に統制されていたはずの奴隷が一斉に混乱し始めた。印の首輪が消え、明らかに商神の御力が消えた。

 新たに奴隷になった者達は元に戻っただけだが、昔から主従の関係を持った奴隷とその主の反応はまた違った。それぞれの経緯、多様である。

 以前と変わらず主に仕える者がいた。忠実で献身、身を投げ打ってまで主を守った。

 仕える義務が失せ、主を捨てて自己判断で動き始める者も多かった。中にはそれも仕方が無いと見送る者も、見捨てるなと縋る者もいた。

 燻っていた復讐の炎を点火させる者もいた。反乱せぬ呪いの枷は無くなり、何れは魔物に殺されるとしても自らの手で葬ると背中を刺す。

 奴隷を保護するのが主の義務であったが、その呪いの枷も無くなり、魔物へ身代わりに囮として突き出す主もいた。

 そして商人など、商神の加護を良く受けて奇跡の恩恵に授かったような者達の一部が急に倒れ伏す。死んだわけではなく、そのように寝込んだ。半死や半呆の奇病の如きに突然で理不尽に無気力になってしまった。

 これら混乱の中で統一される行動があった。生き残るべく逃げることだ。人々は城壁が包囲されていることを理解し、唯一逃げ出せる海路を見出し、大波に破壊されていない船へと殺到する。

 船の多くはまともに動かなかった。大宝船に乗る予定で動いていたので船員が足りない。仮に出港出来ても準備不足で水も食糧も、海図や観測器具も無ければ彷徨って飢え、渇き、共食いの果てに漂着するのみ。

 出港出来なければ棺桶に等しく、岸壁やそこへ係留される船に乗ったまま撃沈され、詰め込まれた家畜のように喚きながら押し合い圧し合いしつつ海水を飲んで溺死する。必殺の顎や爪に砕かれ即死する方が幸福であろう。

 何の展望も無く、せめて敵を一体でも多く道連れにしようとしていた三人は覚悟していた。懐に忍ばせ、黒石のマナ術の燃料としていたマナ結晶の商神硬貨を失ったヒューネルの鉄壁戦法は彼等を確実に延命させていたのだがそれも失せた。

 三人は危機に陥った。ここで魔女にでも遭遇すれば即死である。その恐怖が募って爆発するかどうかという時に導き手が現れた。統領エンリーである。ゴブリンの癖にこの時ばかりは輝いて見えた。

「九つの内一つのエーテル結晶の指輪を捧げて奇跡を願いました。説明は複雑故今は省略しますが、最善策です」

 卑劣なゴブリンとは言え国の統領。八つになった指輪は信頼に値し、あれこれ考えている状況ではなかった三人は誘いに従う。そしてその先には大波に打ち上げられても壊れるところも何もない単純な小船が一艘あった。

「海に出ます。私の示すところまで漕いで出て下さい」

 これは海神の御力による逆転、とまでは行かずとも御救いがあると三人は合点がいった。そう思うのが一二神を信ずる帝国人である。

 遂に乗り込んで来た土のドラゴン、岩獣、ワーム、子ワーム、邪教徒に蹂躙される阿鼻叫喚の首都を脱した四人は沖へ漕ぎ出す。

 ヒューネルとチャルクアムが櫂を持って漕ぐ。舵を取って行き先を決めるのはエンリー。アジルズは弓を持ち、追撃の手が無いか監視。

「願いとは何だ」

 アジルズが騒乱から抜けたと判断して尋ねる。

「無駄も不足も誤解も一切無いよう緻密に計算致しました。長大な法律や保険契約条文のような願いの言葉ですので申し上げる時間はございません」

「まるで高位神官だな」

「仕える先が違うだけです」

「それもそうだが、願いの結論を聞かせろ。わっぱに聞かせるよう分かりやすい必要はないぞ」

「もう少し先です」

 エンリーの説明不足に怪しさが一層強く漂い始めた。もう後戻りは出来ず、これ以上聞くのは恐ろしさもあった。

 エンリーは街や岬、岩礁を見比べては現在位置を目視確認。

「止めて下さい」

 ヒューネル、チャルクアムが櫂を海に入れたまま抵抗を付けるように止める。

「ここであっているのか?」

「しばらく……この辺です」

「早く答えろ」

「海神様の囁きに従いました。脱出の船がここに現れます」

「その船とは何だ」

 アジルズは凡その結論とやらの察しがつき、亡国統領の胸倉を掴んで持ち上げた。

「我々が生き延びるための船です」

 アジルズ王太子は最優先で救出されるべきである。

 皇帝の庶子であると明かしたヒューネルも同様。

 皇族を守る最後の近衛兵チャルクアムも付属であるが選ばれるべきであった

 死ぬ気などない功労者、奇跡の男エンリーは便乗する。脱出の船は狭い。

 亡国に残された多くの人々は相対的に助けるに値しなかった。その判断を下せる理性は、帝国の貴人と戦士に求められることは少ない。

「もっと良い願いぐらい幾らでもあっただろう!」

 エンリーの足の下は舵の席から海面となる。

「良いとこ取り、高望み、自助努力の放棄、これらは全て破滅に繋がります。都合の良さは強引な辻褄合わせの混沌を招くのです。挽回出来る失敗の保証などありません。それに神々ですら扱いかねるこの大事の最中、御耳は声を選び、御手の届くところは限られるのです」

「ゴブリンの癖に小難しい!」

「そうですとも」

 尖り耳同士の仲睦まじきはさて置く。

「あれでは」

 目先の利くオークが、海面から飛び出る、先端が曲がった鉄管のような物を発見した。その鉄管、硝子の目があり、こちらを見てから没した。

「あれです」

 エンリーが確信。

 海面が盛り上がり、現れた姿はは鯨と誤認しかねない黒さと大きさ。海水掻き分け白い飛沫を纏って浮上する流線の姿は異形であった。

 異形の胴には先が欠けた背鰭状の構造体がある。そこの頂点、丸扉を開けて姿を見せたのは金緑赤の色彩で巻いた豊かな長髪、遠目にも豊満、艶やかな美女。側鏡付きの青の四面色眼鏡が偏狂的な知者を思わせた。

「私の船に何かご用?」

 彼女は惨状にも拘わらず酔ったように機嫌良く笑っていた。人に興味があるようには見えなかった。


■■■


・奴隷の呪い人

 呪いにより義務が課され、同時にその身を保護される祝福が施されていた。枷と檻を鎖無き首輪と共に失った今、不変と解放、反逆と虐待の自由が与えられた。

・怠惰病

 罹患者は無気力に陥る。生きる気力も無く横たわって飲食もせず排泄物を垂れ流しながら衰弱死を待つ。強欲が罪ならば無欲は何であろうか。

・呪術銀行

 大陸全土共通で商神硬貨を預けて引き出せた。情報体の金庫は破られず、有望な事業には投資し、預金額に対して利子を提供し、借金も出来た仕組みが消滅する。預金は消え失せ保証も保険も存在しない。投資が終われば財政計画は破綻する。しかし借金は消え、返済不能時の奴隷労働の不安からは逃れられた。

・欲

 欲とは想いを生み出す情であり、商のタイタンの力の源であった。生活し繁栄し謳歌するために物を欲し、その流れを円滑にするために貨幣が存在。取引される内に欲が伴って呪いの力が付加されて燃料となる。

・貨幣喪失

 世界経済を回し、魔法触媒でもある呪造硬貨は貴金属採掘と加工の手間を省いた上に情報体取引が出来る優れ物であった。これに頼らぬ原初の経済を復活させるためには古く広範な知識が必要とされるだろう。

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